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刀剣小説 延寿 【蒙古襲来】  作者: KEN FOREST
第5章 蒙古再び
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神風を背負え!九州武者の逆襲

博多入港から四日目、一滴の飲み水も得られなかった東征軍は、撤退を開始した。当初、蒙古軍は江南軍十万、東征軍四万が壱岐で合流し、一気に博多を占領する予定だったが、江南軍の総大将が急死し、出発が一月近く遅れてしまった。この遅れが、東征軍の勇み足を招き、蒙古軍十四万の命運を決する事になった。江南軍が、慶元を出発した旧暦の六月十三日と言えば、現在の七月初旬。既に、東シナ海では台風の季節が到来している。

退却する東征軍の動向は、船団を遠巻きにした村上・松浦の水軍から逐次、筥崎宮の本陣にもたらされた。大陸との往来に慣れていた松浦党は、早くから中国の慶元に偵察船を送り込んでおり、江南軍の目的地と到着日時をいち早く割り出した。日本軍は、江南軍を迎え撃つため博多湾の防塁から平戸・唐津方面に向けて武者団の大移動を開始した。


疲弊しきった東征軍が、壱岐の瀬戸の浦に納まったのは、六月二十日過ぎ、食料だけは一月分を残していたが、飲み水は殆ど底を尽いていた。東征軍が博多に向けて壱岐を出発して三週間余り、底に残った水も腐敗し、東征軍に疫病が蔓延していた。


「だいぶ弱っておるようじゃな・・」


筥崎本陣で床机に腰を降ろしていた少弐資能は、居並ぶ諸将の顔を見回した。全員疲労の色は隠せなかったが、博多湾から蒙古軍を撃退した武者達の目には、溢れるほどの生気と底光りする覇気があった。ここ数年、影の薄かった資能も、戦いが始まると往年の武者魂を取り戻していた。白髪を整え、ピンと延びた背筋に紫糸威しの大鎧が良く似合っていた。


「どうするつもりじゃ、経資」


武者達を見回していた資能が、総大将の経資に目を留めた。


「父上、ここは打って出るべきかと・・松浦も、村上も、河野水軍も馳せ参じております故・・時を置けば、敵も力を回復いたしましょう・・」


全員が総大将の案に大きく頷いた。


「決まりじゃな・・」


資能は、本陣に集う武者の目を嘗め回した。年は取っても、資能の気迫に適う武者はそうざらにはいない。資能の眼光に、居並ぶ武者の背筋も自ずと伸びていた。


「船は、われ等松浦党が用意いたしましょう・・」


松浦党の狼船団を統帥する佐志忠直が口火を切った。松浦党が用意した大型軍船百艘で一度に運べる兵力は二千が限度、他は、数百の武者が天登船に分乗し壱岐に向かうことになった。そして、指揮官、壱岐急襲部隊大将の人選の段になった。四万の蒙古軍に二千そこそこの武者、全員討ち死に覚悟の特攻隊である。


「その任、わしが」


間髪を入れず、総大将の横に控えていた資能が声を上げた。いくら猛将の誉れが高くても、資能、齢八十四の高齢である。


「・・父上、何を申されます。・・父上は、日本軍の要。・・それに・・」


総大将の経資は慌てた。一度、言い出したら、決して引かない頑固一徹の父。資能の性分は、経資が一番分かっていた。


「経資、皆の衆・・分かってくれい。・・この老骨を哀れと思うなら、死に場所を・・武者としての死に場所を・・これこの通りじゃ」


資能は、両手を合わせて頭を下げた。

経資も武者達も、資能の心の内は痛いほど分かっていた。かくしゃくと振舞う資能だったが、孫の資時が壱岐で討ち死にして以来、何処かに魂の一部を失ったような空ろさが漂っていた。少弐資能が急襲部隊を率いる知らせは、その夜の内に博多守備隊五万将兵の耳に達した。資時の弔い合戦に臨む老将の思いは、静かな闘魂となって全ての武者の心に深く刻まれた。


