七十四話 vsシュガム
「……随分と多芸なヤロウだ。が、マジで時間稼ぎに徹するつもりかよ、おどれ」
退屈そうな声が、巻き上がった砂煙の間隙を縫うように聞こえてくる。
振り下ろした剣の感触から、然程のダメージも期待はしていなかったが、本当にその通りであったらしい。
「相手の領分で戦おうと思える程、剣に自信はなくてね」
「〝剣聖〟がなくぜ? こうも、手前の技をパクられてんのに、自信がねえって言われるとよ」
やがて晴れゆく視界。
煙に包まれていた場所には、仁王立ちする人影が一つ。
しかし、彼を囲うように網のような雷の糸が何重にも張り巡らされ、行動を阻害するべく覆い被さっていた。
────〝雷縛〟───。
本来は、下級の魔物を拘束する為の初歩の初歩とも言える魔法。
ただ、魔力の注ぐ量。多重展開。
諸々を改良すれば、目の前のシュガムでさえも足を止める一手と化す。
「ったく、一瞬期待しちまったが、やっぱりこうなんのかよ。斬って斬られてが殺し合いの基本だってのに、それを全くしやがらねえ。これだから魔法師って奴らは好きになれねえ」
そう言って、シュガムはため息を吐いた。
俺から言わせれば、あんたらみたいな化け物に、真正面から剣で斬り合いなど、命が幾つあっても足らないと言わずにはいられない。
故に、まともに取り合ってやる訳にはいかなかった。
「これならまだ、〝人工魔人〟を相手にしてた方が楽しめたか? クソッタレ」
「〝人工魔人〟……?」
聞き慣れない言葉に、眉根を寄せる。
「あぁ? おどれ、知らねえのか。〝人工魔人〟ってのはその名の通りよ。〝迷宮病〟を利用して、人工的に造った魔人の事だ」
「……は?」
隠す様子もなく吐き捨てられたシュガムの言葉を前に、思わずぽかんと口を開いて忘我する。
〝迷宮病〟に罹患した人間が、魔人と呼ばれることについては俺も知るところであった。
だけど、引っかかる。
人工的に、造った?
その物言いはまるで────。
直後、頭の何処かで、カチリと硬質な音が響いた。
それは、失われていたパズルのピースが嵌るような。
反射的に素っ頓狂な声こそ漏れたが、シュガムのその言葉はいとも容易く俺の胸にすとん、と落ちた。
きっとそれは、ローザとの会話が事前にあったからだろう。
今回の〝レッドローグ〟にて出現した【アルカナダンジョン】が、人為的に作られたのかもしれないという可能性を聞いていたからこそ、困惑は最低限で済んだ。
「理解出来ねえって顔だなあ? だったら、グランのヤロウに説得でもしてみたらどうだぁ?」
嘲笑うように、シュガムは告げる。
……やはり、その事にグランが絡んでいるのか。俺がそんな感想を抱く中、彼の言葉はまだ続く。
「だが、俺が考えるに、少なくともおどれの説得だけは受け付けないと思うぜ。なぁ、アレク・ユグレット?」
酒でも入ってるのかと思ってしまう程に、するりするりとシュガムの口から言葉が出てくる。
そして意味深に告げられたその言葉。
あえてフルネームで口にされた名前に、何か意味があるのかと勘繰ってしまう。
「アリア・ユグレットの倅であるおどれが、グランの行動を止めようものならば、そりゃあ殺されても文句は言えねえわなあ?」
……また、母の名前を持ち出される。
〝剣聖〟の時と、これで二度目。
学院に通っていた頃は一切聞かなかった名前。なのにどうしてか、外に出た瞬間、母の名前を何故かよく聞くようになった。
────どうして。
疑問符で頭の中が埋め尽くされる。
「だってそうだろぉ? なにせ、アリア・ユグレットは、一人の〝望む者〟を助ける為に命を張った人間だ。〝望む者〟と呼ばれる人間と、それに関わった人間は誰もが例外なく不幸に見舞われる。そう思い知らされ、世界を恨んで今まさに壊そうとしてる奴におどれが説得だぁ? そりゃあ、殺されても文句は言えねえだろ」
〝望む者〟。
それは、〝剣聖〟メレア・ディアルが俺達の前から姿を消す前に口にしていた言葉の一つだった。
同時、俺の中で何かが繋がっていく。
継ぎ接ぎではあるが、それは確かな真実を模ってゆく。親父からは聞かされなかった俺の知らない事実が、ゆっくりと。
「……あんたの言う事が全て真実だったとして。どうしてあんたがそんな事を知ってる」
だが、馬鹿正直に〝闇ギルド〟に所属をしているシュガムの言葉を信じる程、めでたい頭をしているつもりはない。
「ぶはっ、そりゃ愚問ってもんだぁ! なにせ、おどれの母親は────いや、やめだ。馬鹿正直に答えてやる義理はねえ。ただ、もしこれ以上を知りてえってんなら、力尽くで聞き出してみるのもありかもしんねえぜ? ……とは言っても、そんな時間はねえかもしれんが」
