九十八話 白髪の少女
「かつて、とあるギャンブラーは言った」
それは、ガネーシャの言葉。
抑揚のあまり感じられない平然とした様子で語られる。
「人生には、驚きが必要なのだと」
「ふむ」
俺はその言葉に耳を傾けた。
「山も谷もない人生の何が楽しいのだ。予測の出来ない未来だからこそ、そこに価値がある。予測し得る出来事しか存在しない未来では、身体より先に心が死んでしまうのだと」
「ほお」
珍しく、オーネストまでもがその言葉に耳を傾けていた。
「私はその言葉に感銘を受けた。破滅か、否か。脳汁がドバドバでるあの感覚を味わってしまった今、これまで通りの生活など考えられない。ちまちま頑張るなんて事はもう出来ない身体になってしまった。だから私も、そのギャンブラーのようになろうと思った。彼のような生き方をしようと決めた。そんな時だった。私は、〝運命神の金輪〟に出会った。これはもう運命と言って良かった」
「諸悪の元凶。不幸の始まりね。というか、高尚な事を言っているような雰囲気出してる割に、碌でなしな発言しかしてない事に気付いてるのかしら」
段々と感情がこもってゆくガネーシャの言葉に、クラシアがひどく冷めた言葉で反応する。
しかし、そんな彼女の言葉に気にした様子もなく、ガネーシャは言葉を続けた。
「ああ、もうこれは理屈じゃないんだ。私の生き様と言ってもいい。……分かってるんだ。そんな生き方は良くないって。だけど、だけどな、私の中の私が言うんだよ! この賭けに勝てば、楽が出来ると!! さっきのは偶々だ。次は勝てる。確率的にはそろそろ勝てる。寧ろ、ここでやめるとかあり得ない。勿体ない。これまでの不幸が報われない。不幸で終わりだなんてふざけるな! とな!!」
「……うん。話はよく分かったよ、ガネーシャさん」
「流石はヨルハ・アイゼンツ。話が分かるやつで良かっ────」
「ガネーシャさんに弁解の余地がないって事が、よーーーーーく分かったよ!!! ああああ!! もう!!! なんでこうなるかなぁぁぁあ!!!」
絶賛逃走中。
次こそは。
次こそはと俺達が没収出来ていない事を良いことに、立て続けに〝運命神の金輪〟を使用してはハズレを引き続けていたガネーシャに、流石のヨルハも堪忍袋の尾が切れたのか。
ヤケクソに叫び散らしながら足を忙しなく動かし、迫る魔物の大群から逃走していた。
「……弁解をさせてくれっていうからどんな言い訳が出てくるのかと思ったら」
「だから聞くだけ時間の無駄ってオレさまが言ってやったじゃねえか」
止むに止まれぬ事情があるのだとガネーシャが言うから耳を傾けてみればこの始末である。
オーネストの言う通り、魔物の群れから逃げるべく並走しながら、限られた余裕を削ってまで聞くべき話ではなかった。
「つうか、どーなってんだあの〝古代遺物〟は……! 〝ラビリンス〟でもないのに急に転移陣に巻き込まれたと思ったら、モンスターハウスに飛ばされるってどう考えてもおかしいだろ……!!」
フィーゼルにて攻略をしたダンジョン〝ラビリンス〟。
そこかしこに転移陣を張り巡らされたその厄介極まりないダンジョンを彷彿とさせる体験を経た俺は、その運の悪過ぎる現象に叫び散らした。
「……あれは不可能を可能にする傍迷惑〝古代遺物〟だから仕方ねえよ」
オーネストはもう既に諦め切っているようであった。
「傍迷惑とは失礼な。これほど素敵な〝古代遺物〟もあるまい。なにせ、運だぞ、運。冒険者に必要不可欠な運をこの〝古代遺物〟は授けてくれる」
「ついでに、冒険者に一番不要な悪運まで授けてくれるけれどね」
「……ふん、この程度は誤差だ」
「「全然誤差じゃねえ!!」」
クラシアのもっともな指摘に、鼻を鳴らして不満げな返事をするガネーシャに対して、俺とオーネストの言葉が見事に一致した。
言った本人も自覚があるのだろう。
あからさまに目を泳がせながらも否定するあたりが実に腹立たしい事この上なかった。
「つか、このままだと四十二階層に辿り着く前に日が暮れるどころか、力尽きんぞ!!」
体力がもたねえと叫び散らすオーネストの言葉には同意しかなかった。
「……そもそも、なんでわざわざ一階層から律儀に向かってるんだって話になるよな」
今更でしか無い呟きを俺は漏らす。
ギルドに立ち寄り、誰かしらからダンジョンの〝核石〟を譲って貰えば良かったのだ。
そうすれば、時間も大幅に短縮出来ただろうし、こうして魔物の大群に追い回される事もなかったかもしれない。