六月二九日、武者を乗せた天登舟五〇隻が、蒙古船団でひしめく壱岐の東側、瀬戸の浦の沖合に姿を現した。船縁に並べた鏑矢には、菜種油を滲みこませた硫黄が詰められ、通常の矢にも油を滲ませた布切れが巻きつけられていた。

蒙古軍は、圧倒的に機動性に優れた日本の小舟を恐れた。瀬戸の浦に停泊した蒙古船を鎖で繋ぎ、湾から一歩も出ることを禁じていた。天登舟が湾内に侵入し、挑発行動を繰り返しても、蒙古船団は、貝のように口を閉じて動かなかった。

翌日、瀬戸の浦の反対側、島の西側、郷ノ浦から上陸した資能以下二千人の別働部隊が、蒙古船団を見渡せる尾根に到達した。


「ここから、浦までは如何に進めばよい」


資能は、穴に隠れていた島民に問いただした。生き残った島民の数、僅かに三十二名。

老父二名、あとは女と子供ばかりだった。


「へえ、・・ここから、山道が二町ばかり続いております。・・さすれば、ほれ、あの大岩の裏に出やす。大岩から蒙古本陣の寺までは目と鼻の先・・」


資能が見下ろすと、眼下に大岩、その陰に寺の屋根の一部が見えていた。

その先に目を遣ると、瀬戸の浦にあった民家は焼き払われ、岸壁沿いには無数の蒙古テントが張られていた。さらに、湾の向こう側、山の中腹には資時が陣を張っていた船匿城の石垣が見えていた。石垣の上の城郭は焼け落ち、所々に炭になった柱が残っていた。

(資時・・直ぐにまいるぞ・・)

資能は心の中で一人呟いた。


「のろしを上げよ!」


壱岐島の頂上、岳ノ辻から白い煙が上がると、沖に停泊していた日本の天登舟が、一斉に瀬戸の浦に向かって進み始めた。


「お前たちの仇は、わし等が討つ。・・我等が戦ぶり、後世に伝えよ・・」


生き残った島民に言い置いて、資能以下二千人の特攻隊は山道を下り始めた。武者は太刀一振り、郎党は全員薙刀を担ぎ、弓矢は捨てていた。死を覚悟の切り込み部隊だ。

 

午後三時。十隻の天登舟が先陣を切って蒙古船団に近づいた。距離が縮まると、蒙古船から猛烈な弓矢の攻撃が始まった。蒙古船の怒弓から放たれた特大の矢は、天登舟に並べられた盾を打ち抜き武者の胸まで貫いた。投石機からは人の頭ほどの石が一斉に発射され、日本船団の間で水しぶきをあげた。大石の直撃を食らった日本の小型船は、船底を打ち抜かれ、瞬く間に海中に引き込まれていった。

蒙古船に突き進む天登舟の帆は、風を受け張り裂けんばかりにふくらみ、櫓を漕ぐ水夫の腕の筋肉は膨れ上がった。見る見る彼我の距離は狭まり、弓を構える蒙古兵の顔が見える所までに近づいた。一斉に、立ち上がった武者は火矢を蒙古の軍船に向かって放ったが、同時に複数の矢を受けて船底に倒れこんだ。


「ドーン」


激しい衝撃が、天登舟を貫いた。天登舟の鋭い舳先が蒙古船の船板を突き破り、矢じりのように巨船の横腹に食い込んでいた。先端に鉤の付いた縄梯子が、蒙古船の船べりを噛む音と同時に、武者共が縄梯子に群がった。一番駆けの武者は、船縁に両手をかけた勢いのまま敵船に転がり込み、太刀を抜き放った。


「・死ねやー!・・」


自らに向かって叫びながら武者は突進した。最初の矢が左肩を貫き、次の矢は二の腕の内側を切り裂いたが、構わず蒙古兵の中に切り込んだ。蒙古兵は肉弾戦を挑んでくる武者を恐れ、逃げては、矢を放ち、矢を放っては逃げた。十本の矢を受けても、その武者は怯まず、二人の蒙古兵を船べりに追い詰めた。


