業:蒙古太刀
文永の役の後、フビライは抵抗を続けていた宋国の息の根を止めると、再び、蒙古・高麗・宋からなる大規模な日本征服軍を組織した。これに対し、鎌倉幕府は蒙古軍を水際で撃退するため強固な防塁建設に着手した。今日、博多湾の各所に遺構が残る元寇防塁である。
しかし、京の朝廷、公家、寺社は、文永の役の時と同様、国家安康の加持祈祷以外、具体的な手を打つ事はなかった。当然、来鍛冶も太刀の注文が増えた外には大した変化がなく、弘村も京風の華奢で優雅な刀を打ち続けていた。
弘安四年(一二八一年)三月、文永の役から七年。季長が弘村の鍛冶場を訪ねた日を境に、穏やかだった弘村の暮らしにも終わりの時が来た。
「弘村殿、いよいよじゃ・・」
「作用で・・」
京の来鍛冶で好きなように太刀を打ってきた弘村も、心の奥では覚悟ができていた。
「弘村殿、そこで頼みじゃ・・」
「竹崎様、何なりと。」
「刃渡り三尺四寸、身幅一寸二分、重ね三分三厘・・蒙古を兜ながら二つに断ち切りたい」
とんでもない大きさだった。刃渡り一〇二㎝、幅三.六㎝、厚さが一㎝、当然、重さも通常の太刀の倍はある。太刀と言うよりは、長大な斧に近かった。
黙って聞いていた弘村だったが、とても来弘村が打つような太刀ではなく、溜息をついて下を向くしかなかった。
「弘村殿、・・わしは、来国吉の切れ味が忘れられん。しかし、いくら国吉が切れても、あれでは、何時かは折れる。・・折れたら終いじゃ・・」
季長に限らず蒙古軍と直接刃を交えた武士達は、蒙古軍と日本軍の違いを身に滲みて感じていた。蒙古軍の主力は弓。蒙古軍の弓の飛距離は和弓の倍はあった。蒙古軍との弓矢合戦では武士に勝ち目は無く、乱戦に持ち込んで肉弾戦を挑む他に道が無かった。幸い、刃を交わす肉弾戦になれば、蒙古軍は日本刀を持った武者の敵ではなかった。一人の武士が、複数の敵を切り伏せるには、切れ味は勿論だが、いくら敵の剣や鉾と噛み合っても折れない強靭さが必要だった。
「承知いたしました」
弘村は、その足で来の鍛冶場に向かった。季長が求めた長大な刀は重量三㎏、最低でも、三〇㎏の上質な鉄が必要になる。腕力自慢の弘村でも、三〇㎏の鉄塊を支えながら、一〇㎏の大槌を振るう自信はなかったが、とにかく、大量の鉄塊を自分の鍛冶場に運び込んだ。
「弘村殿、何を始められる?」
国行は不審の目で弘村を見た。弘村が事情を伝えると、国行は暫く考え込んだ。
「国末に頼みなされ・・あれは、暴れ馬に見えて、なかなかの駿馬・・」
来国末、国行の次男である。
長男の国俊は、父親似の真面目な性分。父の教えに素直に従い、華奢で優美な京風の刀を作り続けていた。それに対しての弟の国末は、進取の気性に富み、切れ味が一番。失敗作も多かったが、中には、頑丈で切れ味に優れた刀を打ち出していた。しかし、関東の正宗や備前の一文字とは一味違い、国末も肌は絹目のような来肌を頑なに守っていた。
弘村は、国末と年が近い事もあって、兄の国俊より、国末に親しみを感じていた。
「あり難い、お言葉です。・・国末様の力添えがあれば、これほど心強いことはありません」
国末も弘村が好きだったようで、直ぐに鍛冶場に駆けつけてくれた。
「ハチ殿・・いや、ご無礼した。弘村殿、父上から話は聞き申した。」
国末は嬉しそうにタスキの緒を締め上げた。
「私が相槌を、国末様には小槌を・・」
「よかろう。・・わしは、弘村殿ほどの力はないでの・・」
国末は豪快に笑い飛ばした。国末は小柄だったが、鞠のように弾む体を持っていた。
「国末兄者は、野猿じゃ・・何時も赤い顔して、飛び回ってござる」