「時間が、ない?」
勝てないだろうが。
シュガムがそう言っていたのであれば、まだ分かる。
けれど、彼はあろう事か。
時間がないと言った。
「よくよく思い出してみろよ。俺がグランのヤロウを呼びに来た理由を、よ」
言われるがままに思い返す。
一切隠そうともしていなかったシュガムの声量のお陰で、彼の言葉はすぐに思い出せた。
────準備が整った。
……あぁ、そうだ。
シュガムは、準備が整ったと言っていた。
「まぁ、一言で言やぁ……国を乗っ取る為の準備だわな。本当は、『武闘宴』に合わせて実行に移すつもりだったんだぜ? だけどよぉ、あの宰相殿、肝っ玉が随分と小さくてよ。あろう事か、予定を早めやがったのさ」
詳細を聞かせるつもりは無いのだろう。
ただ、揶揄いたいから。
反応を見て楽しみたいから、そう呟いているのだと否応なしに理解させられる。
ともすれば、俺を試しているのやもしれない。虫食いだらけの言葉から、核心に迫ってみせろよというシュガムからの挑戦状のような。
「だから、時間も多分ねえのさ────ほらな」
言った通りだろ。
不貞腐れたように言葉をこぼすシュガムの側で、一瞬、黒い波紋が生まれる。
次の瞬間、そこには人のような〝ナニカ〟が存在していた。
遠目からは、一応、人に見える。
しかし、乱雑に絡む前髪から覗く生気の感じられない酷く濁った昏い瞳と、闇色に変色をした肌。脱力しながら、身体を引き摺るように近づいて来るソレを、俺は人間とは言わない。
背には折り畳まれた羽があった。
頭には異様な造形のツノが二本。
魔物で例えるなら────〝ガーゴイル〟のような。
辛うじて人間だった面影が感じられるが、それは紛れもなく、
「……ほん、とうにお前ら〝魔人〟なんてものを意図的に造ったのか……ッ!!」
紛れもなく、〝成れの果て〟だった。
急速に渇きを覚えた喉で、どうにか言葉を紡ぐ。自分でも驚くくらい底冷えた声音だった。
「おいオイ、俺が造った訳じゃねえんだ。その怒りは流石にお門違いってもんだろ。それに、安心しろよ。こいつらはただの〝魔人〟じゃねえ。〝人工魔人〟だ。理性なく暴れるだけの〝魔人〟とは違って、こいつらは俺らの命令だけは聞くように造られてある」
掠れた呻き声が、〝人工魔人〟と呼ばれた者達の口から、断続的に響く。
呪詛のように思えるソレは、紛れもなく怨嗟の呻き声なのだろう。
「だから、命令通りにしか動かねえ。ただ、」
そこで、シュガムの言葉が切れる。
……い、や、違う。
言葉が切れたのではなく、切れたと俺が錯覚した理由は、シュガムの発言に意識を割くだけの余裕が一瞬で失われたから。
「、ッ!?」
骨をも砕くような容赦の無い殺意が、悪寒となって俺の背筋を駆け抜ける。
直後、目の前にソレはいた。
網目のような血管が、模様のように身体中に浮かび上がる化け物────〝人工魔人〟との距離が一瞬で詰められる。
「ま、ずっ」
警戒をしていない訳じゃなかった。
シュガムに終始気を向けていた事は否定しないが、それでもこれは、あまりに早過ぎる。
転瞬、咄嗟に振り下ろした得物と、鋼鉄のような硬さの〝人工魔人〟の拳が噛み合い、青火が散った。
じんわりと手に伝う衝撃。
二撃目をすぐ様繰り出そうにも、手の痺れが邪魔をしてそれは敵わない。
だから、
「……悪く、思うなよ」
敵の足下目掛けて咄嗟に魔法を展開。
直後、割れんばかりの轟音伴う雷光が、地面から天に向かって〝人工魔人〟を貫きながら奔り抜けた。
謝罪に似た言葉が俺の口から溢れでた理由はきっと、最近、冒険者が〝迷宮病〟の被害にあっている。直前でローザのその言葉を思い出してしまったからなのだろう。
「ただ、一度下した命令は絶対遵守。たとえ俺らの命であろうとそれを覆す事は叶わん。……どうにも宰相殿は、俺らの正体を知ってしまった人間は誰であろうと、とっとと消してしまいたいらしい」
シュガムの言葉を信ずるならば、先の〝人工魔人〟は彼の意思によるものではないらしい。
程なく、得体の知れない黒の波紋が彼方此方にその影を見せる。目算、十数といったところだろうか。
シュガムは面白おかしそうに、俺がどう対処するのかを眺めておくつもりなのだろう。
ぶはっ、と特徴的な笑い声を響かせながら、好奇の感情を湛えた瞳で此方を見詰めていた。
「……となると、オーネストの方にもか」
一瞬、心配してしまう。
でも、それも刹那。
