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味方が弱すぎて補助魔法に徹していた宮廷魔法師、追放されて最強を目指す  作者: アルト/遥月@【アニメ】補助魔法 10/4配信スタート!
三章

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七十九話 親友

* * * *


「あと、少し。あと、少しだ」


 はやる気持ちが言葉に現れる。

 もう少しで、宿願が叶う。


 念には念をと『武闘宴』に参加する人間を全て己の手駒にする予定ではあったが、レッドローグを舞台にせざるを得ない(、、、、、、、)以上、ローザ・アルハティアは間違いなく出張ってくる。

 だから、リクは多くの手駒を得られる未来を捨ててでもローザ・アルハティアをどうにかする事を優先した。

 だが、これでリクの中にあった最大の懸念は消えた。


「あと少しで、全てが────終わるんだ」


 そして瞼を閉じて思いを馳せる。

 一瞬にして湧き立つかつての記憶。

 忘れようにも忘れられない、十年以上も前に過ぎ去った筈の記憶が鮮明に蘇る。




『────リク』


 十年前を境に、聞こえなくなった声音。

 リクの名を呼ぶ、親愛の情が滲んだ声。


 腰付近にまで伸びた赤い髪を、一纏めに結った白衣の男。グラン・アイゼンツの声だった。

 

『相変わらずいっつもピリピリしてるよな、お前。辛分でも足りてねえんじゃねえの? ほら、食うか? おれ特製激辛サンド』

『……普通、そういう時は甘い物を寄越すものだろう』

『バーカ。甘い物より辛い物の方が何倍もうめーだろ。うめーもんは人を幸せにしてくれんだよ。ほら、遠慮する事はねえ。食え食え』


 明らかに辛そうな色合いの液体が顔をのぞかせているサンドをグランはリクに押し付ける。

 そして無理矢理口に突っ込んでいた。


 ただ、常人であればあまりの辛さに絶叫するところだろうが、このやり取りももう何十回と繰り返されている。

 故に多少、顔を紅潮させる事はあってもあまりの辛さにリクが吐き出して絶叫する事はなかった。

 既に慣れ切ったのか。

 普通に咀嚼し味わってすらいた。


『それで、今日はなんでそんなピリピリしてんだよ』


 突っ込まれていたサンドを味わうリクの側で、懐からもう一つの激辛サンドを取り出してかぶりつきながらグランは問うた。


『リュカが、死んだ』

『……そうか』

『なあ、グラン。本当にこれに、意味はあるのか』


 ここは、東方に位置する研究施設。

 グランはそこに勤める研究者であり、被験者(、、、)

