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刀剣小説 延寿 【蒙古襲来】  作者: KEN FOREST
第5章 蒙古再び
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刀の精

蒙古軍が壱岐・対馬に侵攻した初夏になると、ようやく京の町も大騒ぎになった。


「モンコはんが来るらしい・・それも、えらいぎょうさんやて・・」

「ほら、おおごとやわ・・京も危ないのとちゃうやろか・・」


荷車に家財を積んで逃げ出す者、寺社の周りで念仏を唱える者、武者でも無いのに鎧兜を求める者、京は蒙古への恐怖で大騒ぎになった。こうなると、京風の細身の太刀が看板の来鍛冶も、時代の流れには逆らう事ができなくなった。武者の太刀を粗野だと評していた京の公家や宮家までもが、実用優先の蒙古太刀を求めるようになっていた。

弘安の役が本格化した夏場になると、景資や季長の武勇伝は、京の人々を熱狂させた。特に、季長の武勇は極端に誇張され、「鎧ごと二つに切り裂いた」はまだしも、最後は「蒙古の軍船をも切り割ったそうな」に化けてしまった。

博多で季長と出会った武者達は、異口同音に聞きただした。


「竹崎殿、今回は何人斬られた」

「今日の一人を入れると、三十四になるかの・・」


今度の季長の答えに嘘は無かった。季長は、斬った蒙古兵の数を正確に数え、太刀の鍔に、ヤスリでその数を刻み込んでいた。


「で、誰の太刀を?」

「聞いて驚くな・・来弘村の太刀じゃ」

「・・来弘村・・とな・・・」


弘村の名を聞いた大方は、首をひねった。来鍛冶に弘村の名は無い、当代で来といえば、国行、国俊、国末の親子三人である。


「おおよ・・貴殿らは知らぬだろうがの・・」


季長は、言いながら弘村の太刀を目の前で抜いてみせる。

粗研ぎのままで、美しいとは言えなかったが、姿といい、鉄色といい、ただの太刀で無い事は素人目にも分かった。それに、戦場往来を繰り返した太刀には、薄っすらと血油が乗り、骨を断った時の傷が無数に刻まれていた。


「ゴクリ」


目の前に突きつけられた弘村の太刀を見ると、全ての武者が喉を鳴らした。


「どうじゃ・・来弘村の太刀あっての季長の武者働きよ・・」


季長の言葉に嘘は無かったが、弘村の名を世に知らしめたいと思う季長の好意の表れでもあった。竹崎季長の武勇伝が流布されるに従い、来弘村の名前も口から口にあっという間に広まっていった。弘村の太刀は、蒙古兵との極限の戦いの中で殆どが行方知れずになり、銘を刻んだ太刀は勿論、来弘村の作と伝わる刀もない。ただ、来弘村という名前だけが日本史の片隅に残されることになった。

弘村は武房の京屋敷の一角に居を構えて刀鍛冶の修業を続けていたが、暗いうちに家を出て深夜近くまで鍛冶場に詰める日々が続いた。き乃は、広大な菊池屋敷の一角で、一人、弘村の帰りを待たねばならなかった。

き乃の寂しさを埋めてくれたのが武房の妻女で、名は淑子。貴族の家に生まれ、育ちも京の都、絵にかいたような姫君であるが、明朗活発で屈託がなく、男勝りと言っても良かった。年齢は、き乃より七歳上で、性格はき乃が静なら淑子は動、同じ敷地に暮らし、当然のように仲が良かった。武房が蒙古に備えて肥後に帰国してからは、弥二郎を連れて、度々、き乃の下を訪れた。