兄国末に対する、妹、き乃の評である。国末は、大酒のみで、何時も顔を赤くしていた。刀鍛冶としては、愛嬌があり、時折見せる笑顔には染み入るような暖かさがあった。
「わしも、それだけの太刀は打った事が無い・・さて、いかように・・」
さすがの国末も、炉の前で考え込んだ。
「国末様・・季長殿が所望される太刀は、来国吉の切れ味と、一文字吉弘の強さを合わせた一振りかと・・」
弘村が腕組みした国末の背中に話しかけると国末は唸った。
「国吉の切れ味と吉弘の強さは可能じゃが。・・肌が、のお・・」
暴れ馬の国末も、京の名門、来である。肌へのこだわりは捨てきれないらしい。
「国末様・・この度の太刀、肌までは・・」
弘村は苦しかった。国末以上に弘村は苦しかった。弘村は、来肌を求めて故郷の福岡を捨て京に上っていた。切れ味と強靭さだけでよければ、今も福岡村で槌を握っている。国末は腕組みして思案していたが、振り返ってニッコリと笑った。
「分かった。・・切れ味と強さだけでよければ・・」
国末は、当世、武者好みの刀の鍛え方はそれなりに習得していた。
「弘村殿、それにはまず、鉄じゃ。・・ここにある鉄では駄目じゃ・・奥州の鉄でのうては」
奥州、現在の宮城・岩手県一帯を、昔は奥州と言った。古くは平安時代、藤原三代が平泉を拠点に、京の朝廷と対抗するほどの地方国家を創り出した。その平泉から、十㎞ばかり南下した一関市に舞草と呼ばれる古い刀がある。舞草は、反った刀としては最古の日本刀に分類されるが、姿、肌合いとも、以降の刀に決して引けを取らない。
「しかし、今となっては、奥州鉄も少なくなっての・・確か、納屋の地面に半分埋まっておったと思うが・・」
弘村と国末は連れ立って、一番奥の納屋に向かった。
「確か、この辺りだったと思うが。・・」
国末は、鉄塊に掛けられたムシロをはぐりながら、灯明の明りを差し上げた。
「あった、あった・・これじゃ、弘村殿」
問題の鉄塊は、丸みを帯び、鈍い銀色を放っていた。土に半分埋もれながらも、錆一つ無く、見るからに柔らかそうな鉄だった。弘村は、同じような鉄塊を見た事があった。そう、師匠吉兵衛がくれた、あの鉄塊と同じものだった。
「これが、奥州鉄・・同じだ、あの鉄と同じだ・・」
「弘村殿は奥州鉄を見た事が?」
「いいえ、奥州鉄ではございませんが・・」
弘村は、吉兵衛の鉄の話を語った。
「それでは、弘村殿の腰の一振りは・・」
「左様で」
弘村が鞘ごと腰の短刀を差し出すと、国末は鞘を払い、青い刀身に目を凝らした。
「見事じゃ弘村殿。・・これは、祖父国吉をも越える一振り」
国末は度肝を抜かれていた。二十四㎝ほどの細身の刀ではあったが、肌、姿、刃文、全てが、国末の域を超えていた。
「しかし、一尺足らずでは、刀とは言えますまい。・・それに、根元の打ち傷が・・」
弘村の短刀には僅かな傷があった。柄を外すと、刃の根元あたりに長さ一㎝ほどの黒い筋が見えた。
「何のこれしきの傷。・・名刀に傷は付き物よ」
古い時代の刀の傷は良くあることだが、弘村の完璧主義はそれを許さなかった。
国末は短刀を弘村に返すと、鉄塊の周りの土を掘り始めた。
「弘村殿、この鉄で無傷の太刀は無理じゃな」
半分土に埋まっていた奥州鉄は四〇㎏ばかりで、季長の太刀一振りが精一杯だった。
「一発勝負でございますな」
弘村はゴクリと生唾をのみこんだ。
発注者の希望に沿って打つ注文打ちは、一度に数振りの刀を打ち、最良の一振りに銘を刻む事が多い。余った刀は廃棄する事もあれば、銘は刻まず無銘の刀として市場に出る事もあった。
「弘村殿、何とかなりますやろ・・」
国末は弘村の心配を他所に、気楽な笑みを浮かべた。
