九十四話 呪われ人
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「────グラン・アイゼンツ。お前は正直なところ、こいつについてどう思う、髭だるま」
「当たり前のように髭だるまって呼んでやがるが、オレの名前は髭だるまじゃねェよ!?」
ところ変わって、レッドローグに位置するギルドにて。
アレク達がフィーゼルを後にしたその次の日。まるで狙ったかのようなタイミングでローザから呼び出されていたレヴィエルは、彼女の下へと赴いていた。
「……が、それは兎も角として、〝天才〟なんじゃねェか? 少なくとも、〝迷宮病〟についての知識を、ここまで正確に纏め上げられる人間をオレは他に一人として知らん」
二人の前には積み上げられた紙の束が一つ。
それは、あの一件から数週間ほど経過したある日、ギルド宛に届いたものだった。
そこには、〝迷宮病〟についての研究内容を始めとした研究レポートが送られてきた。
届けた人間はただの雇われであったが、曰く、数週間経って己が戻らなければ、これらをギルドに届けろと言われていたらしい。
恐らく、それは罪滅ぼしというより、テオドールに情報が渡ってしまっている可能性を踏まえ、テオドールが笑う事になるくらいなら、全てを無に帰してしまえという彼なりの嫌がらせからくる行為だったのだろう。
だから、後生大事に持ち歩いていたグランの研究成果をこうしてギルドに届けたのだろう。
「とはいえ、そりゃあんたも同じ意見なんだろ? オレは冒険者だった経歴はあっても研究者だった経歴はねェ。なのにどうして、わざわざオレをレッドローグに呼ぶ必要があったよ」
「〝迷宮病〟だけならば、私もお前を呼んでいない。お前をこうして呼んだ理由は、これだ」
活字に埋もれたレポートの束。
その、一ページ。
ローザをして、「手に負えない」と判断を下したからこそレヴィエルを呼んだのだと否応なしに理解せざるを得ない内容がそこには記載されていた。
グラン自身が行っていた研究ではなく、テオドールが裏で進めていた内容を、グランなりに調べただけなのか。
詳細について詳しくは書かれていなかった。
常人であれば、ひどい妄想だと一蹴して然るべき内容。しかし、そのひどい妄想が、可能であると言えるだけの片鱗を既に目にしているならば。
「……不死者蘇生、ねえ」
胡散臭いものでも見るような声音で、レヴィエルは唸る。
死者蘇生であって、それは死者蘇生ではない。死者を不死者として蘇生する。
それが、不死者蘇生。
理論は単純にして明解で、死者の魂を不死者の身体に降ろす。ただそれだけ。
だが、死者の魂を呼び戻す事も、不死者の身体を作る事も、どちらも不可能極まりない。
しかし、ローザ自身がその目で後者を目撃している。
ノイズと名乗っていたあの男は、間違いなく不死のように見えた。ならば、これがただの妄想であると切って捨てる訳にはいかない。
そしてあろう事か、その不死者蘇生の対象となっている人物には、過去に名を馳せた大罪人の名前がずらりと見受けられる。
「〝闇ギルド〟の奴ら、世界相手に戦争でも吹っかける気かよ」
「かもしれないな」
「……おいオイ、オレは冗談で言ったつもりだったんだが」
「少なくとも、そんな事をする人間でもなければ本気で神を殺すなどと宣う事もあるまい」
ローザからしても、テオドールの言葉、その一つ一つが正気を失った人間のものに思えた。
しかし、あの時あの場所で邂逅をし、言葉を交わしたからこそ分かった事実もある。
「それに」
「それに?」
「……恐らく、テオドールと名乗っていた〝闇ギルド〟の男は『呪われ人』だ。人伝ではあるが、そう自称もしていたらしい。何より、そうでもなければ神を憎むあの言動に説明がつかない」
「『呪われ人』っつーと……お前さんと同類かよ」
ローザ・アルハティアには秘密があった。
彼女が、どれだけの月日を経ても見た目の変化がない理由。それは、体質の問題ではなく、彼女自身が呪われたから。
だから、見た目の変化が彼女の身体からは失われた。
「いや、私とは違う。私は、呪われはしたが、半端に呪われただけだ。正真正銘の『呪われ人』であるカルラ・アンナベルのような者達とは違う」
『呪われ人』とは文字通り、神に呪われたとされる人間のことを指す。
ただローザの場合、半端に呪われたせいで呪いの効果も半端に終わっている。
そしてローザ自身、呪われた前後の記憶をごっそりと失っており、そんな彼女に手を差し伸べたカルラ・アンナベルから教えられた知識しか持ち合わせていない。
あの時、リクの話をローザが知らなかった理由は、それ故であった。
