八十一話 神降ろし
心の伴わない形だけの人懐こい笑みこそ浮かべているが、目蓋の隙間から見え隠れする異様に澄んだ瞳は、抜き身の刃のように冷ややかだ。
外見が少年だからと油断を出来る訳がない。
しかし、テオドールと名乗った少年の言葉が終わるより先に、ローザが呟きを漏らす。
「伏せろ」
近くにいた俺で漸くギリギリ聞こえる程の声。
虚空に手を薙ぎ、繰り出されるは不可視の風の刃。
ズタズタに切り裂かれる音が、遅れて鼓膜を揺らす。
「……酷いなあ? ぼく、丁寧に自己紹介をしただけなのにさ?」
立ちのぼる砂煙。
その先からは、何事もなかったかのように声を発する人影が一つ。
ぱん、ぱん、と服を矯め直す音までもが聞こえて来た。
先の攻撃を攻撃とすら認識していない事がよく分かる。纏う雰囲気からして尋常でない人間とは理解していたが、厄介な人間ばかりで嫌になる。
「でも、今は君達と戦いにきた訳じゃないんだよね。僕は君達を、助けに来てあげたんだ」
思考が、加速する。
テオドールの言葉は、あまりに薄っぺらかった。感情を宿さないビー玉のような瞳からは、内心を汲み取れない。
感情は何も映していない。
ただただ、俺達を底冷えした無の感情で射抜き続けるだけ。
「……敵と名乗りながら助けに来ただと? 冗談にしても、もっとマシなものがあるだろう。テオドール」
「もしかして、ローザちゃんの知り合い?」
「〝闇ギルド〟の人間だ。それも、私の知る中では頭ひとつ抜けてタチの悪い悪党だ」
「否定はしないよ。だけど、今回ばかりはそうも言ってられないんじゃない? それに、お互いの利の為にお互いを利用しようと提案してるだけさ。仲良くお手手を繋ぎましょうって言ってる訳じゃない。もっとも、君達の利は時間を掛ければどうにかなってしまいそうではあるけど」
俺に視線が向く。
古代文字を読み解ける人間など、希少過ぎる。可能性としては考慮する事が馬鹿らしいと思えるレベルの筈だ。
「出るだけならば、五分程度。けど、リク君が用意した障害はこれだけじゃない。でも君ならば、それすらもどうかしてしまうだろう。ただ、その五分十分が今はあまりに致命的」
直後、ずずずと大気が揺れる音が聞こえた。
隔たれた異界と称すべきこの空間に、何故か届く地鳴りのような音。
それが異常事態故である事など、指摘されるまでもなく分かっている。
「取るべきではない手であっても、君達は、ぼくの手を取るしかないんじゃないかな」
他の仲間達を、助けたいならばね。
聞こえるか、聞こえないか程度の声量で付け足された意地の悪い呟きに、表情が歪む。
だけれども。
「断る」
俺は、真っ先に拒絶した。
「得体の知れない人間を信用する程、手詰まりでもないし、心配ではあるけど、オーネスト達は弱くない」
シュガムを相手取った謎の人物。
オーネストに、ベスケット・イアリ。レガス。
彼らであるならば、その致命的な五分十分であっても稼いでくれる筈だ。
前者は兎も角、そう思えるだけの信がある。
だから、テオドールの手を握り返す気はこれっぽっちもなかった。
「へえ。随分と警戒心が高いね。古代文字の心得がゼロであれば頷くしかなかっただろうけど、そうでないが為に断る余地が生まれてしまった、か。全く、予定通りに進んでくれないね。だけど、予定通りに進んだ事なんて一度もない。嗚呼、うん。分かってる。これは、今更だ」
テオドールは、形だけの笑みを深めた。
不思議とそれは、長年にわたって行い続けた儀式のような呟きに思えた。
「素晴らしい友情だ。パーティーとはかくあるべきものだね。でも、その信用が彼らを殺すよ。リク君が行おうとしている〝神降ろし〟とは、そういうものだから」
「神降ろし、だと?」
「ああ。文字通りそれは、神を降ろす行為。かつて『規格外』と恐れられたアリア・ユグレットや、その仲間達ですらもその儀式のせいで命を落とした。不完全とはいえ、三人やそこらで止められるものじゃない」
「出鱈目だな」
「でも、そうでもなければ説明がつかないんじゃない? あのパーティーが突如として姿を消した説明はさ」
ローザの言葉に、テオドールは煽るように言葉を返す。
「ま、ぼくの言葉が欺瞞かどうかの判断は、君ら次第であるけどね」
感情が宿らなかった瞳には、気づけば懐古の色が滲んでいた。
「それと、エルダス・ミヘイラがレッドローグにいる理由も、遡ればそこに繋がってるよ。彼がやってきた理由は、〝神降ろし〟を止めに来たから。当然だよね。何せ彼は、十七年前に行われた〝神降ろし〟で、贄として連れ出された人間だったのだから」
エルダスが、贄……?
