九十五話 地図
* * * *
「……ただ、その人物をよく知る人間は、彼は『死んだ』と言っていました。それも、十年ほど前に」
「……生き返った、とでも言うつもりか?」
「いえ、『死んだ』可能性が限りなく高いけれど、死んだ姿は見ていないそうです」
「十年ほど前に姿を消した人間が、命からがら生きていたかもしれない、という事か」
ここでカルラにグランの事を打ち明けた理由は、二つ。
一つは、隠す事でヴァネサを助けられなくなる可能性を無くしたかったから。
二つに、カルラに話す事でグランの手掛かりを僅かでも得られるのではと期待したから。
「名前は」
ほんの一瞬、俺はヨルハに視線を向ける。
言いたい事は、その一瞬で理解したのだろう。
ここでカルラに話す必要性を分かった上で、ヨルハは口を開き、その名前を口にした。
「グラン・アイゼンツ」
「……ん? アイゼンツ、って言えば」
「ボクの兄にあたる人物、らしい、です」
ヨルハの家名を覚えていた親父が真っ先に反応する。
リクから託されたペンダント然り、グランがヨルハの兄である事は明らかだ。
けれど、会った記憶も、会話した記憶もない人間の事を兄と慕うのは少し抵抗があったのだろう。
ヨルハの口調は、明らかにぎこちなかった。
「……成る程。ヴァネサ・アンネローゼと同様に探していたからすぐに気付けたと言うわけか」
厳密にはつい最近、リクから聞いていたから気付けたのだが、あえて否定する必要もないだろう。
そうした場合、情報の出どころを話さなくてはいけなくなるから。
俺達はリクと実際に言葉を交わし、あの覚悟と、吐き散らされた悲鳴のような言葉の数々を耳にして、あれが紛れもない真実であると判断したが、実際にあの場にいなかった者からすれば、〝闇ギルド〟に属していた人間の言葉というだけで信用出来る要素はなくなってしまう。
「だけどさ、幾ら筆跡が似ていたとしてもそんじょそこらの人間が〝賢者の石〟の錬成陣の一部を知る機会に恵まれるかね?」
ロキの言葉はもっともだ。
だが、〝迷宮病〟を応用し、〝人工魔人〟なんてものを創り上げたリクの研究者としての力量の高さを見る限り、グランも研究者として優秀だった可能性は高いだろう。
「……グラン・アイゼンツは研究者であったと同時に、恐らく〝古代魔法〟の使い手だ」
かつて研究者だった人間であれば、先のクラシアの言う粗末な錬成陣という部分にもある程度の納得が出来る。
何より、メイヤード中に目と耳を持つと豪語するチェスターの目を欺けるであろう手段を、俺は〝古代魔法〟を除いて思い浮かばない。
「〝賢者の石〟についての謎は残るが、〝古代魔法〟の使い手、か。ならば確かに、可能性は高いであろうな。アレが使えるなら、人の目を欺くなど朝飯前であろう」
別空間に閉じ込めるという離れ業であっても、〝古代魔法〟は可能とする。
チェスターから聞かされた情報と照らし合わせても、現段階ではグラン以上に当てはまる人間は思い浮かばない。
「ちなみに、そのグラン・アイゼンツの特徴は」
「シスコンって言っていたな」
「ボクは、辛いものが好きって聞いたよ」
「お人好しって言ってたわね」
「いやアレク、それは違う。確か、度し難いシスコン野郎って話だったぞ」
「……手掛かりらしい手掛かりがない事はよく分かった」
俺、ヨルハ、クラシア、オーネストの順で答えたものの、俺達が挙げられる特徴は基本的にリクから聞いたものしかない。
こんな事になるなら、特徴の一つでも聞いておくべきだったかと思うが、命を狙われていたならば、己の特徴を変えている可能性もあるので意味はなかったかと考えが帰結する。
「だが、そうなるとあまり進展はないな。唯一の手掛かりらしい手掛かりが、ヨルハ・アイゼンツの血縁者である事くらいではな」
何処となく面影を感じる事は出来るかもしれないが、手掛かりと言うには弱過ぎる。
「ならば、知っていそうな人間に聞けば良いだけの話だろう」
そんな中、ガネーシャが口を開く。