 そしてリクは研究者ではなく、被験者として連れてこられた多くの孤児のうちの一人だった。

 今しがた口にされたリュカと呼ばれた少女は、リクと同様、連れてこられた孤児の一人だった。


 表向きは〝迷宮病〟を研究する施設となってはいたが、実際は違う。

 実際は、人工的に〝望む者〟と呼ばれる人間を造り出す為に創設された人体実験の研究施設。


 グランは、この理不尽な世界をどうにかする為に研究者ながら我が身を差し出した〝望む者〟と呼ばれる人間であった。


『ある────少なくともおれは、そう思ってる』


 断言はしなかった。

 意味がないとは思わない。

 しかし、これが本当に望む結果に繋がるかどうかは半信半疑の域であったから。

 ただ少なくとも、可能性はある。


 アダムと呼ばれる存在の声を聞いた事のあるグランだからこそ、そこに可能性が存在している事を知っている。

 どんな願いであっても、叶えられると。


 ならば、失われた家族を取り戻す事だって、出来る筈だ。

 そう信じたからこそ、こうしてグラン達は文字通り一縷の希望に縋って、身を捧げていた────いた、のだ。


 多くの人間を救う為に行っていた筈の研究が、そうでなかった事に気付いてしまったあの日までは。

 己がただ、利用されていただけの滑稽なピエロであったと知ってしまうまでは。


『じゃねーと、いろんな奴に顔向け出来ねえだろ。おれだって、ヨルハにどのツラ下げて会いに行くんだって話になんだろ』


 張り詰めた空気を緩和させるように、グランはへらりと笑う。

 ヨルハという名は、グランが溺愛する妹の名であった。耳がタコになる程に、誰もが聞かされていた名であった。


『お前だって、死んだ家族の為に頑張ってんだろうが』

『……そう、だな』


 誰も彼もが、何らかの〝願い〟を抱えてこの研究施設に集まっている。

 この理不尽な世界で、救いを求めて己の身を捧げて犠牲にしている。


『だから、きっともう少しの辛抱だ』


 こんな研究施設で出会って。

 同じ釜の飯を食って、笑い合って、夢を語って。

 気付けば、親友と呼び合うようになっていた。


『……ああ、そうだな。そうだな、グラン』


 ────必要犠牲。

 そんなものを認める訳にはいかないが、それでも、この研究の過程で死んだ者達の「死」を意味がなかった「死」にしない為にも。

 己の為にも、今は信じるしかなかった。

 この行為が。この時間が報われ、望んだ結果が得られる日が訪れるのだと。


 けれど、輝かしい未来へと伸ばした筈の手は何も掴めず空を切った。

 夢見て焦がれた筈の未来は、そもそも存在すらしていなかった。

 どうして気付かなかった。

 そもそもこの世界は、腐り切っていると散々話していたというのに。

 そして、記憶の中の時計が進み、光景が移り変わる。

 全てを失った、あの日へと。



『────……逃げろ、リク』


 度が過ぎる程の妹馬鹿。

 顔は写真でしか殆ど見た事がない癖に、物凄く溺愛していて。

 いつもおちゃらけていて、掴みどころがなくて、辛い物が三度の飯より好きな男。

 そんな男がある日、焦燥感に駆られた様子でリクの下へ訪れてそう口にした。


『……おれには時間がない。だからここにいない連中にはリクが伝えてくれ。いいか、ここは、人を救う為の研究施設じゃなかった』

『……は?』

『あいつらがおれ達をこの研究施設に集めた本当の目的は────』


 そこで、グランの言葉が中断される。

 続くように聞こえてくる足音。


 その足音があったが故に会話を中断したのだと理解をして。


『ッ、〝音無(テレパス)〟』


 だけど、本当に時間がないのか。

 音を必要とせずに会話を可能とするテレパスの魔法を行使した後、グランは続きの言葉を紡ぎ始める。


(あの貴族は、おれ達に手を差し伸べる気なんて更々なかったんだ……!! あいつは、とんでもねえ事を考えてやがる……!! それに、あろう事かあいつはあの連中と絡んでやがった……!)

(……グラン、私にも分かるように言え。そもそも、あの貴族って)


 ────誰なんだ。


『そういう事をされると、困るんですよねえ』


 浮かんだ疑問をリクがグランに投げかけるより先に、粘着質な声がやって来る。

 それは、リクも知っている声だった。


 その声は、忘れもしない。

 経営難に陥っていた孤児院に、ただの孤児だったリクに、手を差し伸べた貴族の声。

 東方の貴族、アイルノーツ伯爵の声だった。


 困っている人間を救いたい。

 そんな高尚な理念でもって、多くの人間を救う為に。最高に幸せな世界を実現する為に、腐心していた人間だった────筈だ。


 少なくともリクは、そう記憶している。

 だが、視界に映り込んだ醜悪な人間は、リクの目にはアイルノーツ伯爵だったナニカにしか見えなかった。

 

『貴方のせいでこちらの計画が台無しですよ。グラン・アイゼンツ。ですが、こちらももう引き返す訳にはいかない。引き返せないところまで、来てしまっているんです』


 どうしてか、アイルノーツ伯爵は怯えているようだった。

 グランに対してではない。

 焦点の合わない瞳は、グランを映していない。恐らくは、ここにいない誰かに対して彼は執拗に怯えている。


『こんなところで、この計画を頓挫させる訳にはいかない。いかないんだ。お前ら如きが邪魔をしていい計画じゃない。私は、こんなところで終わる器じゃない。私はいずれ、この国の────!!』

『ふざけんなよ。おれ達は、お前のその下らない計画とやらの為に己が身を犠牲にしてきた訳じゃねえ。おれ達は、おれ達は────!!』


 その先は、言葉にならなかった。

 

(逃げろ、リク。どうしようもなくなる前に、他のやつも連れて、今すぐここから逃げろッ!!)