「思い知れ・・」


武者が上段から太刀を振りおろすと、兜ながら頭を割られた蒙古兵は膝から崩れ落ちた。もう一人の蒙古兵には、鋭い突きをくれてやった。太刀は蒙古兵の胸板を貫き、船べりに突き刺っていたが、太刀の柄を握りしめたまま武者の息は絶えていた。

天登舟に分乗した武者達は、後から後から、縁を乗り越えたが、蒙古船の甲板の上にはハリネズミにされた武者の死体が折り重なった。


資能を先頭とした千人余りの武者が、大岩を回って蒙古軍の背後から迫っていた。


「焼け、焼け、敵の本陣を焼き払え」


先頭に立った八十四歳の資能の戦働きは凄まじかった。薙刀を振りかざし、本陣の境内に走りこむや、瞬く間に、資能は二人の敵を切り伏せていた。


「首に構うな・・首に構うな」


倒した敵の首を掻こうとする武者に資能は怒鳴り散らした。

蒙古軍の本陣である寺の境内で、凄まじい肉弾戦が始まった。蒙古の近衛兵五百と資能の急襲部隊千が激突した。体制を立て直した近衛兵は、さすがに寄せ集めの高麗兵とは違った。剣を抜き、果敢に武者に斬ってかかった。生粋の蒙古兵は小柄だったが、動きが素早やかった。武者の太刀をかわしながら、勇敢にも懐に飛び込んできた。組討になると腕力に優れた蒙古兵も負けてはおらず、見上げる程の日本武者と互角に渡りあった。武者と蒙古兵は組んだまま上になり下になりして死闘を繰り広げた。


「大将が逃げるぞ!」


炎上する寺の中から、小さな蒙古馬に乗った洪茶丘が走り出た。


「おのれ、逃がすか」


資能は、太刀を抜き放ったが、無念、目の前を、洪茶丘を乗せた馬が駆け抜けていった。資能は、ままよと、太刀を洪茶丘の背中めがけて投げつけた。ギラリと夕日を撥ねた資能の太刀は、洪茶丘の腰辺りを貫いたが、落馬することも、馬が足を緩める事も無かった。背中に太刀を突き立てたまま小さくなってゆく洪茶丘の後姿を資能は呆然と見送っていた。

ふと気が付くと、資能の胸に何やら光るものが見えた。光る物は、背中から胸まで貫いた蒙古のヤジリだった。資能は、痛みも苦痛も全く感じなかった。資能が振り返ると、三人の蒙古兵が弓を構えているのが目に入った。同時に、三本の矢が胸板を貫いて、資能は朽木のように仰向けに倒れた。大の字になった資能の目に、夏の西日を受けて輝く白い雲が映っていた。


「静かで、なんと澄んだ空よ・・資時、わしも参るぞ・・」


そこで、資能の意識は途切れ終に目覚める事は無かった。

翌、弘安四年七月一日、資能は静かに息を引き取った。少弐資能八十四歳、凄まじい武者としての生きざまだった。資能の墓は、大宰府近郊の観世音寺に残っているが、一部は分骨して壱岐の竜ヶ崎に納められたと伝えられる。壱岐の竜ヶ崎、瀬戸の浦を見下ろす少弐公園には、十九歳で散った資時の墓が今も静かに海原を見下ろしている。


寺の境内での肉弾戦を勝ち抜いた武者達は、最後には蒙古軍を陸から海へ追い落とした。海と陸の両面から攻められた東征軍は、瀬戸の浦の海上で完全に孤立した。その後、博多から壱岐に向かう武者は後を絶たず、資能が旅立った翌日には、瀬戸の浦を囲む日本軍は一万に膨れ上がった。

