神風
蒙古軍の総司令官、キント(忻都)は、目の前で繰り広げられる戦いを見て、正直、あきれ果てていた。世界中を転戦してきたキントは、日本人ほど愚かな野蛮人を見た事が無かった。一斉に突撃するかと思われた騎馬武者は、単騎で敵前に乗り出して弓の的になり、弓部隊は盾も持たず、蒙古軍の前に生身をさらしていた。蒙古船の甲板から戦の成り行きを見ていたキントも、やがて、首を振りながら船室の奥に姿を消した。
キントが船室に引き上げた直後、百道浜の戦線に景資が加わった。
「何をしておる!・・敵は目の前ぞ!」
ジリジリと後退する日本軍の後方で、景資は、馬を廻しながら叫んで回ったが、蒙古弓に恐れをなした武者どもの反応は鈍かった。
「ここで引けば、後はないぞ。・・我等が負ければ、日本は終いじゃ!」
しびれを切らした景資が、敵に向けて馬に鞭を入れようとした、その時、黒糸威しの大鎧に身を包み、漆黒の馬に跨った武者が、蒙古の大軍めがけて飛び出していた。黒鎧の武者は、吹流しのように赤い布切れをなびかせながら、風を巻くような速さで突進した。後に従う騎馬武者、僅かに五騎。
「また、生きた的が来る」
蒙古兵は顔を見合わせて笑ったが、一直線に馬を駆る武者は、途中で馬を止めて口上を述べる気配が全く無かった。悪い予感に、幾人かは弓を構えてはみたものの、動く標的を射止めるのは容易な事ではない。狙いも定まらぬまま、黒い武者の姿は、見る間に大きくなった。
黒鎧の武者は、前かがみになったまま弓を引き絞りつつ、蒙古軍の目前に迫った。放たれた一の矢は、最前線にいた士官の胸板を貫いた。黒鎧の武者は、二の矢をつがえながら、そのままの勢いで蒙古軍の真ん中に突っ込んでいた。わずかに遅れて、五騎の騎馬武者がなだれ込んだ。たてがみを逆立てた荒馬どもは、前足で蒙古兵を踏み潰し、続く後ろ足で蒙古兵の顎を砕き割った。騎馬武者から放たれる矢は、ことごとく蒙古兵の急所をとらえ、一帯は逃げ惑う蒙古兵で大混乱になった。
勢いに乗った黒鎧の武者は、弓を引き絞りながら銀鎧の騎馬兵を追い始めた。銀鎧の小柄な騎馬兵は緩急自在、瞬時に馬の向きを変え、黒鎧の武者に矢を放つ機会を与えなかった。
その騎馬兵は、世界を震え上がらせた正真正銘の蒙古騎馬兵だった。博多に攻め寄せた蒙古軍の大部分は高麗人が占めており、生粋の蒙古兵は数千ほどで、その中の騎馬兵となると百騎にも満たなかった。
蒙古騎馬兵は、振り返りながら矢を放ち続け、巧みに馬を操って黒鎧の武者を罠に誘っていた。黒鎧の武者が、蒙古騎馬兵を捉えたと思った時には、弓を構えた十人余りの蒙古兵に囲まれていた。馬は前足を上げて逆立ち、目の前の蒙古兵に襲いかかろうとしたが、容赦の無い蒙古の矢は、馬の腹を裂き、後ろ足にまで突き刺さった。漆黒の馬から噴出する血しぶきは、百道の白砂を赤く染め、前のめりになって蹴り出す後足の勢いも目に見えて落ちていた。黒鎧の武者も肩口と脇腹に矢を受け、弓を引いて反撃する事もできなかった。
「もはや、これまでか」
矢を受けて暴れまわる馬のたてがみを掴みながら竹崎季長は覚悟を決めた。
竹崎季長、九州は肥後(熊本)の御家人である。季長は、幕府の陣触れに、僅か五騎の手勢を率いて博多の地に馳せ参じていた。季長が博多に到着した時、百道浜の日本軍は蒙古の大軍に圧倒され、ジリジリと後退する最中であった。
「この度の戦で、手柄を上げて恩賞に預かる」
猫の額ほどの領地で四苦八苦する季長にとって、蒙古襲来は、またとない奉公の機会だった。しかし、手柄どころか、深追いが過ぎて窮地に陥っていた。
竹崎季長、御家人とは名ばかりで、そこらの農民となんら変わるところが無かった。領地といっても、僅かに三町分余りで、自身も朝から野に出て働いたが、五人の郎党を食わせて行くのが精一杯。今回の戦では、刈り取ったばかりの稲を売り払い、領地を質に入れて、自分と五人の郎党の鎧兜を手に入れた。