「……だって、ガネーシャさんが大船に乗ったつもりでいろなんて言ってたんだもん……!」
借金返済の為とはいえ、ガネーシャはメイヤードのダンジョンに幾度となく足を踏み入れている。
そう言われれば誰しもがある程度の階層の〝核石〟を持っていると思うだろう。
まさか、まさか。
金になるから売ったなどと、その時点で理解出来るわけもない。
「信じたあたし達がバカだった、という事ね」
大船どころか、沈みかけの泥舟でしかなかったらしい。
恐らく、ガネーシャにはガネーシャなりの考えがあるのだろう。
そう信じた結果が、この逃走劇である。
俺の中でガネーシャさんはロキ以上に信用ならない人として認識された瞬間であった。
「というか、身のこなしも人間業じゃないと思ったが、体力も化け物過ぎないか……?」
ヨルハの補助魔法があるとはいえ、かれこれ数十分と繰り広げられる逃走劇のせいで息を切らしていないのはオーネストとガネーシャの二人のみ。
しかも、俺とオーネストは魔物からの逃走に加えて、先程までガネーシャから〝運命神の金輪〟を取り上げるべく小競り合いをしていたので、彼女の疲労もヨルハ達の比ではない筈なのだが、疲れた様子は未だに見受けられない。
それどころか、我先にと先頭を走り続けている。
「……『運』任せ人間の癖して、あいつ普通に強いからな。アレクとの二人がかりならどうにかなると思ったんだが、考えが甘かったな。やっぱり魔法をぶっ放してやれば良かったんだ」
「一応、味方……なんだし、流石にそれはダメだろ」
少し言い詰まったのは仕方がないと思う。
本当に、味方か敵かの区別がつかなくなるくらい、場を掻き乱されているから。
「でも、このままじゃあオレさま達の体力が尽きるのが先だろうが」
「それは、そうなんだがな」
これ以上、被害が増えては四十二階層に向かうどころの話ではない。
ガネーシャには申し訳ないが、ここはひとつ、魔法で拘束を────。
「まぁ、待て。まぁ、待て」
流石にこれ以上、〝運命神の金輪〟を好き勝手使われるのはまずい。
そう捉え、最後の一線でもあった魔法の使用も止む無しかと考えた瞬間、これまで好き放題していたガネーシャが漸く反応らしい反応を見せた。
「さっきのは、その、なんだ。お茶目なジョークに決まってるだろ。まさか本当に、私がそんな理由でお前達を危険に晒すとでも?」
ガネーシャのその一言に、俺達は各々で思いの丈を視線に乗せて訴え掛ける。
「…………」
言葉にこそしなかったが、一貫して信頼皆無の責めるような視線だったからだろう。
背中から感じる眼差しを前に、流石のガネーシャも言い詰まっているようであった。
「た、確かに、〝運命神の金輪〟の使用そのものは私の趣味であるが、今回の場合はちゃんとこれに意味がある」
「意味?」
「前提として、私が本来存在する筈のない道を見つけたキッカケは、この〝運命神の金輪〟があったからこそだ。それと、私とてその道全てを把握してる訳ではない」
「……成る程。だから、『運』を使って無理矢理にその道を探り当てようとしてたって訳か。それなら一応、理屈は通ってるな」
「その通り。私も考えなしで使っていた訳ではないんだ」
「運」を授けてくれる〝古代遺物〟。
その「運」を用いて、存在しない筈の道を見つける。
かなり遠回りな方法のようにも思えるが、存在しない筈の道を見つけるならば一応、筋は通っている気もしなくもない。
だが、その場合気になる点が一つある。
「……でも、それならそうと言ってくれればいいと思わない? あたし達の反感を買ってまで黙ってる理由はないわよね」
「…………」
何気ないクラシアの疑問。
それは、俺が気になっていた部分と見事に合致しており、その言葉を耳にしたガネーシャといえば、「ぎくり」と言わんばかりに身体を一瞬だけ跳ねさせ、口を真一文字に引き結ぶ。
「こいつなんか隠してやがンな」
真っ当すぎる理由があるにも関わらず、それをあえて隠す理由。
素知らぬふりをする辺り、何かやましい事があるに違いない。
そう睨んだ瞬間であった。
ぽろり、と先頭を走るガネーシャのポケットから青白い光沢を帯びた鉱石の一欠片がこぼれ落ちる。
「…………」
魔物の大群に今も尚追われている事もあり、悠長に拾う真似こそしなかったが、俺達はあの鉱石に覚えがあった。
ある一定の条件を満たしたダンジョンにて極まれに取る事の出来る鉱石で、確か名前を
「〝魔晶石〟……?」
反射的に呟かれたヨルハの言葉が、答えであった。