い、や。そもそも、どうして
「どうしてぼくが、それを知っているんだって? 決まってるじゃないか。真実を知っているのは、当事者のみ。要するにぼくは当時、その場にいた人間だ」
……だから、懐かしんでいたのか。
テオドールは、俺達に敵と名乗った。
ならば彼は〝闇ギルド〟側の人間だろう。
でも、疑問が残る。
テオドールの言葉全てが真実であると仮定するならば、彼は〝神降ろし〟という儀式を試みた側の人間だ。
なのにどうして、彼はこうして俺達に止めさせようとしている?
「かつての実行者は、世界を壊す事が望みだった。事実、アリア・ユグレット達がいなければ、間違いなく今の世界は終わっていた。でもぼくの望みは違う。ぼくの望みは、神を殺す事。〝神降ろし〟は世界を壊せても、神は殺せない。だから、ぼくは君達の下へやって来た」
テオドールは、洒脱な所作で此方へ手を差し伸べる。
「さあ、ぼくの手を取って共にリク君を殺そう。ローザ・アルハティアも、レッドローグが更地に変わってしまうのは看過出来ないだろう?」
一応、話の筋は通っている気がする。
テオドールは、〝神降ろし〟を止めたい。
〝神降ろし〟が具体的に何であるのか。
その理解は未だ薄いものの、俺達も叶うならば止めたい。
お互いの目的は、その一点にのみ一致していた。
だけど。
「……その話が全て本当なら、あんたは俺の母の仇にあたる訳だ」
「おい、アレク」
「それに、その話を本当と仮定すれば、エルダスの態度にも説明がつくよ」
馬鹿正直に信じる気かお前。
そう咎めてくるローザに向けて、俺なりの考えを示しておく。
何より、俺の知るエルダスの態度こそがテオドールの言葉を裏付ける最大の理由であったから。
己のせいで、俺の母が死んでしまった。
などと言える訳がない。
あの性格のエルダスが、俺に向かってそんな事を言える訳がない。
黙るしかなかったのだろう。
不信感を抱かれる事になろうと、はぐらかし、黙り込むしか選択肢はなかった筈だ。
「だけど、そんな人間の手を俺が取るなんてそれこそあり得ない」
「なら、他の仲間達は死んでいいって?」
「オーネスト達はその程度で死ぬようなタマじゃない。それに、あんたの手を借りるまでもなく、解読ならもう終わった。ここはもう、俺の空間だよテオドール」
ダンジョンのなりをしただけの空間が、変貌を始める。
当初、解読に時間を要していたのは、己の記憶を掘り返していたから。
コツさえ掴めば、後は容易だ。
古代文字であろうと、パズルを解くのと何ら変わりはない。
それと、テオドールは一つ、致命的な情報を俺に与えてしまった。
「あんた、俺の解読が五分掛かると言ったけど……古代文字を読める人間は、そんな見当違いな意見を言わない」
彼が割り込んできた時点で、勘は取り戻していた。正しくは、後一歩の状態だった。
それをあえて引き伸ばしていたのはテオドールが姿を現したから。
何もない人間が、あのタイミングで出てくる訳がない。
だから、俺はあえて手こずっている風を装った。それを見抜けない時点で、彼に古代文字の心得はない。
古代文字を扱えるが故に、この異空間に入り込んだのでないのなら。
「前々からこの空間に行き来出来るように仕掛けを施してただろ、あんた」
考えられる可能性はそれか。
もしくは、それが出来る魔法を扱える人間。
前者であっても後者であっても、リクが彼に利用されていた可能性すらも出てきた。
何はともあれ、一刻も早くこの空間から出てリクを止めなくてはいけない。
リクは、ヨルハの兄に繋がる人物だ。
聞き出すこの機会を逃す訳にはいかない。
「そんな人間の言葉を、信用する訳にはいかないな」
手を貸すと口にした理由は、その際に何かを仕掛けるつもりだったのか。