季長は好き好んで博多まで戦に来たわけではなかった。幕府の陣触れに応じなければ、即、領地は没収、御家人の肩書きは剥奪される。「幕府御家人」とは、十分な領地を有し、それなりの家系の武士に与えられる一種の称号である。季長も、一族の揉め事さえなければ過不足ないだけの領地があったが、今では、御家人という肩書きだけが季長を支えていた。そんな季長にとって、今度の戦いは、武士としての人生を賭けた大博打だった。全財産を注ぎ込んだ挙句、手柄がなければ、郎党ともども飢え死にするしかなかった。
二日前の朝、暗澹たる気持ちで季長が馬に跨ったところで、村の百姓達が、季長の屋敷を訪れた。屋敷といっても、屋根は茅葺きで、辛うじて床を備えた小さな館だった。
「御館様、少なかばってん・・路銀の足しにでも・・」
村の長老は、遠慮がちに銭の入った袋を差し出した。
「すまんなあ・・この借りは、きっと返すけん・・・」
季長は涙が出るほど嬉しかった。季長も貧乏だったが、村の百姓達の暮らしは、もっと貧しかった。百姓達は村中の銭を一文残らず集めて、粗末な袋に詰めたに違いなかった。
村中の人々に見送られながら、季長は心の中で誓っていた。
(何が何でも、一番駆けは、この季長が・・)
功名の第一は、なんと言っても一番駆けの大手柄である。一番駆けには、技も才能も要らない。ただ、命を捨てる覚悟さえあれば、出来ないことではなかった。季長は、村外れの地蔵尊の前で馬を下り、一番駆けの願をかけて、石仏の前に自分の命を置いてきたのだった。
一本の矢が左の頬をかすめて、季長は我に帰った。馬は横に数歩よろめくと横倒しに倒れ、季長は百道浜の砂地に放り出された。起き上がろうともがいていた漆黒の馬は、駆け寄った季長を見詰めたまま動かなくなった。仔馬の頃より育て上げた愛馬は、武士としての季長を育んでくれた大切な友と言ってもよかった。
季長は、一〇年来の友を殺された怒りで頭の中が真っ白になった。
「おのれ、よくも」
季長は反射的に太刀の柄を握り締めていたが、敵に斬り掛る明かな意思があった訳ではなかった。当時の武士は、馬上から矢を射る弓馬の稽古を怠ることはなかったが、太刀を振り回す肉弾戦は想定の外にあった。腰に吊るした太刀は、よほどの幸運にめぐまれて、武者同士の一騎打ちにでも臨まない限り出番がなかった。
季長は、大きく体を振り回しながら太刀を抜き、その勢いのままに横になぎ払った。大きな円弧を描いた太刀の切っ先が、二人の蒙古兵の腹部を掠め、三人目の肩を叩いて止まった。
「チッ・届かんか・」
季長が悪態をつきながら太刀を振りかぶると、突然、目の前の蒙古兵の腕が、肩から落ちた。
「・・ゥギャー・・」
腕を落された蒙古兵は、足元に転がった自分の腕を見て絶叫を放った。太刀が腹を掠めた二人の蒙古兵は、うめき声をあげながら腹部を抑えて膝をついた。抑えた指の間から大量の血が溢れだし、百道の砂に黒いしみを作った。
季長は一太刀で、二人の革鎧を切り裂き、一人の腕を肩口から切り落としていた。季長が思いもしなかった凄まじいまでの日本刀の切れ味だった。
八次を始め、多くの刀鍛冶を虜にした日本刀の真の姿がそこにはあった。一山を裸にして得られた鉄と刀鍛冶の魂が融合した美しい日本刀は、蒙古との肉弾戦の中で、その禍々しい本質をあらわにした。
季長の中で何かが変わった。弓を構えた蒙古兵が木彫りの人形のように思え、反対に、自分は不死身の魔王になった様な異様な高揚感に包まれていた。
(斬って斬って斬りまくってやる)
季長は正面の蒙古兵にスタスタと歩み寄ると、上段から真っすぐ太刀を振りおろした。その蒙古兵は、季長の異様さに呑まれたのか、逃げる気配も見せず兜を二つに割られた。仲間が頭を割られて、季長を囲んでいた蒙古兵もようやく事態を悟った。後ずさりしながら、震える手で矢をつがえ始めたが、魔王に変身した季長は歯牙にもかけなかった。
「・ゥゥオオーー・・」
季長が獣の雄たけびををあげて太刀を振りかぶると、季長を囲んでいた蒙古兵は目を吊り上げ、弓を捨てて蜘蛛の子を散らすように逃げ散った。
(逃がすか!)
