九十話 チェスター
それからというもの、ビギナーズラックが一度にとどまらず、二度、三度と続いてゆくうち、気付けば場はしんと静まり返っていた。
「あ、ありえん」
それは、つい数分前までギャラリーが口々に発していた言葉であった。
しかしその一言はあろう事か、先程までその感情を多くの人間から向けられていたちょび髭の男の口から呟かれたものだった。
彼の視線の先には運ひとつでこれまた大量のチップを眼前に積み上げてしまった男────オーネストがいた。
「ここまで的中させ続けるなど、それこそイカサマを使っているとしか……」
その発言には、「お前がな!」というツッコミが彼方此方から聞こえて来そうだったが、自分の事は棚に上げてちょび髭男は考えを巡らせる。
ただ運で偶然当てただけならば、まだ理解は出来たのだろう。
だが、ちょび髭の彼の性格がロキに勝るとも劣らぬ性悪であったが為に、オーネストの豪運に「ありえん」と言わずにはいられなかったのだ。
「さっきから思ってたのだけど、あのちょび髭、ロキみたいな性格してるわね」
つい先程から白い目を向けて観戦していたクラシアが、度々行われていたちょび髭男の行為に対し、決定的な一言を言い放つ。
どういうタネなのかは分からない。
だが、間違いなくちょび髭男は確実に何処へ球が落ちるかを分かっている。
しかし、百発百中とはなっていなかった。
その訳は、
「……やっぱり、偶に外してるアレはわざとだよな」
その理由は、予想外の事が起きた────などでは断じてない。
ただ単純に、他人の不幸は蜜の味と言わんばかりの「愉悦」が理由だろう。
ちょび髭男を信じて大金をベットした他のプレイヤーが大負けするその瞬間が堪らなく面白いから。だから、あえて偶に負けている。
性格がゴミ過ぎる気もするが、その時に限り、わざとらしく悔しがりながら口角をほんの少し吊り上げているので間違いない。
しかし困った事に、その罠がオーネストには通じていなかった。
まるで先を知っているかのように避けてゆく。しかもその理由が、何となく気が乗らない。であるから驚きも一入。
結果、ちょび髭男が「ありえん」と絶句する羽目になっていた。
「凄いよ! オーネスト! これだけあったら、これまで買えなかった魔道具が十個……二十個……あれ! 何個買えるんだろう!?」
興奮を隠し切れないヨルハが、頑張って指折り数えているが、桁的にどう頑張っても指でどうにかなる金額ではない。
分からないのも無理はなかった。
「……だが、イカサマをした様子はない。となると、これは純粋な豪運か? ……全く、とんでもないボウヤがいたものだ」
ちょび髭男は、シルクハットを目深に被り直す。
「しかし、喧嘩を売る相手を間違えたなボウヤ。たとえルーレットであろうと、ワタシに勝とうなど百年早いのだよ」
勝手にちょび髭男が売って、それをオーネストがのらりくらりと躱し続けていただけな気しかしなかったが、ちょび髭男はそう捉えてはいなかったらしい。
「ただ、ボウヤは運が良い。ワタシも生憎暇じゃない。これだけ騒ぎを起こしてもチェスターがやって来ないという事は、恐らくカジノにチェスターはいないのであろう。ならば、ワタシがこれ以上長居する理由もない」
ちょび髭男はそう口にしてから立ち上がり、ディーラーに一言、換金の旨を伝えてその場を後にしようとする。
恐らくは格好をつけようとしていたのだろうが、
「要するに、負け惜しみか」
「違うわ!!」
それなりに距離が生まれた頃合いを見計らい、綺麗に纏めたオーネストの言葉にがばっと勢いよく振り返り、ちょび髭男が抗議の声が飛ばしていた。
それからというもの。
時間がないと言いながら、オーネストの挑発に乗るちょび髭男との言い合いを俺達は数分ほど眺める事になった。
「愉快なオッサンだったな。結構、得体の知れないオッサンでもあったが」
間違ってもそれは、イカサマの件についてではない。もっと別の部分。
普通にしていれば気付くことは無かったが、
「影がない人間なんて、生まれてこの方初めて見たぞ」
彼には、影がなかった。
ただの目の錯覚か、はたまた見間違いかと思ったが、間違いなくあのちょび髭男には影が存在していなかった。
「……幻惑魔法って事?」
影の有無に気付いていなかったクラシアが、順当な答えを口にする。
魔法で創られた偽物────幻惑魔法によって形成されたものであるならば、影が存在しない場合も存在するから。
「いや。少なくともあれは実体だろ。幻惑にしちゃ、あまりにリアル過ぎる」
しかし、ちょび髭男の相手を一番していたオーネストがその可能性を否定した。
幻惑魔法も、所詮は仮初。
長時間の存在は出来ない上、何より幻惑魔法であるならば影の有無以前に魔法の使用に気付けた筈だ。
「……ただ、気づいたかアレク」