「あの守銭奴ならば、知っている可能性は高いと思うが」
「……チェスターか」
「チェスターといえば……チェスター・アナスタシアか」
守銭奴というワードから、即座にチェスターと言い当てたロキの言葉に反応して、カルラも納得する。
どうにも、随分と顔が広いらしい。
「学院長も知ってるんだ?」
「いないと追い返されたがな」
人を探していたのだ。
情報屋で知られるチェスターの下をカルラが訪ねていてもなんら可笑しな事ではない。
だが、いないとはどういう事だろうか。
「あいつ、かなり警戒心高いからねえ。居留守なんて昔からしょっちゅう使ってるよ。自分に手に負えないと判断した相手には、特に慎重になる。あいつは情報屋であって、戦士じゃない。万が一、暴力で訴えられでもすればあいつにはどうも出来ないからねえ」
だから、理性的に取引が出来る相手と分かるか、もしくは、手を出してこないと判断出来る材料がない限り、『大陸十強』などという呼び名をされるカルラとは死んでも会わないだろうねえと締め括る。
「だから、チェスターの下に向かうなら、そっちのお二人はお留守番って事になるだろうね」
「……〝魔女〟は兎も角、おれもか?」
お二人と、ロキに一括りにされた事で親父が意外そうに己を指差す。
「カルラ・アンナベルと行動を共にしていた人間って事実一つもあれば、チェスターは警戒するだろうからさ」
「成る程ねえ。まあ、別に構わねえよ。そもそも行動を共にする気はなかったしな」
「……そうなのか?」
「ヴァネサ・アンネローゼも探しちゃいたが、もう一人、面倒臭え奴を探してんだよ」
親父とは、数年ぶりの再会。
学院長であるカルラは、その実力からして共にいれば心強い事この上なかった。
だから、ハナから行動を共にする気がなかったという親父の言葉に聞き返してしまった。
「……あの時、お主が逃さなければこんな事にはなってなかったのだがな」
「まだそれを引っ張るのかよ!?」
どうにも、親父達は他にも人を探しているらしい。
逃げられた、だ。
お前さんでも捕まえられなかった、だ。
直近の事のように話す口振りからして、探し人はこのメイヤードにいるのであろう。
ならば。
「だったら、ついでにその人の事も聞いてこようか」
「……んー。いや、それはいい。そいつに関しては手掛かりがゼロって訳でもないしな」
「自分の不始末を息子に押し付けては、立つ背がないものな」
「……さっきから隣でいちいち一言付け足してくるのやめような!?」
カルラと親父の関係は謎だが、会話のやり取りからしてただの知り合いというより、友人同士のように見えた。
「あぁ、ところでクラシア・アンネローゼ」
「……何かしら学院長」
「なにか、ヴァネサ・アンネローゼから受け取ってはいないか」
「何の変哲もない手紙なら受け取っているけど」
「見せてくれ」
カルラに言われるがまま、クラシアは懐に収めていた手紙を彼女に差し出す。
紙の中心に、簡潔に一言用件だけ書かれた手紙。わざわざこんな紙で言うほどの内容でもない気もする、という違和感はあったが、特別何か手紙におかしな部分があるようには思えない。
だが、疑ってかかるカルラの様子の側で何かに気付いた親父が口を開いた。
「────その手紙、〝炎字〟で書かれてるな」
「……〝炎字〟? 〝炎字〟ってあの?」
炎で炙る事で文字が浮かび上がる特殊文字。
それが、〝炎字〟。
だが、〝炎字〟特有の独特な匂いも、僅かながら感じられる凹凸もこの手紙には一切ない。
「巧妙に隠されておるが、この男の言う通りこれは〝炎字〟による手紙であるな。ただ、随分と手の込んだ〝炎字〟から察するに、恐らくこれはお主に気付かせる目的で寄越された手紙ではあるまい。可能性としては……『保険』といったところであろうか」
「もしもの事があった時の『保険』って事かしら。でもなんで、よりにもよってあたしなのよ」
関わりがゼロという訳ではない。
ヴァネサとクラシアは血が繋がった姉妹だ。