季長が逃げる蒙古兵の背中に蹴りを入れると、他の蒙古兵を巻き込んで数人の蒙古兵が砂地に転がった。季長が、とどめを刺そうと太刀を振りかぶったところで、背後から声がかかった。言葉の意味は分からなかったが、その落ち着き払った声音が、季長の闘争心に火を付けた。
振り返ると、大柄の蒙古兵がナタのような剣を手に仁王立ちしていた。蒙古兵は季長の華奢な太刀に視線を向け、口元を歪めて笑みを浮かべた。
(太刀打ちを前に目を逸らすか・・愚か者め)
季長は間合いを測ることなく振り返り様に上段から斬りかかった。季長の太刀は蒙古兵の剣と激しく絡み合って空中で火花を散らした。幾度か打ち合う内、蒙古兵から笑みが消え、やがて額に脂汗が浮き始めた。季長は、相手を肩で突き飛ばすや、銀兜をめがけて渾身の一太刀を浴びせた。
「バキッ」
季長の太刀は、蒙古兵の鉄兜を斬り裂き脳天を割っていたが、同時に中程から二つに折れた。
太刀を捨てて振り返ると、長い鉾を持った敵に囲まれていた。季長には恐れも躊躇もなかった。季長は腰の短刀を引き抜き、正面の蒙古兵の首に狙いを定めた。季長が小走りに間合い詰めると、突然、目の前の蒙古兵は、一斉に背中を見せて逃げ始めた。
「はて?」
季長が、首を傾げるのと同時に、背後から地鳴りのような馬蹄の響きが湧き起こった。振り返ると、日本の騎馬隊が、すぐそこまで迫っていた。風を巻き、土埃を上げて突き進む騎馬武者軍団は、季長の横をすり抜け、蒙古兵を追い散らした。
「季長、一番駆けの働き・あっぱれじゃ・・」
季長の前で、絵馬から抜け出したような武者が、悠然と駒を止めた。菊池十代当主、菊池武房だった。
「これは、御館様・・恐れ入り申す・・」
季長は武房の笑顔を見て、膝が折れるほど安堵した。
武房も御家人の一人だったが、同じ御家人でも、季長とは格式も実力も桁が違った。菊池氏は藤原隆家を始祖とする豪族で、肥後国の殆どが支配下にあり、今回の戦にも騎馬武者二百騎、徒歩武者五百を引き連れて参戦していた。当時、肥後の守護職は、幕府重役の安達泰盛だったが、泰盛の基盤は群馬あたりで、季長等、肥後の御家人にとって、菊池武房こそ、実質的な肥後国の守護であり、正真正銘の御館様だった。
季長の竹崎郷は武房の領地の南端にあり、年齢も季長の一つ上、子供の頃よりの兄貴分である。季長に弓馬の道を教えたのも武房なら、夜陰に紛れて瓜を盗む技を教えたのも武房だった。武房も、季長に負けず劣らずの荒武者だが、違いと言えば、眉目秀麗、俗に言う美丈夫である。
菊池勢に遅れて、小弐景資を先頭に、騎馬武者千騎、総勢二千を超える日本の主力が百地浜の蒙古軍と激突した。勢いに押された蒙古軍は、矢を放ちながら後退を始め、日本軍はどうにか態勢を立て直した。
前線から引き返してきた景資は、馬を下りて季長に歩み寄った。
「一番駆けの働き、しかと見届け申した。・・御尊名を伺いたい」
景資の問いかけに、季長は眉を寄せた。初対面で、開口一番、相手の名前を問いただすなど無礼の極み、季長が不審に思うのも当然であった。
「季長・・こちらは小弐景資殿じゃ」
笑いながら菊池武房が割って入った。
「こ、これは、御無礼を」
景資の名を耳にして季長は顔色を変えた。小弐景資と面識が無いとは、余程の田舎者か下級武士の証である。季長の顔色は、一度は青ざめ、直ぐに真っ赤になって汗が噴き出した。
「小弐景資にて、以後、お見知りおきを」
小弐景資は、武房や季長より格も地位も遥かに上であったが、ここ九州では、武房や季長などの地侍には、どうしても遠慮があった。
景資の挨拶に、季長は片膝をついて返しの口上を述べた。
「肥後は竹崎郷から馳せ参じましたる竹崎五郎季長・・お見知りおきのほど・・御願い、たてまつーるー」
季長の大仰な対応に、景資も武房も笑い出した。
「御手を上げて下され竹崎殿・・一番駆けの功名、この景資が証人でござる」
景資は季長に歩み寄って肩に手を置いた。大将の小弐景資が証人であれば、恩賞は約束されたも同然である。
「有り難き御言葉、この季長、一生御恩は忘れませぬ」
季長が目に涙を溜めると、景資は笑みを浮かべて首を振った。
「竹崎殿、喜ぶのはまだ早かろう・・生き延びてこその恩賞でござるよ」
景資自身、この戦いを生き延びる自信などなかった。
