2
*
「さて七郎よ、どう思う?」
沢庵は別室で七郎と二人きりになるや問いかけた。
どうでもいい話だが、この奇妙な師弟は茶菓子を要求してばかりいるので、宮中の女官たちを困らせていた。
「どうとは?」
「この宮中に魔物が出るそうだが」
「魔物は人の心に潜んでいるものです、いわば魔物は人間の悪意が育てる」
「ほほう、それが友景殿の教えかな」
「いやいや、小生が体験」
七郎は咳払いして、
「まあ友景殿の元では、大陸の妖術というものも教授いただき」
「ほう」
「大陸の妖術には死者をも操る術が――」
そこまで言ったところで襖が開いた。宮中の女官が茶と茶菓子を盆に乗せて運んできたのだ。
「おう、おう」
「これ、これ」
沢庵と七郎は目を輝かせ、子どものように茶菓子を味わった。
その様子は決して憎めないものだが、天下に名を知られた沢庵禅師に、まさかこのような一面があろうとは。
「うまい! うまい! うまい!」
と、七郎は世間の流行りか、うまいを連呼した。
「なんですか、それは」
女官は呆れた様子だ。沢庵禅師とその弟子が、茶菓子に夢中とは。
「いやはや、これは失礼。あまりに美味なので」
「ところで」
と女官は切り出した。目つきが変わっている。
「七郎殿は将軍家の御留流、柳生新陰流を修めたと聞きましたが」
御留流とは門外不出という意味だ。柳生で新たに興した陰流、故に柳生新陰流と呼ぶ。その兵法の妙は、この時代では武士ですら学べない。
将軍家剣術指南の柳生又右衛門が将軍と、高弟達に密かに伝えるのみだ。
その高弟達は各地に飛び、その先の藩で剣術指南役を担当しつつ、情報収集にも務めていた。
幕府大目付でもある柳生又右衛門は、幕府の密偵を統率し、江戸にいながらにして世間を知っていた。
「いや、俺はこのような隻眼であるし」
七郎は人懐っこい顔で女官に振り返った。右目の潰れた恐ろしげな異相に愛嬌が浮かんでいた。
「距離がつかめぬ。だから剣など修められぬよ」
「では無刀取りですか」
女官の眼差しは暗く冷たい。七郎の隙をうかがい、首をも取ろうという気配がある。
この女官は内裏の守護者の一人で、月ノ輪の身辺警護を任されている。
名を、かすみという。彼女から見た七郎は、憎き幕府から派遣された得体の知れない男である。
内裏が敬愛する沢庵禅師の連れてきた男といえど、簡単には信用できない。
「無刀取り…… どこで聞いたね」
「天下に知れ渡る兵法の妙技、およそ兵法を志す者が知らぬわけがありませぬ」
「うーむ」
七郎は考えこんだ。その様子が、かすみには耐え難い苛立ちを生じさせた。
「練武場へお越しください」
内裏の中に立派な練武場がある事に七郎も沢庵も驚きを隠せない。
板の間の静かな空間、上座の掛け軸の香取大神宮、鹿島大神宮の文字。
七郎を奇妙に落ち着かせる練武場は、今ではかすみら警護のものが利用するのみ。内裏の男達ですら利用する者はほとんどいないという。
「七郎殿、一手御指南いただきたい」
かすみは女官のいでたちから稽古袴へと着替え、たんぽ槍を手にしていた。