当時の鉄塊は、現在のような均一な組織ではなく、鉄と石の中間的な質感だった。石を割るように、粗鉄の隙間を見つけてはクサビを打ちこみ、小さな塊に割り落とす。その塊を炉で柔らかくなるまで焼き、板状に叩き延ばして水をかける。急冷された板状の鉄は極めてもろく、容易に槌で小片に割る事ができる。
二人は、焼いては潰し、焼いては潰し、一日がかりで、全ての奥州鉄を煎餅状の破片に変えていった。
「良い鉄でございますな」
銀色の鉄煎餅の山は、炉の炎を受けてキラキラ輝いていた。弘村が見る限り、不純物である黒い斑点や、艶の異なる異種金属の混入は殆どなかった。
「うむ・・・」
国末も、破片を手に取り仔細に眺めていた。この煎餅状の鉄片を再度、熱を加えて鉄の塊にまとめたのが、刀の原料である。
「今日は、ここまでじゃな・・酒でも飲むか」
国末は言い終わらぬ内に、フイゴの上に置いた大きな酒壺に手を伸ばした。国末は、汁碗で一気に飲み干すと、口を拭きながら弘村に碗を差し出した。
「遠慮のお、頂きましょう」
弘村も、国末を真似て碗の酒を一気に空けた。緊張と期待の一日だった。弘村は、一気に三杯の碗を干しあげ、酒壺を置いた。
「ハチ殿・・何故、わしが酒を飲むか分かったかな・・」
弘村は、大きく頷いた。
翌朝早く、弘村は、金テコ作りを開始した。金テコは、鉄煎餅を積み上げるための、柄の付いた鉄皿である。金テコに鉄煎餅を積み上げる作業は、経験豊富な国末が担当した。国末は十分な時間をかけて、金テコの上に鉄煎餅を積み上げたが、重さは二〇㎏を超えていた。国末は、鉄煎餅を和紙で丁寧に巻き上げ、上から泥水を振りかけた。国末は両手で鉄煎餅の山を持ち上げると、炉の中に押し込み、上から大量の松炭を被せた。
「カッタン・・・カッタン・・・カッタン」
ゆっくりと、国末はフイゴの取手を引き出し、そして押し込んだ。
フイゴとは、木箱の中を前後に動く仕切り板が、炉に空気を送り込む原始的な送風機である。箱の端には木製の弁があり、木製の弁が開閉すると「カッタン」と音を立てる。国末の腕が、押し引きする度に、炉の中の炭は燃え上がり、赤い炎を上げ始めた。
フイゴの発する「カッタン」の音の間隔が次第に短くなり、「コン・・コン・・」から太鼓を叩くような「トン、トン、トン・・・」に変わった。炭は、眩いほどに真っ白に輝き、炎の色も、赤から、紫、そして青く、終いには、輝く白に変化した。
「グツッ・・・・グツッ・・・グツ、グツ、グツ・・」
鉄が沸いた音、即ち、鉄煎餅に含まれる不純物が溶け出した音である。耳をそばだてていた国末の表情が変わった。
「弘村殿・・」
「オウッ」
弘村は特大の大槌を、金床の上で振りかぶった。
国末が炉から金テコを取り出すと、鉄煎餅の塊は大量の火花を吐きながら、真っ白に輝いた。国末は、火花を吐き続ける鉄塊を金床の上に置いて、焼けた鉄煎餅同士が馴染むように小槌で軽く叩き始めた。小槌に併せて、さらに火花は激しくなった。
「コーンッ」
国末が、輝く鉄塊の真ん中を叩く甲高い音が鍛冶場に響いた。
「ドーン」
弘村が、国末が指示した位置に、大槌を振り下ろすと、打ち上げ花火のような大粒の火花が飛び散り、板張りの屋根板に二人の影を映し出した。
「コンッ・・・ドーン」
「コンッ・・・ドーン」
「コン・・コン・・・ドーン・・ドーン」
国末の小槌の間隔が狭くなると、弘村の大槌は休む間もなく赤い鉄の塊を叩き続けた。
やがて、真っ赤な鉄塊は小豆色に変わり、国末は、鉄塊の上で小槌を止めた。
「・・フーッ・・」
弘村も、長く深い吐息を吐いて、大槌を土間に下ろした。
「弘村殿・・少しは堪えたか・・」
国末は笑いながら、鉄塊を炉に戻した。
「・・何の・・これしき・・」
口では、強がりを言ったものの、体力自慢の弘村も息が上がっていた。