目を細めながら、何処か忌々しげにオーネストは言う。
「あのちょび髭、〝二重人格〟野郎と似たような雰囲気を纏ってやがった」
「〝二重人格〟って言うと」
闇ギルド所属の血魔法使い────グロリア。
ダンジョン〝ラビリンス〟にて出会った名持ちの男の姿が思い起こされる。
「ああ。闇ギルドのうっせえ野郎だ。そいつが、〝呪術刻印〟なんてもンを使ってた時と、少し雰囲気が似てるような気がした」
「……イカサマと、影がなかったタネがそれって事か」
生憎、〝呪術刻印〟などというものの知識は殆どない為、正確な判断のしようがないが、
「恐らくだけどな」
きっと正しいのだろう。
こういう時のオーネストの勘は、恐ろしい程に的中するから。
程なく、先のちょび髭同様、オーネストもディーラーに換金の旨を伝えて立ち上がる。
稼いだお金への興味は殆どないのか、チップと交換で渡されたカードをオーネストは放り投げるようにヨルハに渡していた。
「オーネストがギャンブラーになったら、結構な財産築けるかもな」
「冗談じゃねえ。オレさまにゃ、槍を振ってる方が余程性にあってる」
────それに、つまンねえだろ。そんな人生。
そう言ってオーネストはバッサリと切り捨てる。少しばかり勿体無い気もしたが、俺自身にとっても冗談半分の言葉。
それもそうかと笑って返しておいた。
やがてルーレットの台から離れた俺達は、ほくほく顔のロキに出くわす。
様子からして、懐が暖かくなったのだろう。
「よぉ。てめえによく似たクソ野郎がいたぜ」
「え? とんでもない僕似のイケメンがいたって? どこ? どこどこ!?」
「……どんな耳してやがンだか」
冗談とも本気ともつかない様子で、忙しなく首を動かすロキはやはり、良い性格をしてると思わずにはいられない。
というより、どう聞けばそう聞こえるのだろうか。
「それより、ロキの隣にいるその人は?」
「ああ、こいつ? こいつはね、チェス、むぐっ!? もごっ、むぐ、むむむんん!?」
ロキの側には、紫髪の見慣れないドレッドヘアの男がいた。
顔立ちはいかつく、猛獣を思わせるような鋭い眼光も相まって反射的に一歩引いてしまう、そんな雰囲気を彼は纏っていた。
そんな彼に、ロキは口を押さえられてもがもがと聞き取れない言葉を連発する。
(てめえ、俺チャンの名前を馬鹿正直に言ってどうすんだよ!? 〝人面皮具〟の意味がなくなんだろが!?)
(……あ。今は身を隠してるんだっけ? 大変だねえ、名の知れた情報屋さんは)
(情報屋じゃねえって何回言ったら分かんだ……。ったく、いつか痛い目遭わせてやっからな。覚悟しとけクソヤロー)
出来る限り小声で話してはいたが、魔法か何かで聞き取れないように特別細工をしていた訳でもなかったので、大体聞き取れてしまう。
恐らく彼が、このカジノの所有者。
チェスターという男なのだろう。
「……〝人面皮具〟?」
最中、ドレッドヘアの彼の正体がチェスターである事をそっちのけに、ヨルハが〝人面皮具〟という言葉に反応を見せていた。
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、〝人面皮具〟って言えばとんでもなく有名な〝古代遺物〟だよ。でも、ボクの記憶が確かなら、どこかの国が厳重に保管してる筈なんだけど」
だから、誰かの手に渡っているのはおかしいとヨルハは告げる。
とはいえ、丁度隣にロキという存在がいたのがまずかったのだろう。
御国の秘技だろうと盗みを働いた彼の知り合いならば────強奪した可能性も。
そんなとんでもない可能性に俺達が辿り着くと同時、その可能性を信じられる事を懸念してか、ドレッドヘアの男は溜息を一度挟んでから口を開く。
「随分と物知りなお嬢チャンだな。ああ、そうだ。魔法の痕跡もなく、姿形を自在に変えられる〝人面皮具〟はある意味で危険度が群を抜いてる〝古代遺物〟。だから、封印指定のような扱いを受けてる。流石に俺チャンも命は惜しい。盗むような真似はしねーよ」
封印指定にまでなっているのだ。
最悪の事態の想定はなされているだろうし、ロキのように技術をこそ泥するのとは訳が違う。
「じゃあ、〝人面皮具〟って言ってたのは」
「これは、〝人面皮具〟の模造品だ。職人の国、アルサスで一番の魔道具職人に大金を積んで作って貰った模造品だ。とはいえ、使った素材が素材なだけに、俺チャンが持ってるコレは、この世で一つだけの模造品だがな」
〝古代遺物〟の複製。
〝古代遺物〟が飛び抜けた価値を誇っているのも、それが複製出来ない唯一のものである部分が大きい。
複製を挑んだものは数知れず、しかし、どれだけ腕の良い職人であってもそれは不可能。
それが常識であり、覆しようのない事実であると俺は記憶している。
