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刀剣小説 延寿 【蒙古襲来】  作者: KEN FOREST
第4章 来の継承者
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来鍛冶・弘村

鍛冶場の八次は、時の経つのも忘れて刀を打ち続けた。三年も経つと、姿形はどうにか来国吉に近づきはしたが、肌合いや品格には、それこそ天と地ほどの隔たりがあった。


「八次殿、随分、腕が上がりましたな・来の鍛冶が八次ではまずかろう・・何か良い銘はないかの?」


国行の言葉に、八次は激しく頭を振った。


「めっそうもない・・まだ銘など・・・」


国行は困った顔で八次を見ていたが、辺りに人気の無いのを確かめて、八次の耳元で囁いた。


「父、国吉の刀・・あれは別物じゃよ」

「と、申されますと?」

「あれは、鉄が違うのじゃ・・あの鉄はもう手に入らん」


国行は、寂しげに首を振った。

国吉は高麗から帰化する折に、高麗鉄を持ち込んでいた。高麗鉄と和鉄の微妙な配合が、国吉の刀を生み出していた。その高麗鉄も使い果たし、山陰の黒い砂鉄から精錬した和鉄で辛うじて「来肌」と呼ばれる微細で絹目のような地金を再現していた。


「それでは、もう・・」


八次は溜息をついて肩を落とした。


「多分な・・高麗鉄は山奥の谷川の底にあった鉄と申しておられた・・わしも、随分探したんじゃが・・」

「山奥の谷川・・私の師匠吉弘も同じような事を・・」


八次は、吉兵衛の言葉を思い出していた。


「そういうことじゃ八次殿・・この国の良い鉄は、全て先人が使い果したようじゃ。・・わしらの鉄は、その使い残り、残り物に福などないわ・・これからは国村と名乗られよ・・」


国行は笑いながら、鍛冶場を立ち去ろうとした。


「お待ち下さい!国行様」


八次の切羽詰った声に国行は振り返った。


「国村は過分の銘・・まだ国の字を刻むほどの腕では・・」


八次の言葉は嘘では無かった。

当主来国行は当然として、八次の打つ刀は、子の国俊、国末兄弟の域にさえ達していなかった。「来」独自の絹目のような来肌。八次が幾ら修行をしても容易には到達できない世界だと感じていた。「今度こそ出来た」と思っても、刀を並べれば一目瞭然。部分的に見れば、来親子と差は無いようだが、刀全体を比べると、姿、刃文、肌、どれをとっても、水が開いていた。


「国村の銘は、過分にすぎるか・・見上げた心がけじゃ・・」


国行は刀鍛冶の師匠として満足だった。

国行の目からみても、八次の刀は、来の刀としては十分な域に達していた。確かに、父国吉に比べれば、まだ天と地ほどの差があったが、二人の息子に劣っているとは思えなかった。

(こいつは、来国吉を越えようとしている。・・無理だとは思うが、ひょっとすると、この男なら・・)

国行は、忘れていた夢を八次に託してみたくなった。


「よかろう。・・国村は棚上げじゃ。・・・これからは、弘村と名乗るがよかろう」


終に、来鍛冶としての免許皆伝が八次に与えられた。こうして来弘村は京で誕生したが、来弘村の銘も国村の銘も最後まで刀に刻む事はなかった。


八次が弘村の名を師匠からもらって、あっと言う間に、また三年の歳月が流れ過ぎた。文永の役を境に太刀の注文は急増し、福岡村同様に来鍛冶も繁昌を極めた。主だった刀鍛冶は注文に応じて刀を打のに精一杯で、刀の出来を云々するゆとりなど無くしつつあった。弘村も、国行や国俊の相槌に追われ、この一年、まともな太刀の一振りも打っていなかった。

ある晩秋の夕暮れ、国行は弘村を屋敷に呼んだ。


「弘村殿・・ここで何年になる・・」

「もう、かれこれ六年かと・・」


弘村は国行の意図を量りかねて、顔を上げた。改めて国行の顔を見てみると、何時の間にか老いが迫っていた。

(・・この顔、どこかで・・・)

