九十三話 謎の差出人
「うげ。魔法学院七不思議の妖怪までいやがるじゃねえか」
あまりの信じられない偶然を前に、硬直する俺の側で、オーネストが顔を引き攣らせながら反射的にカルラに向けて言葉を言い放つ。
ちなみに、魔法学院七不思議の一つには我らが担任であった年齢不詳幼女ことローザちゃんも勿論含まれている。
「誰が妖怪クソババアだ。失礼にも程があろう、オーネスト・レイン」
「そこまでは言ってねえ!!」
被害妄想甚だしいカルラの一言にオーネストが叫び散らすも、最中に着物の袖から飛び出した鉄扇が狙い過たずオーネストの額に直撃。
「ぐぉおッ」と悶絶する羽目になっていた。
ローザとの再会の時も似たような展開だった気がするのは俺の気のせいだろうか。
「うん? もしかしなくても、アレク君達の知り合い?」
「知り合いもなにも、この人は俺の親父で、こっちは魔法学院の学院長だ」
ロキの疑問に俺が答える。
親父とこうして出会った事自体、信じられないのに、更に滅多に学院の外に出てこないカルラがメイヤードに居るのは驚きだった。
「……アレク君の親父さんがどうして此処に居るのかは知らないけど、魔法学院の学院長と言えば」
「カルラ・アンナベルか」
ロキに先んじて、ガネーシャが呟く。
「……知ってンのかよ?」
「知っているさ。カルラ・アンナベルといえば、『大陸十強』だろう?」
痛みが引かないのか。
額を押さえながら尋ねるオーネストへの返答に、何やら聞き慣れない言葉があった。『大陸十強』という言葉に、俺達は眉を顰める。
「別に、だからといってどうなる訳でもないが、この女は文字通り大陸全土の中で十指に入る実力者、などと言われていた人間だ」
「……いた?」
過去形という事は、今はその『大陸十強』という立場にないのだろうか。
「一昔前の戦争でついた呼び名と聞いている。今では知ってる人間の方が稀有だが、そっちの界隈だと未だに有名だと聞く。もっとも、カルラ・アンナベルが人間であるかどうかは怪しいところだが」
魔法学院七不思議とまで言われている人物なだけに、後者については然程違和感を抱く事はなく、それよりもカルラがそんなに凄い人だったのかという感想が胸中を埋め尽くしていた。
「……あたし達の中では、オーネストにいつも怒鳴ってる偉い人ってイメージしか無かったわね」
「オーネストってば暴れてたからねえ。しょっちゅうもの壊してたし。連帯責任だーって言われてボク達も結構怒られたよね……」
クラシアやヨルハの言うように、俺達の中ではオーネストにいつも怒鳴ってる人というイメージしかなかった。
だが、よくよく考えてもみれば暴れるあのオーネストを当然の如く捕縛し、説教を小一時間するその様子は異様ではなかっただろうか。
少なくとも、並の人間では不可能だし、面倒臭がりで事なかれ主義のローザ・アルハティアを除いて、それが出来る人間を俺は知らない。
「当然であろうが。お陰でお主らが在籍していた間は働き詰めだったというのに。だが、それでもあの口だけは終ぞ直らんかったがな」
カルラの鋭い眼光がオーネストを射抜く。
その視線に軽いトラウマでも覚えているのか、若干ながらオーネストの顔は引き攣っていた。
「……それにしても、親父は兎も角、学院長がどうして此処に?」
まさかメイヤードにいるとは思わなかったが、親父に関してはまだ納得が出来る。
ただ、魔法学院の学院長であるカルラまでもがいる理由がまるで分からない。
俺の記憶が正しければ、学院の外には極力出ないようになぜかしていた人だったから。
「人を探しておる」
「人?」
まさか、カルラもヴァネサを探しているのだろうか。タイミングがタイミングなだけに、そんな事を反射的に思ってしまう。
「一年前、妾の下に一通の手紙が届いた。その差出人を、妾は探しておる」
要するに、名前は知らないと。
手紙の差出人というだけであるならば、名前どころか顔も分からないだろう。
────どうして、そんな徒労に終わりそうな事を。そもそも、その手紙の内容とは。
抱いた疑問を言葉に変えようとした刹那、俺達に先んじてカルラは言葉を続ける。
「だが、先に一つ聞きたい。クラシア・アンネローゼ」
