九十六話 「メア」
「────ダンジョンだ」
その地図を一目見た親父がそう口にする。
「このメイヤードにあるダンジョン。恐らくこれは、その四十二階層の地図だ」
「……なんで親父がそんなことを知って」
「ちょいと調べ物があってよ、ダンジョンに潜ってたんだ。あぁ、アレクには言ってなかったが、これでも一応冒険者もやってた事があんだよ。だから、心配はいらねえからな」
母さんが冒険者だった事はもう既に分かっていたけど、親父までも冒険者をやっていたのは初耳だった。
そんな事より、どうしてメイヤードのダンジョンに散々潜っていたのだろうか。
「ヨハネス」
最中、俺の疑問を遮るようにカルラが親父の名を呼んだ。
「何故、恐らくと言った?」
どうにも、親父の物言いに引っかかったらしい。だけど、ダンジョンの地図だ。
事細かに一つ一つ覚えている訳もないだろうに、「恐らく」と言うのが普通じゃないだろうか。
「途中まではおれの知ってる四十二階層の地図だ。だがこれは、途中からまるで違う」
「……じゃあ、親父の知らない別のダンジョンなんじゃないか?」
「その可能性を否定し切れないから、おれは『恐らく』っつったんだ」
「というか、学院長もよくそんな言葉一つに引っかかれたわね」
付き合いの長さのなせる技か。
僅かな違和感にも瞬時に気付くカルラに、クラシアは感嘆していた。
「妾は散々思い知らされたが故、知っておるが、そやつの記憶力は異常よ」
「……異常って言う事はねえだろ」
「少なくとも、ダンジョン七十階層分の図面をものの数分で事細かに僅かな誤差もなく記憶出来る異常者を妾はお主を除いて一人として知らん」
確かに、カルラの言う事が真実であるならばそれはかなり人離れしていると思う。
それによくよく思い出してもみれば、あまり気にしていなかったが、親父の記憶力は色々とおかしかったような気もする。
「……でも、仮にそれが四十二階層の地図だったとして、じゃあなんで途中からその地図が違うんだ?」
「考えられる可能性は三つよな」
カルラは分かりやすいように指を三本立てて見せる。
「一つは、そやつが単に勘違いをしておるだけの場合。要するに、ヨハネスがボケておった場合よな」
「んな訳あるか。まだボケる年齢じゃねえよ」
ただ単に親父が地図を見間違え、勘違いしていたという可能性。
親父が冷めた視線をカルラに送っていたが、その可能性は否定し切れない。
「次に、アレク・ユグレットの言うように、これが四十二階層に似た別のダンジョンの地図である場合」
親父の言葉が真実であった場合、こちらの可能性が一番高い。
なにせ、ダンジョンの構造は変化する事はまずないのだ。それこそ、何らかの異常事態にでも見舞われない限り。
だから正直、こちらの可能性が一番高い。
「そして最後、ヨハネスの言葉が真、正しかった場合」
「というと?」
「この地図が、ヨハネスの言う通り四十二階層のものである可能性は捨て切れんという訳だ」
「……待ってください、学院長。それじゃあ、四十二階層の地図が二つ存在するって事ですか? 同じ場所に? 違う構造のダンジョンが?」
土台無理な話に思えた。
「ああ、そうよ。普通であれば、あり得ん話よ。であるがな、メイヤードにいる筈のヴァネサ・アンネローゼが、メイヤードにまるで関係のない地図をこのタイミングで送ってくると思うか? 少なくとも、妾はあり得ぬと思う」
カルラの言い分はもっともだ。
だが、やはり納得は難しい。
その場合、同じ場所に違う構造のダンジョンが二つ存在するという矛盾が生まれるからだ。
疑問に苛まれる中、俺達の話を途中からながら聞いていたのか、
「少しその地図、わたしにも見せてみろ」
「ガネーシャさん?」
ずぃっ、と首を伸ばし会話に割り込んできたのはガネーシャだった。
ロキの事はもう興味を失ったのか、未だに辛さでのたうち回る彼を無視してこちらに意識を向けていた。
「ヨハネスといったか。確かに、貴方の言う通りこれは四十二階層の地図と途中まで酷似しているな。借金の返済の為に赴いた事があるが、寸分違わずこの地図と同じ構造だった」
理由は兎も角、二人も同じ意見の人間がいるならば信じざるを得ないだろう。
「……じゃあ、この地図は」
「だが、そう決めつけるのは些か早計に過ぎる」
四十二階層に似た別のダンジョン────そう決めつけようとした時、ガネーシャがそれに待ったをかけた。
