3 紫電一閃
「ほう、凛々しく美しい」
七郎の言葉に、かすみはそっぽを向いた。照れ隠しだろう。
しかし勝負とは非常なもの、すでに対決は始まっているのだ。
「七郎殿が修めた兵法、一手御指南いただきたい」
かすみは七郎に向き直った。彼女の家系は代々、内裏を守護してきた。
それゆえにかすみは月ノ輪の近隣警護の筆頭に選ばれた。腕も立つし、月ノ輪との仲も姉妹のように良好だ。
だからこそ七郎という外部から派遣されてきた男に苛立つのだ。
「強そうだな」
七郎は弱った顔をした。闘志も覇気もない。
「将軍の御書院番が情けないですね」
かすみは薄笑いした。明らかに七郎を見下していた。
「まあ、では少しだけ」
七郎は床に足を踏み出した。
その一瞬にかすみはたんぽ槍を繰り出した。
鋭い突きだが七郎は身をひねって、それを避けた。
避けつつ掌でたんぽ槍の柄を打ち払っている。
「……なかなかやりますね」
かすみの整った顔は引き締められた。彼女は七郎の隠された実力を見抜いていた。
「もうよかろう、かすみ殿」
沢庵は相も変わらず好好爺の笑みを崩さない。
「わしらはこれから日課の昼寝じゃ」
沢庵は笑って言うが、かすみは笑っていない。彼女には七郎と沢庵が忌々しいものに思われてきたのだ。
夜であった。内裏も闇と静寂に満ちている。
「ち……」
かすみは夜の中で舌打ちする。七郎の事を思い出すとイライラするのだ。
幕府から派遣された腕利きという事だが、強そうには見えないが只者ではない。
その七郎は僅か数日で月ノ輪と親しく話すようになった。身分を考えればまともに口を利く事すらできぬというのに。
かすみは小さなあくびをして夢見心地に落ちた。
内裏に魔物が現れてから一月、彼女は寝ずの番を毎日のようにしていた。
魔物による実害は出ていないが、遂には沢庵禅師までもがやってきた。
その沢庵禅師が魔物を斬る役にと推薦したのが七郎であった。あんな男が何だというのか。
心乱れたまま、かすみは手にした薙刀で体を支えて、立ったまま眠ってしまった。
かすみが眠りについたのは、ごく僅かな時間であった。
その彼女は異様な気配を感じて目を覚ました。
肌を刺すような夜の冷気に混じり、得体の知れない気配がする。
視線を動かせば内裏の庭に白い姿があった。
だが、それは人間ではなかった。滑らかな白い肌を持つ全裸の女のようであるが、両手両足の指先は丸まり、長い尾も生えていた。
一見した印象は人間とヤモリの間の子だ。
「恐いんじゃないかい」
人間とヤモリが融合したような不気味な生物は、悪意ある笑みを浮かべていた。両の瞳は夜の中で真紅の輝きを放っている。正しく魔物だ。
「な、なんだと」
かすみは虚勢を張った。心中の恐怖を悟られたくはなかったが、薙刀の柄を握る手は震えている。
「いいんだよ、逃げても。人間なら好きな事をして遊んで楽しく暮せばいいじゃないか」
「な、何を言うか」
かすみは尚も虚勢を張るが、魔物の言葉には甘美な誘惑があった。
好きな事のみ行い、遊んで暮らす。
それはかすみの人生を否定するような発言でありながら、同時に美酒のように心を酔わせた。
内裏の警護の任を先祖代々受け継いできたかすみ。それは誇りであると同時に重責でもあった。
それを捨てれば自分は楽に生きられるのではないか――
「やめた方がいいなあ」
突如として聞こえたのは男の声だ。全く気配など感じなかったので、かすみは心臓が飛び出しそうになるほど驚いた。
ましてや、その声の主は――
「自分さえよければ良いというのは畜生道だぞ」
新たに庭に現れたのは黒装束の人影だった。一体いつの間に現れたのか、それにもまして黒装束の人影の顔には恐ろしげな面がある。
それは黒塗りの般若の面だ、鬼女の面だ。
「おい、化物。いい加減な事をほざくな。腹が減れば親兄弟でも喰らってしまう畜生道に誘うな。お前も人間であったろうに」
般若面は魔物へ諭すように語りかけた。そういう物言いはどこか沢庵禅師に似ていた。
「う、うるさいんだよ!」
魔物は怒りに白い顔を朱に染めて般若面へ飛びかかった。かすみが目を見張るほどの、獣のような速さだ。
般若面も動いていた。
腰の刀柄に素早く右手を伸ばし、抜刀と同時に横薙ぎに斬りつける。
夜の闇を斬り裂く紫電一閃。
魔物の長い尾が半ばから切断されて、内裏の庭に落ちた。