 何かしらのキッカケがあって、グランは己が身を犠牲にしてまで進めていたこの研究が望んだ結果に結びつかないと知ったのだろう。

 それはきっと何かの間違いである。

 そう信じていたが、裏切られて。嘲笑われて。


 こうして今、グランがここにいるのだろう。


 リクは駆け出した。

 少なくとも、リクにとってグランの言葉は信ずるに値するものだった。

 未だ、殆ど事情の方は判然としていない。

 だけど、それでも────。


『────随分と、面白い事になってるじゃないか、ええ? アイルノーツ卿』


 グランの言に従おうとしたリクの足が、不意に止まる。

 意図的に止めた訳じゃない。

 本能的に怖気付き、足が震えて動かなくなってしまった。

 聞こえる筈のない警笛が聞こえる。

 今すぐにこの場から逃げ出せと。

 この声の主に、関わるなと。


 身なりは────少年だ。

 リクよりもずっと幼く見える。

 この研究所で長く過ごしているリクだったが、一度も見た事も無い眼帯の少年。


 だけど、彼の存在に気付いたお陰で謎が一つ解けた。

 アイルノーツは、この少年の存在に気付いていたからこそ怯えていたのだ。


『こ、これは、その』

『……へ。やっぱりこの世界はクソだ。腐ってやがる。どうしようもなく、おれらに厳しい世界だなクソッタレが』


 グランは、この少年の正体を知っているようだった。しかし、それは一方的なものなのか。

 少年は興味深そうに発言主であるグランを見据えるだけ。

 これっぽっちも感情の籠らない凍てついた瞳で見詰めるだけ。


『へえ。僕にまで辿り着いていたのか。面白いね。君、名前は?』

『悪の組織の頭領に名乗る名前はねえよ。それが、おれらを利用していた元凶ともなれば余計に、な』


 敵意を剥き出しに吐き捨てる。

 同時、ちらりとリクをグランは一瞥する。

 得体の知れない少年を前に、逃げ出そうと試みていた筈のリクの足は止まっていた。

 気圧されているのか、思うように身体が動かないようだった。

 

『元凶だなんて人聞きが悪いね。僕はただ、アイルノーツ卿に協力する見返りとして条件を提示しただけさ。実行に移したのは彼であって僕じゃない。もっとも、その成果の旨味を吸っていた事実は否定しないけどね』


 そして、眼帯の少年はグランから視線を外し、リクに焦点を合わせた。


『気になるかい。僕が、何をしていたのか』


 未だ、状況把握が追いついていないリクに向けて、余興だと言わんばかりに軽薄な笑みを浮かべて眼帯の少年は言葉を投げ掛ける。


『なに、簡単な話だ。僕は、〝望む者〟と呼ばれる人間を欲していた。理由は君達と同様、願いを叶える為に。ただ、僕の願いは、君達のように高尚なものではないけどね。なにせ、僕の願いは、アダムと名乗る神様を殺す事だから』

『神様を、殺す?』


 〝望む者〟を人工的に造る理由とは本来、願いを叶えてくれる神に会う為であった。

 しかし、目の前の少年は冗談ともつかない様子で、平然とそんな事を宣う。


『けれど、正規の手段で神様が住まう地である〝楽園(エデン)〟に向かえば、行動は制限されてしまう。だから、正規の手段で踏み入れる訳にはいかない。そんな事をすれば、神様は殺せないからね。ただ、一つだけ抜け道を見つけたんだ。正規の手段以外で、あの楽園に踏み入れる方法を。それこそが、』

『〝望む者〟を、使う事だった……ッ!!』


 憤怒を滲ませながら、グランが答える。

 尋常でない怒りの発露に、リクも驚かずにはいられなかった。


 しかし、眼帯の少年の表情は不気味に歪むだけ。その反応すらも楽しんでいるようで、悪びれる様子など微塵なかった。


『楽園への道を照らすダンジョンコアに導かれる人間。それが〝望む者〟。ならば、その〝望む者〟を使えば、楽園の道も強引に開いてしまう事が出来るのではないか。そう考えた。そして理論上、それは可能だった』


 だから、彼は多くの〝望む者〟を求めていた。願いを叶える気など更々なく、己の求める神を殺すという願いの為だけに、〝望む者〟を使い殺していた。

 故に、グランは怒っていた。

 それを知ってしまったからこそ、この研究施設の中で〝望む者〟であるグランを除いて一番近い人間であったリクを真っ先に逃がそうと試みた。


『本当はそこの君もとっとと使い殺してしまう予定だったんだけど、流石に弾も有限だったからね。未来の投資という事で我慢していたんだけど……流石にこうなってくると、話は別かなあ?』