だから、彼の言葉をすぐには信じられなかった。
「まあ、〝人面皮具〟はさておき、よ。てめーら、俺チャンに話があるんだろ? 取り敢えず、場所を移そうぜ。ここだと話せるもんも話せねえからよ」
背を向けて歩き出すドレッドヘアの男の後ろをついてゆく。
どうして彼は、〝人面皮具〟なんてものを使用しているのか。
そんな疑問を抱くと同時、ちょび髭男が漏らしていた言葉が不意に思い起こされる。
──── これだけ騒ぎを起こしてもチェスターがやって来ないという事は、恐らくカジノにチェスターはいないのであろう。
まるで彼は、チェスターを呼び込もうとしているようであった。
関係があるのだろうか。
「しかし、てめーらも損な時期にメイヤードにやって来たもんだ」
息を吐くように〝サイレンス〟の魔法を使用し、声が周囲に漏れないように対策をした上でドレッドヘアの男、もといチェスターが口を開く。
「損な時期?」
眉を顰めて俺は尋ねる。
「今、メイヤードでは面倒な事が起こっててな。そのせいで、本来ならガネーシャのやつを馬車馬のように働かせたいんだが、それも出来ねー」
「もしかしなくても、ダンジョンに問題が起こった?」
ガネーシャの借金返済のアテは、ダンジョンでの労働のみ。
ならば、彼女を働かせられないとくれば何があったのかはある程度予想出来てしまう。
ロキの問い掛けに、チェスターは首肯。
「……一ヶ月前にな、ダンジョンの近くでどんぱちやりやがったバケモンがいてよ。そのせいで今、メイヤードのダンジョン付近にでけークレーターが出来上がってやがる。とてもじゃねーが、入れたもんじゃねー」
ダンジョンに入れない程の惨状ともなると、災害のような戦いでもあったと見るべきか。
「だが、問題はそれだけじゃねー。損な時期って俺チャンが言った理由は、ダンジョンの事じゃなく、こっち。最近、メイヤードで起こってる魔法師の失踪についてだ」
「……それはまた、随分と穏やかじゃないねえ」
「ここ一ヶ月で大体、百人消えた」
「ひゃくっ……!?」
事もなげに口にされた事実はあまりに深刻で、思わず声がうわずってしまう。
「一応、低く見積もって百だかんな。実際はもうちょい消えてるだろうよ」
何の為に。どういう意図でもって魔法師が失踪する羽目になっているのだろうか。
疑問は尽きなかったが、こうしてチェスターが俺達にわざわざ事情を話す理由が分かってしまう為に、疑問を投げ掛ける事を躊躇う。
きっと彼は、
「だから、俺達はガネーシャを引き取ったらさっさとメイヤードから出て行けって事か」
「話が分かる奴は好きだぜえ? ま、そういうこった。今回はガネーシャの借金をツケにしといてやっから、さっさとフィーゼルに帰れ。俺チャンとしては、てめーらに居られると不都合があるんだわ」
ロキとの関係値は腐れ縁のようなもの。
チェスターが人死を忌避する聖人染みた性格の持ち主かと問われれば首を傾けざるを得ない。
そんな彼がこうして半ば強引にメイヤードから出ていけと口にする。
その理由とは、一体何だろうか。
俺達がメイヤードにいる事で、チェスターにどのような不都合が生まれるのか。
一つ確実に言えることは、その魔法師失踪の件についてチェスターはそれなりに情報を持っているということ。
知っているが故に、俺達のような魔法師が増える事が不都合と断じる事が出来てしまう。
とはいえだ。
「分かった。だけど一人、会いたい人がいる」
俺達に今メイヤードで起こっている一件に首を突っ込む理由はない。
「帰るのは、その人に会ってからにしたい」
「そういう事なら問題はねーよ」
「ただ、その人がどこにいるかが分からないんだ。だから、チェスターさんを頼ろうとしてたんだけど」
そこで、合点がいったと言わんばかりにチェスターは笑みを深める。
ガネーシャ一人を連れ戻すにしては人数が多く、俺達とロキという組み合わせの理由が理解出来なかったのだろう。
「メイヤードの事なら俺チャンが一番詳しい。名前を言いな。場所くらい、すぐに教えて」
「ヴァネサ・アンネローゼ」
「────」
気を良くしたように、さっさと言えと促すチェスターの言葉に甘え、ヴァネサ・アンネローゼの名前を出すと、何故かチェスターの表情が凍りついた。
やがて、
「……悪い。前言撤回させて貰う。そいつの居場所以外なら何でも教えてやる」
「そりゃ、どういう事だ?」
名前を聞いた途端、教えられないと発言を覆したチェスターの言葉に、オーネストが不信感をあらわにしながら問い掛ける。
「言葉の通りだ。ヴァネサ・アンネローゼの居場所だけは、教えられねーんだ。勘違いすんなよ? これは意地悪で言ってる訳じゃねー。一ヶ月前なら、答えてやれたが、本当に俺チャンも知らねえんだ。ヴァネサ・アンネローゼは、一ヶ月前に忽然と姿をメイヤードから消したからよ」