弘村は思い出した。福岡村を離れる時の吉兵衛の顔だった。

(このお方も、これまでか・・ここも、潮時かもしれぬな・・)

弘村は、言いようの無い寂しさに肩を落とした。

福岡を出る時には、「来国吉」という大きな目標があった。来鍛冶で修業に励むこと六年、今は、目標にする刀鍛冶も、行く宛ても無かった。来鍛冶の当主は国行から長男の国俊に移り、次男の国末は、執権北条時宗に請われて鎌倉と京の間を行き来していた。


「して、ご用の向きは・・」


気を取り直して弘村が顔を上げると、国行はバツが悪そうに視線を逸らして、黄色く色づいた庭に目を遣った。


「弘村殿・・何ゆえ、妻をめとらぬ・・」


思いがけない国行の言葉に頭は混乱し、返事どころか、問いかけの意図も理解できなかった。最悪、来を去る事まで考えていた弘村は、間の抜けた声を上げた。


「・・へえ・・・」

「へえ、ではないわ・・弘村殿、年は幾つになった・・」

「確か、二十六・・いや、七・・・」


国行は、笑った。


「・・自分の年も覚えておらんのか、まあ、良いが・・何故、一人者なんじゃ」


弘村は返答に困った。何故かと聞かれても、これと言った訳があるわけではなかった。正直に言えば、女より刀が好きだった、としか言い様がないが弘村は口には出さなかった。


「おなごが嫌いか?」


弘村が慌てて頭を横に振ると、国行は、また笑った。弘村が国末と連れ立って、時々、遊び女の所に足を運んでいるのを国行は知っていた。


「き乃は、どうじゃ」

「・・はあ・・きのと申されますと・・・」


また、弘村は間の抜けた声と、間の抜けた目で国行を見た。


「娘の、き乃は、どうじゃと聞いておる」


国行の言葉をようやく理解して、弘村の頭の中は真っ白になった。

国行の一人娘き乃は、弘村にとっては主筋の姫君、考えた事もなかった。き乃が童女の頃は、菊池の弥二郎ともども良く遊んだものだが、き乃が年頃になってからは、余り言葉を交わした事もなかった。

十八になったき乃は、弘村が声を掛けるには眩し過ぎた。相変わらず肌は雪のように白く、長い睫に黒目がちの瞳は、吸い込まれそうに澄んでいた。黒い髪は艶やかさを増し、紅をさした小さな口元を引き立てていた。肩は折れそうに細く、ゆったりとした居住まいは、公家の姫君にも負けなかった。

長い沈黙の後、弘村はようやく自分を取り戻した。

(き乃が自分の妻?)

どうひいき目に考えても有り得ない話だった。匂う様に美しい来の一人娘、京の大店は言うに及ばず、貴族に輿入れしてもおかしくないき乃だった。それに引き換え、弘村は出所も知れない一介の刀鍛冶。覚めた目で自分を振り返ると、一時にせよ、取り乱した自分の浅ましさが恥ずかしく腹が立った。

噴出した額の汗を拭うと、庭の秋風が弘村の火照った体を吹きぬけた。


「国行様、お戯れが過ぎます。・・立ち去れと申されば、明日にでも・・」


憮然とした弘村は、軽く頭を下げて腰を上げかけた。


「待たぬか、弘村殿・・戯れでは無い・・」


国行の真剣な眼差しに、弘村は中腰のまま凍りついた。


「き乃・・茶はまだか・・き乃」


国行は、中腰の弘村を無視して、き乃の名を呼んだ。


「ドックン」


突然、何かが弘村の心臓を握り締めた。直ぐに激しい鼓動が、全身を駆け巡り、頭の中では容赦なく早鐘が鳴り続けた。弘村は、腰が砕けたかのようにその場にへたり込んだ。それまでの人生で、弘村はこれほど取り乱した事は無かった。常に冷静で沈着、怒る事も、言葉を荒げる事も無かった。

背後で、木戸の開く音がして、床を踏みしめる音が近づいてきた。弘村は、口をへの字にまげ、真っ直ぐ前を向いて背筋を伸ばしていたが、過度の緊張のため、目の前が暗くなりかけていた。