自信に満ち満ちたその表情からは、何か確信めいたものを彼女が抱いているように見える。
「ここからは他言無用で頼みたいんだが、メイヤードのダンジョンには少し面白い話があってだな」
口角を吊り上げ、ガネーシャは悪人さながらの笑みを浮かべる。
「あれは確か……わたしがチェスターからの借金の取り立てから逃げようとした時の事だ」
「……何やってるんだ、あんた」
「人の話は最後まで聞け。アレク・ユグレット。それでだな、ダンジョンの入り口には見張りがいて、どうやってもダンジョンから出たら見つかってしまう状況にあった。そこでだ。わたしは考えた。一つしかない出入り口を使わずにダンジョンから抜け出すことが出来たなら。出入り口を新たにもう一つ作れば────わたしはあの地獄のような借金の取り立てから逃げられるのではないか、と」
「……まさか、ガネーシャさんはそれを実現」
「いや、出来なかった」
「出来なかったのかよ!」
やけに神妙な面持ちをしていたのものだから、てっきり出来たのかと思ったが、違ったらしい。
「ヒビ程度ならどうにかなったが、やはりダンジョンの壁や床を壊す事は出来なかった」
不意に思い起こされる、〝核石〟を食っていた闇ギルドの男の姿。
彼は確か、ダンジョンの力を体内に取り込む事で、本来であれば不可能な筈の床の破壊を敢行していた。
しかし、普通の思考回路を持つ人間であれば、そんな考えには至らない。
だから、破壊は無理────その結論こそが本来は正しいものである。
「だが、わたしは諦められなかった。かの暴虐な借金取りから必ず逃げてみせる。そう誓っていたわたしはどうしても諦めきれなかった」
「なぁ。この話は聞く意味があるのか?」
「親子揃って話を遮るな。案ずるな、本題はここからだからな。ダンジョンの破壊が不可能と悟ったわたしは、次は誰にも知られていない抜け道を探す事に決めた。そして偶然にも往生際の悪いわたしは見つけてしまった。本来の地図には記載のない、ある筈のない道をな」
「……ある筈のない道、だと?」
片眉をぴくりと跳ねさせるカルラの問いに、ガネーシャが滔々と答える。
「そう。行き止まりである筈の場所が、行き止まりでなかった。見た目は行き止まりであったが、その先に確かな道があった」
「幻術、という訳か?」
傍から聞いている分には的確な答えがやって来たにもかかわらず、ガネーシャは首を横に振った。
「幻術ならばわたしも気付く。だが、あれは幻術ではなかった。厳密に言えばあれは幻だ。しかし、その完成度が幻術の比ではなかった。少なくとも、やけくそになって壁に突撃をしていなければ一生気付く事はなかっただろう」
「……さっきからあんたは何やってんだ」
「それだけ逃げ出したかったという訳だ」
だったら借金を作るなよと思ったが、もうガネーシャには何を言っても無駄だろう。
諦め切っていた俺は、その言葉を人知れず飲み込んだ。
「だが、それからわたしはメイヤードのダンジョンに存在する、本来ある筈のない道を探した。その結果、特定の階層にのみ、本来の地図とダンジョンの構造が違う事が判明したという訳だ。そして、四十二階層はわたしの記憶に間違いがなければその特定に該当する階層だ」
「……ダンジョンの構造が変化したとでもいうつもりか?」
「さあ。わたしが知っている事はそういう場所がある事と、それらが抜け道になってはいなかったという二つの事実だけだ」
普通、そんな発見をしたならばもっと考察なり、色々と考えを巡らせるところなのだろうが、ガネーシャとしては抜け道でなかった時点で瑣末な事として処理してしまったのだろう。
だが、本当にそれがあり得るのだろうか。
幻術ではない幻。
本来存在する筈のない道。
しかし、親父とガネーシャの言葉からしてそれがただの勘違いという線も薄い。
どうしたものかと考えを巡らせる俺達であったが、
「だったら話は早え。なら、実際に四十二階層に行きゃいいだけの話だろ」
「……どこから話を聞いてたんだよ、オーネスト」
「地図がうんたらの辺りからだな」
ガネーシャに続き、オーネストが会話に交ざってくる。
どうにも、ロキに〝ハバネロ丼〟を食べさせるだけ食べさせて満足したらしい。
被害者のロキはぐったりと机に突っ伏しており、ピクリとも動かない。
これは後で生存確認が必要だろうか。
「いや、流石にダンジョンならおれが」
「待て待て待て。一度は興味を失った事とはいえ、わたしが善意で情報を提供したと思うかい?」