「……『大陸十強』カルラ・アンナベルか」
「そうだ。カルラ曰く、『呪われ人』は呪われた際に大半の己の魔力と共に何かを呪われた事で失っている。そしてその代わりに、連中は『神力』と呼ばれる力を使う。だから、よく言うだろう。『大陸十強』には手を出すな、と。あれは誇張でもなんでもない。あいつらには真面な手段では絶対に勝てないからだ。……もっとも、勝てずとも負けない戦い方はあるがな」
ガネーシャは、『大陸十強』を一昔前の戦争で名を馳せた強者達と認識しているが、それは半分正解で半分不正解であった。
正しくは、一昔前の戦争で呪われた者達が『大陸十強』と呼ばれるに至った、である。
「……おい、待てよ。それだと、そのテオドールってやつが『大陸十強』の可能性がねェか!?」
「私の記憶が正しければ、『大陸十強』にテオドールという名前の人間はいない。とすれば、あいつは私と同様、何らかの事情で呪われたか。もしくは、名前を変えた『大陸十強』か。……〝闇ギルド〟と呼ばれる組織が知られ始めた時期からして、後者の可能性が高そうではあるが、前者の可能性もある。何はともあれ関わるべきじゃない。だから、カルラにこの事も含めて伝えようとしているんだが、生憎の不在だった」
断言出来ない理由は、『呪われ人』でない筈のエルダスが、テオドールを足止めしたという事実。どんな手品を用いたのかは不明だが、それ故に断言する事は憚られた。
とはいえ、万が一を想定してローザはカルラと連絡を取ろうとしたのだが、年がら年中、学院にいる筈の人間がこんな時に限って不在にしていた。
「カルラの側近に行き先を尋ねると、どうにもメイヤードに行き来しているらしくてな」
「ブーーーッ!!」
「……そこ、後でお前が掃除しておけよ」
口を潤す為に用意されていたコーヒーを突如として吹き出すレヴィエルに、汚物でも見るような底冷えした視線が向けられる。
しかし、そんな事に構う暇もなくレヴィエルは矢継ぎ早に声を上げる。
「わ、わりぃ。ちょいと疲れが溜まってるみてェでな。聞き間違えちまった。カルラ・アンナベルの行き先がメイヤードな訳ないよな。アハ、はははははははは!!」
「……。おい、メイヤードに今何がある。誰がいる。話せ、髭だるま」
レヴィエルの不審すぎる態度から、ローザは全てを悟り、詰問を始める。
「だからオレは髭だるまじゃねェって……」
「いいから答えろ」
幼女が三十を過ぎたおっさんを問い詰めるというなんともシュールな絵面であるが、それに何かを言う人間は生憎誰もいない。
要するに、レヴィエルに逃げ道は用意されていなかった。
「う、うちの冒険者が六人くらいバカンスで遊びに行ってた……筈でな」
「その冒険者の名前は」
「…………。ぇ、えと、ロキとガネーシャ。あとお前さんとこの教え子四人、だな」
「Sランク六人でバカンスな訳があるか。……嫌な予感しかしないな」
「で、でもよ、カルラ・アンナベルがいるなら、万が一はないって事じゃねェか。『大陸十強』だぜ? 問題なんて何もねェだろ」
「そうじゃない。逆だ」
「逆?」
「魔法学院の外に滅多に出ようとしないカルラが、メイヤードを行き来していた。つまりそれは、カルラが動かざるを得ない事態にメイヤードが陥っているという事実に他ならない。私の予想でしかないが、カルラが学院からこれまで一切出なかったのは『呪い』があったから、『出なかった』のではなく、『出られなかった』のだと思う」
それを押して動いているのだ。
間違いなく、何かが起きている。
「……アレク達がフィーゼルを出たのはいつだ」
「み、三日くれえ前だな」
「その時、あいつらの様子は変じゃなかったか」
「様子だあ? んなもん、低ランクの連中じゃあるまいし、いちいち気にしてられるかよ」
「なんでもいい。たとえば、ヨルハの様子がいつもよりも暗かっただとか。アレクがやけに気負っていただとか。あいつらは特に、顔に色々と出やすい」
「……偶に思うんだけどよ、そのナリは置いておいて、お前さんって教職向いてるよな」
アレク達の反応からして、ローザが彼らに慕われている事はレヴィエルも知っていた。
その理由をこうして垣間見たレヴィエルは、なんとも言えない微笑ましい気持ちに陥った。
「……五月蝿いぞ、髭だるま」
「は、はい」
しかし直後、ローザから半眼で睨め付けられ、手元にあったカップの中身をぶち撒けるぞ。のポーズを前に、レヴィエルは黙り込んだ。
「それで、どうなんだ」
「って言われてもなあ? んー。あー。えー。んー……あ」
「何か思い出したか」
「そういや、見間違えだったかもしんねェけどよ、クラシアの嬢ちゃんがいつもに比べて元気がなかった気がするな」