「どうぞ」


弘村の前で、茶を入れた椀がコトリと音を立てた。き乃の上目遣いの視線を感じて、弘村の顔からまた汗が噴出した。


「・か、かたじけない」


弘村の喉はカラカラだった。お辞儀も忘れて手を伸ばすと、茶を一気に飲み干した。口を押さえてクスクス笑うき乃に、弘村の額からまた汗が噴出した。

当時の茶と言えば、やっと、国内で栽培が始まったばかりで、庶民が口にすることはめったに無かった。その茶の一気飲みである。


「これ、き乃・・弘村殿が、困っておるではないか・・」

「されど、父上・・せっかく、ヒロ殿のために・」


き乃は屈託が無い。国行は、今回の縁談をき乃にもしていなかった。


「控えよ、き乃・・」


国行は、き乃を溺愛していると言っても言い過ぎではなかった。国俊、国末の兄弟より遥かに遅れて生を受けたき乃は、先に逝った妻に良く似ていた。その国行が今日は妙によそよそしかった。き乃は、驚いて居住まい正した。


「き乃、どうじゃ、弘村殿の妻にならぬか」


今度は、き乃の腰が砕ける番だった。思ってもみなかった父の言葉だった。


「ち、父上・・お戯れを」


き乃は、真っ赤になって下を向いてしまった。


「どうじゃ・・き乃・・」


き乃は下を向いたまま返事をしない。


「き乃・・どうじゃと聞いておる」


国行が珍しく、苛立ちをあらわにした。


「国行様・・き乃様が、困っておいででございます。・・もう、どうかその話は・・」


堪らず、弘村が口を挟んだが、国行は、き乃を見詰めたまま弘村には見向きもしなかった。

やや間があって、き乃がコクリと頷いた。


「良いのだな、き乃・・」


穏やかな国行の問いかけに、き乃は大きく頷いた。

弘村とき乃の祝言は、弘安四年正月。弘安の役の直前だったが、まだ京の正月はのんびりとしもので、来の鍛冶場では、伝統に則って厳粛な儀式が三日三晩続いた。二月に入って「蒙古襲来近し」の報が京に流れると、来の鍛冶場は急に慌しくなった。弘村は、注文が急増する来鍛冶の棟梁として槌を振い、き乃は、甲斐甲斐しく弘村に仕えた。目が覚めた時には、朝の支度ができており、いつ帰宅しても温かい夕餉が弘村を迎えた。き乃は、何時も笑みを絶やさず、何十年も連れ添った妻のように息が合った。


「存外、素直で良い妻ではないか・・」


弘村は以外だった。


弘村だけが知らなかったが、来鍛冶には誰もが口を閉じている公然の秘密があった。かつて、き乃には夫婦になるべき許婚がいた。相手は、近江(滋賀県)大鍛冶で名は清十郎。近江の大鍛冶と国行は古くからの馴染みで、き乃が十の歳を迎えるのを待って、清十郎との仮祝言が執り行われた。この縁組を国行は大層喜び、き乃も何不自由の無い一生に安心しきっていた。清十郎は、眉目秀麗とまでは言えなかったが、長く続いた大鍛冶を守るには、篤実で申し分の無い若者だった。

山野で生きる大鍛冶は、人との折り合いに心を砕く必要もなく、鉄の独占で、銭は泉から湧き出る水のように蔵を満たした。結果、大抵の大鍛冶は、世間知らずの純朴な善人であった。清兵衛とその一門も善良と篤実が信条で、山野を傷めないように一年に二つの山を炭に変え、太刀のための良質な鉄だけを焼いてきた。毎年、雪どけの春と初雪の舞い始める晩秋に、近畿一帯の刀鍛冶が清十郎の屋敷に集まり、鉄の代わりに銭袋を庭に積み上げていった。清十郎とっては、銭は河原の砂利程の意味しか持たず、京の町では「近江の清十郎」と名乗るだけで、屋敷であれ黄金であれ、銭で買える全ての物が手に入った。