〝魔晶石〟といえば、希少故に高額で取引される鉱石で────。
と、ここまで思考が及んだところで全てに合点がいった。
俺達の視線がガネーシャが背負ってきた鞄に向けられる。
心なし、ダンジョンに足を踏み入れた時よりも膨らんでいる気がした。
「……あいつ、俺達を体のいい護衛代わりに使ってやがったってわけか」
〝運命神の金輪〟の欠点部分を俺達に押し付け、自分は〝魔晶石〟をこそこそと集めていた、と。
「し、失礼な!! 私がそんな事をする人でなしだと思うのか!?」
「なら、その鞄の中身を今見せるのが筋よね」
「…………」
言い訳を口にするガネーシャだったが、もっとも過ぎるクラシアの指摘にまたしても黙り込んだ。
場に降りる沈黙。
しかしその沈黙が長く続く事はなく、そして言い包める事は不可能と悟ったのか、己の身の潔白を証明するより先に脱兎の如く更にスピードを上げてガネーシャは駆け出した。
「あンのヤロっ!! あの鞄を狙うぞ!! 四人で〝賭け狂い〟のやつを捕まえ────ッ」
即座に反応し、遠ざかる背中を追うオーネストだったが、その言葉は中断される。
ガネーシャの行く先は道のある場所、ではなく行き止まりであった。
しかも、その先は道のない崖。
他にも逃げ場があるにもかかわらず、どうしてかあえてガネーシャはそこへと直進する。
遥か下方に見通せぬ闇が果てしなく広がる場所であった。
だが、ガネーシャはそれに構う事なく、走る速度を落とす気配がない。
正気を疑うその行動であったが、彼女の足を止めるには既に時間が圧倒的に足りない。
言葉で制止するにしても、恐らく無理だろう。
自殺願望でもあるのか。
はたまた、そこまでして〝魔晶石〟を手放したくなかったのか。
それとも、その自殺志願者にしか見えない行動に、勝算があったのか。
「す、少し予定とは違うが、もう十分だろう!! 今日の運勢の確認は済んだ!! 今日のツキなら、これが正解だ!! 私の勘がそう言っている!!」
そう言って、ガネーシャは宙に向かって身を躍らせた。
その姿は正しく、己の命さえもを「運」に任せてベットする────〝賭け狂い〟。
発言の様子からして、そこに確固たる「安全」は用意されていなかったはずだ。
にもかかわらず、その先にこそ正しい道があると言わんばかりに危険極まりない綱渡りを笑みを浮かべて敢行する。
本当に、正気を疑いたくなった。
「……ど、どうする?」
「どうするもこうするも、選択肢はこれしかないだろ」
不安な表情で窺うヨルハは、ガネーシャの後を追いたくないと切実に訴えていた。
だが、恐らくこの狂行が本来存在しない場所へ踏み込む為の必要行為なのだろう。
だから、ガネーシャの後を追う理由があった上に、見捨てる訳にもいかなかった。
故に、こちらに残された選択肢も一つしかない。
「まった、く、とんだハズレくじを引いちまったもんだなあ!? まじで今日はツイてねえ!!」
「……やっぱり、そうなるわよねえ……ッ」
「ボク高いところ苦手なのに……!!!」
ガネーシャに倣うように、俺達も走るスピードを最後まで緩める事なく、そのまま不安を煽る闇の中へと身を投げ出した。
「これで違ったら本気で恨むぞ、ガネーシャさんッ!!!」
そんな俺達の行動が面白おかしかったのか。
どこか笑い声を含んだ声で響き渡った「〝運命神の金輪〟!!!」という言葉を耳にしながら、落下した。
* * * *
「もう既に理解していると思うが、私は自分の勘や気分を百パーセント信頼している。今日は四十二階層に直接向かうより、何となく一階層から向かった方がいい気がしたんだ」
「……どんな気分なんだよ、それ」
俺は理解に苦しむガネーシャの発言に、溜息を漏らした。
「特に、ロキの苦しむ顔を見た時は私の勘はかなりの高確率で的中する」
「無茶苦茶過ぎる理論だね、それ……」
「だが、当たるものは仕方があるまい。とはいえ、そのせいでロキからは毛嫌いされるようになったがな。ロキの不幸をひたすらに祈っていたのがバレたのがいけなかったらしい」
あいつは人間が小さいんだ。と、自分の事を盛大に棚に上げながら呆れるヨルハに語るガネーシャが、今度はため息を漏らしていた。
「にしても、随分と無茶な真似をするわね。ここが何処かは分からないけれど、相当落下したでしょうねこれ……」
落下後の備えに全神経を集中させていた事もあり、落下時間は殆ど覚えていないが、クラシアの言う通り、相当長い時間落下していた筈だ。
