見知らぬ場所
「ひぃ、ぁあ……」
目の前で人が死んだというのにそんな情けない言葉しか出ない。
こんなことあるはずがない、なんて眼前の現実を受け入れられない頭で繰り返し今までの事を思い返そうとする。
俺たちは、修学旅行に来ていたはず、なのに何故クラスメイトが死んでいるのだろうか。
先程まで生きていたクラスメイト、三島から流れる血が俺の手を濡らす。
俺たちを殺そうとしている?じゃなきゃ、この状況は説明できない。
でも、なんのために? わからない事だらけだ、だけど一つだけわかることがある。
それは、俺も今から殺されるだろうということ。
クラスメイトを殺したこの殺人鬼は、俺の事をじっと見据えて微動だにしない。
恐怖に怯える獲物を見て楽しんでいるのか、そうでなければ、俺は対象じゃない、とか?
そこまで考えてから、そんな馬鹿みたいに楽観的な憶測を押し込める。
目の前のこいつは、俺を殺そうとしている。そう本能的に理解した。
逃げなければ。
そう思っても足が全く動かない。
恐怖に身体が竦んでしまい、情けない声を口から漏らすことしかできない。
こんなことなら、修学旅行なんて来なければよかった。
そんなことを考えてももう遅い。
ゆっくりとこちらへ近づいてくる殺人鬼。
その手に握られた包丁からは赤い血が滴り落ちている。
そして、その刃先は真っ直ぐと俺に向けられた。
ああ、ここで死ぬのか。
まだ、何もしていないのに。
まだ……兄さんを見つけていないのに。
死の間際になってやっと冷静になれたが、だからといってこの状況が変わるわけでもない。
殺人鬼の顔は見えない。しかし一歩また一歩と距離を詰めてくる。
目の前まで来た瞬間、勢いよく振り上げられた包丁がよく目に入る。
死にたくない、死にたくない死にたくない。
そう思ったところで叶う訳もなく、これから来るであろう痛みに思わず目を瞑った。
刹那、腹へ重たい衝撃が走る。その痛みと無理矢理身体の外から押し上げられる内臓の感覚に軽くえずく。
そのまま身体が倒れるのを感じながら、俺の意識は途切れた。
「ん……」
身体を動かすと、耳元で布の擦れる音がした。
何かに包まれている感覚。これは、ベッドだろうか。
酷く心地の良い感触に身体の力を抜く。それから、俺はゆっくりを目を開いた。
目の前には見たことのない天井がある。確か、俺はさっきまで……
そう、さっきまで、クラスメイトと一緒にいて、それから、それから……
人が殺された。
思い出した途端、震え出す身体。
それを抑えようと自分の腕を強く掴むが、何の意味もない。
ただただ、ここに先程の殺人鬼がいないことを願うことしかできなかった。
暫くしてようやく落ち着いてきた頭で考える。まずは、ここがどこなのか知るのがいい。
見知らぬ天井だが、どう見ても病院ではない。
部屋を確認するために起き上がろうとしたとき、腹部に強い違和感を覚える。
……痛い。
恐る恐る服を捲ると、腹の大きなあざができていた。俺は、刺されていない?
三島の事は刺したのに、どうして……
もしかして、助けてくれたのか? あの殺人鬼が?
いや、それとも他の誰かが……?
ひょっとして、殺人鬼はもうここにはいないのだろうか。
部屋の中を見渡す。救急箱や食器、机の上を見る限りでは誰かが生活していた様子が伺える。誰かの部屋、だとは思うのだが。
俺が思考していると、不意に部屋の扉が開かれた。突然の音にびくり、と肩が跳ねる。
反射的にそちらを見ると、扉からたらいを持った1人の男が現れた。
「……ああ、目が覚めたのか」
聞き覚えのある声に、思わず涙が出てくる。
「っ、秋口!」
「おう、大変だったみたいだな。
ここは安全だから、安心しろよ」
そう言うと秋口は手に持ったたらいを机の上に置いた。
いつも通りの声に心底安堵する。
良かった、よかったよかった!
