七十八話 眼帯の少年
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「……にしても、くっそ。二日どころか、一日で『紫霞神功』の大部分を粗方覚えるとかふざけた奴だ。……なあ、この飴玉をくれてやるからローザ・アルハティアに嘘をつけ、オーネスト・レイン。『紫霞神功』は覚えられなかったと」
「くくくっ、そりゃあ、オレさまの才能を甘く見たてめえの落ち度だわなあ? 大人しく、あのちんまい幼女に絞られてこいよビスケット」
「お前ら、よくもまあ、あのちんまい幼女に喧嘩売るような言葉言えるよなあ!? ローザちゃんがコレを聞いてたら、半殺しどころじゃねえだろうぜえ!?」
「うんうん。僕が予想するに、一週間耐久サンドバッグの刑くらいありそうだね。あ、そこの三人とも全員ね」
「あのちんまい幼女教師はおっかねえからな。そのくらいは全然やりそうだな────って、さっきから思ってたんだが、あんた誰だ?」
ベスケット・イアリ。
オーネスト・レイン。
レガス・ノルンの順で言葉を交わしていた会話の中に混ざる穏やかな声。
アレク達が危ないという知らせを受けて急行する彼らであったが、指定された場所には既に酷く倒壊した建物の残骸があるだけで、肝心のアレク達の姿はなかった。
故に、急行した三人で手掛かりを探しながら他愛のない話をする中、突然、一人の声が混ざってきたが為にオーネストが指摘をした。
暗がりでかつ、気配を隠していようと、獣染みた勘を持つオーネストにとってそれは、見つけて下さいと言っているようなものだ。
ただ、隠れていたにもかかわらず、今漸く姿を現した外套の男が会話に混ざる意図が分からなくて、内心オーネストはやや困惑していた。
「それと、アレク達はどこにいる? まさか、一人でこの光景を作り出した、なんて言い訳が通るとは思ってねえよなあ?」
「いやあ、出来ればあの〝闇ギルド〟の人間はここでどうにかしておきたかったんだけど、僕とした事が逃げられちゃって。ああ、アレク達ならみんな転移魔法でどこかに転移していったよ。行き先は流石に知らないけど、みんな無事な筈だよ」
「…………」
────嘘臭え。
普段のオーネストならば、逡巡なくそう口にしていた事だろう。
ただ、あまりに呼び慣れた彼の「アレク達」という発言を前に、即座に問いただすという行為に移れなかった。
「嘘臭いな」
けれど、本来、オーネストが口にしていたであろう言葉を意図せずベスケットが発する。
「お前ほどの人間が、みすみす逃しただと? 〝ゴッズホルダー〟で、天才魔法師であると謳われていたお前がか?」
「君の能力は僕も知ってる。だったら尚更、僕がここで嘘を吐く理由はないだろう?」
心の中を見透かす能力。
それがベスケット・イアリの持つ能力だ。
故に、あえて嘘を吐く理由はないと。
吐いたとしても見透かされる嘘に何の意味があると男は当たり前のように口にする。
しかし、それは正論であった。
「ひゃはは。確かに、それもそうだわなぁ? だけどよォ? お前さんがここで俺らを待ち伏せてた理由についてはどう説明するよ、ええ?」
レガスの言う通りだった。
彼は、明らかにオーネスト達の到着をあえて待っていた。
待つ理由としてあり得そうな選択肢が、やって来る人間の排除。
だからこそ、警戒せずにはいられない。
だが、レガスのもっともな指摘に微塵の動揺も見せる事なく、彼は答える。
「君らは、これからローザちゃんの下にも向かうんだろう? 流石に、あの時アレク達に色々と伝える暇はなかったから、僕の代わりに君達にそれを伝えて貰おうと思ってね」
「伝えるだ?」
「うん。連中の目的と、君らにやって貰いたい事。それと、僕がここにいる理由。この三つを伝えて貰いたくて。とはいえ、ローザちゃんの事だからどうせもう粗方自分で理解してるんだろうけど」
そう言いながら、男は首に下げていたネックレスを外す。
転瞬、心なしどこかノイズがかっていた声が明瞭になる。