「カッタン・・・カッタン・・・カッタン」
休む間も無く、国末がフイゴを押しながら鉄塊の上に大量の炭を被せた。炉の中で、炭全体に火が回るまでの僅かの間が、刀鍛冶が一息入れることのできる唯一の時間である。
「どうじゃ・・弘村殿、相槌の具合は・・」
鉄の性質は、大槌が鉄を叩く瞬間の感触に現れる。
「柔らかい。初めてじゃ、こんな柔らい鉄は・・しかし、弾むように押し返す・・」
「・・・・・」
意味が分からず、国末は火掻き棒の手を止め弘村に振り返った。
「・・そうよな・・・硬いコンニャクのようで・・」
国末は目を見開いて弘村を見上げていたが、ニッと笑みを浮かべてフイゴの取っ手を押し込んだ。
「なるほどの・・コンニャクとは、言い得て妙じゃ・硬いコンニャクのお・・」
国末は、弘村の比喩が余程気に入ったと見え、「コンニャク」「コンニャク」と呟きながら、フイゴを押す手に力をいれた。
フイゴが太鼓の音に変わり、真っ白に輝く鉄塊が、再び、金床の上に置かれた。
「コンッ・・・ドーン」
「コンッ・・・ドーン」
「コン・・コン・・・ドーン・・ドーン」
そして、また、炉で黄色なるまで鉄塊を焼き上げる。これを三回ほど繰り返すと、鉄煎餅の山は、五㎝角、長さが四〇㎝程の鉄の塊に変わった。
いよいよ、折り返し鍛錬が始まった。羊羹のように打ち伸ばした鉄塊の真ん中に鉄のタガネで溝を入れる。小槌で溝から鉄の塊を折りたたみ、重なった部分を大槌で叩く。手際の速さも求められるが、小槌、大槌の息の合い具合が、さらに大事である。打ち伸ばした鉄にタガネを当てるのは小槌の役、タガネの頭を叩いて溝を切るのは大槌の役割だ。溝が浅ければ、折り曲げにくく、深過ぎれば、鉄塊が二つに千切れてしまう。二人は、延べ十四回の鍛錬を繰り返し、槌を置いた。日は既に西に傾き、中庭にある井戸の柱が鍛冶場の土間に長い影を落としていた。
「ハチ殿、腹が減った・・」
国末は柄杓で水を飲み干して柄杓を弘村に差し出した。
「・・ですが、のお・・」
弘村は国末から目をそらし、水甕の中に柄杓を突っ込んだ。
「分かった、分かった、弘村殿・・しかし、今日は素延べ、までじゃ・・」
「オウッ」
下を向いていた弘村が、満面の笑みで顔を上げた。
「素延べ」とは、折り返し鍛錬の済んだ鉄塊に、芯金と呼ばれる柔らかい鉄を割り込み、刀の長さまで叩き伸ばすことである。素延べが終われば、弘村一人でも何とかなる。素延べが終わったのは深夜に近かった。金床の上に置かれた鉄棒を見て、二人は今更ながら呆れていた。
長さ、一二〇㎝の四角い鉄の棒は、まだ、重さがが一〇㎏を超えていた。
「先が思い遣られる、のお・・」
国末は、さすがに、げんなりしていた。
それから、丸三日、弘村は鉄棒を赤く焼いては叩き、叩いては焼いた。素延べが済んだ鉄の棒を焼いてみると、茜色に焼けた鉄の表面に油の様な黒い物が浮いていた。鉄の不純物である。それを叩くと、不純物は火花となって辺りに飛び散った。三日目夕刻、やっと鉄は黒い油を吐かなくなっていた。
「良い地鉄になりそうじゃの」
一心に鉄を叩く弘村の後ろから、国末が声をかけた。
「左様で・・この粘りと固さ・・」
「カーン」
澄み切った槌音を残して、弘村は、小槌を置いた。
全長一二八㎝、刃渡り一〇二㎝、身幅四㎝の豪壮な太刀が打ち上がった。反りは京風の輪反り。圧倒的なまでの力強さの中に、「来」の気品が漂っていた。後は、ヤスリで形を整えた後に、刃文を作るための泥(焼刃土)を塗る土置きである。弘村の土置きの秘密は、薄い泥水の塗り重ねで、塗っては乾かし、乾かしては塗る作業を十日余り繰り返した。