本当に俺は、助かったんだ。
思わず俯いてこぶしを握る。
生きていることを十分に噛み締めてから顔を上げると、彼の表情が少し暗いことに気付く。それになんだか疲れているように見える。
どうかしたのだろうか?
「秋口?」
俺の声にハッとした様子を見せる彼。すぐに取り繕うような笑みを浮かべ、大丈夫、と返される。
それから、秋口は机の上にあったタオルを手に取ると水に浸す。
それを絞ってから俺の方へとそれを差し出した。
「汗、結構かいてるだろうから、拭いとけよ」
「あ、ああ、サンキュ……
あの、あのさ……三島が、」
「知ってる、その話は後で。
着替えおいとくから、終わったら広間に来てほしい。
部屋出て右の突き当りだから、すぐわかる」
「え、あ……」
それだけ言うと、秋口は部屋を出て行ってしまった。
一体全体、どういうことなんだろうか。とりあえず、言われた通りに身体を拭く。
それから、新しい制服に袖を通した。
動くと痛む腹に注意しながら身なりを整え部屋の外へ出ると、広い廊下が目の前に広がった。
俺が一人寝ても、十分ゆとりのある幅だ。
左右対称にいくつもの同じような扉があり、奥に階段が見える。
秋口に言われたように右側へ進むと、そこには『広間』と書かれたプレートがかけられている。
壁からそろり、と顔を出すと既に集まっていた何人かの顔が見える。
数はそう多くない、大体30人くらいだろうか。
知らない顔もあれば、見知った顔もある。
その事にほっと息をつくと、みんなが一斉にこちらを振り向いた。
そして、俺の姿を認めるとどこか驚いた様子を見せた後にこちらへ近づいてくる。
「目覚めたのか!」
「あ、はい、えっと……?」
「ちょっと、知らない人にいきなり話しかけられても困るでしょ!
ごめんね、私B組の葉月。目が覚めてよかった」
「悪い悪い、俺は狭川」
「俺は瀬田~、よろ~」
次々に自己紹介をしてくれる。俺は、彼らに軽く会釈をしながら思い出す。
B組には、確か幼馴染の犬上がいたはず……どこだ?
周りを見渡してみるが、どこにも彼女の姿は見えない。
「あの、葉月、さん?犬上は?」
「犬上さんなら……あれ、どこ行っちゃった?」
「今大広間の方であっくん達と話してるよ~」
瀬田さんが教えてくれる。大広間もあるのか、広間があるのに。
犬上とは最近はあまり話せていなかったけど、無事なら本当に良かった。
しかし、B組とA組はいるのに、C組の人間が一人もいない。
大人も然り、誰一人として生徒以外の人間が見当たらない。
先程言っていた大広間にいるのだろうか?
そんなことを考えていると、突然、扉が大きな音を立てて開いた。
驚いて振り向けば、そこに立っていたのは一人の少年。
身長は俺より低く、見た目は中学生ほどに見える。
彼は、俺を見て目を大きく見開くと、早足でこちらへ駆け寄ってきた。
「お前、起きたのか!?」
「え、あ、うん……」
「うわぁ、よかった! ほんとに心配したんだぞ!大丈夫なのか!?痛いとこないか!?腹減ってるか!?」
「ちょ、落ち着けよ! 質問多すぎだっての!」
矢継ぎ早に繰り出される言葉に慌てて制止をかける。
しかし、彼の勢いが止まることはなく、そのままぐいぐい迫ってくる。
俺が戸惑っていると、彼が後ろから羽交い絞めにされたことでようやく解放された。
「何やってんだよ! 病み上がりなんだからもっと優しくしろよな!」
「はあ?別にいいじゃんか、これくらい。
どうせ、もうすぐ死ぬんだし」
「っ……!」
さらりと告げられた一言に思わず息を飲む。
俺だけじゃなく、周りの人間もそうだ。この人は、何を言っている? 俺達が困惑している中、彼だけが変わらずに笑みを浮かべていた。
異質な笑顔から目が離せない。
一体この少年は、何者なんだ。
「まあまあ、怒んなって。
冗談だよ、じょーだん」
