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刀剣小説 延寿 【蒙古襲来】  作者: KEN FOREST
第1章 炭焼き八次
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福岡一文字 吉弘

 八次の小屋から福岡村までは、四里足らずというから十五㎞前後、徒歩で四時間ほどの距離である。八次は山を下る間、源衛門の腰に刺された短刀の鞘先だけを見て歩き続けた。賑やかな人声に八次が顔を上げてみると、道を暗くしていた森は青空に代わり、広い街道の真正面から夕陽が射していた。地から湧き出たとしか思えない程、多くの人が街道を行き交い、荷を高く積み上げた荷馬車が人ごみを分けながら先を急いでいた。大通りを行き交う人々は、源衛門に気がつくと、無意識に道を開け、源衛門は、無人の野を分ける風のように街道を西に進んだ。

賑やかな大通りの辻を左に折れると、丸太組みの門があった。門の奥が備前福岡村、日本一の鍛冶集落である。この頃の福岡村は、鎌や鍬、山刀、斧、包丁などの日用雑器の製造が主で、刀を専業とする鍛冶は限られていた。鍛冶自身も田畑を耕す半農半鍛冶が普通で、鍛冶屋と農民の区別はなかった。強いて違いを上げるなら、住宅の屋根の違いぐらいであろう。農家の茅葺屋根と異なり、火事の災難から逃れるべく鍛冶屋の屋根は、当時としては珍しい瓦で葺かれていた。

瓦屋根の下では、炉が赤々と燃え、鉄を叩くたび飛び散る火花は、打ち上げ花火のように中空を舞っていた。暗がりを華やかに彩る火の粉や鍛冶達の精悍な表情を見ているうち、八次は、きこりの親方のことも山奥に残してきた親兄弟のこともすっかり忘れてしまった。

緩やかな坂を登り切った正面に生垣に囲まれた屋敷があった。


「誰か、おらぬか・・」


やや間があって、奥から小柄な老人が姿を現した。


「これは、これは、源衛門様・・今日はまた・・」


老人は、質素ではあったが麻で織った草色の着物に、綿入りの袖なしを羽織っていた。真っ白になった髪を後ろで結わえ、良く手入れされた口ひげが口元を覆っていた。

細めた目から表情は窺えず、

(お父から聞いた、仙人のようじゃ)

と八次は思った。

仙人のような老人の名は、小鍛冶の吉兵衛。小鍛冶とは、今日の鍛冶屋に近い職業で、太刀や鎧兜などの武具から、鎌や鍬などの農具、包丁に鉄鍋、その他、様々な鉄製品を製造していた。この頃の吉兵衛は腕を磨き、日用雑器を打たなくても刀鍛冶だけで飯が食える所までこぎ着けていた。刀のナカゴに切る一文字吉弘の銘も、源衛門が吉兵衛の吉の字をとって適当に付けてやった銘だった。


「これ・・だれか、桶を持て・・」


吉兵衛の声に誘われるように、源衛門は上がりかまちにドッカと腰を下ろした。


「ハチ・・これを持っておれ・・」


源衛門は、杖代わりの長い太刀を無造作に八次に手渡した。

すぐに、八次と同じ年頃の小僧が桶を持って現れ、源衛門の足を洗い始めた。源衛門はよほど心地よかったのか、目を閉じて後ろに思いっきり体を反らして大きな欠伸をした。小僧が足を拭き終えると、源衛門は、八次の事など忘れたかのように屋敷の奥に姿を消した。