上を見上げても、勿論、落ちてきた場所など見えるはずも無い。
「だが、死ななかっただろう? 今日の私は特にツイてるからな。お陰でこの通り、大幅なショートカットが出来た」
「……というと、じゃあ、この奇妙な場所が」
「ああ。あの地図にあった、本来存在しない空間の一つだな」
俺があえて奇妙と形容したように、そこは異質な場所だった。
まるで、深い霧に包まれた森の中に放り出されたかのように、周囲は紫煙に包まれている。
常ならざる気で淀んだ異空間のような場所であった。
……否、ここは恐らく、真に異空間なのだろう。少なくとも、
「……ここがダンジョン、とは俄には信じ難いな」
俺はどちらかと言えば、この場所はダンジョンの一部というより〝古代魔法〟によって構築された空間に近い気がした。
「私も信じられんさ。だが、目の前に映るこの光景こそがまごう事なき真実だ」
幾ら信じられなかろうと、実際にあるのだからこれは否定しようのない事実であるとガネーシャは言う。
「本来は行き止まりの筈の壁の先。崖の下。このダンジョンには、存在しない筈の場所にこうして空間が存在している。まるで、誰かの隠し通路のようにな。だが、それらは何処からでも入れる訳ではない。偶々、あの階層での入り口はあの崖だったと言うだけの話だ。まぁ、賭けではあったがな」
「……可能性として、大外れだった場合、あたし達までも死ぬ危険性があったと考えると眩暈がしてくるわね」
ガネーシャの最後の言葉のなんと、不安を煽る事だろうか。
少なくとも俺は二度とガネーシャとはダンジョンには入らない。人知れずそう誓った。
「流石の私も、既知ではない場所の案内は出来ない。だからここは手分けして────」
────この空間について調べよう。
恐らくそう言おうとしていたであろうガネーシャであったが、その言葉は最後まで紡がれる事なく、強制的に遮られた。
勿論、予期せぬアクシデントではなく、青筋を浮かべるオーネストによって、である。
「なんか、良い感じに纏めようとしてるみてえだが、こいつを有耶無耶に出来ると思ったら大間違いだぜ、〝賭け狂い〟」
むんず、とガネーシャが背負う鞄が掴まれる。
「よくもオレさま達を雨よけ代わりに使ってくれやがったよなぁ!? ええ!?」
「……な、何の事かさっぱりだな」
どさくさに紛れて有耶無耶にしようとしていたのだろう。彼女の声はとてもじゃないが平静とは程遠いものだった。
「邪魔だった魔物もいなくなった事だ。取り敢えず、二、三発殴らせろ」
頬を痙攣させながら、握り拳を見せつけるオーネストの背後には、般若の姿が見えたような。そんな気がした。
だが、往生際の悪いガネーシャは視線を泳がせ恐る恐る口を開く。
「ぼ、暴力は良くないと思うぞ」
「物事の根本的な解決は痛い目を見る他ねえって、うちの担任教師から散々痛い目に遭わされながら覚えさせられな。つーわけで、その言い訳は聞けねえなあ?」
我らが担任教師、ローザ・アルハティア。
今思えば、とんでもない教えだなと思わずにはいられない。
「い、一割! いや、二割!! お前にも分けると約束しよう!!」
傍から見ても金銭にがめついガネーシャが、出来る限りの譲歩を見せるも、こんな時であってもやはりセコかった。
「……せめてそこは全部だろうが」
オーネストも似たり寄ったりの感想を抱いていたのだろう。
呆れの感情を表情に浮かべながら、小憎たらしい様子で必死の抵抗を試みるガネーシャに拳を振り下ろそうとして、
「ガネーシャさん」
落下してから、ずっと無言を貫いていたヨルハがガネーシャの名前を呼んだ事で、すんでのところでオーネストの拳が止まった。
「ここって、ダンジョンなんですよね?」
確認するように問い掛けるヨルハの声は、何故か信じ難いものを目にした時のように、震えていた。
「……あ、ああ。ここはあくまでも、ダンジョンに繋がっている空間だ。だから、ここも含めてダンジョンという表現が正しいだろうな。ここがダンジョンの外に直接繋がっている可能性は、ほぼ皆無だろう。あくまでここは、ダンジョンの延長線上にあるものでしかない」
「です、よね。でもじゃあどうして────こんなところに、女の子が倒れてるんだろう」
ヨルハのその言葉に、俺達の視線は一斉に彼女へと向かった。
そこには、確かに女の子が倒れていた。
見た感じ、十にも満たないであろう白髪の少女。
間違っても、冒険者とは思えない。
ダンジョンに足を踏み入れ、迷ったとも考えられない年齢の少女だった。