 たった一言に込められた膨大な殺意を前に、グランは即座に己の死を予感し悟った。

 本能が、この少年には万が一にも勝てやしないと訴えている。

 逃げろ。決して戦うなと本能が必死に己に向かって叫びだす。


 それ程までに、力量の差は圧倒的だった。


 百戦錬磨の魔法師でもないグランが、こうして正気を保てているのは奇跡とも言えた。


『でも、君の貢献は素晴らしいものだった。どうだろう。これからも、僕の為に弾を作ってくれるというのなら、少しは考えてあげてもいいけど?』


 研究者としてのグランの貢献は、それはそれは計り知れないものであった。

 表向きのカモフラージュとして掲げていた〝迷宮病〟の研究然り、彼の研究者としての力量は、それこそ天才と言うに相応しいものであった。


 少年の側にいたリクに、時折視線を向ける理由も、返答次第ではこの子だけなら助けてもいいという意志の現れであったのかもしれない。


 もしかすれば、グランの返答次第では研究所内にいる他の者達も────。


『ああ、言い忘れていたけど、僕はメインディッシュを最後に食べる人間でね。他にはてんで興味がないんだ』


 一体こいつは、何を言っているんだ。

 グランの脳内が疑問符で埋め尽くされる。

 しかし、それも刹那。


 その言葉が、既に他の者は始末した後だと告げる言葉であると悟り、グランの額に血管が浮かぶほどにわなわなと震えだす。


 希望に満ちた未来など、やはり何処にもないのだ。


『それで、どうする? これからも、〝望む者〟を造る為に貢献してくれるか。それとも、死ぬか。僕は才能ある人間には寛大でね。君には特別に選ばせてあげよう』


 衝動に近い怒りを抱えながらも、どうにか耐える。耐えながら、考えるフリをして、未だ発動していた〝音無(テレパス)〟を使って、リクと意思疎通を試みる。


(……いいかリク。一度しか言わねえから、よく聞けよ)

(グラン……?)

(今から、魔法でお前を研究所から逃す。こいつは無理だ。不意を打ってどうにかなるレベルを超えてやがる。だから、逃す。いいか。おれが逃したら、南へ向かえ。そこに古臭え骨董屋がある。その地下に、おれがいつも使ってる転移陣があるはずだ。それが、フェディナっつー街に繋がってる。そこならきっとお前でも生きていける)

(ま、待てグラン。お前は。お前はどうなる)

(……さぁな。悪りぃが、あんまりおせえと怪しまれる。いいか、南だぞ。南の、骨董屋だ)