「……ガネーシャさん?」
そう言って、親父がオーネストの発言に意を唱えようとするも、不気味に笑うガネーシャが言葉を遮った。
「今回の一件に、興味がある。ダンジョンにはわたしがついていく。ダンジョンを知る人間は一人いれば十分な筈だ。それに、別件があるのだろう?」
確か親父は、別の用事があるとかなんとか言っていた気がする。
「だが、な」
「ヨハネス。そういう事ならば、引き続きお主はアヤツを探した方が良かろうて」
「……〝魔女〟」
「お主の本来の用事はダンジョンの謎の解明でも、ヴァネサ・アンネローゼの捜索でもない。そうではなかったか?」
「……っ、たく、ああ、分かった。分かったよ。任せりゃいいんだろ、任せりゃ」
親父が折れる。
ひたすらに用事について明言しないあたり、何の用事なのかは言う気がないのだろう。
兎も角、
「なら、ダンジョンの攻略はこの五人で決まりという訳だな」
「……五人?」
カルラと親父を抜いて考えても、この場には六人いる。一人死にかけてはいるが、間違いなく六人だ。どうしてか知らないが、誰か一人、はぶられていた。
「ロキは別だよ。あの手紙にあったチェスターのカジノのマーク。ただのフェイクと判断するには早計だろう? あれを調べさせる人間も、一人はいた方がいい」
「……だから、五人って訳か」
確かに、その役目は顔見知りであるロキ一人の方がなにかと都合が良いかもしれない。
問題らしい問題は、その本人が今まさに瀕死の状態で何も聞いていないという事くらいだろうか。
「五人パーティーは些かバランスが悪いが、まあなんだ。わたしの事は案内役か何かと考えてくれればいい」
意気揚々とガネーシャが立ち上がる。
「さぁてと! 金目のものもとい、お宝もとい、ギャンブル資金を見つけに行こうか!!」
「……あぁ、やっぱりそういう事なのね」
どうしてガネーシャがやる気を見せているのか。薄々、その理由を察していたクラシアが、その予想通りの結果に見舞われた事で呆れの表情を浮かべた。
* * * *
太陽の光のない、薄暗い場所。
見通せぬ闇が周囲に広がる奇妙な場所だった。
かつん、かつん、と音が立つ。
それは、誰かの足音だった。
「随分と手酷くやられたようじゃないか。なあ? テオドール?」
陰に隠れていたシルエットが姿をさらす。
マジシャンめいた格好の男、ロンであった。
その目の前には、見るも痛々しいまでに手傷を負った眼帯の少年────テオドールがいた。
「いやあ、やっぱり『天才』は、敵に回すより上手く使ってこそって身に染みて分からされたよ」
戯けたようにテオドールは笑う。
「だけど、リク君とぼくの目的は同じようでいて、違う。だから、ああするしかなかった。早いか遅いかの違いって奴だね。あはははは!」
お互いに「神」を殺したいという大元にある願望は同じだった。
しかし、そこに辿り着くための手段や、思想に食い違いがあった。
少なくとも、たった一人であれ守りたい人間が存在するリクと、そうでないテオドールが衝突するのはどの道、どれだけ取り繕って騙くらかしたところで時間の問題であった。
だから、こうするしかなかったのだとテオドールは腹を揺すって笑う。
身体に巻かれる赤色に染まった包帯の惨状の割に、普段通りの様子で振る舞うテオドールからは、余裕めいたものが感じられる。
────本当にそれは、傷を負っているのか。
────それも含めて、計画の内なのではないか。
一応は味方の立場のロンであっても、その真偽は見抜けないし、テオドールは包帯を解いてその誤解を解く事をしないだろう。
…………相変わらず得体の知れない奴。
そんな感想を飲み込んで、ロンは冷めた目でテオドールを見詰め返した。
「……だが、〝賢者の石〟の最後のピースがこんなものだったとは」
「だから散々言ってたじゃん。ぼくは、嘘を吐かないって。君の働きに見合っただけの見返りをぼくはちゃんと用意するってね。君らを切り捨てた、どこぞの国とは違ってさ」
ロンは妖しく輝く鉱石を転がす。
それは、〝夜のない街〟レッドローグにて〝神降ろし〟を敢行したリクという世紀の『天才』によって生み出された〝人造ダンジョンコア〟であった。
しかし、手に入れる為に相応の代償をテオドールは払わされた。
身体の傷は、そのうちの一つであった。