はたまた、俺達をここから出す理由があるからか。
「嗚呼。ほんとうに。本当に予定通りに進まない」
どうしてかは分からない。
でも、テオドールのその言葉は俺に向けられたものではないような気がした。
その予感が、確信に変わったのはその一瞬後。
「とはいえ、これも今更だ。だからここに、君がやって来るのも想定範囲内だよ。エルダス・ミヘイラ」
「────漸く見つけた。テオドール」
シュガムとの戦闘の際に割り込んできた人間が、エルダスの声を響かせながら突如として姿を現す。
否、外套の隙間から覗く白い髪こそが証左。
彼は、まごう事なくエルダスだ。
「やっぱり、ローザちゃんに頼んでおいて良かった。テオドールを見つけたら、魔法で合図を出して欲しいと手紙で伝えておいて本当に良かった」
真っ先に行使したあの魔法はそれ故か。
いや、あれじゃない。
誰もの注意をあれに引き寄せながら、一瞬で他の魔法も行使していたんだ。
それが、エルダスへの合図だった。
当たり前のように行われた技量に、俺は内心ながら驚きを禁じ得なかった。
「久しぶり、アレク。とはいえ、再会を祝うのはまた後だ。ここからは、出られるね?」
どうしてあの時、俺の前から姿を消したのか。シュガムとの戦闘の際、正体を明かしてくれなかったのか。
それらに限らず、聞きたい事は山ほどあった。
「それと、空間は閉じておいてくれ。テオドールは、僕が抑えておく」
「………。分かった」
俺に魔法を教えてくれていた時と、何一つ変わらない口調。
そこに懐かしさを覚えながらも、俺はエルダスの言葉に頷いた。
まるで底の見えない人間であるテオドール。
しかし、シュガムでさえも抑えてみせたエルダスが、真っ先に駆け付けるほどテオドールはやばい人間なのだろう。
なら、エルダスの言う通りにした方がいい。
「二人を残してここから出る」
「いいのか。あいつ、平気で黙って雲隠れするようなやつだぞ」
「分かってる。だけど、エルダスは嘘だけは吐かないから。はぐらかす事はあっても、嘘だけは吐かないから」
その分、有耶無耶にされる事は多かった。
そう答えると、ローザはため息を漏らし、エルダスはバツが悪そうに表情を僅かに歪めた。
「それに、時間がないのも事実だから」
「……さっきから思ってたんだけど、変なのが広がってきてるよね」
不用意に口を開くべきではないと思っていたのか。これまで黙っていたヨルハが言う。
隔離された空間にもかかわらず、地鳴りのような音の後から、侵食するように奇妙なナニカが壁や床に広がり始めている。
この空間が単に不味いだけなのか。
外が相当やばいのか。
恐らくは、後者だろう。
「……まぁ、確かにこんなところで時間を浪費している場合でもないか」
「ただ、全てが終わったら色々と聞かせて貰うから。師匠」
「……分かってる。流石に、ここまできて話さない訳にもいかないだろうし。何より、テオドールがそれなりに話してそうだしね」
むず痒いから、その言い方はやめてくれ。
幼少の頃に散々言われていたその言葉を口にして、エルダスは苦笑い。
そして、これ以上の不信感を持たれるくらいなら、全て話してしまった方がいい。
そう判断しての言葉だったのだろう。
やり取りを最後に、俺達は〝古代魔法〟で創られた空間を後にした。
「良かったのかい。アレク達をそのまま行かせて」
あまりにすんなりと見逃したテオドールの行動の真意を探ろうと、エルダスは言葉を投げる。
「言っただろう。君の登場だって、想定範囲内だと。そもそも、ぼくは本当に彼らに協力する気があったからね。君がこうしてやって来なくても、外に逃すつもりであった」
「何故……いや、そうか。あの中にいるのか」
