八十九話 胡散臭い謎の男
「……でも、大丈夫なのか」
「なにが?」
「いや、何がって、アレのことなんだが」
積極的に目を合わせる気は毛頭なかったが、視線の先には先程紹介されたガネーシャの姿。
威勢よく叫び散らしてはいたが、それも最早、既に過去の話。
スタッフらしき黒服に、あれよあれよという間にガシリと拘束され、奥へと連れていかれようとしていた。
どこからどう見ても自業自得なのだが、連れ戻すべき人間があんな事になっていて大丈夫なのだろうか。
「ああ、アレね。まぁ大丈夫でしょ。前回もおんなじ目に遭ってたらしいし」
「……前回っていうと」
「〝ネームレス〟の他のメンバーを寄越したものの、レヴィエルが連れ戻すのに一ヶ月掛かったとか言ってたアレだよアレ」
「そういや、ジジイがそんな事言ってたな」
「あんな碌でなしでも、一応は優秀な冒険者だからね。ガネーシャだけ特例で、メイヤードにあるダンジョンに連れてって借金を返済させるって手法が取られてたらしい」
ただ連れ帰るだけで一ヶ月も時間を要した理由が判明した。
レヴィエルがルオルグは甘過ぎると言っていた理由は恐らく、その返済を手伝ったから。
そんなところだろうか。
「でも、幾ら借金の返済って言っても一ヶ月も掛かる?」
仮にもSランクの冒険者。
しかも、ルオルグ達も手伝っていた可能性が高い。にしては、一ヶ月は掛かり過ぎだろうというヨルハの疑問はもっともなものだった。
「そりゃ、五回も繰り返してたら一ヶ月掛かるでっしょ」
「……完済した直後にまたカジノに入り浸って、借金を作ったってこと?」
信じられないものでも見るような様子で、クラシアが問う。
流石にそんな馬鹿な真似をする筈はないだろうと思ったが、ロキの返答は肯定だった。
「そゆこと。もっとも、ルオルグ以外の二人は一回目だけは渋々手伝ったらしいけど、その後は好き勝手観光してたみたいだしね。そりゃ一ヶ月掛かるがなって話さ」
「流石は〝ネームレス〟。ルオルグ以外、相変わらず自由人の集まりね」
棺型の〝古代遺物〟を背負った男性────ヒツギヤとは殆ど会話をしていないが、オリビアの性格はよく知るところ。
「一生返済してろ」と口にして、一人行動に切り替える光景が目に浮かぶ。
「でも、これで二つも手間が省けた」
「……二つ?」
ガネーシャを探す手間が省けた事は分かるが、何故二つなのだろうか。
「そりゃ、あっちにお目当ての情報屋がいるからね。どうやって接触しようか悩んでたんだけど、これなら話は早い」
嫌だぁぁあ! 働きたくないぃい! ギャンブルで楽して儲けたいぃい!!
などと碌でもない事を叫び散らしつつ、ずるずると奥へ運ばれてゆくガネーシャの行き先らしき場所をロキが指差していた。
恐らく、連行されるガネーシャをダシにして接触するつもりなのだろう。
「……もしかしなくても、情報を持ってる人ってカジノの関係者なのか?」
「関係者も関係者。というか、このカジノのオーナーだね。名前は、チェスター。本人は情報屋って名乗ってはないけど、少なくとも彼以上にこのメイヤードで情報を持ってる人はいないだろうね。あいつ、半端ないくらい地獄耳だから」
「地獄耳だあ?」
耳が良い事は、情報を得る手段としては重要なものではあるだろう。
だが、それだけでメイヤードいちの情報屋と言われても、俺もオーネストと同様に胡散臭さに似た感情を抱いてしまう。
「実際のところは知らないけど、聞こうと思えばそれこそ、数十キロ先の会話まで聞こえるらしいよ?」
補足された内容に、成る程と思う。
それはもう、地獄耳とかそういう次元の話ではないと思うんだ。
「……魔法か。それも多分、〝固有魔法〟」
情報屋と言われて真っ先に、〝夜のない街〟レッドローグにて出会ったベスケット・イアリの名が浮かんだが、彼女とは別系統ながら情報屋らしい魔法の使い手だった。
「恐らくはね。もっとも、厳密にどんな魔法なのかは詳しく知られてないから、あくまで僕の予想でしかないんだけども」
地獄耳、となると単純に耳が良いだけか。
はたまた、声を拾う能力に派生出来る魔法────音関連の魔法か。
何にせよ、そんな魔法は聞いた事もない。
敵として出会う訳ではないが、〝固有魔法〟と聞いた途端に警戒してしまうのは魔法師としての性かもしれない。
そんな事を考えてる間に、ロキはその場を離れるべく歩き出していた。
しかし。
「えっ、と、ロキ? そっちは逆だと思うんだけど」