「源衛門様、して、今日の御用の向きは・・」


吉兵衛は、座敷の下座から伏し目がちに口を開いた。


「何、あの、わっぱのことよ・・」


源衛門は、茶を無造作に飲み干して口をぬぐった。


「これは、また・・あの、小僧が如何なさいました?」


吉兵衛には、大鍛冶の源衛門と薄汚い小僧との繋がりなど想像もできなかった。


「ああ見えて、中々、目が利くようでの・・」


源衛門は、八次の生い立ちや、行き掛かりなどを吉兵衛に話してやった。


「なるほど・・あの親方の山刀も、私の一番弟子が鍛えた物・・それを天と地ほどの差と申しましたか・・」


吉兵衛は感心した。当時はまだ、刀を鑑定したり鑑賞したりする習慣は無く、本阿弥家が刀剣の鑑定法を確立するのは二百年も後の事である。

吉兵衛が、一の字や吉弘の銘を入れるのは、余程、出来の良い刀で、弟子達には勝手に一の字を刻むことさえ禁じていた。一文字がある点では、源衛門の小刀と親方の山刀は同等。親方の山刀は、身幅もガッシリと広く、刃文は複雑に波打ち、姿も堂々としていた。対する源衛門の小刀は、幅も厚みも貧弱で、見ようによっては、まな板の上に置かれたの調理用の小刀と変わらなかった。


「それで、あのわっぱ、どこが、どう違うと申しておりました?」


吉兵衛の目の奥に、青い炎が揺らぎ始めていた。


「うーん・・確か肌が、どうのと言っておったような・・」

「肌で・・ございますか・・」


吉兵衛は、背中に冷や水をかけられたようで、背筋が落ち着かなくなった。土間に立っていた汚い小僧が鬼になって、後ろで笑っている気がしたのだ。


「わかりました。私がお預かりいたしましょう・・」


小僧が鬼の化身なのか、それとも小賢しいだけ童なのか、吉兵衛には白黒を着けなければならない訳があった。

吉兵衛の刀の秘密とも言える刀の肌、即ち、材料である鉄の違いを小僧に見抜かれたのでは、長年の苦労が水の泡になる恐れがあった。吉兵衛には、吉兵衛が福岡一文字吉弘であるための秘密があった。

日本で鉄と言えば、卑弥呼の時代から、明治時代に鉄鋼石が輸入されるまで、砂鉄を原料とした和鉄である。砂鉄は、山陰地方で採れる黒色の真砂マサゴ砂鉄と、瀬戸内海側の褐色の赤目アコメ砂鉄が日本の代表的な砂鉄である。瀬戸内海に面した福岡村の刀鍛冶は、地元産の赤色の砂鉄を利用していたが、吉兵衛は自ら備前の山奥に分け入って、黒に僅かな赤の混じった独特の色合いの砂鉄を掘り当てていた。


「源衛門様、どうかご内聞に・・」


吉兵衛は砂鉄と同じ量の銭を積み上げ、鉄作りを源衛門に直接頼み込んだ。鉄の秘密を守るためには手下を使う訳も行かず、源衛門は自ら山に籠って、吉兵衛の鉄を焼かねばならなかった。こうして得られた鉄は、一文字吉弘の全てと言ってもよかった。その鉄の残り目も決して多くは無かった。

吉兵衛にも、八次と同じように「刀の精」が取り憑いていた。あと一振り、次の一振りで、一世一代の刀を打つ事が出来ると信じていた。それも、秘密の鉄があればこその話である。小僧に真の眼力があって弟子にできれば言うことなし。眼力だけあって従わぬなら、斬って捨てるまで。


「小僧、名はなんと言う?」


吉兵衛は、威厳を持って問いただしたつもりだったが、唇が僅かに震えていた。


「・・八次・・」


八次は、突っ立ったまま投げやりに答えた。八次は、重い刀を持ったまま長い時間待たされ、見知らぬ老人への心配りなどとっくに無くしていた。その無愛想な態度が、反対に吉兵衛の好感を誘った。


「八次か・良い名じゃ・・」


その翌朝から、八次の刀鍛冶としての修行が始まった。刀鍛冶になるための修行の第一歩は、「炭切り三年」である。「炭切り」とは、大小様々な炭を均等な大きさに切り分ける作業のことである。大きさの揃った炭はむらなく燃焼し、刀鍛冶の思うままに炉の温度を変える事ができる。その炭の大切さを体に叩き込むのが「炭切り三年」。脆くて崩れやすい炭を自在に扱うには三年もの修練を積まねばならなかった。


「八次、山に入って松を切って来い。太さは三寸、大木の枝に限る・・」


八次は、「炭切り」の前に、ただの炭焼人夫に落とされた。夜明け前にムシロから這い出し、ヒエ粥をかっ込み、大斧を担いで山に分け入る。猿のように松の大木によじ登っては、枝を跨いでバランスを取りながら大斧を振るった。斧の手入れも良かったが、一振りで大枝を切り落とす八次の腕前には、手だれの木こりも舌をまいた。切り出した松枝は、山の斜面に掘った穴倉に並べ、蒸し焼きにして松炭を作る。