そのネックレスが声を曖昧にする魔道具であったのだと認識された。
「まず、連中の目的だけど、連中は『神』を引き摺り降ろそうとしてる」
「『神』、だあ?」
あまりに胡散臭い言葉に、オーネストは勿論、レガスやベスケットの表情までもが一斉に歪んだ。
「ただ、『神』と言っても、本物の『神』じゃなくて、彼らがいう『神』だけどね」
「────〝魔神教〟、か」
『神』と言われて真っ先に浮かび上がる存在。
それは、〝闇ギルド〟に属する集団────〝魔神教〟。
男は笑みを深める事でその発言を肯定した。
「僕が知る限り、この世界に『神』はいない。だけど、ダンジョンを創った人物を『神』と定義するならば、『神』は存在する。それも、一人じゃない。二人いる。連中は、そのうちの一人を引き摺り降ろそうとしてるんだ」
「……真剣に語ってくれてるとこ申し訳ねえが、妄言にしか聞こえねえなあ」
流石に、纏う様子が真剣である事を感じ取ってか。顳顬を掻きながら若干、申し訳なさそうにオーネストが口にする。
だが、男も素直に信じられる事でないと承知の上で語っているのか。
気にした様子はなかった。
「ああ。これをローザちゃんに伝えてくれればそれでいい。それで話の続きだけど、連中が引き摺り降ろそうとしている『神』は二人いるうちの〝悪い方〟だ。全ての元凶と言ってもいい。名前を────イヴ。この世界に存在するダンジョンは、イヴを閉じ込める為に創られたものであり、イヴを助ける為にアダムの手によって創られたものだ」
「……わっけわかんねえな」
「だが、嘘はついていないな」
男をまざまざと注視していたベスケットが、補足するように言葉を口にする。
思考を丸裸に出来る彼女の言葉だからこそ、そこには確かな説得力があった。
「イヴの存在は、端的に言えば汚濁そのもの。ダンジョンに魔物が存在する理由も、ダンジョンコアが様々なダンジョンに存在する理由も、全てそこに帰結する。全ては、アダムがイヴを助ける為にダンジョンへ閉じ込めたが故に」
────ダンジョンコアとはいわば、イヴの魂の欠片。
ある一定の人間がダンジョンコアを集めている理由は、アダムの意志によるもの。
魂の欠片を多く集められる人間────イヴを救える人間を集う為に巻き込まれている。
全ては、アダムが提示した見返り────各々が抱える願いを叶えて貰わんが為に。
「それで、その壮大な話を語るてめえは、オレさま達に何をしろと? てめえが出向けば済む話じゃねえのかよ?」
「いやあ、僕もそうしたいのは山々なんだけど。僕も色々とやる事があってね」
申し訳なさそうに、男は言う。
「だから、イヴの方を引き摺り降ろそうとしている彼らを止めて欲しい」
「全ての元凶なら、引き摺り降ろしてぶっ殺しちまった方が全て解決ですっきりすると思うが」
「だから言ってるだろう。あれは、汚濁そのものだと。ダンジョンを創れる程の人物が、閉じ込める事しか選べなかった。出来なかった。僕らの場合、間違いなく手に余る。少なくとも、引き摺り降ろした時点でレッドローグ全域が更地になる事くらいは覚悟しなきゃいけない」
それを防ぐ為に、僕もこうして駆け付けた。
そう、言葉が締め括られる。
「なるほどなぁ? てめえの言いたい事は粗方分かった。オレらに敵意がない事も、分かった。だから、オレさまとしては、一つ質問に答えてくれりゃ、てめえの言葉を信じてやってもいい。他の奴らは知らねえがな」
終始疑いの視線を向けていたオーネストが、そう口にしたところで、ベスケットとレガスは意外なものを見るような面持ちで、瞬きを繰り返す。
先程までの発言からして、「信じられるか」と一蹴するのが関の山だと思っていたから。
「僕に答えられる事なら」
「てめえは一体、アレクの何なンだ?」
ダンジョンについて、深く掘り下げろだとか、証拠を見せろだとか。そう言った質問が飛んでくるとばかり踏んでいた男はその意外な問い掛けに、片眉を跳ねさせた。
「……難しい質問だね」
