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刀剣小説 延寿 【蒙古襲来】  作者: KEN FOREST
最終章 延寿太郎弘村
12/14

鉄を求めて

「弘村殿・・弘村殿・・」


弘安五年三月、鍛冶場で太刀の粗研ぎをしていた弘村に、懐かしい声がかかった。弘村が振り返ると従者を従えた立派な武士が戸口に立っていた。逆光で顔は良く見えなかったが、体つきや声から竹崎季長である事はすぐにわかった。


「おお、これは竹崎様・・」


弘村は桶の水で手を洗うと、傍らの手ぬぐいに手を伸ばした。季長は鷹揚なしぐさで、従者を追っ払うと、鍛冶場に飛び込み弘村の二の腕を掴んで揺すった。


「弘村殿、地頭じゃ・・地頭になった・・」


季長の目じりは垂れ、よほど嬉しかったのか、弘村を掴んだまま周りを飛んで回った。地頭と言えば守護に次ぐ幕府の要職である。守護を現代の県知事に例えれば、地頭は市長に当たる。

(童のように憎めぬお人じゃ)

季長は弘村の十歳は上だったが、弘村には無垢な若武者に思えてならなかった。


「おお、それは、ようござりましたな」

「おおよ、先の役では、手柄の立て放題じゃった・・・」


季長は、弘村の気持ちなどお構いなしに話を続けた。弘安の役の活躍に始まって、最期には、昔の文永の役にまで話が及んだ。


「ところで、今日は・・」


堪らず弘村が口を挟むと、季長は、はたと手を打った。


「おお、忘れる所だったわい・・」


季長は、脇に置いた太刀に手を延ばした。


「わしの手柄は、この太刀のおかげじゃ・・」


季長は、弘村の蒙古太刀を両手で奉げると、深々と頭を垂れた。弘村は「大げさな」と思ったが、季長は至って本気のようだった。季長にとって、弘村の蒙古太刀は、相棒であり、お守りであり、季長そのものだった。


「この太刀があれば、わしに怖いものは無い。・・また蒙古が来たら、一人でも立ち向かうつもりじゃ・・この太刀となら心中しても悔いはない・・」


そこまで言われると、弘村も悪い気はしなかった。


「で?」


弘村は、相変わらず口数が少ない。


「安心なんじゃ・・斬っても、叩いても、折れる気がせん。・・一度など、十人ほどの敵に囲まれての・・闇雲に振り回したんじゃが、折れも曲がりもせん。・・気が付いたら、全ての敵を切り伏せとったが、刃こぼれ一つなかった・・」


季長は、その場面を思い出したのか、ブルッと体を震わせた。

この話には、当の弘村も驚いた。切れ味と頑丈さには自信があったが、そこまでの業物だとは思っていなかった。切れ味と頑丈さに優れるだけでは、弘村の中の名刀とは言い難かった。姿形が美しく、頑丈さと切れ味、その切れ味が長持ちしてこその名刀である。

因みに、現代の刀鍛冶が鍛えた和カミソリは、途中で研ぐこともなく、毎日使っても二年は持ち、日本の名品として世界中で人気がある。科学の粋を結集した洋剃が、切れ味を維持できるのは、せいぜい一カ月である。


「拝見・・」


弘村は、太刀を受け取ると鞘を払った。確かに、刃こぼれや曲がりはなかったが、複雑な血油の曇りと細かな擦り傷が、肉弾戦の凄惨さを京の地にまで運んでいた。


「ひどい、有様で・・」

「当然じゃろ、先の役で斬った蒙古は、五十九人。・・・次の役では、百は固い・・」


季長は腕組みをして一人満足げに頷いた。


「ところで、腰の大小は」


弘村は、腰に下げた太刀と、革巻きの短刀が気になっていた。


「これは、ほれ、弘村殿の師匠、福岡一文字吉弘の太刀・・こっちは、菊池の田舎刀じゃ・・」


季長は、気さくに腰の大小を外して弘村の前に並べた。

弘村は、一礼して、師匠、福岡一文字吉弘の太刀の鞘を払った。柄や鞘は、武骨で実戦的な拵えに変わっていたが、手入れの行き届いた吉兵衛の太刀は、深い地肌に鮮やかな刃文がゆったりと波打っていた。さすが師匠吉弘の太刀だった。


