七十三話 忘れ物と不穏な気配と
「も、もう、だめだよ。ローザちゃん。そんな事したら、オーネストの頭が三つに割れちゃう……むにゃむにゃ」
「……一体、どんな夢を見てるんだか」
辛い物談義に花を咲かせ、上機嫌になっていたヨルハは、下戸なのにお酒までも飲み始め、すっかり酔い潰れてしまっていた。
にしても、オーネストの頭が三つに割れるとは一体どんな状況なのだろうか。
「しかし、楽しい時間というものは得てして早く過ぎ去ってしまうものだな」
飯屋に足を踏み入れてから、幾時経過した事だろうか。少なくとも、一時間以上は既に経過していた。
「今日は助かった。貴殿らの助けがなければ、恐らく明日も私は街でペンダント探しをしていた事だろう」
明日も良ければ一緒に。
食事をする最中の会話で、リクに俺はそう訊いていたのだが、問題ないと断られてしまっている。どうにも、何処にあるかの場所は大体絞れたからあとは一人で問題ないのだとか。
一日だけとはいえ、それなりに仲良くなった人間だ。永の別れというわけではないが、やはり寂しさはあった。
「気にしないでくれ。何度も言ったが、俺達も俺達で探し物をしてたんだ。だから、な」
何度目か分からない発言に、リクはそれもそうだったなと笑みを浮かべる。
「あぁ、そう言えば」
「ん?」
「他でもない冒険者である貴殿らに一つ、忠告をさせて貰いたい」
まるでそれは、冒険者であるからこその忠告とも言っているようであって。
「レッドローグのダンジョンには潜るな。何があっても、潜る事はしない方がいい。……まぁ、ギルド側が立ち入り禁止にしているらしいのだがな。一応、言わせてくれ」
そこには、有無を言わせぬ圧があった。
ジッと見詰めてくる眼光は真摯で、「どうして」と疑問をぶつける前に、思わず分かったと肯定してしまいたくなる程にリクの声音までもが突として真剣なものになっていた。
でも、この一日にすら満たない時間で知ったリクの性格。それらから、原因は不明だが〝迷宮病〟がレッドローグのダンジョンで頻繁に発症されていると知っていたからなのだろうと俺は自己解釈。
だから、俺は首肯しながら返事をする事にした。
「あぁ、分かってる。それに、俺は『武闘宴』に出る予定があるからな。ダンジョンに潜る暇なんてないさ」
「……そういえば、そうだったな」
無用な心配であったと分かったからか。
リクは顔を綻ばせた。
流石に、城に潜入する予定があるとは言えないので取り繕ったが、リクは疑う事なく納得してくれたようだった。
「冒険者の話は聞いていて面白かった。それと、愚痴を聞いて貰ったお陰か、幾分か気が晴れた。酔い潰れてるヨルハにも、起きたら私が礼を言っていたと伝えて貰えるか」
「そのくらい、お安い御用だよ」
その言葉を最後に、リクは俺に背を向け、外へと向かって歩き出す。
まぁきっと、レッドローグにいる間は縁があればまた会う機会もあるだろう。
「それにしても、変わった奴だったな」
悪い人でない事は当然として、俺から見てもリクという男は色々と変わっていた。
その点については、クラシアも同じだったのか。そうね、と同意してくれる。
「変わった魔道具を使っていたものね」
「あれ、オウィディの耳飾り、だよな」
オウィディの耳飾り。
それは、髪や目などの色を変える魔道具で、主に姿を偽りたい人間が使用する事が多い。
本人は元研究者と言っていたが、やはりお忍びの貴族ではないのか。
リクに対してのそんな考えは、結局最後まで拭い切れなかった。
「まぁ、訳ありなんだろ。俺達だって、全部馬鹿正直に話してた訳でもないしな」
だから、お互い様。
そう思って罪悪感を打ち消しておこう。
別に、リクに不利益になる事を黙ってたわけでもないんだし。
俺はそう言葉を締め括った。
「取り敢えず、オーネストが帰って来てるかもしれないし、早いところ戻るとして、」
ローザに対しての報告は、明日で問題はないだろう、と判断した直後。
先程までリクが座っていた場所に、彼の荷物であろう物が置き忘れられている事に気付く。
「って、荷物置きっぱなしかよ。悪いクラシア、ちょっとリクに届けてくる。今なら追い掛ければ間に合うだろうから」
食事をする際に、傍に避けて置いていた荷物をそのまま忘れるとは抜けているというか、なんというか。
「なら、私はヨルハの様子を見ておくわね」
寝息を立てて卓に突っ伏すヨルハは、ちょっとやそっとの事では起きないだろうと思える程に熟睡していた。
なので、その言葉に頷き、ヨルハの事はクラシアに任せて俺は荷物を片手にリクを追う。
雑然とした喧騒が、静謐に。
斜陽に染まった景色が、視界に広がった。
先に店を後にしたリクの姿を探すと、程なく見つかったので俺は彼の下へと駆け寄る。
ただ、どうしてか。
俺が目にしたリクの髪色は、瞳の色は、まるでヨルハのように赤色に染まっているように思えた。
そんな最中、魔法学院時代の先輩レガスから忠告を受けていたあの言葉が蘇る。
────お前ら、〝グラン・アイゼンツ〟っつー名前に聞き覚えはあるかぁ?