「……あたし?」
「お主の姉ヴァネサ・アンネローゼが、今どこにいるか分かるか」
場に緊張が走る。
表情は一瞬にして険しいものへと移り変わる。
「……成る程。その反応を見る限り、居場所は知らぬが、今現在の事情は、それなりに把握しておるという事か」
そして、カルラがなにを思ってか、懐から手紙を取り出し、クラシアに差し出した。
「先程は手紙と言ったが、言葉らしい言葉は殆ど何もなかった。ただ、奇妙な文字列と、メイヤードに向かえ。それだけが書き記されておった」
横から手紙の中身を確認する。
描かれた文字列には勿論、心当たりなどある訳もなかった。
ただし、それはクラシアを除いての話だった。
「これ、錬成陣の一部ね」
「流石にアンネローゼの人間よな。本来の錬成陣とは似ても似つかない状態で尚、一目で分かるか。お主の言う通り、これは錬成陣よ。〝賢者の石〟を生成する為の錬成陣、その一部」
「……〝賢者の石〟」
チェスターから話を聞いたばかりだった事もあり、反応をしてしまう。
「妾がメイヤードにいる理由は、誰が、どんな理由でこの手紙を送り付けてきたのか。それを知る為であった」
少なくとも、差出人は〝賢者の石〟の事を把握していた人間に限られる。
そして、カルラをメイヤードに向かわせる事で、都合が良くなる人物。
「もしや、差出人はヴァネサ・アンネローゼだったのではと思ったのだが、」
「……いえ、これは姉さんの筆跡とは違うわ。それに、研究者を名乗る人間がこんな粗末な錬成陣を描くとは思えない。これを描いた人間は、研究者ですらないと思うわ」
「誰にも彼にも見せられるものではなかった故、半信半疑であったが……そうか。やはり違っておったか」
ここでクラシアが嘘をつく理由はない。
だが、その発言によって謎は深まる。
〝賢者の石〟の存在をちらつかせ、カルラをメイヤードに誘い込んだ人物が研究者でない場合、残る可能性といえば首謀者くらいのものとなってしまう。
間違ってもカルラはアンネローゼの一族でもなければ、そもそも研究者ですらない。
ガネーシャの言う『大陸十強』とも言われる人間をあえて呼び寄せる理由がある人間は。
その思惑は。
……考えれば考えるほどドツボにハマる。
余計に、訳が分からなくなる。
ただ、カルラとクラシアの言う筆跡。
チラリと確認しただけなので何とも言い難いが、あの筆跡に俺は何処となく見覚えがあるような気がした。
……どこで目にしたんだったか。
いや、それよりも。
「ところで、親父はどうしてメイヤードに?」
「……か、観光にな。ちょっと気になる場所があったんだよ」
分かりやすい嘘だった。
「いや、割と本気で偶然だったからな!? 今じゃこうしてこいつと一緒に行動しちゃいるが、初めは本当に偶然だったんだよ」
「というか、親父と学院長に接点があったのは意外だったよ」
偶然出会ったとしても、顔見知りでもなければこうして食事をする機会に恵まれる事もなかっただろう。
何より、親父とカルラの関係性は俺の目から見ても友人程度には近しいもののように思えた。
「……腐れ縁だ。腐れ縁。そ、そんな事よりもだ。エル坊の奴はちゃんとアレクにソレを渡してくれたみたいだな」
「エル坊?」
「エルダスだよ、エルダス」
あからさまに話題を変えにかかった親父の行動に、怪しさを感じずにはいられなかった。
だが、親父に意地悪をして追求をするより、咄嗟に出てきたであろうエルダス絡みの事について確認をする方が俺にとって優先度が高かった。
「……あぁ、そうだ。その事について俺からも聞きたかったんだ。親父、どうして俺にこれを?」
母の形見でもある〝古代遺物〟────〝星屑の祈杖〟。
「昔、約束してたろ。いつかやるって。大事な形見ではあるが、碌に使えもしないおれが持ってるより、アレクが持っておいた方がいいに決まってる。アリアの奴も、きっとそう望んでるだろうからな」
「……そっ、か」
「何より、〝星屑の祈杖〟を渡すために、エル坊に頼んでアレクに魔法を学ばせてた訳だしな」
「……待ってくれ親父。今、とんでもない事実を聞いた気がするんだが」