弘村は刀身を打ち出すときの槌の加減と薄く溶いだ土の塗り重ね、そして、焼き入れの時の水への沈め具合で、定規で引いたような真っ直ぐな刃文を浮き立たせる事ができた。
鉄煎餅を積み上げてから、二十日目、ついに、焼入れの運びとなった。焼入れで、刀の出来を左右するのが、加熱した鉄の温度と、鉄を冷やす水の温度である。焼けた鉄の温度を測定する方法がなかった昔は、赤熱した時の色で判断するしかなかった。それ故、刀の焼入れは日が落ちた夜を待って行われる。
その日の朝から緊張していた弘村は、一日落ち着かなかった。弘村の緊張は、国末に伝わり、国末の緊張は、父国行、兄国俊へ。そして、来の鍛冶場全体を張り詰めた空気が包み込んでいた。
日が落ちると、弘村は八坂の神を祭った社の前で長い時間立ち尽くしていた。鍛冶場に戻り、炉に火を入れる頃に国末が弘村のもとを訪れた。石像のように微動だにしない弘村の後ろ姿に、国末は声をかける事が出来なかった。
「国末様、一人にして貰えまいか・・」
弘村のつぶやくような声の響きに、国末は軽く頷いて鍛冶場から姿を消した。
国末が、鍛冶場から外に出てみると、夕闇の中に、父国行、兄国俊の顔があった。戸板の隙間から漏れる炉の明りは次第に強くなり、固唾を呑んで鍛冶場を見詰める三人の刀鍛冶の顔を闇の中に浮き上がらせた。
「ジュワーッ」
焼けた刀が、水を泡に変える激しい音が、来の鍛冶場に響き渡った。
「シュウゥゥゥ・・・」
刀が水に馴染む音と同時に、高窓や、二重屋根の隙間から白い蒸気が噴出した。
国末が堪らず、鍛冶場の木戸を引き開けると、弘村は、まだ湯気の立つ刀身に見入っていた。
「どうだ?」
「良い」
何事にも控えめな弘村としては、生まれたばかりの刀に対する最高の賛辞だった。
弘村は、まだ、うっすらと湯気の立つ刀を下げて、研ぎ場の腰掛に腰を下ろし、目の細かいヤスリを選び出した。刀の上を滑らせてみると、「カラカラ」とヤスリを弾く軽やかな音が響き、力を入れてみると「ズズッ」とヤスリが刀に噛む感触が手に伝わってきた。弘村の口元がやっと緩んだ。焼き入れは成功していた。
翌々日の昼過ぎ、粗砥石と中砥石による鍛冶研ぎが終わり、弘村は季長に使いを出した。季長は、菊池屋敷から来鍛冶までの僅かな道程を馬で駈けつけた。
「出来たのか?」
季長の呼びかけに返事はなかった。炉から火が落とされた鍛冶場は薄暗く、シンと静まり返っていた。やがて、桐の箱を胸の前に抱えた弘村が、奥の研ぎ場から現れた。
「どうなのじゃ?」
季長は待ちきれず、弘村の顔を覗き込んだ。
「ご覧いただければ・・」
弘村が笑みを浮かべて箱を差し出すと、季長は、ひったくるように箱を抱え、井戸に向かって飛び出した。
井戸の縁に箱を置き、季長はゴクリと唾を飲み込んだ。震える手で蓋を取ると、刀の棟(刃と反対の峰)が鈍い鉄色を放った。籐で巻いた柄の長さは三〇㎝近く、刀身の厚みと長さに、さすがの季長も手を伸ばしかねた。
季長は下腹に力を入れ、柄を両手で掴んで持ち上げてみたが、思った以上の重さに表情が曇った。
「これほどとは・・」
「ご心配、めさるな・・」
後ろからの弘村の声が笑っていた。
季長は、正眼に構えていた長大な太刀を上段の位置まで振りかぶってみた。
「かる・・軽い・・」
その軽さに驚きながら季長は、上段から思いっきり刀を振り下ろした。猛烈な勢いで太刀は頭上から落ち、正眼の位置でピタリと静止した。絶妙のバランスだった。重さ自体は並みの太刀の倍以上はあったが、上下左右に振ってみると、太刀が季長の心を読んで動いているように軽々と反応した。
「で、切れ味は?」
片膝を就いて太刀を正眼に構えていた季長は、言いながら片手で太刀を真横に払った。
「こちらへ」