向こうには戦闘力は未知数ながら、ローザも認める人間、ベスケット・イアリもいる上、物理攻撃が通らない〝死霊系〟でもない限り、この心配は無用であると考えを彼方に押しやる。
だけれど────。
「あいつは今、鍛錬中なんだ。それは、勘弁してやって欲しいな」
此処は街中。
だから、出来る限り周囲に被害が出ないように。その事も頭の中にいれて立ち回っていたが、こうなってはそんな贅沢も言っていられない。
「人の心配をするたぁ、随分と余裕じゃねえか。だが、その前におどれの目の前のコレはどうするよ」
ぽつりと呟いた言葉を耳聡く聞き取ってか。
愉楽に塗れたシュガムの声が届いた。
それは、俺が次に起こす行動に対しての期待の表れであり、願望を口にするだけではどうにもならないぞと俺に伝えている。
否定する気も起きない衒いのない指摘だった。
直後、陰鬱に澱み濁った複数の瞳が、一斉に俺に焦点をあてる。そこに鋭さはないが、限界まで圧搾された殺意は滲み、肌はひりつきを覚えていた。
しかし、ソレを生み出していた〝人工魔人〟の足は動きをみせない。
否、理性を奪われ、命令を遵守するだけの傀儡でしか無い筈の彼らは動けなかった。
キィン、と頭の奥に響くような高音を立て、暮色に染まり覆われる天蓋を更に覆い尽くす特大の魔法陣の存在が理由であり、シュガムの問いに対する答え。
「ああ、そうだぁ。分かってんじゃねえか」
守りから一転して、攻勢に転じようとする俺の選択が肯定される。
斜陽に照らされる獰猛に笑むシュガムの相貌が、ありありと視界に映り込んだ。
「……腐ってやがる」
〝人工魔人〟という人倫を無視した存在を造った張本人でないにせよ。
その存在を歓迎しているようにしか見えないシュガムの反応を前に、そう言わずにはいられない。
「く、ふふ、はははははッ。なに寝ぼけた事を言ってやがる」
明確な嘲笑を浮かべ、シュガムは俺の呟きを「愚か」と言い放つ。
「目的の為には手段を選ばねえ。ああ、それは確かにおどれの言う通り、腐ってるのかもしんねえ。だが、おどれの信ずる常識が誰にでも通じると思ったら大間違いだろ。目的の前にゃ、そんな常識は『ただの邪魔』でしかねえんだからよ」
目の前の男は、どこまでも血湧き肉躍る闘争を求め、それを何よりも好む人間。
故に強きを好む戦闘狂は、何がなんでも「勝とう」とする人間を何処までも称揚する。
そこに付随した結果を笑顔で受け入れる。
たとえ、過程がどれだけ救えないものであったとしても至る為の貪欲さを高く買う。
「そして、そういう奴等の集まりが〝魔神教〟だ。それを認められねえなら、おどれが力尽くで否定してみろよ。それを除いて、我を通す手段はねえぜ? ええ!?」
「そんな事、言われずとも……ッ」
ローザに任せて貰ったこの時間稼ぎが終われば、今すぐにでも元凶を叩き潰してやりたい気分だった。
「落ち、ろっ!!」
一言。
紡ぐと同時に、怒涛と称すべき勢いで雷光が狙い過たず〝人工魔人〟を穿ち貫いてゆく。
一瞬、ジュッと肉が焦げる不快音が耳朶を掠めるも轟音によってすぐ様掻き消されてゆく。
「流石に、宰相殿にくれてやった〝失敗作共〟じゃあ、足止めにすらならねえよな。いくらそこまで強くねえとはいえ、グロリアがやられる程の相手だあ────だったら、やっぱコレ使っちまうのも仕方ねえよなあ~~!?」
────巡れ巡れ。〝狂華月〟。極上の獲物は、そこにいるぞ。
直後、赤く染まる奇妙な模様は、まるで血液が巡るかのようにシュガムが手にする剣身へ、じんわりと浮かび上がってゆく。
そして程なく、囲っていた雷の檻はシュガムが事もなげに振り下ろした一対の得物によって斬り裂かれた。
「〝 伝承遺物〟を見るのは初めてか? だったら驚くのも無理はねえ。コイツは普通の〝古代遺物〟とは違って、代償を必要としやがるものでなあ」
悠然とした足取りで歩み寄ってくる。
ただ、手にされるソレは、傍目から見ても一目瞭然な程に尋常でない雰囲気を纏っていた。
加えて、何故か見た事もない模様が浮かび上がるや否や、ポタリ、ポタリと手から滴り始めた鮮血。
そこに疑問を抱いた俺の心境を見透かしてか。シュガムは律儀に説明をしてくれる。
「まぁ……能力や威力は、剣を合わせればそのうち分からぁな。つーわけで、だ。後はおどれの身で以て理解しろよ」
次いで何を思ってか、シュガムは肉薄をするのではなく、手にする一対の剣を地面に向かって突き刺した。
「そら────」
不敵に笑うシュガムのその行動を阻害すべく、俺は頭上に展開したままだった魔法陣に命を下す。
「────咲けや、〝狂華月〟!!」
「────〝雷轟驟雨〟────!!」