「また、弘村殿は、留守でおじゃるか?」

「左様のようで・・」


 き乃は目を伏せ、困った顔で微笑んだ。


「き乃どの・・口惜しくはありまへんか?」


淑子の言い草に、き乃は驚いて顔を上げた。


「口惜しい?・・寂しゆうはござりまするが・・」


 き乃が言葉を濁すと、淑子は不満げに顎を突き出した。


「殿御はよろしな・・弘村殿は鍛冶場、御館様は菊池のお城で戦支度・・なのに、あてらは京の屋敷で留守番・・・・」


男勝りの淑子は、菊池で過ごした日々を忘れる事が出来なかった。

京で祝言を終えると、淑子は武房に連れられて肥後に下り、そこで半年を過ごした。奥方の地元披露が名目であったが、淑子にとっては新婚旅行であり、京の姫君では決して経験できない特別な時間を過ごすことができた。武房の手ほどきで乗馬、弓道、水泳に親しみ、最後には、馬に乗って鹿を狩る「弓馬の道」にも挑戦した。菊池城内の馬屋には淑子のための馬が用意され、淑子は何時でも愛馬に跨って領内を駆け回る事が出来た。

初夏の日差しの下、城から見下ろす広大な緑の絨毯、その絨毯を横切って菊池川が流れ、稲は大海を渡る穏やかな波のように風に揺れていた。果てしなく広がる緑の大地の遥か遠く、海を隔てた向こうに、雲仙の山並みも霞んで見えていた。


「菊池とは、どんな所でしょう・・」


 淑子の穏やかな顔を見ていて、き乃は西国の果てにある菊池に不思議な親しみを覚えた。


「菊池でおますか・・」


淑子は優しい笑みを浮かべて、き乃に振り返った。


「京より広くて美しい・・それに、人が温かい・・」

 

十四万の蒙古軍が海の藻屑になっても、フビライは日本征服を諦めず、弘安の役を上回る遠征軍の準備を開始した。鎌倉幕府は対抗策として、先んじて高麗を占領する作戦を立て、御家人は当然として、寺社の僧兵まで動員して朝鮮出兵の準備を始めた。全国で、増大する武器の需要に答えるために、刀鍛職人の数は増え続けた。来の鍛冶場でも数十人の職人が立ち働き、国俊、国末兄弟は当然、弘村も寝る間を惜しんで、太刀を打ち続けた。

弘村の打った太刀は、折れず曲がらず良く切れたが、評判が上がるほどに弘村の心は虚しさが広がっていった。弘村の理想は、吉兵衛から貰った来国吉の太刀であり、吉兵衛の鉄で打った腰の短刀だった。弘村は、福岡村を出て以来、今更ながら吉兵衛の存在の大きさを感じていた。吉兵衛こと福岡一文字吉弘が、納得して世に出した刀に間違いは無かった。来に身を寄せて七年、弘村の太刀は来国吉どころか、福岡一文字吉弘にも及ばなかった。

 弘安五年の年が明けると、弘村は来鍛冶の采配を任され、粗鉄の仕入れ、炭の手配から刀鍛冶の割り振り、終には、商人との銭の交渉までするようになった。

凍り付くような正月のある夜、弘村は、ようやく松炭の手配が終わって一人、鍛冶場の炉の前で長い間腰を下ろしていた。たび重なる商人との交渉で、弘村は身も心もクタクタだった。商人の言い値に銭を払っていたのでは、とても来鍛冶は成り立たない。無理に値切れば値切ったで質を落とされる。弘村は下げずとも良い頭を下げて、炭や粗鉄を手配していた。

夜が更けると土間から冷気が這い上り、弘村は思わず襟を引きよせた。暖を取ろうと炉の灰に火掻棒を差し込んでみると、残り火が最期の命を燃やし、ボンヤリと輝いた。弘村は反射的に、傍らの松炭を炉の中にまいた。フイゴの取手を左手で押し込むと、炭の間からパッと炎が上がり、パチパチと炭の馳せる音が、静まり返った鍛冶場に響き渡った。

同時に閉じていた弘村の心にも火が灯った。弘村は、福岡村、鍛冶場の八次に戻っていた。フイゴを操る手が滑らかに動き始め、炉は赤々と命を取り戻した。弘村は、反射的に手を伸ばして炉の横を探ったが、そこに金テコなど在る訳がなかった。炉から顔を上げて、弘村は我に帰った。