けれど、これまでの関係値からして困ったときに頼る相手としての認識は限りなく薄い。
仮にカルラの言うように『保険』だとして、あえて何の関係もないクラシアにそれを託した意味はやはり理解に苦しむ。
「ったく、細けえ事は兎も角、それが〝炎字〟ってんなら炎でさっさと炙ればいいだけじゃねえか」
考えを巡らせるカルラとクラシアの思考を遮るように、オーネストが口を開く。
どんな意図であれ、炎で炙れば答えは出てくる。だったら、とっとと炙ってしまえばいい。
まどろこしい事を嫌うオーネストらしい意見に、今回ばかりはそれもそうかと二人は納得し、手紙から一度視線を外す。
「オーネスト君にしては珍しく真面な意見だね」
「『珍しく』が余計だ。てめえは黙ってそれ食ってろ、〝クソ野郎〟」
「ああああああ!!! なんて事してくれてんだよ!!!」
カルラ達と言葉を交わす最中、届けられた〝ハバネロ丼〟をどうにかして己から遠ざけようとこそこそ四苦八苦していたロキに、オーネストは押し付けるように彼の目の前へと移動させる。これまでの努力を水の泡とするその行動を前に、ロキは絶叫していた。
「それじゃあ、はい。アレク」
「……はいの意味がいまいち分からないんだけど」
「こういうの、得意でしょ。魔法の調節を誤って灰にしたくないし」
炎で炙る事で文字が浮かび上がる〝炎字〟であるが、多少特殊な紙とはいえ、調節を間違えば問答無用で灰と化す。
器用なクラシアが失敗するとは思えないが、俺に任せたいらしい。
「まあ、良いけどさ」
手のひらの上に炎色の魔法陣を浮かべる。
ジジジ、と音を立てながら手紙が焼けていくと同時に浮かび上がる紋様のような何か。
これ、は────。
「……マーク、か?」
一瞬、魔法陣と思ったが、浮かび上がったのは何かのマークだった。
見覚えのないマークだと思ったのも束の間、不思議と花のようにも見えるこのマークに俺は見覚えがあるような気がした。
「これ、アレじゃないかしら。カジノの中にあったマーク」
「……だから、見覚えがあるような気がしたのか」
チェスターが運営するカジノ。
そのシンボルのようなマークとして使われていたものと、全く同じものが浮かび上がった。
「妙だな。ここまで手の込んだ〝炎字〟の癖して、書いてる事が普通過ぎる」
親父が顎に手を当てて考え込む。
確かに、こんなマーク一つを手間を掛けて隠す理由が全く分からない。
仮にカジノに何かがあると仮定したとして、マーク一つで真意を探れというのも幾ら何でも無理があり過ぎる。
やはり、分からない。
「考えられる可能性としては、この手紙に他の仕掛けが施されている、といったところであろうが、生憎見当もつかん。何か心当たりはないのか、クラシア・アンネローゼ」
「……知っての通り、あたしは実家との折り合いが悪いの。だから姉さん達とも特別仲良くも無かったし、何も聞いてないわ。だからこそ、こうして手紙を送られる理由すらも分からなくて困っているのだし」
問題児だったオーネストとパーティーを組んでいた俺達とカルラは、普通の生徒以上に話す機会があった。
それもあって、俺達の身の上も彼女はある程度把握していたりする。
「要するに、お手上げという事か。しかし気になるな。どうして、カジノのマークなのか。百歩譲って錬成陣ならばある程度の仮定を立てられたのだが」
俺達の中に一人として専門家はいないが、錬成陣からであればその真意を探る事も出来なくもなかっただろう。
ただ、この場にいる中で一番知識を持っていそうなロキならば、何か分かる事があるのではないか。
そう思って肩越しに振り返ると、そこでは此方で話をしている間に届けられた〝ハバネロ丼〟を巡って言い合いが勃発していた。
途中から会話に参加していたのは俺とクラシアと、親父とカルラだけだったし、残りの四名は恐らく全く話を聞いていない。
「いいかい、オーネスト君。これは食べ物じゃない。僕のヤバいぞセンサーがこれ以上なく反応してるんだ。この物体を食べたら死ぬってね!」