蒙古襲来を境に、鉄の需要は膨らむ一方で、当然、近江大鍛冶も変化を求められた。しかし、清十郎は、鉄を求める刀鍛冶や商人に、

「年に何度も鉄を焼いては、質が落ちる・・それに、山が可愛そうじゃ・・」

と、先代の言い付けを守って頑として譲らなかった。

切羽詰まった小鍛冶や商人は、それまで取引の無かった熊野や越前の大鍛冶に頼る事になった。これら京から離れた大鍛冶の蔵には、質さえ問わなければ大量の粗鉄が眠っていた。膨張する鉄の需要に応えることが出来ない清兵衛一門が衰退するのは、時間の問題だった。数年で、近江の大鍛冶を訪ねる者は居なくなり、炭焼人夫も近江の山奥から姿を消した。

不幸なことに、苦労知らずの清兵衛には、「収入が無くなれば倹約する」という知恵が無かった。手持ちの山野を売れば良かったが、山を売れば銭になる事さえも知らなかった。当然、頼るのは金貸し。高価な家財道具が底をつくと、一山を担保に僅かの銭を借りて、衣食を満たすようになった。程なく、清兵衛の京屋敷は人手に渡り、清兵衛の足も京から遠のいていった。やがて、近江の大鍛冶はこの世から跡形も無く消え、清兵衛一族も離散、き乃との婚約は自然消滅した。

以後、来鍛冶では、近江の大鍛冶の事も、清十郎の事も、き乃の縁談の事も、誰一人として口にしなくなった。国行は、重い口がますます重くなり、二人の兄達は、き乃と面と向かうのを避けるようになった。

しかし、き乃自身は、不思議なくらい素直に破談を受け入れた。気が付いてみれば、心は風のように軽く、冬の日差しが春の暖かさに感じられた。この時、き乃は、弘村に惹かれている自分の心を知った。き乃は、初めて会ったその日から、弘村に恋をしていた。しかし、弘村に出会った頃、き乃は十二歳になったばかり。そのうえ、き乃には立派な許婚があった。許婚は、権勢を誇った近江大鍛冶の跡取り。


「何処の馬の骨とも知れぬ男など・・」


き乃は何度、心に呟いたことか。幾ら自分をたしなめても、弘村の存在は大きくなる一方で、き乃の心は日毎に重くなっていた。

清十郎との破談が、き乃の心を一気に解き放った。き乃は、弘村の鍛冶場に何度も足を運んだが、戸口に立つだけで声をかけることが出来なかった。弘村は、滝に打たれる修行僧のように槌を振り続け、手を休める事も振り返る事もなかった。き乃の足は次第に重くなるばかりで、一度、思い切って弘村の後姿に声を掛けた事があった。


「ヒロ殿、・・一休みなされては・・茶でも入れましょう・・」

「めっそうもない」


弘村のにべもない返事が、き乃のもろくなった心を打ち砕いた。

弘村の心は、最初にき乃が戸口に立った日から震えていた。震える心を呪いながら気付かぬ振りをして槌を振るしか道がなかった。あばら家に棄ててきた親兄弟への思いを槌に乗せて一心不乱に鉄を叩くのが、弘村にできる唯一の罪滅ぼしだった。まぼろしにも似た甘い夢は、刀だけで沢山。き乃との恋など、天の星を掴むほどに遠い世界の夢だった。

この日を境に、燻ぶる火を残したまま、き乃の心は石のように硬く閉ざされた。き乃の遣りどころの無い苛立ちは、初め、弘村を捉えて離さない来国吉の太刀に向けられた。き乃は、来国吉を忌み嫌うに留まらず、次第に、全ての刀、全ての刀鍛冶を嫌うようになった。その思いが独りよがりで理不尽なことは、き乃自身が一番分かっていた。分かっていたが故に、き乃もまた、弘村に素直に接することができなくなっていた。

そして、あの夕刻、弘村の妻になると心を決めたあの夕刻、き乃には全てが分かった。何故、弘村に惹かれるのか。何故、あの瞬きの間に心を決められたのか。それは、自分の命はもとより、家族や故郷まで捨てて、一振りの刀に一生を奉げた弘村の神々しいまでのひたむきな心だった。

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