男の中で、己とアレク・ユグレットの関係を表す言葉が明確には存在しないのか。
悩ましげな声を漏らす。
けれど、これでオーネストの中でハッキリとした。
彼とアレクは間違いなく、浅くない関係にある。ここで嘘八百に仮初の関係を言葉に変えて並べ立てていたならば、問答無用で切り捨てていた。
だけど、そうはしなかった。
むしろ、これ以上なく真剣に言葉を探しているように見える。
「アレクが僕の事をどう思ってるのかは分からないけど、僕がどう思っているか、それで良いなら」
「構わねえよ」
「そう、だね。僕にとってアレクは────まぁ、弟みたいなものかな」
勿論、血の繋がりなんてものはどこにも無いんだけどね。と、言葉が付け加えられた。
「……てめえの名前は」
「あぁ、まだ言ってなかったね。僕の名前は、エルダス・ミヘイラ。実家の方には勘当されてるから、エルダスでいいよ。ただ、期待してるところ申し訳ないけど、僕はアレクには会えない」
オーネストの瞳に湛えられた感情を読み取って、言葉にされるより先にエルダスが言う。
「……なんでだ」
「アレクにはまだ、合わせる顔がないから」
刹那の逡巡すらなく、オーネストが何故と問うた理由は単純明快で、エルダスという名前の人物をアレクから何度か聞いた事があったから。
だから、この事を知らせてやろうと考えた直後、まるで思考を覗いたのではと勘繰ってしまう程に的確なタイミングでエルダスの言葉がやって来ていた。
「でもいつか、ちゃんと会いに行く。アレクに秘密にしていた事を全て話せるようになったら、その時はちゃんと」
オーネストは知っていた。
アレクが、会いたいと思っている人間がいる事くらい。そして、それが「エルダス」という名の人物であり、目の前の彼が嘘をついていないならば、彼こそが探し人。
だから一瞬、無理矢理引き摺ってでもアレクの前に連れて行ってやろうか────そんな物騒な考えが脳裏に浮かんだが、彼方に追いやる。
幾ら同じパーティーのメンバーで、大切な仲間の事とはいえ、これ以上は安易に深入りすべき事ではない。
それが、己らが出会う前の事であれば尚更に。そう結論付けて、オーネストは溜息を吐き出した。
「そうかよ」
ぶっきらぼうに、それだけ口にする。
そして、エルダスに背を向けようとして。
「ああっ、待ってくれ」
「あン? まだ何かあるのかよ?」
「これ。アレクに渡して貰えないかな? ローザちゃんに本当は頼むつもりだったんだけど……君に頼む事にする」
────君はアレクと、随分仲が良さそうだから。
柔らかな笑みを浮かべて、エルダスはオーネストに身に付けていたブレスレットを外し、手渡した。
ブレスレットの正体は言わずとも分かる。
〝古代遺物〟だ。
中身が何であるのかは分からないが、間違ってもそれは初対面の人間に預けるべき代物ではない。
恐らく、それがエルダスなりの敵意は持っていないという証明であり、信頼の勝ち取り方であったのだ。
「これを、アレクに渡せば良いんだな。でも、誰に渡されたのかを聞かれたら、オレさまは迷わずてめえの名前を出すぞ」
「そのくらいは良いよ。どうせ、ローザちゃんが遅かれ早かれアレクにバラしてそうだし」
ぶんどるように、差し出されたブレスレットを受け取ったオーネストは今度こそ背を向けた。
その背中を、「おいオイ、お前はライナ達の居場所分かんねえだろ。俺が案内してやっから、そう急くな急くな」と、レガスが追いかけに向かう。
「ところで、エルダス・ミヘイラ」
「うん?」
「逃げられた、と言っていたが、お前が戦っていた相手の情報をわたしに寄越せ」
そんな中、逃げられたのなら、今度はこちらが出くわさないとは限らないだろうと、ベスケットが正論を口にする。
「能力を使って覗いた方が確実だと思うけど」
「こんなところで力を消費したくない。何があるか分からない以上、出来る限り温存しておきたい」
「ああ、そういう。だけど、逃した者については、あまり心配はないと思うけどね」
「……というと?」