日本軍は、命を捨てて蒙古軍の前進を押し止めたが、予想外の犠牲を払っていた。反対に蒙古軍は陣を下げただけで、大船団も無傷、蒙古兵の被害も僅かに過ぎなかった。景資の浮かぬ表情を見て季長が、ニヤリと笑って大振りの太刀を引き抜いた。
「なんの、斬り合いに持ち込めば、蒙古兵、大した事はござらぬて!」
季長の言葉を聞くや、景資は太刀を抜きながら走り出した。
「者ども・・弓を捨てて、我に続け・・太刀をとって斬り結ぶのじゃ!」
さすが日本一の弓取り小弐景資、季長の僅かな言葉で、蒙古兵に対する戦法の転換を決断した。郎党共も弓を捨て、薙刀を担いで景資の後を追い始めた。小弐一門と、その郎党、二百が太刀や薙刀をきらめかせて、蒙古軍に突撃した。
季長と言えば、景資の素早い反応に虚を突かれて、その場に突っ立っていた。
「季長、行くぞ・・小弐殿に遅れるな!」
武房に肩を押されて、季長は我に返った。
「承知!」
季長が振り返ると、泥と血で顔を真っ黒にした郎党達が白い歯を見せて笑っていた。季長と郎党五人は黒い塊となって、蒙古軍のど真ん中に突っ込んだ。
日本軍が白兵戦を開始すると、蒙古軍も弓部隊に代わって、剣や鉾を持った歩兵が全面に展開した。肉弾戦では、騎馬武者、徒歩武者に関わらず、郎党に至るまで日本人は一人として死を恐れる者がいなかった。同胞の屍を乗り越え、全身に矢を受けながら大軍の中に切り込んでいった。武者の気迫もさることながら、日本刀の凄まじい切れ味が、肉弾戦を支配したのは勿論の事である。横に払えば、一撃で蒙古兵の首を飛ばし、真っ直ぐ斬り下ろせば、革鎧ごと胴体を真二つに切り分けた。戦場には、剣や鉾を掴んだままの腕が転がり、首を失った蒙古兵の死骸が散乱した。
切れ味では勝る日本刀も、当時の細身な太刀では強靭さに劣り、蒙古軍のナタのような剣と火花を散らす内、大抵は刃こぼれし、終には、真二つに折れる事も珍しくなかった。それでも、武者は、腰の短刀を引き抜いて蒙古兵に喰らい付き、全身に矢を受けながらも、相手の首を刈るまで決して諦めなかった。
戦の目的である恩賞は首次第。倒した相手の首を持ち帰って初めて、恩賞奉行が手柄を吟味した。幾本もの矢を受け、瀕死の傷を負いながらも、死骸から首を掻き取る武者の姿に、
「倭人は、人の脳味噌を喰う」
と、蒙古兵は震え上がった。
一時は、蒙古軍を押し返したかに見えた日本軍も、日が西に傾く頃には、満身創痍、疲労は極限にまで達していた。一族郎党の個人戦に頼る日本軍に対し、蒙古軍は完璧に組織化された近代的軍隊だった。
不利と見れば、早々に戦線を放棄して船に引き上げた。船舶間の連絡には手旗信号が利用され、博多湾を自由に航行する蒙古軍は、守りの手薄な浜を選んで自由に上陸する事ができた。午後になると、日本軍の防衛線は、次々と突破され、最後の拠点である赤坂本陣からも、蒙古兵の姿が間近に見えるようになった。赤坂本陣が陥落すれば、大宰府は風前の灯火である。
赤坂本陣の床机に腰を下ろした資能の目の周りには深い隈が刻まれ、艶を無くし落ち込んだ頬が、戦況の全てを語っていた。
(今度の戦を死に場所と決めておったに・・)
資能は長すぎた人生に疲れきっていた。総大将が、武者のように打って出る事もかなわず、こうして陣幕の内に老骨を曝す自分が哀れで情けなかった。
「我等、大宰府を預かる少弐じゃ・・赤坂から水城まで引く。・・景資に使いを・・」
目を閉じたままの資能の声には力が無かった。
赤坂本陣からの撤退を聞いた景資は、わが耳を疑った。赤坂本陣は、博多防衛の最後の砦、即ち、武者の死に場所であった。
「何ゆえ?」
勝敗や生死を乗り越え、赤坂本陣から一歩も引かず、最後の一騎、最後の血の一滴まで戦うのが武者の生き様だと、景資は信じていた。
「少弐には、日本を守り、民百姓を守る役目がある。・景資には左様、伝えよと・・」
使者の口上を聞いて、景資は自分の未熟さが身に滲みた。
景資には、兄のように跡目を継ぐ重責もなく、一人の男子としてこの世に生を受け、一人の武者として生きてきた。幼い頃より、鷹狩を楽しみ、弓矢を携えて野山を駆け回っていればよかった。結果が、源為朝と並び称される「日本一の弓取り」の称号だった。