研究者で、ロケットペンダントを落とした張本人。更には、アイゼンツ姓。
初めにリクと名乗られたからそもそも、その可能性を俺は除外していた。
いや、違う。
俺にはリクが、レガスが危惧していた〝闇ギルド〟の関係者には思えなかったんだ。
だから、疑う行為をしなかった。
斜陽が丁度、目元付近に射し込んでいるせいで視界不良だった。単なる見間違えかもしれない。
でも、それでも、一度そんな考えを抱いてしまったらもう止まらない。
やがて、口を衝いて言葉は漏れ出た。
「グラン・アイゼンツ……?」
直後、リクはその言葉に反応して振り向いた。
彼の相貌がはっきりと映り込む。
凪いだ海面のごとき双眸が、俺を静かに見据える。
しかし、その行為に思わず眉根が寄った。
ルビーのような瞳には、俺からは何の感情も浮かんでいないように思える。
冷たい瞳だった。
少なくとも俺には、視界に映り込むリクらしき彼は、先程まで談笑していたリクとは丸切り別人のようにしか思えなかった。
「ぶはっ」
しかし、リクらしき人間から返事が来るより先に、違う声が混ざってくる。
それは、覚えのある特徴的な笑い声だった。
続くように、隠す気はないのか。
泰然としたまま、言葉を紡ぎ出す。
「おいオイ、酒でも一杯引っ掛けようかって時に、のこのこといい肴がやってきてんじゃあねえか。おどれ、後をつけられてたんじゃねえのか? なぁ、グラン」
猟欲に光る眼光。
喜悦に弾むその声は、忘れもしないシュガムと呼ばれていた男のものだった。
ぺたり、ぺたりとサンダルを踏み鳴らす音が聞こえる。けれど、それ故にと侮るべきでない相手である事は身を以て知っていた。
「宰相殿がお呼びだぜ、グラン。あっち側も準備は全て整ったんだとよ」
煩わしそうに、シュガムがリクに告げる。
今更隠す程の事でもないと割り切っているのか。普段と変わらぬ声量でやり取りが行われていた。
リクに尋ねたい事があった。
そもそも、届けようとした荷物すら渡せていない。しかし。
「つーわけで、おどれはさっさと行ってやれや。俺ぁ、あいつと遊んどくからよ」
シュガムが俺の前に立ち塞がる。
そして、感情を映さない硝子造りのビー玉のような瞳は、ほんの僅かに寂寥、後悔のような感情を浮かべた後、俺から視線を外して背を向けた。
その行動は紛れもなく、俺と話す気はないという意思表示でもあった。
「おい、待て!! リク!!!」
制止の言葉を投げる。
しかし、無情にもその言葉は届かない。
ただ、俺との距離が開くだけ。
だから、急いでその後を追いかけようとして。
「……チッ、────」
けれど俺は、野性味のあるどこか粗雑な風貌に、愉しげな色を乗せてにやりと嗤うシュガムを前に、舌を鋭く打ち鳴らし立ち止まる。
彼の態度は、素通りはさせてやれねえぞ。
と、訴えかけているようにも思えた。
だから、勢いで行動をする事は悪手。
何より、クラシアやヨルハを置いたままこの場を離れる訳にはいかない。
優先順位を履き違えていた己の足を、辛うじて残っていた理性で以て俺は止めた。
「グランのヤロウとおどれの関係は知らねえが……随分と冷静じゃぁねえか。おどれがそのまま勢いに任せて横切ろうもんなら、その胴体、今頃真っ二つだっただろうぜぇ?」
そう口にするシュガムの手には、一対の剣が握られていた。漆黒に染まる剣身が、黄昏の光を反射する。
……挙動が見えなかった。
いつ、シュガムは剣を出した……?