「一応、不意打ち紛いとはいえ、致命傷は負わせたから。死んではないと思うけど、それでもすぐには動けない筈だよ、アレはさ────」
* * * *
「────オイ。なんで邪魔しやがった。なんで俺を逃すような真似をしやがった」
片目を斬られ、全身には焼け爛れた痕。
砕け割れながらも、どうにか原型を留めていたサングラス越しに存在するシュガムの瞳は、獣欲に塗れ、血走っていた。
身体には、アレク達につけられた傷とは別に、裂傷が幾つも見受けられ、あえて言葉に表すならば、満身創痍という言葉が適当だろう。
けれど、纏う気配は殺意に満ち満ちていた。
それは、己が待ち望んだ「殺し合い」の場を奪われた事に対する敵意。ふざけるなという感情のあらわれであった。
「如何におどれだろうと、事と次第によっては────殺すぞ、あア?」
戦闘能力に長けていない人間であれば、それだけで意識を刈り取られてしまうであろう圧がそこにはあった。
「俺が死ぬと思った。だから助けた。そんな事は間違っても宣わねえでくれよ。俺がおどれらの仲間になった理由は、殺し合いを愉しみてえからだ。殺し合いの果てに死ぬなら、そりゃ、寧ろ望むところってもんだ。そう、言った筈なんだがなア?」
突き刺す程の殺意が、シュガムの口から容赦なく撒き散らされる。
「────ああ。だからこそ、ぼくは君を助けてあげたんだ。メインディッシュを前に死ぬ、なんて事は流石に君が可哀想だったからね。リク君が────いや、今はグラン君だったか。彼が実に面白い事をしてるみたいだからさ」
幼い子供の声だった。
変声期に入る前の、少年の声だ。
けれど、シュガムに向けられるその言葉に、怯えの感情は微塵も存在していない。
どこまでも平静。あれだけの殺意を向けられて尚、心に小々波すら立たない。
「……面白い事、だあ?」
シュガムはリクの目的を勿論知っていた。
世界を壊す。
そんな壊れ切った考えを現実のものとする為に奔走している事は。
そしてそれが、目の前の眼帯の少年の悲願に結びつく事も、全て。
「人造ダンジョンコアに、〝人工魔人〟。このレッドローグという街全体を巻き込んだ今回の一件が、本当は世界を壊すなんて大層な目的の為ではなく、たった一人の人間を殺す為に用意された復讐劇だとしたら。その為に、街を犠牲にして、人を犠牲にして『神』すら降ろそうとしてるとしたら────面白いだろう? シュガム君」
シュガムは、あえて誰に対する復讐なのだと問う事はしなかった。
そこまでしなければ殺せそうにない底知れない人間に、心当たりが一人だけあったから。
ちょうど、これ以上なく面白おかしそうに語る目の前の少年のナリをした男こそが、その心当たりであったから。
「だからね、付き合ってあげる事にしたんだ。それにほら、シュガム君だって『神様』見てみたいでしょ。殺し合い、してみたいでしょ。きっと降りてくるのは不完全な状態の『神様』だろうけど、それでも面白い事には変わりない。そうは思わないかい?」
「……成る程。確かにそりゃあ、面白えなあ?」
獰猛に笑む。
シュガムの中に存在した感情の天秤が、水平となった。彼にとって、少年からの言葉は、先の怒りを和らげる程度には効果があった。
「ただ、幾ら面白そうな事とはいえ、ぼくに牙を剥こうとしてる事実には変わりない。やっぱり、組織の長である以上、そこのケジメは大事だと思う訳なんだ」
だからこうして、わざわざ出向いてきたのだと少年は言う。
「でも、グラン君を殺すのはつまらない。彼、この復讐を除けば、生に対する未練が一切存在してないからね。それじゃあ、ケジメにならない。彼にとっての死は、痛苦に値しない」
子供らしい仕草を交えながら、少年は小さく唸り、やがて不気味極まりない笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。彼にぴったりのケジメがちょうどあったや。分かりやすく、本当のグラン・アイゼンツの妹の存在が露見するや否や、急に慌て始めた彼にぴったりのケジメが」