七月三日、東征軍は瀬戸の浦を脱出、朝鮮に帰ったが、江南軍がすぐ近くの伊万里に投錨している事を知らなかった。壱岐から伊万里まで僅か二〇㎞、壱岐の岳ノ辻に登れば、江南軍の大船団が見えていた。水軍に制海権を奪われ、武者団に上陸を阻まれた東征軍は、江南軍の到着を知ることも無く命からがら朝鮮に逃げ戻った。

江南軍は、東征軍が壱岐から逃げ出す僅か一週間前、四千隻の艦船に十万の兵を乗せて平戸に入港した。ここでも、山間部に身を潜めた武者団は岩陰から矢を射かけ、江南軍の上陸を許さなかった。

平戸は、玄海灘と東シナ海をつなぐ細い水道に位置しており、潮の流れは刻々と複雑に変化する。潮の流れを熟知した天登舟は、平戸水道では狼どころか大空を舞う鷲だった。潮に乗った天登舟が目の前まで漕ぎ寄せても、江南軍船は盾の隙間から矢を放つのが精一杯。漕ぎ手に鞭して追いかけても、天登舟は潮目を読んで風の様に水面を滑り遠くから嘲笑った。結局、江南軍は平戸上陸を諦め、飲み水を求めて伊万里湾の鷹島近辺に移動することになった。この十万を超える江南軍に関して、大規模な戦闘の記録も日本人に対する残虐行為の言い伝えも残っておらず、残虐を極めた東征軍とは随分様子が違っている。 

一か月後の弘安四年七月二七日、鷹島の江南軍四千隻に、体制を整えた東征軍九百隻が合流した。ようやく、艦船四千九百隻、兵力十四万の日本征伐軍が完成したが、東征軍が朝鮮半島の合浦を出港して、実に三ヶ月近い時が流れていた。

そして、二日後、運命の弘安四年七月二九日(現在の八月二〇日)の夜を迎える。その日は、朝から小雨が降り始めたが、昼前にはその雨も止んで夏の日差しが降り注いだ。日差しと共に、猛烈な湿気を含んだ、うだるような暑さが蒙古軍を包み、兵士は鎧を脱ぎ、文官は礼服の前をはだけて涼をとった。

午後になると海風が吹き渡り、蒙古軍は一時の清涼を喜んだが、その心地よい海風が台風の予兆だとは気が付かなかった。日が西に傾く頃になると、真っ青な空に茜色に染まった雲が浮かび始めた。時と共に、西の空を流れる雲足は速くなり、鷹島を覆った木々の小枝が不気味にざわめき始めていた。日が落ちると、風はますます強くなり、蒙古の大型軍船も、大きくうねる波間で右に左に揺れ始めた。

やがて、海上を吹き抜ける突風の不気味な唸り声と共に、激しい飛沫と波が蒙古の大船の甲板を洗い、叩き付けるような大粒の雨が帳となって、蒙古船団を覆い尽くした。夜半過ぎ、逆巻く波は一口で大船を飲み込み、駆け抜ける風は、一吹きで帆柱を折り砕いた。二〇時間にも及ぶ大嵐は、船の残骸に縋る蒙古兵を海に引きずり込み、海面を漂う船の残骸さえ沖の彼方に運び去った。台風の去った伊万里湾には、人の姿はおろか、小さな小船の影さえ見ることが出来なかった。

東征軍は、いち早く台風の接近に気が付き伊万里湾を離れたが、大半の軍船は海に飲まれ、再び母国の土を踏んだ高麗人は僅かだった。伊万里湾で嵐をやり過ごそうとした十万人の江南軍は、ほぼ全滅。鷹島に置き去りにされた蒙古軍は、鷹島の北端まで追い詰められ命を落とした。投降した蒙古兵も結局は首を跳ねられたが、断首にあったのは、蒙古人と高麗人に限られ、宋人は殆どが命を救われた。生き延びた宋人は博多や長崎に永住し、博多唐人町や長崎の中国人街の起源となった。

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