源頼朝の叔父に当たる源為朝は、二メートル超える巨漢で、五人張りの弓を使ったと伝えられる。景資の弓も、三人の手を借りて弦を張るほどの強弓で、一〇〇m先の兜を射抜く事ができた。
父の言葉を噛み締め、冷静になって辺りを見渡せば、累々と転がる武者の亡骸。馬は、息絶えた主人の傍らに首を垂れて立ち尽くし、踏み止まって太刀を振るう武者を大勢の蒙古兵が囲んでいるのが見えていた。
「ここは、わしに任せよ・・そち等は、水城まで引け」
景資は足から赤い血を引く灰色の愛馬に跨ると、郎党に持たせていた大弓に手を伸ばした。
「御館様・・」
郎党は、弓の端を握って離さず、涙ながらに主人を仰ぎ見た。
「案ずるな・・やすやすと討たれるわしでは無いわ・・」
景資は、馬上から透けるような笑みを浮かべて大弓を脇に抱えた。
景資は、選りすぐり二十騎を連れて、蒙古軍に向けて駒を進めた。景資は、蒙古軍の中にあって白馬に跨った将校に目を留めると、同行してきた騎馬武者に振り返った。
「貴公らには、親父のしんがりを頼んだ」
去りがたく顔を見合わせる騎馬武者達に、景資は不敵な笑みを浮かべた。
「それがしには、まだ役割があり申す・・では、水城で」
景資は矢をつがえながら馬の腹を蹴った。
宋人の劉復享は、優勢に戦いを進める蒙古軍の中ほどにあった。開戦当初、弓の的になるために向かって来る日本人を見て、劉復享は笑いが止まらなかった。
(このまま、大宰府を抑えて日本を占領すれば、褒美として日本国王の座が与えられる可能性は高い。そうなれば、宋が蒙古に滅ぼされても、獰猛で愚かな日本人を率いて、国を再興する機会は必ず訪れよう・・)
劉復享の母国である宋国は領土の大半を蒙古に奪われ、中国南部で南宋として抵抗続けていた。皇帝フビライは投降した宋人を厚遇したため、劉復享も百地浜の司令官として大軍を任されていた。しかし、劉復享にとっては、皇帝であっても蒙古は野蛮人、心から服従するつもりなどなど毛頭無かった。
日本軍は抵抗を続けたが、日が傾く頃には、乱戦も終わりを告げつつあった。日本軍が僅かの騎馬武者を残し撤退するのを確かめて、ようやく劉復享は、蒙古軍の先頭に進み出た。銀色に輝く鎧兜に身を包んだ劉復享は白馬にまたがり、十騎余りの騎馬兵と数十人の歩兵に囲まれていた。やがて、一騎を残し、残りの騎馬武者も砂塵を上げて蒙古軍の前から逃げ出していた。そして、最期の一騎も馬を返し、背中を見せた。
「ようやく終わったようだな」
笑顔で横を向いた劉復享は、最後の騎馬武者が振り返ったのまでは見ていなかった。次の瞬間、劉復享の顔が横を向いたまま凍りついた。
振り返りざま、少弐景資が放った渾身の一矢は、劉復享の銀色の鎧を深々と貫き、菱形の鋭い矢じりが背中に突き抜けていた。目を白く反転させた劉復享は、仰向けに落馬し、頭を砂に突き立てた無様な姿で意識を失った。
劉復享を射落とした騎馬武者は、二の矢をつがえ、こちらに向かって弓を引き絞り始めた。前列の蒙古兵は、頭を抱えて砂浜に突っ伏し、結果、棒立ちになった後ろの兵士は、背中を見せて逃げるしかなかった。
景資は蒙古軍の追撃が無いのを確かめて鞍を降りた。景資の愛馬は、左足の付け根に矢を受け、流れ出た血が蹄を濡らしていた。馬を引いて大宰府に向かう景資と愛馬の長い影が大地に伸び、景資の長い長い一日が終わろうとしていた。
百道浜から大宰府まで、距離にして十㎞。鷹狩を楽しみ、猪を追った野道だったが、景資の目には、現実味の無い悪夢に映っていた。赤坂の本陣からは真っ黒な煙が立ち登り、石垣の根本には、幾本もの矢を受けて息絶えた武者の遺骸が折り重なっていた。赤坂を過ぎて街道を進むと、木の幹に体を預けて喘ぐ郎党。景資と同様に、うな垂れて馬を引く武者の後ろ姿。景資が想像だにしなかった負け戦の現実がそこにあった。
ようやく水城の篝火が見えて、景資が振り返えると、炎上する博多の街が、空を覆った煙の底を赤く染めていた。蒙古軍に蹂躙された博多の空は眩しいばかりに赤く、日本軍の籠る水城の空は、星をも飲み込む深い闇に支配されていた。
水城は天智天皇が、大宰府を異国から守るために一四〇〇年もの昔に建設したと伝えられる巨大な土の防壁である。連なる丘のような土塁の前には、満々と水を湛えた広大な水堀が設けられ、水城の地名の由来となった。
景資が、水城の門に繋がる橋を渡っていると、樫の門が開き、父、資能が出迎えた。