「……クラシアが?」
驚愕の色をローザは表情に滲ませる。
先程、アレク達は顔に出やすいとローザは口にしたが、それはあくまでアレクとヨルハとオーネストの三人に限る。
というより、その三人が分かり易過ぎて大体分かってしまうのだ。
ただ、クラシアに関しては別。
彼女だけは、あからさまに感情を表に出す事はしなかった。
というより、隠すのが上手かった。
「……となると、アンネローゼ絡みか」
思案を続けていたローザは立ち上がる。
「そういえばここ最近、研究者が行方不明になる話が聞こえていたな」
「……巻き込まれたってか?」
「可能性はなくも無い。おい、そこで盗み聞きしてるバカ二人」
出入り口のドアを見据え、ローザは呆れ混じりに一言。
程なく、「うえっ!?」「バレてんのかよ!?」と動揺の声を漏らす。
かつてはSランクの冒険者であったレヴィエルであっても気付けない見事な隠形。流石と言い表す他ないだろう。
しかし、ローザの前では無力でしかなかった。
「入ってこい。喜べ、暇をしているお前達に、私が特別に仕事をくれてやる」
「いらねえ!」
「お断りします!」
「返事は、はい。か、分かりました。か、ワンだ。それ以外は受け付けん」
「せめて人間扱いして欲しいな、ローザちゃん!」
橙髪のトサカ頭の男、レガス・ノルンと長い髪を三つ編みにした男、ライナ・アスヴェルドはドアを勢い良く押し開けながら必死に言葉を尽くすも、その努力が報われる様子は微塵も見受けられなかった。
「見ての通り、私はあの一件のせいで未だ思うように動けない。だから、お前達二人に頼みたい。これを、学院長に届けてきてくれ」
リクが引き起こした一件の後始末は、未だに続いている。
不測の事態に備える為にも、ローザが今、レッドローグを離れるべきではない。
「……。へいへい。わぁったよ。押し付けられるのは慣れたもんだが、ローザちゃんにこうして頼まれるのはレアだからな。今回は特別に、頼まれてやろうじゃねえか。なあ? ライナ」
「……確かに、レガスの言う通りこうして頼まれるのは珍しいね。分かった。行ってくる」
机に置かれた資料を取り、これ以上の言葉は要らないとばかりに彼らはその場を後にしてゆく。
そして扉が閉められた直後、彼らの事を見直しかけていたローザの耳に、喜悦に塗れた声が届いた。
────くくく、頼み事って事はだ。勿論、報酬があるって事だよなァ? これ終わったらとんでもねえ報酬貰うしかねえなこれは!!
────ローザちゃんにコスプレでもして貰うとかどうだろう。僕の人形に着せる予定だった新作の衣装があってだね。十着ほど!!
────そりゃいい! 脳内メモリに保存して後輩達に自慢してやろうぜ、ふは、ふははははははは!!!
「……帰ってきたらアイツらブッコロス」
教師と教え子の微笑ましいやり取りから一転、欲望ダダ漏れの二人に向ける容赦ないローザの殺意を前に、レヴィエルは人知れず哀悼の意を捧げる。
レヴィエルには、彼らが骨の一、二本バキボキとローザに容赦なく折られる未来が透けて見えていた。
「しかし、敵の敵は味方とはよく言ったもんだな」
既に己らの手から離れた資料の内容を思い返しながら、レヴィエルは言う。
あの資料の大半が、『迷宮病』を始めとした研究の内容であったが、それに隠れるように一部、リク自身が紛れ込ませていたであろう内容が含まれていた。
そこには、テオドールに対して恨みを持つリクらしい〝闇ギルド〟への嫌がらせも含まれていた。
たとえば、テオドールと密かに裏で繋がっている人間の情報、など。
それを馬鹿正直に信じる理由はないが、それでもその情報があるだけで警戒心を持つことが出来る。
「ああ。だからこそ、メイヤードにカルラがいるのなら、何を差し置いてでもアレを届けなければいけなかった」
「……お前さんが直接出向いた方が良かったんじゃねェか?」
「実にふざけた生意気なクソガキ共だが、実力は私が認めている。寧ろ、こういう目的であるなら私よりもずっと信がおける」
「……。何というか、よ。やっぱお前さん、教職についてた人間って感じしかしねェな。なんつーか、お前さんの教え子がローザちゃんって慕う理由が分かる気がするわ。なんなら、オレもローザちゃんって呼ん────」
「呼んだら殺すぞ」
「呼ぶ、訳ねェよなあ!? はははは! 冗談だよ、じょーだん! ははははは!! こっわ!!」
あの据わった目はマジだった。
あいつ、ガチでオレを抹殺しようと考えてたろ……などとぶつぶつ言葉を繰り返しながら、レヴィエルはローザにだけは「ちゃん」付けしないでおこうと誓うのだった。