早速とガネーシャを助けに向かう名目で、チェスターに会いに向かうのかと思えばロキはその真逆を歩いていた。
ヨルハのその疑問に対し、分かってないなあと小憎たらしい笑みを浮かべてチッチッチ、と右の人差し指を左右に揺らす。
絶妙的に人をイラつかせる所作である。
「ここで助けたらルオルグの二の舞だよ。物事の根本的な解決はね、痛い目を見る他ないんだ。安易に助けると碌な事が起きない。という訳で、僕はカジノで存分に遊んでからガネーシャのとこに行くって訳さ」
「……正しい事を言ってるのは分かるんだが、それがロキの言葉ってなると途端に碌でなしって感想が出てくるな」
「これまでの行いがクソだからな」
オーネストが相変わらずの侮蔑の視線を向けていたが、既にロキの興味は遊戯の場に注がれていたからだろう。
いつものように言い返す事もなく、待ち切れないといった様子でテーブルへと向かって行った。
「しかし、今ここにビスケットの奴がいれば、相当な金を稼げただろうな」
人の思考を覗く事のできる〝固有魔法〟持ちであるベスケット・イアリならば、オーネストの言う通りリスクゼロで大金を稼ぐ事が出来るだろう。
「運で決まるものは兎も角、駆け引きの存在するポーカーとかだとベスケットの一人勝ちだろうな」
自分が勝つか負けるかが確実に分かってしまう。思考を丸裸に出来ると言う事はつまり、取り繕おうとしても「取り繕った」という事実すらも見抜かれる。
対策らしい対策は、己自身が自分の手札を一切見ない。という、自分すらも答えを知らない状況を作り出す事くらい。
しかし、その結果を掴み取るには思考を覗く〝固有魔法〟を使ってくるという事前知識がなければ土台無理な話。
とどのつまり、特定の遊戯においてベスケットは敵なしという訳だ。
特別、金に困っている訳ではないが、無双出来る人間を知っている為、惜しい事をしたような気持ちに陥った。
「ま。折角カジノに来た事だあ。オレさま達もちょっくら遊んでみっか」
こうしてわざわざ服まで着替えたのだ。
何事も経験とも言う。
少しくらい遊んでいくのもアリだろう。
数多く存在する遊戯の台。
賭け事はあまり得意ではないから、出来れば駆け引きよりも運で全てが決まるものが好ましい。
そう思い、周囲を見回す。
「ねえ、アレク」
「ん?」
「あそこだけ、凄い人集りが出来てる。何なんだろう?」
最中、側にいたヨルハの声に従って視線を向けると確かにそこだけ異様なまでに人集りが生まれていた。
喧騒がひどく、聞き取り辛くはあったが、耳を澄ますと何やら連勝だ、なんだと聞こえてくる。
どうにも、とんでもなく勝ち続けているプレイヤーがいるらしい。
「ルールもまだあんまり把握出来てないし、少し観に行ってみるか。ロキは……まぁ、放っておいて大丈夫だろ」
メイヤードは故郷とか言っていたし、俺達よりもずっと勝手は分かっている筈だ。
時間を潰す必要もあるし、別行動をしても問題はないだろう。
「だな。コツがあンなら見て盗んで、クソ野郎よりも沢山稼いでやろうぜ」
「まぁ、難しいとは思うけどな」
見て盗めるくらいなら、ガネーシャがああして連行される事もなかっただろう。
やがて、人混みをかき分けながら人集りの中心へと向かうと、そこには積み上げられた大量のチップ。加えて、奇抜な格好の男性がいた。
シルクハットを被った壮年の男。
足を組みながら、首に巻いたマフラーを手で弄る彼の前には、どっさりとチップが積み上げられていた。
遠目からで判然とはしないが、軽く見積もってもその額は、王都の一等地で豪華な屋敷一つ買ってもお釣りが来るであろう金額だった。
「……どこぞの富豪か?」
「そう思うのも無理はない。だがあの男は、たったチップ一枚であそこまで金を積み上げた正真正銘の化け物だよ」
オーネストの呟きに、場に集まっていた男性の一人が答える。
たった一枚であれだけの金額。
一体、何度勝算の低い賭けで勝てばああなるのだろうか。
しかも、賭け事の内容は心理戦がものを言う遊戯ではなく、運任せのルーレット。
当てずっぽうで数字に賭け続け、チップ一枚からここまで増やせる確率は億が一だろう。
恐らくは種がある。
それも、ベスケット・イアリのような特殊なタネが何処かに潜んでいると考えるのが普通だ。
「化け物、ねえ……?」
オーネストも、その可能性に気付いたのだろう。奇抜な格好の男の様子を注視し始める。