「てめえ、一口どころか匂いしか嗅いでねえじゃねえか。せめてそういう事は一口食ってから死んで言え。間違えた。一口食ってから言いやがれ」
「その間違え方、悪意あるよね!? これを食わせようとしてる理由、ヨルハちゃんが悲しむからとかじゃなくて単に僕が苦しんでるところをみたいだけだよね!?」
「ちょっと噛んだだけじゃねえか」
「そうだぞ、ロキ。ちょっと噛んだだけじゃないか。とっととそれを食って死ね。間違えた。とっととそれを食って昇天しろ」
「おい、ガネーシャ。てめえ、僕が助けてやった恩を仇で返しやがって!! というか、それは間違えたじゃなくて、言い換えただけだろうが!?」
「さ、三人ともさ、その、せめてそういうのはボクが聞こえてないところで言おうね?」
人数分頼まれていた〝ハバネロ丼〟を誰が処理するか押し付けているようだった。
好物をまずい物扱いされているヨルハは一人いじけ、追いハバネロ君を黙々とした結果、見るも悍ましい真っ赤な丼が完成していた。
流石にあれを食べたら死ぬんじゃないだろうか。
「……なんでオレさまの分までこの劇物……じゃねえ。なんとか丼が届いたのかは知らねえが、ここで一つ提案がある」
「提案?」
「これで負けた方が二人分食うってのはどうだ」
握った拳を見せつけながら、オーネストが言う。漂う剣呑な空気からして、殴り合いでも始まるのかと勘違いしてしまうが、その心配は杞憂であった。
「……へえ。この前は負けて飯を奢らされる羽目になったけど、この僕にその勝負をまたしても挑むとはね。知ってるかい? 奇跡は一度きりなんだよ、オーネスト君。その勝負、乗った!!」
「ねえ、ボクの好物の扱い酷過ぎない?」
好みが人とは少し違うと言われ慣れているヨルハだろうが、ここまで立て続けにボロクソ言われては流石の傷付いたのか、ちょっと可哀想になってくる。
勿論、〝ハバネロ丼〟を食べる気はないが。
「……それと勝負を受けた後だから、もう手遅れな気もするけど、運の絡んだ勝負においてオーネストは無類の強さを発揮するよ、ロキ」
カジノでのルーレットの一件を目の当たりにしていたならば、間違っても勝負を受けるなんて愚行をロキは冒さなかっただろう。
バカめと言わんばかりにニヒルに笑い、己の勝利を確信するロキにヨルハの有難い忠告は届いていないようであった。
やがて、腰掛けていた椅子から立ち上がり、ロキとオーネストは握った拳を後ろに引いて構えを取る。
ロキにとってはかつてのリベンジであり、オーネストからすれば百戦百勝の反則極まりないとっておきの決闘手段。得意げに笑うロキの顔が絶望に染まる事になるのだろうなあと察しながらも、俺達はそのやり取りを見守る事にした。
「じゃぁぁん!!」
「けええええん!!」
「「ポォォオンッ!!!」」
場に出されたのは、チョキとパー。
引き分けではなく、ここに勝敗は決した。
「はんっ」
程なく、勝者による鼻で笑う声が響く。
その嘲笑は、ぴくぴくと表情筋を痙攣させながら、不自然なまでに瞬きをし、額に汗を滲ませるロキに向けられたものだった。
「まあそうなるよな」
カジノで一儲けしていたあたり、ロキには賭け事の才能があるのだろう。
しかし、その才能を以てしてもオーネストの反則的な運の良さを感じ取る事は出来ていなかった。
「そうと決まれば、このエゲツないの貰うぜ、ヨルハ」
真っ赤に染まったヨルハ特製〝ハバネロ丼〟をオーネストは持ち上げ、それをロキの目の前に移動させる。
「悪りぃな。オレさまの分はヨルハにトッピングを頼んでたんだわ」
「ふむ。成る程、それは仕方がないな」
明らかに違うだろうに、納得した素振りを見せる事でガネーシャはオーネストに援護射撃を行っていた。
「確かにそれなら仕方がないねえ……って言う訳ないじゃん!? お前ら揃いも揃って僕を殺す気か!?」
ヨルハによるトッピングが行われたソレは、最早、丼ではなくハバネロ君で埋め尽くされただけの物体と化していた。