「そう。リク君は己を依代として使ってるけど、彼自身は造られた〝望む者〟でしかない。それも、半端でしかない、ね。だから泳がせてたんだ。どっちに転ぼうと、ぼくとしては美味しい展開だったから。ただ、そこにもう一人〝望む者〟が加れば。そうなれば本当に、成せるかもしれない。十七年前に頓挫した、あの時の続きを」
〝神降ろし〟を止められなければ、周囲にいた人間は────全員死ぬ。
それはかつて利用され、助け出された人間であるエルダスだからこそ身に染みて理解している事実。
「ぼくを殺す為に頑張ってくれていたリク君に対してのケジメだって、ヨルハ・アイゼンツが向かう事で達成される。止められようが、死のうが、彼にとってはこれ以上ない罰だ」
グラン・アイゼンツへの弔いを、実の妹であるヨルハに邪魔をされるという展開も捨てがたい。はたまた、唯一守ろうとした者を殺してしまうという悲劇も堪らない。
醜悪に歪むテオドールの表情が、そう物語っていた。
「ぼくとしても、あの時の続きが出来るならそれは構わないし、止められても、問題はない。人造ダンジョンコアの製造の核部分は既に此方で回収要員を回しているからね。要するに、リク君はもう用済みって事さ」
ちらりとテオドールはエルダスを一瞥。
「後は、事の顛末を見届けるだけなんだ。君さえ良ければ一緒に観戦でも」
「冗談だろう」
努めて平静を装うエルダスであったが、その怒りは周囲に一瞬で展開された魔法陣の数が物語っていた。
「それに、何も僕はレッドローグに一人で来た訳じゃない。僕は僕なりに考えて過去の清算をしにやって来たんだ」
十七年前に行われた〝神降ろし〟。
再び行われるとすれば、かつての当事者が一枚噛んでいる可能性は極めて高いと踏んでいた。
だからこそ、万一を想定してエルダスは動き続けていた。
そして、テオドールがいた時、己がテオドールに集中出来るように。
「お前の、望み通りになんてさせるものか」
目には決意が。
これ以上なく声音には感情が込められていた。
「ここから先は、真面に呼吸一つ出来ないものと思え、テオドール」
「やだなあ。そういう雰囲気、ぼく苦手なんだよね。もう少しさ、気楽にいこうよエルダス君」
普段のエルダスらしからぬ乱暴な口調で言い放たれた言葉を最後に、耳を聾する轟音がひっきりなしに響き始めた。
* * * *
「〝竜戰〟」
紫の軌跡が、虚空に走る。
縦横無尽に舞うその様は、さながら舞い散る花弁のよう。
音をも置き去りにする神速の薙ぎにて、オーネストは己らを襲う異形の怪物と、得体の知れない触手のようなナニカを退けていた。
「〝紫霞神功 〟とはつまり、竜殺しの極技。人の身でありながら、竜を殺す為に編み出された〝槍鬼〟の秘技。一子相伝の技を盗んだわたしが言うべき言葉ではない気もするが、有象無象相手に手間取るものか」
「ああ。そうだなあ。雷を纏わせてる時よりも威力は断然上。だがよぉ、」
そこでオーネストは言葉を切る。
「てめえら、二人してぼさっとしてねえで、ちったあ手伝いやがれ!! こンの、騒音コンビ片割れと、ビスケット!!」
「ベスケット様と呼べば手を貸してやらん事もない」
「よく言うだろォ? 後輩。秘密兵器ってのは、温存してなんぼってよォ! 俺は秘密兵器よ!!」
「でも実は?」
「戦うと面倒臭そうだから、押し付けとけばいいだろ! 後輩なんかパワーアップしてやがるしいいいぃとか思ってないかんな!!」
「……てめえら、ちんまい鬼教師が戻ってきたら覚えとけよ」
ベスケットの誘導にまんまと引っ掛かったレガスは、「ばかめ」と笑われていた。
「だがよ。本当にここであってンのかよ」
「〝謀狐〟の探知魔法で辿ってやったんだ。ここで間違いない。他の連中の気配は間違いなくこの近くにある」
────〝謀狐〟。
稀代の謀略家であり、謀のみで国を落とした逸話を持つ魔法師の一人。