身に付けているもの。身振り手振り。魔法の兆候。それこそ、ありとあらゆるイカサマの可能性を暇潰し感覚で探し出す。
しかし、待てど暮らせど僅かな痕跡すらも見つけられなかったのだろう。
つまらなさそうに溜息を漏らし、視線を外した。
「……胡散臭え」
タネも仕掛けも全く無いように思える。
だからこそ余計に────胡散臭い。
だが少なくとも、俺達の自力で見つけられるような仕掛けはどこにも無い。
荒稼ぎをしてやる可能性が彼から得られないと知るや否や、興味を失ったオーネストは他の遊戯に向かおうとする。
「────実に失礼な人間だ。ワタシの何処が胡散臭いというのだね」
けれど、その行為に待ったを掛ける人間が一人。オーネストの呟きを耳聡く聞き取った件の男だった。
椅子に腰を下ろし背を向けた状態のまま言葉が発せられていた。
「目の前の事実。口調。格好。どれもこれもが胡散臭さの塊だろうがよ。特に、その格好。奇抜な格好を好むヤツってのは大抵が信用出来ねえと相場が決まってる」
前者は兎も角、後者の格好の件については俺達四人のみが理解出来る共通認識だった。
特に、俺達が共に過ごした魔法学院において、奇抜な格好を好んでいた担任ローザ・アルハティア。
学院長を務めていたカルラ・アンナベル。
東方伝来の着物という服装を好んでいた彼女もまた、奇抜な格好を好む人間の一人。
更にもう二人ほど該当人物はいたのだが、そのお陰で俺達の間では奇抜な格好を好む人間は油断ならないという共通認識が出来上がった。
「いやはや、手厳しいねえ。しかしだ。困った事に、ワタシはイカサマをした覚えは一度としてない。それは、キミが一番理解してると思うのだがね?」
どういうカラクリなのかとオーネストが真剣に注視していた事を言っているのだろう。
魔法の痕跡を始めとして、彼は限りなく白。
それがオーネストの下した結論でもあった。
白と断じない理由は、あまりに不自然過ぎるが故に。
そしてこれまでのオーネストの経験から来る奇抜な格好を好む人間に碌な奴がいないという過去。加えて、オーネストが何よりも信を置く己の勘に基づいた結論だったのだろう。
「そもそも仮に、ワタシがイカサマをしていたとして、それの何が問題なのかね? 誰にも気付かれていないならば、それはイカサマではなく確かな技術でしかない。そうは思わないかね?」
イカサマをイカサマとして見抜けないならば、それは見抜けなかった側────つまりは、ホストが悪い。
それが彼の言い分であった。
もしこの場にロキがいたならば、逡巡なく賛同し、手を叩いて意見を支持した事だろう。
なにせロキは、バレなければ問題ないと豪語していた側の人間だから。
一見するとゲスの発言にしか思えないが、彼らの発言はある意味で正しいものだ。
真っ当な人間とは言えないかもしれないが、間違ってはいないのだ。
「……確かに、胡散臭くはあるがてめえの発言は何も間違っちゃいねえな。……ちょいと気が変わった。時間潰しがてら、てめえのその化けの皮を剥いでやるのも悪くねえ」
唯一空いていた席へとオーネストは、どかっと腰掛ける。
そして、カジノに入る際に予め変えておいたチップを机に乗せた。
「……おい、オーネスト」
相手は間違いなくペテン師。
真面に勝負するなど正気の沙汰ではない。
やめておけ、という意を込めて名前を呼ぶが、オーネストは不敵に笑うだけ。
「心配すんな。天才に不可能はねえのさ。たとえそれが、運の勝負だろうがな」
「……そういえばあのバカ、勝負事になると無類の強さを発揮するわよね」
ふと思い出したかのようにクラシアが呟く。
戦闘は兎も角、運要素の絡む勝負事ではクラシアの言うように無類の強さをオーネストは発揮していたのだ。
「……ボク、オーネストにじゃんけん一度も勝ったことないんだよね」
「……そういえばオーネストの奴、くじ引きはいっつも一番良いやつ引いてたな」
続くようにヨルハが。
学院時代の思い出を丸ごとひっくり返しても、くじ引き、じゃんけん等、オーネストが勝っている記憶しか思い出せなかった。
そう言えば、お前も十分存在がイカサマだったよな……? なんて懐かしい思い出に浸っている隙に、オーネストは一点掛けで7の数字にオールインしていた。
周囲のギャラリーが「猿真似だ」なんだと嘲笑ったのも束の間。
まるで吸い込まれるかのように、7の数字へとルーレットボールが落ち、場が静まり返ったのは十数秒あとの話であった。