「おいおい、オレさまの提案に乗ったのはてめえだろ? 文句は食ってから聞こうじゃねえか」
いつになく楽しそうにオーネストは言う。
ロキに何か恨みでもあるのだろうかと思うが、普段から犬猿の仲なので恨みというより相手の不幸な姿を見たいだけなのかもしれない。
だが、賭けに負けたからと言って〝クソ野郎〟などと呼ばれるロキが素直に従う訳もなくて。
「……わかったよ。約束は約束だからね。今回ばかりは従ってあげ────るわけないよねえっ!! 誰が従うか、バーーーカ!!」
「逃すか。〝クソ野郎〟を捕まえろ、〝ガネーシャ〟!!」
「分かった。任せろ」
「てめ!! さっきからオーネスト君の味方し過ぎだろ!! ざけんな!!」
「その方が面白そうなんだから、仕方がないだろう」
「性格がゴミ過ぎる!!」
脱兎の如く駆け出したロキを、オーネストとガネーシャが追う。
そこまでして食べたくないのかと一人ショックを受けるヨルハだったが、こればかりは彼らと同意見だし、下手にフォローしようものならば俺にまで火の粉が飛びかねないので口を閉じておく。
「……なんかあっちは面白そうな事になってるわね」
「でも流石に二人掛かりで追い掛けられたら、どうにも出来ないだろうな」
ロキには悪いが、結果は透けて見えていた。
やがて、案の定とでもいうべきか。
一分と経たずに連れ戻されたロキは席につき、悲鳴を上げながらも〝ハバネロ丼〟と再び向き合う羽目になっていた。
「……呪ってやる。お前ら絶対死んだら化けて出てやるからな」
唯一、オーネストに奪われた事で再び真っ赤な〝ハバネロ丼〟を作り上げ、ひとり冷めた目で見守りながらパクパクと食べていたヨルハがいたが、彼女を除いて誰もがこれから起こるであろう惨事を予想した。
そして、逃げられないと悟ったロキが意を決してスプーンで掬い、口へと運ぶ。
「あれ? 意外と悪くない?」
「だからボクは美味しいって言ってるのに」
「いやでも、なんか、舌が痺れて、燃えるように熱くて……」
徐々にロキの顔が真っ赤に硬直してゆく。
それは熟れたトマトによく似ていた。
「かっ、」
「かっ?」
「かっ、らぁぁぁぁぁぁぁぁあああ────ッ!!!」
勢いよく立ち上がり、舌を出しながらロキは耐え切れなくなったと言わんばかりに叫び散らした。
「みっ、水! 水! しぬっ! 水っ!」
死ぬなのか、水なのかよく分からなかったが、今にも死にかけなとんでもない表情を浮かべるロキは、水の入ったピッチャーが置かれていた俺達の下へ足早にやって来る。
余裕など一切なかったからだろう。
慌てていたロキは、テーブルの脚にあった突起部にそのまま足を引っ掛け、前のめりに転倒をしていた。
ただ、派手に転倒したこと。
最後の最後までピッチャーに手を伸ばしていたせいで、巻き添えで倒れたピッチャーによって水浸しにもなるという惨事が引き起こされていた。
……幸い、ヴァネサからの手紙は咄嗟に隠したお陰で水浸しになる事はなかったが、それでも水滴が幾つか付着し、若干滲んでいた。
ロキに対して、何をやっているんだかという感想を抱きつつも、水滴の付着した手紙を収めてしまおうと試みて、
「……うん?」
違和感を覚えた。
それは、この現状にではなく、ヴァネサからの手紙に対して。
水滴を拭き取ろうとした俺の目には、その部分にだけ何か別のものが浮かび上がっているように見えた。
「学院長、これって」
「炎で炙った後、更に水をつければ別のものが浮かび上がるという仕掛けか。成る程。ならば、あの〝炎字〟もフェイクという訳だ」
メイヤードに来るなと書かれていた言葉も、カジノのマークも、全てがフェイク。
この手紙に書かれていた本当の内容は────
「地図、かしら」
紙が破れないように慎重に水滴を広げながら確認する中、いち早くその内容を理解したクラシアが答えを口にする。
どこの地図かは分からないが、それは紛れもなく地図であった。