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柔の道は鬼ばかり  作者: MIROKU
張孔堂異聞
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仮りそめの天下泰平

「そうか」

 七郎はそう言うだけでも気が重かった。やはり張孔堂には多くの大名が関わっているのだ。

 江戸の人口の半分は武士階級だという。参勤交代で江戸にやってきた大名と配下の武士、全員集まれば数万人になるだろう。

 その半分だけでも蜂起し、江戸城に攻めこまれれば、将軍家光の首など簡単に取られてしまうだろう。

 その不安が七郎に兵法の道を歩ませる。七郎とて人間だ、ましてや男だ、金や色欲に惑わされる。

 だが不安の渦は常に七郎の心中にあった。この江戸が災禍に見舞われ、凶賊に幼い子どもまで殺されようものならば――

 七郎が日々、無刀取りの技を練磨するのは、その不安を拭い去るためだ。

 彼には死に花を咲かせるという意気がある。勝てずとも、せめて守ろうというのが七郎の心意気だ。

「いや、簡単にはいかねえでしょう」

「幕府に不平不満があったってねえ」

 源も政も七郎の夢想を否定する。

 もしも不平不満を持つ大名が立ち上がれば今の幕府はたやすく倒されてしまう。

 だがそれを実行するのは至難の業だ。誰も彼もが七郎のように命懸けで幕府打倒を目指せば、簡単に天下は引っくり返るかもしれないが。

 考え過ぎなどと軽く見てはならぬ。数年前の島原の乱とて、最初は小さな騒動だった。

 それが数万人規模の一揆となり、全国を巻きこみ、あわや幕府の権威を失わせかけたのだ。

 知恵伊豆と称された松平伊豆守信綱が出向いて速やかに、そして残酷に乱を制圧しなかったら、世間は穏やかではなかったろう。幕府に牙むく大名は一つや二つでは済まなかったはずだ。

 天下大乱の種は蒔かれている。実るかどうかはわからない。

 だが実った時は幕府滅亡の危機だ。天下泰平と万民は平和を謳歌しているが、未だ日本は大災禍の中にある。

 それに気づいているのは、七郎や國松など僅かの者しかいない。

「まあまあ、若も疲れてらっしゃる」

「余りもんの天ぷらだが、いい味じゃねえか」

 源も政も七郎に酒を勧め、売れ残りの天ぷらなどを酒の肴にして飲み始めた。

 不平不満など誰でもある。七郎も、源も政もそうだ。日々に健やかな色気がないというのは男にとって致命的だ。

「せっかくよう、若い娘さんを雇ったのによう!」

 源は酒を飲みつつ吠えた。うどん屋では配膳や接客に女性店員を数名雇い入れた。女性店員がいると男性客も多くなった。

 だが全員が十代後半ながら夫持ち、子持ちであった。働かない亭主のために必死に職を求めに来たのだ。

「俺達の怒りは何処に向かうべきなんだ!」

 政もまた悲しみをこらえて酒を飲む。

 日々命懸けの彼らが色恋に縁がなく、働かずに昼間から酒を飲んでいるような男に妻も子もあるとは。

 これを理不尽と呼ばずに何と呼ぶのか。

「うむ……!」

 七郎は隻眼から涙をこぼしながら酒を飲み、海老の天ぷらを頬張った。彼は一応、女性に縁があった。

 大奥の支配者の春日局、大納言忠長の愛妾たる真田幸村の娘、内裏の月ノ輪という少女、更には天草四郎の許嫁ウルスラ……

 今は茶屋の看板娘おりんがいる。恋人を持った事はないが満足している。彼女らとの出会いを天に感謝する一方で、もし出会わなかったとしたらどうなっていたか。

 源や政と同じような悲しみに襲われていたのではなかろうか。もっとも源と政は女遊びもしているようだが、七郎には縁遠い世界だ。

「うむ……!」

「何がうむだ、この野郎!」

「女連れでうどん食いにきやがって!」

 七郎は酒を飲みつつ、源と政の愚痴をたっぷりと聞かされた。

 だが、それによって七郎の魂は迷いから遠く離れた。正雪の事を七郎はしばし忘れた。

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