「わしは、何をしている・・」


生気を取り戻していた弘村の顔が翳り、弘村の心を映すように炉の中の炭も輝きを失っていった。弘村は、炉から体を起こして辺りを見回した。炉の炎が落ちるにつれ、鍛冶場に闇が広がり始めたが、奥の神棚の御幣が浮き上がって見えた。何気なく、白い御幣を見ていた弘村に戦慄が取り付いた。

忘れていた。何時の頃からか、神棚に捧げていた来国吉を忘れていた。あれほど憧れ、あれほど慕い、何時も心を支配していた来国吉の太刀は、知らぬ間に弘村の中から姿を消していた。

額の脂汗を拭うと、弘村は神棚の前まで膝でにじり寄り、額を土間の土に押し付けた。母を忘れ兄弟を捨てた弘村は、常に「何時かは国吉」を胸に、一心不乱に槌を振るっていなければならなかった。それが唯一の罪滅ぼし。それが唯一の心の安息をもたらしてくれる道だった。弘村は自分の心が恐ろしく頭を上げる事ができなかった。枯れた榊、汚れた御幣、埃を被った国吉の刀箪笥を目にするのが恐ろしかった。

 長い間、ひれ伏していた弘村が、顔を上げてみると、闇の中に真っ白な御幣が浮かんでいた。大きく息を吐いた弘村が闇に目を凝らすと、御幣の下に鮮やかな榊の緑が見えるような気がした。弘村は、榊に誘われるように腰をあげた。来国吉を守っていた刀箪笥は、埃を被ることもなく黒漆を彩った金箔が、闇の中でも浮き上がって見えた。


「済まぬ・・き乃・・」


弘村に代わって榊の枝を替え、来国吉を守っていたのは、き乃だった。

 来の鍛冶場の切り盛りを任された弘村は、時の流れと共に生気をなくし、その笑顔にも翳りが見えるようになっていた。き乃には、弘村の辛い気持ちは痛いほど分かっていたが、なにも出来ない自分が情けなかった。き乃にできる事と言えば、弘村に知られぬように御幣を切り、榊を奉げ、来国吉の刀箪笥を清めるぐらいしかなかった。

弘村が、刀箪笥を神前から下ろし炉の縁に横たえると、鍛冶場の二重屋根の隙間から洩れた淡い月の光が、黄金色のモミジを鮮やかに浮き立たせた。刀箪笥から取り出した来国吉を胸に抱き、弘村が木戸を開けると、いつの間にか降り積もった雪が辺りを覆っていた。


弘村が庭に出て夜空を仰ぎみると、雪の乗った長塀の上に糸の様に細い三日月がかかっていた。藍色の蒼穹に敷き詰められた星は手が届くほどに近く、弘村の吐く白い息は、梢の雪と一つになって消えた。弘安五年正月、冷気が肌を切るような夜だった。

 

「わしは、何のために京まで来た・・」


弘村は錦の袋に包まれた太刀を胸の前で握り締めた。

弘村が袋の紐を解くと、優雅に反った太刀が姿を現した。弘村は、辺りに人の気配が無いのを確かめると、ゆっくりと鞘を払った。闇の中にあっても、刀身は雪明りで青の深い色を湛えていた。刃文は直線の直刃で、白く細い鋼の帯が切っ先に向かって真っすぐ伸びていた。


「美しい・・」


弘村は、長い間、青い刀身に見入っていたが、深く長い吐息を残し、名残惜しげに太刀を鞘に戻した。

肩を落として鍛冶場に戻って行く弘村の後ろ姿を、妻、き乃は寒椿の陰からみていた。き乃が袂で涙を拭き、椿の陰から足を踏み出すと、枝に乗っていた雪が落ち、夜目にも鮮やかな寒椿が姿を現した。

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