「景資、無事であったか・・」
一回り小さくなった資能が、眩しげに顔をあげたが、目には力が無く、そげた頬が老いを語っていた。
「なんの・・この景資は鬼の化身ゆえ、めったなことでは・・」
景資は、父の顔を見て安心したのか、よろけて思わず馬の鞍を掴んでいた。腿を抉った矢には毒が塗られていて、腫れあがった傷の痛みに景資は顔をしかめた。
「面目ない・・されど、父上、最期の一矢で、敵の大将を仕留めましたぞ」
景資の武勇自慢にも、資能は、気弱な笑みを浮かべて頷くばかりで、一言も発しなかった。
資能の後について水城の門を潜ると、大勢の人々が景資を遠巻きにした。手鋤を肩に担いだ農民、満身創痍で農夫に支えられた武者、果ては幼子から年寄りまで、数千の目が一斉に景資に注がれた。
「・・戦は、いかに?・・」
「蒙古は?」
「博多の街は?」
一人が口を開くと、今まで抑えていた不安が、一挙に噴出した。
聞かずとも、負け戦は明らかだった。水城に引き上げた武者は、総勢で千騎足らず。それも、殆どが傷を負い、水城の中で息を引き取った者も数知れなかった。
「御館様、よくぞご無事で」
人垣の中から、手鋤を担いだ一団が、涙を流しながら景資を取り囲んだ。
「お前等、こんな所で何をしている」
景資が驚くのも無理はなかった。景資の所領は、博多からは遠く離れた肥前(佐賀)、蒙古が博多を占領しても逃げれば済む遠隔地であった。
「・・御館様あっての百姓・・死ぬも生きるも・・」
年老いた村長は、そこまで言うのがやっとで、後は、口をへの字に結んだきり、拳で目頭を押さえて押し黙った。
「されど・・」
景資と村長との遣り取りを見ていた資能が割っていった。
「景資、もう言うな・・百姓は百姓で精一杯なのじゃ、分かってやれ」
この頃の地方武士と、民百姓との間柄は、実に緊密なものである。平安時代の末期、国司の代官として地方に派遣された受領、あるいは、その子孫達は、全国各地に土着するようになった。これらが、武士の始まりである。京の都では、貴族が国司の利権をめぐって争いを繰り返し、地方では、貴族配下の武士同士の小競り合いが頻発するようになった。御所での駆け引きには長けていた貴族達も、遠くの領地での武力衝突となれば、地方武士を頼るしかなかった。
武の力を認識した武士達は、
「何が国司じゃ・・我等無くしては、弓一つ引けんではないか・・」
と、主人である貴族から独立するようになった。
台頭する武士は、武器の材料である鉄を求め、鉄の増産は農業に革命をもたらした。鉄の斧は山野を開墾し、先端に鉄が装着された農具は、大規模な用水路や堤などの土木事業を可能にした。それまで湿地帯や下流域に限られていた稲作は、川の上流域や荒地にも広がり、鎌倉時代、全国の米の生産高は飛躍的に向上した。農民達は、その経済力で武士を支え、武士は武力を背景に、搾取するだけの貴族から農民を解放した。同じ「土地」という舟に乗った地方武士と農民は、ともに額に汗して田を耕し、荒地を開墾しながら豊かな国を築いていた。
武士が蒙古に負ければ、百姓たちに生きる望みはない。その動かし難い現実は、壱岐対馬の惨劇が如実に語っていた。博多に住む町人も近郊の農民も、遠く離れた景資の民百姓も、生きてなぶり殺しに合うより、鍬や鎌を手に討ち死にする道を選んでいた。武士千、民百姓六千は、明日の死を覚悟して、水城の内でまんじりともしない夜を迎えていた。
日が落ちて、博多湾の西端にある今津浜を占領していた高麗軍が、百道浜の蒙古軍本隊と合流、二万余りの蒙古軍は、百道浜一帯で夜営することになった。勝つには勝ったが、闇が深まるにつれ、言い様のない不安が蒙古軍を包んでいた。
「倭人は、何故、首を刈る?」
「・・敵の首だけではないと聞いたぞ・・」
「俺は、倭人が仲間の首を刈るのをこの目で見た・・」
「・まさか・・・食うのか?・・」
「・・・・」
不安は次第に悪夢に変わり、心を覆い始めた悪夢を追い払うように、蒙古軍は、あらん限りの篝火を焚き続けた。
その篝火の外、松林の闇の中をうごめく無数の人影があった。百地浜から一度は逃げ散った武者達は、夜を待って、蒙古軍に忍び寄っていた。郎党を引き連れた武者達は、闇の中から恩賞首を狙っていた。