そう言って解放されると、彼は俺が来た廊下の方へと歩いて行った。
その後ろ姿をじっと見つめる。……本当に、どういうことだ。
意味が分からない。頭が追い付かない。
あいつは、何がしたいんだ? 暫く呆然と立ち尽くしていると、背後から肩を叩かれた。
振り返れば、そこには俺と同じように困惑した表情を浮かべるクラスメイト達。
俺が彼らを見ると、代表するように秋口が口を開く。
それに耳を傾けた。
曰く、俺の怪我は殺人鬼にやられたもの。
殺人鬼はまだ捕まっておらず、この建物のどこかにいること。
このままでは全員殺される可能性があること。
ここから出る出口はまだ見つかっていないこと。
全てが現実とは思えない内容だった。
ここに今いない面々は、別室で話し合いをしているか、総じて三島のように殺されたか、その二択だと告げられた。
「だから、これからはなるべく固まるようにして行動する。
それが、お前が寝ている間に俺たちが決めたルール。
必ず2人以上で行動する、それで、殺人鬼と出会ったら、必ず逃げること」
「1人行動は良くないってことだな」
「良くない、というか……
その、生存率が、上がるんだ。
あくまで仮説なんだが……」
歯切れの悪い物言いに首を傾げる。
何かあるのだろうか? 疑問を口にする前に、瀬田さんが声を上げた。
その顔は青ざめており、身体が小刻みに震えている。
先程までの緩い笑顔はどこへやら、まるで、恐ろしいものを見ているような、そんな顔だ。
震える彼の肩をさすりながら、葉月さんが彼をどこかへ誘導し連れていく。
その様子を黙って見送った後、俺は秋口に向き直った。
先程目を覚ました時と同様、彼の顔色は悪く、ひどく疲れているように見える。
その目はどこか悲しげで、不安げで、今にも泣きだしてしまうのではないかと思うくらい負の感情に揺れていた。
どうして、そんな顔をするのだろう。
先程の会話といい、秋口は何を知っているのだろうか。
「あ、ああ、そうだ。
七海ちゃんは?別室で話し合い中?」
「いや、七海は、……死んだよ。
2人以上で行動ってさっき言ったよな、あれは、2人いればどちらかが必ず助かるからなんだ
……俺と七海は一緒にいて、それで、……」
そこで言葉を詰まらせる。
しかし、すぐに気を取り直すように軽く頭を振ってから続けた。
大丈夫、と力なく微笑む彼に、それ以上何も言えなかった。
それからも、何人かが部屋から出て行き、入れ替わるように数人が入ってくる。
その中には犬上の姿もあり、俺を見つけるなり駆け寄ってきてくれた。
久方ぶりに見た彼女の姿に安堵の息をつくと、彼女は両手で俺の右手を握ってきた。
いきなりの行動に戸惑いながらも、彼女にされるがままになる。
少し冷たい手が心地よい。
俺より小さな手はしっかりと俺の手を握りしめている。
彼女の瞳は真っ直ぐと俺を見据えていて、逸らすことが出来ない。
綺麗な目、だと思う。
昔からずっと一緒だったが、こんなにも近くで彼女を見たのは、初めてかもしれない。
そんなことを思っていると、不意に彼女の唇が小さく動いた。
俺の耳にかろうじて届くほどの声で呟く。
「……東雲 明をしっていますか?」
それは、俺の知らない名前で、けれど、とても聞き覚えのあるものだった。
どこで聞いたんだっけ。誰から聞いたんだっけ。
動揺を隠しきれない俺に気づいたのか、いつも無表情な彼女は珍しく微笑む。
それから、握っていた手を離した。温もりが消えて、途端に寂しさを覚える。
そのまま、また後で、と小さく別れの言葉を告げると、今度はB組の女子達に呼ばれ、そのまま部屋を出て行ってしまった。
取り残された俺は、その場に立ち尽くす。
何だったんだろう。今のは、どういう意味なんだろう。
彼女が残した言葉がぐるぐると脳内を巡る。
俺はそれを振り払う様に頭を振ると、秋口達のところへ戻った。