「焼きが過ぎたの、これでは、赤まらん・・」


吉兵衛の言葉は、焼き過ぎた柔らかい炭では炉の温度が上がらず、鉄を赤くなるまで熱する事ができないという意味である。


「焼きが足らんの、これでは、沸きすぎるわ・・」


焼きが足りず生木の部分が残っていると、炉の温度が異常に高くなり、鉄が溶けて変質してしまう事が、「沸きすぎる」である。

吉兵衛は、刀鍛冶の親方としては合理的な考えの持ち主で、弟子に対して理不尽に振る舞う事は無かったが、八次にだけは違った。斧に錆でも浮こうものなら、二日は飯を抜かれた。斧の錆は良いとして、鍛冶場の土間に炭切れが落ちていても、髭を剃り忘れても飯を抜かれた。育ち盛りの八次にとって、これほど辛い仕置きは無かった。

吉兵衛が伝えたかったのは「整理整頓と身だしなみ」の大切さだが、弟子にとっては、その深い意味を理解するのが難しい。整理整頓とは、在るべき所に在るべき物があり、在ってはならない所には物が無い事である。整理整頓は、職人を無用な煩わしさから解放し、目の前の仕事に専念させてくれる。身だしなみは、仕事を始める前から、そこに心が至っている証である。 

しかし、師匠と弟子の力量に差があればあるほど、弟子の耳には、師匠の指図が理不尽に聞こえ、師匠の目には、指図に従わない弟子が無能に映る。

吉兵衛が並みの師匠でないように、八次もまた並みの弟子では無かった。師匠から炭を焼けと言われれば炭を焼き続け、斧を研げと言われれば村中の斧を研いで回った。


「ハチは、猿回しの猿じゃ・・太鼓のままに踊っておる・・」


兄弟子達は八次を笑ったが、その度に吉兵衛は表情を曇らせたものである。


「猿役ができれば、ぬしらも包平よ・・」


包平かねひらとは、平安時代の刀鍛冶の名である。備前包平は、古近を通じて最高刀匠との誉れが高く、吉兵衛を始め、多くの刀鍛冶の目標であった。

しかし、後輩の鍛冶までが炭切を終えて「相槌を打つ」ようなると、さすがの八次も、心穏やかでは無くなった。

「相槌を打つ」は刀鍛冶の専門用語である。師匠が、小槌で焼けた鉄塊を軽く打つと、弟子は師匠が打った同じ場所を大槌で叩く。師匠の小槌に合わせて、弟子が大槌を振るうのが「相槌を打つ」の語源である。相槌は炭切りに続く修行の第二段階であるが、四年経っても、八次は炭切りの修行さえ終えていなかった。


「わしに、何が足りませぬ?」


八次が兄弟子に聞いて回っても、


「何じゃろのお・・ようやっておると思うが・・」


と言葉を濁し、気の毒そうに目を逸らすばかりであった。

八次にとって、福岡村で最初に立ち塞がった壁だった。野猿のように育った八次は、言われた事はこなせても、自分で工夫して道を見つけるには至らなかった。八次は、次第に眠りも思うに任せず、挙句には飯も喉を通らなくなった。


「ハチよ・・あとは猿真似・・」


吉兵衛ならではの頃合であり、的を射た言葉だった。崖縁にまで追い詰められていた八次は、吉兵衛の言葉を深く噛みしめた。

八次は吉兵衛の指図通りに炭を焼いていたが、焼き方は我流で誰にも師事した事がなかった。初心に立ち戻った八次はその足で、山奥に分け入って炭焼き人夫の教えを請うた。松炭しか知らない八次にとって、雑木入り混じる生木を均質な炭に焼き上げるのは至難の業と言えた。しかし、猿回しの猿に徹して、炭焼き人夫の指図に従えば、その道ウン十年の人夫にも負ける事はなかった。後は猿真似、当代、隋一の炭焼きの匠のもとで一月、全ての技を盗んで師匠に道を譲らせた。結果、八次が焼いた松炭は、固めた綿ほどに柔らかく、その上、火持ちが良かった。