その事実に戦慄を覚えた俺の表情が、反射的に歪む。
「ただ、今のおどれを見逃す訳にゃいかねえよなあ? あん時は見逃したが、今回はそれなりにちゃんとした理由が出来ちまってるからよぉ!?」
リクがシュガムと接点を持っていた事には驚いたが、それでも今は驚いている場合じゃない。
「おどれの考えてる事は分かるぜ。グランの野郎が俺らに利用されてるとか思ってんだろ? だが、残念だったな。そりゃあ間違いだ。寧ろ、あいつは下手をすりゃ俺よりも救いようがねえ人間だぜ?」
「…………」
たった小一時間話しただけ。
そんな浅い関係ではあったが、リクが〝闇ギルド〟の人間らしい悪人とは俺には思えなかった。
だから、真っ先に利用されているという可能性が浮かんだ。しかし、口にもしていないのにそれを否定される。
「とはいえ、それを問い質す事を許容してやるわけにゃいかねえんだがな。最近、我慢続きで悶々としてたんだわ。そら、おどれも〝古代遺物〟持ってんだろ? 出せよ。そんくれえは待ってやるさ」
観察する。
シュガムの得物は、曲刀のような得物だった。形状はあまり見ないタイプ。
だが、脱力してはいるが、彼のその立ち姿に隙はなく、見せ掛けの得物ではないとこれまで培った勘が告げている。
剣も扱えるとはいえ、土台が魔法師である俺にとって典型的な戦士タイプの人間とはあまり相性は良くない。
それが、〝伝承遺物保持者〟と呼ばれる程の者なら尚更に。
だからこそ、どうするか。
脂汗を額に浮かべながら、俺は知恵をどうにか振り絞り、その場をやり過ごす案を見つけようとして────そんな最中。
「────やはり、見張っていて正解だったな」
声が聞こえた。
女性特有の高く、そして透き通った声。
出どころを探すが周囲にそれらしき人影はいない。そしてふと、頭上を見上げると、そこには宙を浮遊する一人の少女がいた。
「……ローザちゃん?」
俺達の元担任教師。
ローザ・アルハティアその人だった。
「ぶはっ、イイねえ。イイねえ!! 〝天旋〟まで俺の相手をしてくれんのかい! こりゃあ今夜は酒はいらねえ。戦闘だけで十分過ぎるくれえ酔えそうだぁッ!!」
歓喜ここに極まれり。
周囲の事なぞ知らんとばかりに犬歯を剥き出しに、破顔をして喜悦に腹を揺するシュガムは、叫び散らす。
「おい、アレク。お前はあの赤髪を追え。このサングラス男は私がどうにかしておく」
どうして宙に浮いているのか。
そもそも、何故、ここにいるのか。
ローザに対しても、尋ねたい事は山程あった。けれど、今はその事を悠長に尋ねている場合ではない。
「……いや、そこのシュガムは俺がどうにかするよ。オーネストとの約束もある。ローザちゃんがリクを追ってくれ」
手にしていたリクの忘れ物を、ローザへと投げ渡す。
言うまでもなくリクの事は気掛かりだ。
けど、俺はオーネストからヨルハの事を頼まれている。だから俺がこの場をローザに任せてリクの事を追う事は、少しだけ憚られた。
故に、後を追う役目は俺ではなくローザに。
「それはリクの忘れ物なんだ。もしかすると、役に立つかもしれないから」
「お前の手に負える相手じゃないと思うが」
「倒すのは無理でも、時間を稼ぐくらいは出来る。それに、騒がしくなればクラシアも気付いて駆け付けてくれる」
倒せるとは思ってない。
でも、ローザがリクが向かった先を確認までの時間稼ぎなら、まだどうにか出来る。
だったら、俺がやる事はただ一つ。
「戦えよ、シュガム」
「はぁん。顔に似合わず、イイ殺気を出すじゃねえの。だが俺ぁ、生来欲張りな性格でねえ。だから、その提案にゃ、」
「────〝雷槍千影〟────」
乗ってやる訳にはいかねえなぁ?