「さすがに、お師匠様の太刀・・」


弘村は、改めて吉弘の太刀の奥深さを感じていたが、なぜか、季長の反応は鈍かった。弘村は、吉弘の太刀を鞘に納め、革巻きの短刀に手を延ばした。


「弘村殿・・それは、肥後の・・・」


田舎刀に気が引けたのか、季長は思わず手を伸ばしかけたが、それを無視して短刀の鞘を払った。刀身は細かな傷のせいで、地肌も刃文も良くみえなかった。


「しかしの、そいつは、今度の戦で大将首を掻いた短刀じゃ・・見てくれの割には、よう切れる・・」


季長は、傷だらけになった短刀を擁護するように呟いた。


「で、吉弘は・」


弘村は、短刀を鞘に戻しながら季長の目を見ると、季長は僅かに視線を逸らした。


「切れる。・・さすがに、百貫文の価値はある・・」


季長は吉弘の太刀の鞘から抜いて刀身を見渡したが、直ぐに鞘にもどした。


「だがの・・」


季長の表情が曇った。


「だが・・いかがされた・・」

「切れるには切れるんじゃが・・弘村殿、良く見てみなされ・・」


弘村は頷き、吉弘の太刀を手に鍛冶場から外に出た。鞘を払って、刃を上向きに日光にかざすと、数箇所、目に見えないほどの光の乱反射があった。僅かな刃こぼれである。


「吉弘では、蒙古の首を五つ撥ねただけじゃがのう・・これで、鉄の鎧は無理じゃな・・」


季長は言いながら、吉弘の太刀の代わりに弘村の蒙古太刀を手渡した。


「どうじゃ弘村殿・・五十九人切ってこれじゃ・・それも、鎧や兜、お構いなし・・」


弘村は自分の打った太刀に舌を巻いた。小傷は微塵にあったが、刃こぼれと思われる刃の乱反射は無かった。


「存外、良い太刀でござりましたな」

「良いどころか・・天下一・・いや、この世一の業物じゃ・・」


季長は、弘村の手から太刀をとり上げると、澄み切った空に向かって突き上げた。傷だらけの弘村の太刀は、陽光を受けて鈍い光を全身から放った。


「そこで、頼みじゃ弘村殿」

「なんなりと・・」


弘村は穏やかな笑みを浮かべた。懐かしい季長と語らい、自分が丹精込めて鍛え上げた太刀に触れて、久しぶりに弘村の心が晴れていた。


「この太刀は、粗研ぎのままじゃ・弘村殿に任せる故、研ぎに出してはもらえぬか」

「心得ました。・・ついでに、あの短刀も研いで差し上げましょう」


弘村も、自分が打った太刀の本当の姿が見てみたかった。季長が言う天下一の太刀の真の姿を見てみたかった。

この頃になると、刀鍛冶とは別に、刀を研ぐ専門家である研師が生まれていたが、刀鍛冶自身が研師を兼ねる事も少なくなかった。弘村も、専門の研師ほどの技量は無かったが、刀の出来を見極めるための相応の技は習得していた。


「これは、また・・」


季長が帰った後、弘村が仔細に見てみると、戦場往来の太刀は、気の毒な程に痛んでいた。細かなヤスリを当てたような、擦り傷が表面全体を覆っており、刃文も辛うじて判断できるほどに全体が白けていた。季長が、蒙古を斬った後、血糊を荒い布地で拭ったに違いなかった。日本刀は、名刀と呼ばれる程に地鉄は柔らかくなり、布や紙で拭ぐっただけで傷が残る。

弘村は、傷だらけになった太刀を自分の手で研いでみることにした。砥石に木灰汁をかけて太刀を押し当てると、一年前、打ち上げたばかりの太刀の感触が指先から伝わってきた。一押し、一引き、太刀は砥石と良く馴染み、僅かの時間で荒砥ぎが完了した。


「確かに、良い太刀じゃ」


弘村の口元に笑みが浮かんだ。

弘村は、親方の山刀を研いだ時と同じように、自分が打った蒙古太刀に魅せられ、時の流れも忘れて研ぎ続けた。弘村の内に棲む「刀の精」は、再び生気を取り戻していた。砥石の目を細かくするに従い、地肌は黒味をおび、刃文は白く冴え渡った。


「き乃、飯じゃ・・」


まだ西の空が明るい時間に帰宅した弘村は、かまちで足を洗いながら、き乃を呼んだ。


「まあ、ヒロ殿のご機嫌なこと・・」


き乃は、足拭きを差し出しながらクスクスと笑った。き乃は嬉しかった。久しぶりに、弘村の顔に生気が戻っていた。


「刀鍛冶なぞ止めて、研師にでもなるか」


弘村は箸を置くと、真顔でき乃の顔を見た。


「お好きなように・・」


また、き乃はクスクスと笑った。

当時、刀鍛冶と研師では世間の見る目が違った。来鍛冶の弘村が研師に身を落とすなど考えも及ばなかったが、き乃は、弘村が生き生きしている方が嬉しかった。翌朝も、弘村は暗い内に起き出して夜明け前には家を出た。