いつしか、兄弟子達は、八次の炭焼き釜の前にたむろして、まだ熱の残る炭を奪い合うようになった。八次は、山中で野宿しながら炭を焼き続けたが、焼いても焼いても限りがなかった。


「ハチよ、わしの炭はまだか?」


終には、吉兵衛までもが八次の炭焼き小屋を訪ねるようになった。

(さすがにオラの焼いた炭は違うようだ・・お師匠様まで足を運んで下さる・・)

八次は心の中で胸を張った。確かに、八次の焼いた炭は、刀鍛冶にとって理想の炭ではあったが、福岡村の刀鍛冶が八次の炭に群がるには別の訳があった。


八次があばら家から福岡に居を移した丁度その頃、蒙古の使者が、日本との国交を求めて 九州の太宰府を訪れた。蒙古は中国北方を起源とする騎馬民族だったが、朝鮮の高麗を滅ぼし、中国の宋を膝下に置く巨大な帝国に成長していた。鎌倉幕府は、その蒙古の使者を追い返し、国交断絶の道を選んだ。この無謀な判断が「元寇」あるいは「蒙古襲来」として知られる日本史上最大の事件の始まりだった。

 国交断絶から月日が過ぎ、蒙古襲来が現実味を帯びてくると、幕府は、全国の武士に命じて戦の準備を始めた。武士は蒙古との戦いに備えて、太刀、矢じり、鎧兜といった大量の武器を必要とした。鉄の需要は急増し、大鍛冶は鉄の大増産に着手した。幾つもの山を裸にし、莫大な量の木材を炭に変えたが、製鉄のための炭で手一杯で、刀鍛冶が使う炭までは手が回らなかった。

炭の不足に加え、福岡村は当然として、全国の鍛冶場で鍛冶職人も慢性的に不足するようになっていた。猫の手でも借りたい兄弟子達にとって、八次の存在が急に大きくなった。それに、師匠の指示に従って黙々と炭を焼き続ける八次が目障りでもあった。


「ハチよ、炭なんぞ戦が終わってから焼け!」


兄弟子達のたび重なる圧力に耐えて八次は炭を焼き続けたが、福岡村での孤立は避けられなかった。村八分の次は甘い誘惑。


「八次、太刀を打ってみたくはねえか?・・」


この誘惑には、八次の心も揺れた。心を読んだ兄弟子は、最後の殺し文句を口にした。


「俺とハチの仲だ・・師匠には内緒にしてやる・・」


誘惑に屈した八次が、夜遅く兄弟子の鍛冶場を訪ねると、兄弟子は見知らぬ男と酒を酌み交わしていた。


「初めてお目にかかります、八次様・・以後お見知り置きを・・」


男は腰を屈めて八次に歩み寄り、銭の詰まった袋を足元に置くと、薄い笑みを浮かべて八次の顔を見上げた。八次が見たことも無い大金と、会ったこともない種類の男だった。八次が目で兄弟子に助けを求めると、


「ハチよ、黙って貰っておきなって・・」


兄弟子は、八次から目を逸らし無愛想に横を向いた。

炭焼きしか知らない八次は、兄弟子の言葉の意味すらわからなかった。呆然と立ち尽くす八次に痺れを切らした兄弟子は、椀の酒を飲み干して傍らの刀に手を伸ばした。


「嫌なら口を閉じてな・・」


八次は激しく首を縦に振ると、一目散に自分の小屋に逃げ戻った。

その一件以来、八次は、兄弟子達も見知らぬ男達も、さらには只の村人さえ避けるけるようになった。八次は山奥を転々として、憑かれたように炭を焼き続けた。しかし、蒙古襲来の大嵐は八次ばかりではなく、日本全土を時代の渦に巻き込んでいった。伝説のように「神風」が蒙古軍を駆逐したのであれば影響は少なかったろうが、異民族との死闘は、全ての日本人に、この世の現実を突きつける事になった。