弘村は、季長を連れて、鍛冶場裏の孟宗竹の林に足を踏み入れた。時は三月、もう少しで若竹が芽を出す季節である。天まで伸びた孟宗竹はどれも、風雨にさらされて硬く、太く、そして強靭なものに変わっていた。
年老いた孟宗竹は日本刀の天敵である。艶やかな竹の表面は滑りやすく、刀の刃が食い込みにくい。無理をして斬り込めば、石のように硬くなった竹に弾き返され、何度も斬りつければ、終には刃こぼれを起こす。
「ご存分に、お試しあれ・・」
「オウッ」
季長は、弘村を追い越しざま、地を蹴って虚空に舞い上がった。
「カッ」
硬い孟宗竹と刃が噛み合う乾いた音と共に、竹は斜めに切断されていた。季長は着地するや、間髪を置かず、返す刃で右上に切り上げた。切り口から滑り落ち、地に向かっていた孟宗竹は、再び、途中から斜めにスッパリと切り裂かれていた。刀を正眼に構え直すと、季長は腰を落としながら刀を真横に払った。真横から切断された孟宗竹は、倒れることもなく、切り口が僅かにズレただけでそのままの形で残っていた。
「シャー」
竹林の奥、樫の大木を目指して駆けていた季長が、地を蹴った。季長が、片膝を着いて着地したのと同時に、直径が二〇㎝はありそうな樫の大枝が降ってきた。季長は枝を避けて飛び下がると、弘村に向かって引き返してきた。顔は緩みきり、涎が垂れんばかりに口はだらしなく開いていた。
「すごかー・・・むげー、きるー」
抑えていた肥後弁が噴出した。
標準語に翻訳すれば「すごい・・めちゃくちゃ、切れる」と言う所か。弘村は季長の言葉の意味が分からずポカンとしていた。
季長は顔を赤くして、小さな声で呟くように言った。
「最上、大業物じゃ・・」
季長の言葉に弘村は頷いたが、口元に不敵な笑みが浮んでいた。
「竹崎様、まだまだ」
弘村は、笑顔で「ついて来い」とばかりにクルッと踵を返した。
季長が、弘村の後をついて行くと、国行の館の裏庭に案内された。余り広くない裏庭の中央に、頑丈な木組みに大鎧が着せられ、その上に兜まで被せられていた。
「これを、切るのか?」
目を剥く季長に、弘村が頷いた。季長が館の縁側に目を遣ると、国行、国俊、国末の三人が座って見ていた。
季長は、鎧兜に向き直ると、静かに目を閉じた。季長が目を見開いた時には、刀は上段に構えられていた。太刀が空気を切り裂く音と、鉄と鉄との噛み合う音は、殆ど同時だった。兜は、真二つに割られ、大鎧の胸板まで切り裂いていた。
「・・お見事」
国行が、静かに呟いた。
鋼鉄の兜を割り、鋼鉄の胸板を切り裂いた弘村の太刀は、刃こぼれ一つ無く、僅かに地鉄に擦り傷が出来ただけだった。
「弘村殿、かたじけない・・これほどの太刀とは、思わなんだ・・」
「いえ、竹崎様・・切れ味だけでは・・」
これほどの大業物を打っても、弘村には、まだこだわりがあった。最上の切れ味であれば、研ぎ上げた時の美しさも最上であるはずだった。
「いや、わしには十分じゃ・・」
「竹崎様、もう十日ばかりお待ちくだされ・・研ぎに出しますゆえ」
弘村が言っているのは、研ぎ専門の研師による仕上げ研ぎのことである。仕上げ研ぎは、切れ味には影響しないが、地鉄の肌合い、刃文の出来を見るためには、不可欠である。弘村は、最上の切れ味を示した太刀の地肌が知りたかった。
「弘村殿、わしには時間が無い。・・蒙古が攻めてくるのも、直ぐのようじゃ・・」
季長の言葉に、弘村には珍しく情けない表情を浮かべた。
「左様でございますか・・」
「すまんのう弘村殿・・戦が終われば、すぐ研ぎに出すゆえ・・」
季長は、弘村の気持ちが分からないでは無かったが、実際、それ所では無かった。季長が博多に向けて京を後にしたのが三月下旬。蒙古の大軍が高麗の馬山を出港する僅か二ヶ月前のことであった。