「これまでぼくらが完成させてきた〝賢者の石〟には、致命的に足りないものがあった。それは、死人さえもを生き返らせるという強大な力を持つ〝賢者の石〟に見合っただけのエネルギー。これはぼくの勝手な予想だけれど、二百年前に存在した『天才』ワイズマンでさえも、完成させた〝賢者の石〟は恐らく不完全なものだったんじゃないかな」
本来であれば、誰もが語彙の限りを尽くして賛美し、禁忌であっても称えられて然るべき技術。しかし、実際のワイズマンは『狂人』のレッテルを貼られ、歴史の中に消された。
それは。
そうなった理由は、彼が完成させた〝賢者の石〟が不完全なものだったからではないか。
だから、それによって生じた不利益のせいで彼は悪人として歴史に名を遺したのではないだろうか。
「故に、彼の存在は禁忌となった。故に、アンネローゼの一族が彼を始末し、今に至るまで〝賢者の石〟という存在は徹底的に秘匿されていた。そう考えれば、辻褄が合う気がしない? ロンくん」
〝怠惰〟の名を冠する〝闇ギルド〟の名持ち、ロン。
彼が〝闇ギルド〟という組織に属し、こうしてテオドールと共に行動している理由は、ロンの望みを叶えられる可能性が〝闇ギルド〟にいた方が高いと判断したから。
かつて窮地に陥ったロンに、手を差し伸べ、道を示したのがテオドールであったから。
「きっと、もうすぐだ。もうすぐ、君の悪夢も終わる筈だよ」
「……悪夢、か。また、言い得て妙な言い回しをするのだね、キミは」
「でしょでしょ。言ったぼく自身も、これ以上なく君にぴったりな言葉だと思ったよ。この世界においてただ唯一の夢魔法使い、ロン・ウェイゼンくんにはさ」
とある王国にて、既に二十年以上前に故人となった筈の元騎士。
ロン・ウェイゼンの名を、面白おかしそうに口にしながらテオドールは値踏みするような視線を向けた。
「懐かしいね。あれからもう、二十年か。君達親子が国から見捨てられ、殺されたのは」
かつて、「メア」と名付けられた少女がいた。だが、少女は奇病を患っていた。
先天性の────〝迷宮病〟。
母親がダンジョンに出入りする冒険者であった場合に、偶に引き起こされる奇病。
成れの果てである魔人特有の症状が、子供に遺伝する奇病。
治す術は当時は勿論、今も確立されておらず、不治の病とされている。
そして、その奇病を患った子供は、十を迎える前に完全な魔人となり、理性を失う。
だから、その奇病を患った子供は殺せ。
それが、当時ロンが籍を置いていた王国の方針であった。
だが、流行病で命を落とした妻の忘れ形見をロンは殺す事を許さなかった。
故に騎士という立場を投げ捨ててまで逃避行に身を委ねた。それが今から、二十年前の話。
そして、守り切れなかった「メア」の死によって絶望に苛まれたロンが、奇跡的に目覚めた異端魔法。
己の願望を現実に昇華させる禁術指定異端魔法。それが、夢魔法。
故に、世間で実しやかに囁かれる〝怠惰〟は殺せないという話は決して嘘ではない。
誇張抜きの真実だ。
なにせ、己の死ですら己の〝ユメ〟に変えられる力を彼は持っているから。
代償さえ無視してしまえば、彼は事実上の不死身であった。
「……ワタシは死んでないがね、テオドール」
「同じようなものだろ? 事実、君は名を含むほぼ全てのものを捨てる羽目になった。王国の連中によって、君達の居場所はたった一つを除いて失われた。そう、ぼくが立ち上げたこの〝闇ギルド〟という隠れ蓑を除いて」
『────この世界が間違っていると、そうは思わないかい』
二十年前に投げ掛けられた言葉が、不意に一瞬にして脳裏に沸き立つ。
少なくとも、ロンにとってテオドールという存在は光であった。彼が手を差し伸べなければ、一縷の希望すらもなかった。
「……何が言いたいのかね、テオドール」
「君に一つ、聞きたい事があったんだ」
「何かね」
表情には小波ひとつ見受けられず、誰がどう見てもロンに後ろめたいものなどあるようには見えない。
まるで何か確信を持って口にしようとするテオドールの様子とは噛み合っていなかった。
「どうして、ヴァネサ・アンネローゼを殺さなかった。君なら逃げ回るネズミの一匹程度ならば容易に殺せたと思うんだけど……な?」
嘘は許さないと言わんばかりの強烈な圧が、まるで押し付けるように場に降りる。
その言葉は氷の刃のように研ぎ澄まされていた。
「研究者の捕縛は、キミの命だったと記憶しているのだがね? そんな事一つで疑われるのは心外だねえ」
だが、それを意に介した様子もなく、何事も無かったかのようにロンは受け答えした。