「ハチよ、炭を焼くのは、もうよかろう」


八次が炭焼きから解放されるまで、土間に立たされてから五年の月日が流れていた。身長は六尺三寸と言うから、センチで言えば、百九十㎝近い。体格の良かった鎌倉時代にあっても大男である。八次はただの大男では無かった。着痩せする着物の下は、山で鍛え上げた強靭な筋肉で覆われ、猿を思わせる俊敏さには並ぶ者がなかった。わずかに陰はあるものの性格は温厚、決して人と争う事が無く、目上の指図にも逆らう気ぶりさえ見せなかった。

さらに、八次を特徴付けたのは、その容貌である。黒く太い眉、憂いを含んだ深い眼差し。鼻筋が通り、小ぶりの口は、常に一文字に結ばれていた。


「八次殿の、何と凛々しき事よ・・」


村の娘達は勿論、人の女房までが、八次に会うと顔を赤らめたが、当の八次は、全くと言ってよいほど女には関心が無かった。いつも、八次の心を占めているのは、あばら家で見た源衛門の小刀、福岡一文字吉弘の一振りだった。寝ても覚めても、青みを帯びた鉄の色が脳裡から離れなかった。


「わしも、何時の日にか・・」


炭焼きしか知らない八次にとっては妄想に近かったが、吉兵衛を見ているうち


「師匠に打てる一振りなら、わしにも・・・」


八次、歳は十八、そのような色気が出てもおかしくない年頃になっていた。

刀鍛冶としての吉兵衛には一切の無駄がなかった。最小限の炭と鉄、一分の隙も無い仕事の段取り、その合理性の結晶が源衛門の短刀だった。しかし、蒙古との対立から始まった時代の変化は、吉兵衛の長所である合理性を弱点に変え始めていた。

日本、即ち、大和の国では、遠い神話の時代から太刀は相応の米と交換されてきた。八次が炭を焼いている間に、米は銭に変わり、その銭も、太刀一振りが五貫文からあっと言う間に十貫文に値上がりした。銭の魔力は、福岡村を一気に飲み込み、吉兵衛を鍛冶場から遠ざけるようになった。吉兵衛にしてみれば、額に汗して槌を振るうより、刀屋相手の駆け引きの方が、遥かに大きな利を生んだ。刀の出来、不出来は、経験、気合、そして時の運など、目に見えない怪しげな力に左右される。ところが銭は算段通り、決して吉兵衛を裏切る事がなかった。


久しぶりに鍛冶場に顔を見せた吉兵衛が、炭で真っ黒になった八次に声をかけた。


「八次・・そろそろ相槌を打ってみるか・・」


山奥で松枝を切る事一年。師匠の意に沿う炭を焼くまでに四年。意外にも、炭を知り尽くした八次の炭切りは一月足らずで済んだ。全て、師匠、吉兵衛の深謀遠慮のおかげだった。そして、五年で日本一の刀鍛冶、福岡一文字吉弘の相槌を仰せつかったのである。

通常、太刀や刀といった長物を打ち上げる場合、相槌は二人から三人は必要となる。生まれつきの腕力に恵まれた上、木こりで鍛え上げた八次は、吉兵衛の相槌を一人で務めることができた。八次は大槌を操りながら、吉兵衛の小槌の握り方から指の位置、赤く焼いた鉄を打つ場所、炭のくべ方、炉に風を送るフイゴの押し具合、師匠をそっくり真似ることで、福岡一文字吉弘の技を盗んでいった。

打ち上がったばかりの刀は、表面を厚い黒錆が覆っており、そのままでは細い枝も切れない。焼き入れの後、砥石で研ぎあげて日本刀独特の美しい地肌と切れ味が生まれる。

その日も八次は、太刀に研ぎをかける吉兵衛の手際を食い入るように見つめていた。


「源衛門様の刀は、人を守る刀・・」


突然、吉兵衛が独り言のように呟いた。吉兵衛は八次の心の奥を見抜いていた。合理主義の吉兵衛が鍛えた太刀に武器としての欠点は無かったが、「美しいか?」と問われれば、八次は素直に首を縦に振ることはできなかった。

虚を突かれた八次をよそに、吉兵衛はめずらしく言葉を重ねた。


「この太刀は、人の命を奪う刀・・所詮は水と油じゃ・・」


吉兵衛が薄い笑みを浮かべて振り返えると、八次は、やや間があってうなずいた。

(お師匠様の言う通りじゃが、よう切れる美しい太刀を打ってみたい・・)