「おいおい。あのクソ真面目なエル坊が、年端もいかねえ子供に、親の許しも得ずに魔法を好き勝手に教えると思うか?」
言われてもみれば、確かにその部分についてはエルダスの性格を考えると疑問が残る。
母に恩があるからとその子供である俺に魔法を教えるのはいい。
だが、エルダスならば────確かに、親父に話を通してから行動に移していた事だろう。
「ただ、頼んだとは言ったが、アレクに魔法を教えること自体はエル坊から申し出てきた事なんだけどな」
〝クソ真面目〟と親父が呼称したように、エルダスの性格は基本的に義理堅く、大真面目。
詳しくは知らないが、母の一件がある以上、親父からエルダスに頼み事をした場合、彼は余程の事がない限り断る事はしなかっただろう。
そして、親父は基本的に何かを盾にするような行為を好まない人間。
だから、その言葉はすんなりと信じられた。
「……アリアの奴がアレクには魔法を教えるって五月蝿かったからな。エル坊の申し出は渡りに船だったよ。残念なことに、おれは魔法師じゃねえから」
確かに、親父が魔法を使っているところは一度として見たことがない。
「そんな訳で、実のところはガルダナを出る時にアレクに渡すつもりだったんだが……完全に忘れててな。気づいた時はもう既にガルダナを出た後だった。つーわけで、偶然、観光の最中に出会ったエル坊に預けてたんだよ」
「いや、でも助かったよ。お陰で命拾いした」
「おいおい、頼むからおれより先に死ぬのは勘弁してくれよ。アリアの奴に会いてえのは分かるが、せめておれより後に死ね」
「分かってる。それに、俺は一人じゃない」
口を滑らせでもしたのか、学院長にまたしても折檻されるオーネストと、話を聞きながらも届いた注文────〝ハバネロ丼〟を幸せそうにぱくぱくと頬張るヨルハ。
それらを呆れながら眺めるクラシアを一瞥して、俺は言う。
「なら、良いんだけどな。つうか、お前ら四人とも優秀だっただろ? なのに死にかけるってどんな怪物に出くわしたんだよ……」
「正直、あいつとはもう二度と戦いたくはないな。なんというか、色んな意味で」
リクという人間を、俺は最後の最後まで嫌いにはなれなかった。
勿論、多くの関係のない人間を巻き込んだ悪人である事は疑いようのない事実だ。
それでも、口にされた言葉の一つ一つに込められた感情の多くに多少なりの理解が出来た。本当は理解してはいけないのだろうが、狂行に走るしか選択肢がなかった彼の生き様にも、また。
だから、強さとは別で心情的な意味でも、もう二度とリクと戦いたくはなかった。
結局、あの後別れてからリクがどうなったのかは知らないが────そこでふと、俺の中の時が止まった。
「────……そう、だ。そうだった。あれは、あの時に見た字だ」
「……アレク?」
親父から名を呼ばれる。
だが、一瞬にして俺の中の余裕は削り取られ、焦燥と激しい動悸に見舞われる。
そのせいで、親父の言葉に気付けない。
「ヨルハ。そのペンダント貸してくれ」
リクから受け取っていたロケットペンダントは、今はヨルハが肌身離さず首から下げている。
他の荷物も諸々あったが、それらは全てフィーゼルに置いてきている。
だから、筆跡を判断出来るものはロケットペンダントの中に刻まれた短い文字だけ。
ただ、今はそれだけでも十分過ぎる。
「……ねえ、アレク。もし、かして」
俺の行動の意図に気付いたクラシアが、信じられないとばかりに言葉を紡ぐ。
しかし、癖のある筆跡であったが故に、彼女にも少なからず心当たりがあったのだろう。
首を傾げながらも、ロケットペンダントを渡してくれたヨルハから受け取り、確認する。
──── 私は、グランが死にかけている姿こそ見たが、あいつの死体を見た訳ではない。あのグランの事だ。もしかすると、どこかで生きてるかもな。
……やっぱり、そうか。
リクのあの発言が、よりにもよってここに繋がってくるのか。
可能性としては、あり得なくもないのだ。
何より、〝古代魔法〟の使い手だったリクの師匠的立場であった筈の彼ならば、何もかもに辻褄が合ってしまう。
「……どういう事だ?」
「もしかすると、俺達は学院長のその手紙の差出人を知っているかもしれません」