 鍛冶場の奥、研ぎ場の木戸を押し上げると、東の空は朝焼けで茜色に染まっていた。白鞘に納められた弘村の蒙古太刀を抜くと、青みがかった刀身に茜色の空が鮮やかに映り込んだ。


「わしの研ぎは、ここまでじゃな」


弘村は満足げに呟くと、鞘に納め刀掛けに戻した。研ぎ上げた太刀の下には、季長の短刀が掛けてあった。


「季長殿らしい、拵えじゃ」


季長の短刀、鞘は細い革紐できつく巻き上げ、小豆色の漆がかけられていた。柄は粒の大きな黒鮫革に鉄の金具。荒武者に似つかわしい拵だった。鞘を払って、弘村は眉の根を寄せた。


「何じゃこの傷は・・変わった短刀じゃな・・」


刃渡り一尺の細身の短刀は、細かな傷が縦横に走り、見るも無残な有様だった。この時代、短刀は敵の首を掻くためだけにあり、一掻きで首を落とすには鋭い切れ味が求められた。カミソリの切れ味を求めれば、いかに柔らかな日本刀でも硬くなり、布で血を拭ったぐらいで刀身に傷が付く事はまずない。

ところが、季長の短刀の細かい傷は、首を掻いた時の物か、血糊を拭った時の物かは判らなかったが、硬い短刀にしては傷が多すぎた。弘村は、目釘を抜いて柄を外した。銘はなかったが、今まで見たことの無いナカゴの鉄色だった。錆の色は、小豆色に近く、赤錆と黒錆が微妙に交じり合った独特の色合いだった。その上、鈍い輝きを放なつナカゴの肌は、刀身と見まがうほどに美しかった。


「見たことも無い、鉄色じゃな・・」


弘村はナカゴに麻布を巻いて、砥石の前に腰をおろした。灰を浮かせた水を砥石にかけ、短刀を砥石に押し当てた。


「ズッ」


弘村の顔から、血の気が引いた。短刀の刀身は、柔らかい鉛のように砥石に食い込んだ。弘村が慌てて見てみると、青みを帯びた刀身が、仕上げ砥石を使った時のように輝いていた。一摺りで短刀は命を蘇らせていた。弘村は声も出なかった。荒砥ぎは一瞬で終わった。弘村は、砥石を次々と代え、その日の内に、短刀を研ぎ上げた。


「なんと言うことじゃ・・」


弘村は、呆然と研ぎ上げられた刀身を見ていた。


「これじゃ・・わしの探していた鉄は、これじゃ」


弘村は、短刀を布に包むと、その足で駆け出した。

来の鍛冶場を飛び出してみると、日は西に傾いていた。弘村は、西日に向かって綾小路を駆け抜け、四条通りの菊池屋敷に飛び込んだ。この頃、季長は、町中の篝屋から菊池屋敷に住まいを移していた。


「・・竹崎様・・竹崎様・・」


弘村は菊池屋敷の母屋の前で大声を上げていた。息は上がり、前身から汗が噴出した。


「何事じゃ・・」


季長が出てみると、弘村はカマチに腰を下ろし、肩で荒い息をしていた。季長の後を追ってきた弥二郎が季長の陰から心配そうに弘村の様子をみていた。


「だれか、水を持て・・水じゃ」


季長の怒声に、直ぐに女中が水を張ったお碗を持って現れた。一気に、お碗の水を飲み干した弘村だが、まだ、肩で息をしていた。


「・・竹崎様・・これは、誰の・・誰の作で?」


弘村は布切れに包んだ短刀を、季長の顔に突きつけた。訝しげに包みを受け取った季長は、布切れを捨てると手のひらに短刀を横たえた。


「ああ、これか・・名は知らん。・・御館様の鍛冶場の若造じゃが、どうかしたのか」

「どうかしたではござらぬ・・稀代の名刀やも知れぬ」

「これがか?・・確かに、よう切れるが・・稀代の名刀とは大げさな・・」


弘村は季長の言葉を無視して、畳み掛けた。


「鉄・・鉄は何処の鉄で?」

「菊池の鉄に決まっておろうが・・山に分け入れば、幾らでも取れるわい」

「菊池・・」

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