八次の目を見ていた吉兵衛は、嬉しそうに肩をゆすって笑った。


「良き夢じゃ・・八次・・」


吉兵衛は、八次の中に、遠い昔に置いてきた自分自身の姿を見ていた。

吉兵衛には、師匠と慕うだけの刀鍛冶はいなかった。見よう見まねで覚えた技が世間に認められた頃には、包平への憧れも、「もんげー・きれーじゃ」と唱え得る刀を打ちあげる情熱も無くしていた。そこに、八次が現れた。年はも行かぬ山猿は、吉兵衛のこだわりである鉄の違いを一目で見抜いた。一時は鬼かと思った山猿は、やがて人並みの知恵を付け、今では、師匠の吉兵衛をも凌ぐ天分を開花させつつあった。


吉兵衛の相槌を務めて僅か一年。


「八次、もう相槌はよかろう・・」


この言葉は、吉兵衛が八次を一人前の刀鍛冶と認めた事を意味した。


「八次、短刀を打て・・相槌は、わしが勤める」


吉兵衛としては、弟子に対する破格の扱いだった。八次は、吉兵衛をそっくりに真似て小槌を振るい、吉兵衛は、八次が小槌で示した位置を正確に打って、相槌とは、かくあるべしと教えてくれた。


「あとは、好きにするがよかろう」


 八次、最初の一振りである短刀は、吉兵衛が目を見張るほどの出来栄えだった。一の字が刻まれたこの短刀は、吉兵衛の腰に納まることになった。

八次は吉兵衛の屋敷の一隅に小さな鍛冶場を開いた。広さが一〇畳余り、入った真正面が炉、右手には八坂神社を祭った立派な神棚、左手、木戸を開けたところが吹きさらし.の研ぎ場だった。質素で小さな鍛冶場だが、八次が生まれて初めて手に入れた自分だけの城だった。

床を掃き清め、八坂の神に榊を供え、拍手を打った所で吉兵衛が訪れた。


「良い鍛冶場じゃな・・わしからの餞別じゃ・・大事に使えよ」


吉兵衛の足元には、子供の頭ほどの鉄塊が転がっていた。

吉兵衛は、暫く、八次の顔をじっと見詰めていたが、


「八次、鍛えが過ぎぬように・・」


と言い置いて、吉兵衛は八次の鍛冶場を後にした。


「ご助言、痛み入ります」


八次は、吉兵衛の背中に深々と頭を下げた。

吉兵衛の言う「鍛えが過ぎる」とは折り返し鍛錬の回数が過ぎる事である。日本刀は、柔らかくなるまで焼いた鉄を板状に打ち延ばし、真中に溝をいれて、二つに折り曲げる。折り曲げた鉄を再び炉で焼き、大槌で叩くと、重なった鉄は融合し一つになる。一つになった鉄を焼いて打ち伸ばし、また、折り重ねる。この折り返し鍛錬を繰り返す度に、鉄は幾重もの層を成し、十数回の折り返しで層の数は千を超える。鍛錬を繰り返せば鉄の地肌は緻密になるが、過ぎると、鋼は只の鉄に変わってしまい、決して刀になる事はない。

 翌朝から、八次は、長年の夢だった自分の為の刀を打ち始めた。吉兵衛から贈られた鉄の塊は、見たことも無い不思議な鉄だった。全体に灰色がかっていて、鉄やら石やら区別がつかなかった。金床の上で、槌で打てば砕けるが、石のように粉になる事はなかった。割った鉄の断面は鈍い輝きを放ち、大きい塊で幼児の拳ほど、小さい物でも梅の実の大きさがあった。

 刀造りは、この鉄の粒を真っ赤に焼き、打ち伸ばして煎餅状に変えることから始まる。焼いた鉄を叩くたび、鉄は火花となって空中に飛び散り消えて行く。この煎餅状の鉄片を積み重ねて、再び溶かして固めた塊が刀の原料となる。結局、鉄煎餅を塊に戻した段階で、子供の頭が、梨ほどの大きさになってしまった。