本来、そう続けられたであろう言葉。
しかし、その未来を力尽くで握り潰す。
一瞬にして、視界を焼き焦がさんばかりの白々とした雷光が席巻する。
言葉を発すると同時に出でるは、雷に彩られた雷槍。その切先が、地面や虚空から姿を覗かせ、一斉にシュガムへと狙いを定めた。
彼方此方で弾ける雷光が、それが見せかけではないと主張をしており、左右前後上下に対して、シュガムの行手を阻む障害と化す。
直後、痛快だと言わんばかりの大笑が俺の鼓膜を盛大に揺らした。
「……面白え。俺を檻にでも閉じ込めたつもりかぁ!? だが、生憎相性が悪ぃぜ、おどれと俺とじゃよぉ!!」
シュガムは凶悪な笑みを浮かべて腰を落とす。同時、突き刺すような殺気が雪崩のように押し寄せる。それが、始動の合図。
生まれていた十数メートルもの距離を、刹那でゼロへと詰めてみせる敏捷性が発揮された。
だがそれは、『武闘宴』のあの時に一度既に見ている。故に、十分な応手が打てる。
俺は無手となっていた左手を虚空に翳し、魔法陣を構築────顕現。
転瞬。
たんっ、と地面を蹴り上げる音と共に眼前の虚空に身を躍らせながら、得物を振り下ろすモーションに入るシュガムの姿が映り込む。
その速度には、「馬鹿げている」と思わず嘆かずにはいられない。
だが、幸いにも俺はダンジョン〝ラビリンス〟にて、これまたその馬鹿げた速度を持つ剣士と既に一度出会っていた。
「魔法師が俺とタイマン張るなんざ百年はええ」
氷の刃のように研ぎ澄まされた一言。
姿を覗かせていた雷槍が牙を剥き、肉薄をしたシュガムに迫っているが、それが本来の効果を見せる前に術者を殺してしまえば終いだ。
彼の物言いは、立ち塞がった俺に対してどこか落胆しているようにも思えた。
「でも、張らなきゃどうしようもない時だってある」
魔法師だから、剣士との戦いを避ける。
たしかに、それがベストだ。
しかし、いつもそのベストな選択肢を掴み取れる訳ではない。
たとえ相性が最悪だろうが、どうにかして足を止めさせ、相手をしなければならない時だってある。
「〝雷獣の猛哮〟」
振り下ろされた剣が、俺の頭蓋を斬り裂く前に、ソレは完成し、雷獣を想起させる叫び声のような轟音伴った雷鳴が、眼前を容赦なく駆け抜け蹂躙。
線の一撃である〝サンダーボルト〟と異なり、〝雷獣の猛哮〟は面の一撃。
魔力がたんまりとある今であれば、多少、消費が激しい魔法であろうと問題はなく。
「ッ、ぶねえ!!」
肉が焦げる異臭と共に、シュガムの声がやって来る。どんな身のこなしで避けたのか。裂傷程度のダメージしか彼には与えられておらず、未だ健在。
「時間稼ぎ程度なら、俺に任せてくれ!! だから、ローザちゃんはリクを追ってくれ!!」
「…………、分かった。死んでくれるなよ、アレク」
リクが本当に、グラン・アイゼンツであるならば。俺達に話してくれたあの話が本当であるならば────……嫌な予感がする。
だから、何を差し置いてでも俺はローザにリクを追って貰う必要があった。
シュガムに怒涛とも称すべき勢い、物量で飛来する雷槍。しかしそれらは、未来視の魔法でも会得しているのか。目視すらしていないシュガムに、躱され、そして蠅でも叩き落とすかのように、得物を使っていとも容易く斬り裂く。
先程展開した〝雷槍千影〟で稼げた時間は、ローザに言葉を伝えるたった一瞬だけ。注ぎ込んだ魔力の量を考えれば、つい、渇いた笑いを漏らしてしまいそうになる。
だが、本命はそれじゃない。
本命は、その〝魔法〟じゃない。
「……確かに、おどれの魔法は目を見張るもんがある。だが、所詮は一発限りの大道芸でしかねえわなぁッ!?」
言われずとも分かってる。
獣の如き敏捷性を持つような剣士達と一対一で戦う場合、魔法が役に立ちにくい事など。
それが、〝剣聖〟レベルともなると、目眩しの役割すら満足に果たしてくれなくなる事も、知っている。
知っているからこそ、
「誰がいつ、魔法だけで戦うって言ったよ?」
俺はちゃんと、また〝剣聖〟と戦う事になっても、あの時よりマシな戦闘が出来るように俺なりに用意はしておいた。
とは言っても。
「あんたは、マナってもんを知ってるか」
「あ゛?」
単純に、〝剣聖〟の戦い方を模倣させて貰っただけではあるのだが。
いつぞやの、〝剣聖〟から向けられた問い掛けを今度は俺がシュガムへ向ける。
「────マナブラスト────!!」
「っ、おいオイまじかよッ!!?」
言葉すら紡がずに、〝古代遺物〟を顕現。
そして、かつて俺の前で見せてくれた〝剣聖〟の動きをなぞるように、そのまま間髪容れずに剣を振るう。
シュガムの口から漏れた素っ頓狂な声は撃ち放った青白の光芒に呑まれ、身体は塵芥のように吹き飛んでいった。