「楽なもんじゃ・・今夜は、大将首の取り放題じゃな」
闇に溶けた武者達は、白い歯を見せて笑みを浮かべた。
蒙古軍の兵卒は朱色の革鎧、将校達は銀色に光る金属の鎧を身につけていた。将校首と兵卒の首では恩賞の桁が違う。銀色の鎧は、篝火の明りを受けてキラキラと輝き、松の陰に潜む武者達の目と鼻の先を歩き回っていた。武者達は、数十人単位の集団を作り、銀色の鎧に狙いを定めて、闇の底から間合いを計っていた。
百道浜の中央部に張られた大型テントの中で蒙古軍の作戦会議が開かれていた。総司令官の蒙古人キントを上座に、高麗人の洪茶丘、重傷を負った劉復享の代わりに洪茶丘と同じ高麗人の金方慶が向い合って腰を下ろした。その下座には、三〇人余りの蒙古軍の千人隊長が並んでいた。
「大元帥閣下、この度の大勝利、心よりお祝いを申しあげまする」
洪茶丘が立ち上がって如才無い祝いの口上を述べると、キントは苦虫を噛み潰したような顔で横を向いた。洪茶丘が上陸した今津浜は、百道浜を挟んで筥崎宮とは反対側、博多湾の西の外れに位置する。洪茶丘は今津浜上陸を自分から志願し、大した抵抗を受けることなく今津浜一帯を占領した。
「大勝利とは何事ぞ・・まだ、大宰府も落ちてはおらん」
負傷した劉復享の代役、金方慶は言葉を荒げた。
(大した手柄も無いくせに、蒙古に媚びおって・・今頃ノコノコ戦勝祝いとは、笑わせるな・・・)
生粋の高麗軍人である金方慶は、如才なく振る舞う同国人の洪茶丘が嫌いだった。
「大宰府が落ちぬのは、貴公の戦下手。・・その上、劉将軍まで失うとは、副大将は何をしていた?」
「・・それは・・」
軍人一筋の金方慶では、政治家の洪茶丘に太刀打ちできなかった。金方慶は、回らぬ舌を動かして言い訳を続け、洪茶丘は、冷笑を浮かべて金方慶の失態を挙げつらっていた。
突然、幕舎の外が騒がしくなったかと思うと、一人の兵士が幕舎に駆け込んで来た。反射的に金方慶は兜を抱えて立ち上がった。
「何事か?」
「・・や、夜襲・・夜襲にて・・・」
兵士の顔は青ざめ、紫色に変色した唇の奥では、歯がカチカチと鳴っていた。
金方慶が幕舎を飛び出してみると、我を忘れた兵士達は武器も持たず走り回り、松明を持った兵士達は、闇を恐れて一箇所に固まって震えていた。金方慶の目の前で、一本の矢が、将校の銀鎧を貫いた。矢の来た方向に目を遣ると、太刀を振りかぶった武者を先頭に、薙刀を振り回しながら数十人の郎党が後を追っていた。全員が、一様に目を吊り上げ、口元に薄ら笑いを浮かべて迫ってきた。
(倭人は、悪鬼か・・)
闇の中から現れた武者団の不気味な表情に、戦場で地獄を見てきた金方慶でさえ、背筋に悪寒が走った。
金方慶の鼻先をかすめた一本の火矢が、幕舎に突き刺さった。蒙古式の革張りの幕舎は、あっと言う間に燃え上がり、夜営地の中心で立ち登る炎と煙は、蒙古兵の中に巣食っていた悪夢を現実に変えていった。
「脳味噌を食われる」
闇に萎縮していた蒙古兵は、日本の武者に怯え、果ては味方の影にも怯えて、雪崩を打って走り出した。陸上戦で惨敗し、離散したはずの武者が、その夜から「夜討ち」を掛けていた。「夜討ち、朝駆け」は武士の心得だが、大陸における集団戦では、夜討ちは、同士討ちの危険性を孕んでいた。その上、死をも恐れず首をつけねらう武者の夜討ちである。蒙古兵が船に向かって走り出すのを誰も止める事はできなかった。
海上に引き上げて、ようやく落ち着きを取り戻した蒙古軍は、船上で作戦会議を再開した。
「何たる無様だ、洪将軍!・・・」
金方慶は、真っ先に船に逃げ戻った洪茶丘に罵声を浴びせながらキントの前に進み出た。
「大将軍・・直ちに部隊を編成して、百道浜の奪還を・・」
金方慶は再上陸を訴えたが、キントは腕組みをしたまま返事をしなかった。
「大将軍!」
金方慶の再度の問いかけにキントは顔を上げた。
「金将軍・・矢の残りは?」
歴戦のつわものキント、前線にいなくとも戦況を冷静に把握していた。
蒙古軍は上陸作戦で大半の矢を使い果していた。上陸後も、逃げ散ったはずの武者達は、果敢に反撃を繰り返し、陸上戦でも大量の矢を失った。矢が底を着いた以上、明日からの日本軍との肉弾戦は避けようがなかった。三万の大軍に九百艘の船があっても、日本人と日本刀への恐怖に汚染された蒙古兵では、肉弾戦を勝ちぬく目算は立たなかった。