知識のみで言えば世界で五指に入る程の実力者。
ローザから伝えられていたその言葉は嘘どころか、低く見積もって五指ですらあった。
「ただ、即座に見つけられないあたり、特別製の阻害系魔法を掛けられたか。はたまた、どこかに閉じ込められるなりしたな」
「〝謀狐〟の魔法でも見つけられないのかよ」
「言っただろう。特別製の魔法、と。要するに、〝古代魔法〟だ」
「はぁん? 中を覗けんのに、お前さん、〝古代文字〟は使えねえのかよ」
レガスがもっともな疑問を抱く。
「知識はある。だが、使うなんて論外だ。あれは、廃れるべくして廃れたものだ。しかも、わたしが知覚できないあたり、これは通常の魔法も絡めた〝古代魔法〟。読み解くなど、無理だ。わたしにどうにかさせたいなら、それを作った人間を連れてこい」
ベスケット・イアリの能力の真髄とは、答えを覗き見る事にある。
その延長で、〝古代文字〟を学ぶ機会はあっただろう。しかし、〝古代文字〟を理解しているからといって、〝古代魔法〟すべてを読み解ける訳ではない。
ましてや、断片的な知識しか持ち得ていないベスケットなら尚更に。
彼女にどうにかさせたいならば、答えを知っている人間を目の前に連れてくる必要があるのだ。
「お前らも、基礎知識があるからといってなんでも出来る訳でもないだろう」
「まぁ、それはそうだが」
「しかし、城への潜入の筈がとんだ大事に発展したな。お前ら冒険者は、いつもこんな場所に潜っているのか」
見渡す限り、異形の人型化物。
周囲一帯に広がる気味の悪い紋様。
蠢く触手のような何か。
空気は淀み、どす黒い煙がどこからか噴き出し、周囲にその残滓を漂わせている。
「ンなわけあるかよ。普段はもうちょい真面だ」
目にも止まらぬ速さで肉薄し、鉤爪のようなもので斬り裂こうとしてきた異形の怪物を一振りで一蹴しながら、オーネストは答える。
「だが、それなりに片付けたとは思うンだが、減る気配がねえってのはどういう事だあ?」
斬り捨てた数はかれこれ五十にも上る勢い。
しかし、異形の怪物は視界に嫌というほど存在している上、よく分からない触手は、彼方此方から生えてはオーネスト達を襲い始める。
「なんか良い案はねえのかよ。このままじゃ、ジリ貧だぞ」
「言われてるぞォ、知識の蔵」
「この先輩にしてこの後輩ありだな。最近じゃ、人の名前を真面に呼ぶ教育すらしてないのか。くたばれよお前ら」
教師の顔が見てみたいものだ。
と口にしようと思ったベスケットだったが、それがローザだと察し、教師も教師でロクでもなかったと諦念の感情に苛まれていた。
「……まぁ、どうにかしてやりたいのは山々だが、わたしの魔力も無尽蔵ではない。使い勝手のいい魔法は、相応に魔力を食う。これからを考えると出来る限り節約しておきたい。そら、出番がやって来たぞ秘密兵器とやら」
そして視線は、レガスに向いた。
「ったく、しゃねえな。って言っても、分かってるのは一つくれえだが。あいつら、魔力に反応してやがんぜ。擬態の魔法でちょいと俺らの姿形をこの気味悪りぃヤツに変えたりしてたが、変わらず襲って来てやがったからな」
「魔力に、か」
「んで、あの触手は魔力を吸ってやがる。こりゃ、吸い上げられた場所を辿って叩くのが近道かね? とはいえ、辿った先があっちなんだけどな」
「……成る程な。なら、叩くか」
「となると、問題はアイツらになりやがるか」
視界の先に映り込む異形の化物。
その群れ。
「人手が足りん。特に、魔法師」
「オレら二人は近接。もう一人は曲芸師だからな」
「おいおいおい。曲芸師だなんて、舐めて貰っちゃ困るぜ後輩。これでも俺はAランク……」
「なら、あれ全部頼むわ」
「んなもん、無理に決まってんだろ!!?」
応、任せろ!