 繰り返す。

 忘れないようにと、一度しか。という発言を早速覆しながら、グランは告げる。

 そして。


『もし、おれがここで頷けばそいつは助けて貰えるのか』


 少なからず、グランがリクに情を抱いている事は明らかだった。


『それは、君の貢献具合によるかなあ?』


 だからこそ、助ける余地があると言わんばかりに眼帯の少年は言葉を選ぶ。

 しかし悲しきかな、グランという人間は、これまでも幾度となく不幸に見舞われ、世界が腐っていると思っているような人間だ。


 要するに。


『……へ。そんな気は更々ねえって面してんぜあんた。まぁ元より、てめえらみてえな連中の為に貢献してやる気なんざ更々ねえよ』


 もう、信じる気など更々なかった。

 馬鹿を見るのはあの一回が本当に最後。


『ばーーーか』


 返事代わりと言わんばかりに、グランは一瞬で足下に炎色の魔法陣を展開する。

 そして、爆発が引き起こされる瞬間、リクの足下に新たな魔法陣を展開し、百回行って一回成功するかしないかという一世一代の不意打ちに、グランは成功した。






 薄汚い誰かの欲望や都合で、振り回され続けた人生だった。

 漸く出来たと思った居場所も、悉く理不尽に見舞われて。

 理不尽な不幸は人生に付きものだと言わんばかりにこの世界そのものに嘲笑われてきた。

 だけど、こんな人生で初めて家族と呼べる存在に出会えた。


 孤児院の面々と、グラン・アイゼンツ。

 「おれの家族はヨルハだけだ!!」などとよく口にする度し難い妹馬鹿なグランは、妹を除いて家族と呼びたがらないし、呼ばれたがらない。

 だから、リクとグランは親友だった。


 でも、言葉にはしないが、リクからすればグランは家族同然の人間だった。

 故に、決死の思いで逃がされたにもかかわらず、リクは研究所に戻った。

 戻って、きっとグランならばここに来る。

 そう信じて、彼の研究室に向かった。

 見捨てられるはずが無かったから。


『……たく。なんでリクが、ここにいんだよ』


 研究所に戻ってきた時には、既に研究所は燃えていた。あちこちで火の手があがり、建物は潰れていて。

 耳を澄ませば、呻き声さえも聞こえてくる。

 そんな中で、鮮明にリクの鼓膜を一つの声が揺らした。

 それは、グランの声だった。


 生きていた。

 生きて、くれていた。

 その事実に心底、安堵したのも束の間。


 炎に包まれた研究所の中にいるというのに、急速に身体が冷えていく感覚に見舞われた。

 心臓の脈音も、跳ね上がる。


 一瞬、目の前に映り込んだ光景が、夢か何かかとリクは考えを巡らせるが、途切れ途切れに聞こえてくる喘鳴の音。

 鼻をつくような鉄錆の臭いが、これは現実なのだとリクにどうしようもない現実を現実として叩きつけてくる。


『お、前……』

 

 壁に凭れ掛かるグランの右半身────本来、腕があるべき筈の場所には、もう何も残っていなかった。

 顔色が蒼白に染まっていた。

 誰がどう見ても、致命傷。

 腕だけじゃない。

 全身、傷だらけだった。


 周囲に広がる夥しい血の量が、グランはもう助からないと否応なしに告げている。

 だけ、ど。


『……ちょいと、ヘマしてな。なぁに、即死じゃないだけ儲けもんだ。とはいえ、あんな化け物、もう二度と相手にしたくねーけどな』

『……逃げるぞ、グラン』


 それでもと、リクはグランの下に駆け寄る。

 見捨てられる訳がなかった。

 助けられる可能性が僅かでも残ってるのなら、諦める訳にはいかなかった。


『いぃや。おれは逃げねえ。逃げる、資格なんておれにはねえよ。ここにある研究資料と一緒に、お陀仏がお似合いだ。いや、そうしねえとこれまで死んで逝った奴らに筋が通らねえ』


 ひゅーひゅー、と息がもれる。

 光を失いつつあるグランの瞳は、天井を仰いだ。


『なぁ、リク』

『なん、だ』

『今日の事は、全部忘れろ。復讐なんて、間違っても考えんなよ。恨むなら、おれを恨め。なんなら、今ここで、殺してくれても構わねえ』


 冗談を言っているような場合かと、リクは責め立てようとした。

 こうして、死に瀕しているグランの現状こそが、彼もまた被害者だったのだと明確に示している。

 何より、彼はリクをどうにか逃がそうと試みた人間だ。

 当事者であるリクが責められる筈がない。

 責める為に、ここまで戻ってきた訳ではない。

 すぐに、その言葉がリクの身を案じたが故に出た言葉であると理解させられる。


『……こんな、死にかけの状態であっても気遣ってくる奴を誰が殺せるか。気遣うなら、お前も一緒に』


 ここから逃げてくれ。


 逃げる様子のないグランを前に、悲痛に塗れた声でリクは言葉を紡ごうとする。

 だけど、紡ぐ前にグランが言葉を被せる。


『それは出来ねえ相談だっつってんだろ。おれはここで、巻き込んだ人間としての責任を取らなきゃいけねえ。たとえそれが被害者の立場であっても、おれはお前らにメスを入れた研究者側の人間でもある。何より、おれが生きてちゃ、リクの事まで疑われちまう。こうして上手く逃がせてるのによ。少なくとも、おれという人間はここで死ぬべきなんだ』