「これでは太刀は無理じゃな・・小太刀が精一杯か・・」


八次はガッカリもしたが、新たな鉄に巡り合って期待に胸を膨らませた。いよいよ、八次の折り返し鍛錬が始まった。折り返し鍛錬を繰り返す度に、またもや、鉄は火花となって消えていった。八次は吉兵衛の指示通り、折り返し鍛錬の回数を十三で止めた。鉄の塊はさらに小さく、小太刀どころか短刀でも怪しい量だった。

次は、芯金と呼ばれる柔らかい鉄を、鍛えた鉄の真ん中に割り込み、刀身の形を打ち出してゆく素延べである。素延べの終わった刀は、長さ四〇㎝、幅は二.二㎝の華奢な姿だったが、八次は満足していた。

 後は、ヤスリで形を整えた後に焼を入れる。「焼を入れる」とは、刀身を赤くなるまで熱して水で急冷することである。炭素を含んだ鉄、即ち、ハガネは、加熱して急激に冷すと極めて硬くなる。硬くなった鉄は切れ味には勝るが、脆くなってガラスのように折れてしまう。

刀身全体は柔らかく、刃の部分だけが硬ければ、鋭い切れ味と強さを兼ね備える理想の刃物となる。それをコントロールするのが、焼き入れの前に、刀身に塗られる土である。ゆっくりと鉄を冷やすために、背の部分には土を厚く盛り、刃の部分は急冷するために薄く塗る。この厚みの違う土の境界に現れるのが刀の刃紋であり、境界が波状であれば波刃ナミバ、直線であれば直刃スグハである。

素延べから、三日後、いよいよ、焼入れの運びとなった。初め、大きく切った松炭で炉に十分な熱を与え、小さな松炭で土を塗った刀身を押み込んだ。フイゴで風を送ると、松炭は炎を上げて燃え盛った。フイゴを押す八次の手の動きに合わせて、刀身は小豆色から、真紅に、そして茜色に変わった。瞬きもせず焼け色を見ていた八次が、火の中から刀身を引き上げた。

 一呼吸置いて、焼けた刀の切先を木桶の水に近づけると、茜色の鉄に触れた水は、激しく沸騰し湯気が水面から吹き出した。八次は泡と湯気の具合を見ながら、ゆっくりと刀身全体を水に沈めた。水から引き上げて、刀身を見詰める八次の口元が緩んだ。


「出来た・・」


この瞬間、八次、会心の一振りがこの世に生を受けた。

八次は、その足で研ぎ場に向かった。刀身が砥石に食いつく独特の感触。地肌の柔らかさと、刃先の強靭さが指先から伝わってきた。中研ぎをかけると、真っ直ぐに伸びた刃文は浮き立ち、地肌は藍色に思えるほどの深い色を示した。


「もんげえ・・」


思わず呟いて、八次は、はっとした。八次の中から源衛門の福岡一文字吉弘の短刀が消えていた。八次が、吉兵衛こと福岡一文字吉弘を超えた瞬間だった。

八次は、師匠吉兵衛が一生をかけても成しえなかった夢、即ち、自分自身が「美しい」と唱え得るだけの刀を僅か七年足らずで生み出していた。悲しいかな、八次は若く、そして無知なるが故に、その有り難い意味が分からなかった。

八次は、短刀が研ぎ上がると、その足で吉兵衛の屋敷を訪ねた。吉兵衛は、気が遠くなるほど長い間、八次の短刀を見ていた。


「天下一の短刀じゃ・よくぞ、ここまで・・」


言葉とは裏腹に吉兵衛の表情は暗かった。


「何か?・まだ、足らぬ所が・・」

「いや、そうでは無い。・・八次、歳は幾つになった?」

「はあ・・十九になったばかりで・・」

「十九か・・先は、長いのう・・」


吉兵衛は、それ以上何も言わず、再び八次の短刀に視線を落とした。八次が、吉兵衛の言葉の意味を知るのは、まだまだ後のことである。

八次は、刀鍛冶としての大きな一歩を踏み出したが、八次にとっても、八次に取り憑いた「刀の精」にとっても時代が悪かった。八次が会心の短刀を打ったのは、文永十一年の春、第一次蒙古襲来、文永の役を間近に控えた早春のことであった。

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