「ああ。うん。そうだね。でも、有事の際は生死を問わないとも言っておいた筈だよ。何より、代わりは幾らでも用意出来る」
「有事ではないと判断した。何より、あのアンネローゼにはまだ使い道があると思ったのだよ」
「……ふぅーん」
それから、耳が痛くなる程の静寂が場を包み込むこと、十数秒。
何処か張り詰めた表情を浮かべていたテオドールは、にぱっ、と不意に作り物めいた胡散臭い笑みを貼り付けた。
「ま、そういう事なら良いんだけどね! でも、そうだよね。〝賢者の石〟は君の悲願でもあるもんね。君が変な事を考える訳ないもんね。うんうん。ごめんね、ロンくん。疑っちゃって」
ロンの夢魔法は、一見すると隙のない無敵の魔法のように見える。
だが、彼の魔法には致命的な欠陥があった。
彼の魔法はあくまで妄想を現実に己のユメとして昇華させる事。
だから言ってしまえば、己が心の底から否定している事象は夢魔法であっても現実には昇華できない。何故ならば、使用者自身がそれは「あり得ない」と頭で考えるより先に否定してしまっているから。
それは例えば────己の目の前で否定し難い事実として刻まれた大切な人間の死、など。
「……ところで、ワタシを呼び出したのはそんな下らない確認をする為かね?」
「まさかまさか。今回こうしてロンくんを呼び出したのは他でも無い、善意100%の警告をしたかったからだよ」
テオドールが口にする善意100%程信用出来ないものもないだろうが、ロンは気にした様子もなく聞き流す。
「……先程のも警告のように思えたが」
「いやいや、あれはただの確認だよ。ぼくも、仲間を脅す程人でなしじゃない。警告ってのは、そう。メイヤードにいる『大陸十強』カルラ・アンナベルについてだよ」
ガルダナ王国に位置する魔法学院。
その学院長を務める正真正銘の怪物。
別名、〝魔女〟。
「……既に一度相対したが、ワタシにはあまり脅威と捉えられなかったがね」
「そりゃそうだよ。『大陸十強』の連中は、普段はその力の殆どが使えない。全盛期と比べたら大人と赤子くらいの差があるんじゃ無いかな」
「ならば、問題はないのではないか?」
「だからこその警告だよ。『大陸十強』の連中にだけは、舐めてかからない方がいいよ、ロンくん。特に、カルラは昔から連中の中でも頭ひとつ抜けて化物だったからね」
「…………」
ロンは閉口した。
まるで旧知の仲のように話すテオドールに、どう言葉を投げ掛けたら良いのかと考えあぐねる。
「『大陸十強』と呼ばれる十人の化物は、この世の真実を目の当たりにした十人だ。そして、その真実を目の当たりにしたぼくらは、まやかしの眠りで蓋をするように呪いを掛けられた。その結果、各々が各々の道を歩む事になった。一人は、魔法学院と呼ばれる教育機関を立ち上げた。一人は、『ギルド』と呼ばれるコミュニティを立ち上げた。また一人は、国を興し、一人は全てを捨て姿を消した。そしてまた一人は身体と名前を捨てて、『闇ギルド』と呼ばれるコミュニティを立ち上げた。ぼくは許せなかったんだ。ぼくは認められなかったんだ。だからぼくは、俺は、俺のやり方で抗うと決めて、」
テオドールの瞳の奥には、どろりと形容し難い闇が渦巻いていた。
だが、見方によってはソレは、異様に澄んでいるようにも見える。
いずれにせよ、感情の籠らない声音で語るテオドールの様子は、あまりにも不気味に過ぎた。
まるでそれは、何処か遠くに魂を置いてきた器だけの人の形をしたナニカに見えてしまって。
その様子を前にロンは口を開き、言葉を投げ掛ける。
「……テオドール、キミは」
「あぁ、ごめんよ。少し脱線したね。でも、そういう事だ。もし、カルラを相手にするなら間違っても舐めない方がいい。本当はぼくが力を貸してあげたいんだけど、この状態だからさ」
「……分かった。警告、感謝するよテオドール」
今はこれ以上聞くべきでは無い。
はたまた、聞く理由がロンには無かったのか。
その言葉を最後に、その場からロンの姿は掻き消えた。
「……この世界は、間違っている」
幾度となく口にしてきた言葉を、テオドールは己一人だけとなった空間で呟く。
「ぼくは、ぼくのやり方で正させて貰う。その為ならば、どんな犠牲も厭わない。間違っているのは、ぼくじゃない。間違っているのは、この世界そのものだ」
果たしてそれは、誰に向けた言葉であったのか。
「きっと君達も、いつか気付くよ。この世界が、如何に救い難いものなのか、をね」