 普段はおちゃらけていて、サボり癖しかなくて、だらしなくて。

 そんな男のはずなのに、どうしてこんな時だけ、融通が利かないんだ。

 リクは、どうしようもなくそう思う。

 そう、思わずにはいられなかった。


『これで罪が償えるとは思ってねえが、でも、リクだけでも助けられて本当に良かった』


 本当に、心の底からそう思っていると分かる声音だった。

 初めて出来た一風変わった関係値にあった親友の命の灯火は、今まさに消えようとしていた。


 そして、沈黙が降りる。


 いっそ責めてくれたら楽だったのに。

 痛みに堪えるような苦笑いを浮かべるグランの表情は、一向に責めようとしないリクに向かって勘弁してくれよとばかりにそう物語っていた。


 やがて、残された時間が僅かであるという自覚がこの沈黙の間に濃くなったのか。

 グランは悔しそうに呻いた。


『……あぁ、クソ。ちくしょう。ちくしょうが……!!』


 燃え盛る業火の中。

 渇き切った筈の体内から、僅かながらグランの目の端に小さな水滴が滲んだ。


『漸く、兄らしい事が出来ると、思ったのによ』


 そして、ぽつりぽつりと言葉が呟かれる。

 けれど、それは間違っても死を受け入れ、望んですらいる人間が紡ぐ言葉ではなかった。


『結局、こうなるのか。こう、なっちまうのかよ。クソ、勘弁、してくれよ……ほんとに、ほんとに勘弁してくれよ……!!』


 未練しかない言葉だった。


『おれはただ。ただ、もう一度だけで良いから家族全員で一緒に笑い合って、一緒に言葉を交わして。たったそれだけの事を、したかっただけなのによ』


 誰にも打ち明けた事のなかったグランの願いだった。

 ほんとうに、当たり前の幸せ。

 けれど、グランにとってはその当たり前の幸せが、どうしようもなく遠かった。

 どう足掻いても、その結果にだけは届かなかった。


『……おれは。おれ達は、特別な力なんて欲しくなかった。ただ、普通に、平凡に生きられればそれで良かった。良かったんだけどな』


 グランは、本当に当たり前の平凡な幸せをただただ願っていただけだった。


 だが、特別な力は本人の意思も無視して災いを引き寄せる。

 それを、どうしようもなく実感させられた。


『…………なあ、リク。お前に、これをやるよ』


 だから、せめてもの贖罪として。

 巻き込んでしまった者の責任として。


『……それは妹への、誕生日プレゼントだろうが』


 散々、グラン自身が自慢しまわっていたからよく知っている。

 妹に指輪をあげる兄は流石にドン引きだわ。

 などとみんなで揶揄った思い出が蘇る。


『ま、ぁ、そうなんだけどな。これ、お前にやるよ。きっと役に立つからさ。それをつけてる限り、あのおっかねえ眼帯に追いかけ回される事はねーだろうよ』


 グランの事だ。

 妹へのプレゼントだから、何かしらの仕掛けを施していたのだろう。


『おれ自身で試してるから、その効果は保証してやる。それは、あの眼帯含めた他の連中に、自分自身が〝望む者〟って事を隠す事が出来る代物だ。だから、それやるよ』


 きっと、グランなりの贖罪なのだろう。

 〝望む者〟という立場に引き込んでしまった、彼なりの罪滅ぼし。

 でも、それでも受け取れはしなかった。


 だけど。


『……そういう事なら、預かっておく。グランの妹に会うまで、預かっておいてやる。それで良いか』

『ったく。最後の最後まで言う事聞いてくれねえのな』

『お前だって、聞いてくれない癖に』

『あぁ、そうだった。それも、そうだったな』


 幸いにも、まだ火が燃え移っていなかったデスクの上に広げられていたグランの私物を、鞄の中に乱雑に詰め込む。

 彼の妹であるヨルハが、グランをどう思っていたのかは分からない。

 分からないが、もし、グランを恨んでいたならば、その時はこの不器用なお人好しが、誰もが知る妹馬鹿で。普段はおちゃらけてる癖にいざとなったら責任感しかなくて。融通が利かなくて、ばかで、あほで、物凄く格好いい親友だったと────そう、伝えよう。


 場に、静寂が降りた。

 火が燃える音。

 建物が崩れる音。

 それらは途切れる事なく聞こえている。

 聞こえているがそれでも、彼ら二人の世界は静寂に包まれていた。


 やがて、その静寂を破るように聞こえる爆発音。恐らく、グランを探している追手によるものか。

 虱潰しと言わんばかりに立て続けに聞こえてくる。


『……それじゃ、今度こそお別れだな。連中、おれが生きてる事知ってやがるからな。ここに来る前にリクはさっさと行きやがれ』


 そして再び、リクの足下に魔法陣が広がった。


『じゃあな、親友────すまんかった』

『……じゃあな、グラン』


 最後の最期まで、謝罪の言葉を口にしていた親友との思い出が、終わりを告げる。


 程なく、リクは現実に引き戻された。



「あの時の、続きをする為に。あの時の、復讐をする為に私はこの時まで生きてきた。それが叶うならば、私の存在が大罪人として歴史に名を刻まれようと。灰に埋もれようと、構わない。言う事を聞かない親友で悪いな。いや、それも今更か。なあ、グラン」

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