日本占領を楽観視していた蒙古軍は、農機具や種籾まで船に積んで博多湾に攻め入ったが、事ここに至っては、決断の遅れが大敗を招く恐れがあった。
「明日、博多を離れる」
キントの苦渋の決断で、博多占領作戦は放棄された。
明朝の出航が伝えられると、故郷に帰還できる喜びに蒙古船団は沸きかえった。
「明日出航すれば・・馬山が十月の末・・正月は、故郷だな・・」
水夫は嬉々として出航の支度を始め、兵士達は甲板で輪になって酒を酌み交わした。海の上にいれば安全。将軍も士官も、兵士、水夫、船上の全ての異国人たちは信じて疑わず、暗黒の海を小舟で漕ぎ寄せる武者の姿など想像も出来なかった。
武者を乗せた無数の小舟が音も無く蒙古船に接舷し、太刀を咥えた武者共が舷側に垂らされた縄梯子に取りついた。武者共は蒙古船に乗り移ると、手始めに甲板のかがり火を蹴倒した。甲板に撒き散らされた炎は、あっと言う間に帆に燃え移り、博多湾のあちこちで火の手があがった。
炎に気を取られていた蒙古兵も、日本刀を振りかざす武者の姿を目にするや、肝は消し飛び、火事どころではなくなった。革鎧の兵卒は、船縁から闇に身を躍らせ、銀鎧の将校は海にも飛び込めず、甲板を逃げ回るしかなかった。武者の襲撃を免れた蒙古船は慌てて碇を上げ、先を争うように穏やかな博多湾から北西の風が吹き荒れる玄海灘に漕ぎ出した。
九州と朝鮮とを隔てる海峡には対馬海流が西から東に流れており、博多沖の玄界灘は流れが最も速くなる海の難所である。その玄界灘を横切って朝鮮に戻るためには、南からの追い風を待つしかなかったが、季節は北西の向い風が吹き始める晩秋。
闇雲に玄海灘に漕ぎ出した蒙古船を待っていたのは、吹き荒れる向かい風と、星一つ見えない真っ暗な海だった。自分の位置も船の向きも分からない闇の中、帆を上げた船は向い風に煽られて大半が志賀島北岸の岩礁に砕け散った。座礁を免れた蒙古船も、風と海流に流されて、広大な日本海を漂流することになった。結局、九百艘を数えた蒙古大船団も世界を震撼させた四万の蒙古軍も、一夜にして博多湾から消滅してしまった。
日本海を漂ったあげく、ロシアに漂着したキントは、二ヶ月後、ようやく大都(現在の北京)に帰還し皇帝の前に平伏した。
「臣、幾多の敵を屠る事、数えきれず。されど、倭人ほど恐ろしき敵、未だかつて、まみえたる事なし・・・」
キントをして右の文言を言わしめるほど、日本武者は蒙古に鮮烈な印象を与えていた。
「蒙古軍、博多より退散!」
翌朝、耳を疑うような知らせが、まだ暗い水城を駆け巡った。吉報だったが吉が過ぎて、誰も意味さえ理解できなかった。武士も民百姓も、壮絶な死を覚悟して最後の朝を迎えていた。そこに、蒙古軍も大船団も煙のように消えたとの報が舞い込んだのだ。
景資は太刀を佩くのも忘れて馬に飛び乗り、白み始めた街道を疾駆して博多の街へ向かった。燻ぶり続ける街を抜ける間、蒙古兵の首を鞍に結わえ付けた幾多の騎馬武者とすれちがった。
「何が起こった・・」
景資は、波打ち際でヘタヘタと座り込んだ。
「・・昨日の戦は夢か・・軍船は幻か・・」
景資の頭は混乱していた。
景資は、博多湾を埋め尽くした蒙古軍が、津波となって景資もろとも博多の街を飲み込むのを覚悟していた。しかし、目に映るのは、穏やかに広がる青い海、水面には小舟の一艘さえも浮いていなかった。大地を震わせた武者の雄叫びも、背筋を凍らせた矢の唸りも今は無く、単調に打ち寄せる波の音だけが、静寂の中で息づいていた。戦の名残を留める物と言えば、波間に漂う膨大な矢だけだった。日本・蒙古双方から放たれた数万本の矢は、浜辺を埋め尽くした流木のように、果てしなく景資の前に広がっていた。
こうして、第一次蒙古襲来、「文永の役」は、僅か一日で幕を閉じた。博多防衛に当たった西国の武士達は、多大な犠牲を払って蒙古大軍を撃退したが、その奮戦ぶりも、蒙古船への夜討ちの真実も、日本国内に伝わる事は無かった。加持祈祷のみを頼りとした京の朝廷や貴族は、蒙古船団の消滅を「神仏の御技」と信じて疑わず、その方が鎌倉幕府にとっても都合が良かった。やがて、肉弾戦や夜討ちの真実は時の流れの中に埋没し、ありもしなかった神仏の御技、即ち、「神風伝説」が一人歩きする事になった。