とでも言うのかと思えば、早々に泣き言を口にするレガスに、オーネストはため息を漏らす。
「やっぱ、ローザちゃんかアレクあたりを探すしかねえな。オレさま一人でどうにかならん事もないが、エルダスってやつが逃したヤツの事も気になる。それに、敵は他にもいる」
ノイズと呼ばれる鎖使いや、ライナをアフロヘアにした人間も残っている。
他にも何人かいる可能性がある以上、力を使い果たす真似はしたくない。
特に、近接特化の人間を相手にする場合、アレクやローザではどうしようもないという事態もあり得るだけに。
何より、空を飛んでいる異形の化物は、魔法も使ってくる。
やはり、遠くから魔法でどかんと一発の方が良い。
どのみち、ローザやアレクを捜さねばならない。なら、そちらを優先して────。
そう思ったところで、ピシリと何かがひび割れる音が響いた。
何気ないありきたりな空間に、亀裂が生まれた。
「ふむ。やはり、閉じ込められていたか。間抜けだな、ローザ・アルハティア」
その亀裂が何を意味するものなのか。
いち早く察したベスケットが、鼻で笑いながら嘲るように口にする。
「五月蝿いぞ、ぬいぐるみ大好きマン。賭けは、どうやら私の勝ちのようだな」
「…………。お、おい! それ仕舞え! 〝紫霞神功 〟が漏れ出てる!! ローザ・アルハティアにバレるだろうが!!」
慌ててオーネストに、何やら指図するベスケットだったが、時すでに遅し。
手遅れであった。
何よりオーネストは、ざまあ見ろとばかりにこれ見よがしに槍に纏わりつく紫の靄のようなものを、見せびらかしている。
広がる亀裂の先から顔を覗かせるローザは、ばっちりとそれを視認し終えていた。
ただ、それを揶揄ったのは一度だけ。
時間がない自覚はローザにもあるのだろう。
早速と言わんばかりに本題へと入る。
「ベスケット・イアリ」
「うん?」
どうする。どう証拠隠滅する!?
などと慌てるベスケットであったが、これ以上なく真剣な様子で名を呼ばれた事でその思考を中断。
「〝神降ろし〟について、お前はどこまで知っている」
「〝神降ろし〟についてどこまで知っているってどうしてそんな事を……いや、まさか、これが〝神降ろし〟か?」
無言の肯定。
亀裂から、ローザに続くように俺やライナ。
ヨルハに、クラシアも出てきた事を確認した後、ベスケットは言葉を続けた。
「わたしもそこまで知らない。だが、とある〝闇ギルド〟の人間の情報を盗み見た時にそんな情報が紛れ込んでいた。〝神降ろし〟とは文字通り、神を人の身に降ろす儀式。ただ、〝神降ろし〟とは本来、別の意味を持つものらしい」
「別の意味?」
「ああ。人の身に、不完全な神を降ろす事で、〝楽園〟と呼ばれる場所に存在する一人の神を引き摺り降ろす儀式。故に、〝神降ろし〟。十七年前に、当時の魔神教の頭領が実行に移そうと試みたものの、阻止された禁術。わたしはそう、記憶している」