六十八話 闇ギルドの男達
* * * *
響き渡る司会者だろう男の声。
一層高まる喧騒。
ただその中でも、一際異質。
おっとりとした声音ながらも、何故か、一人の男の声だけが強く耳に残った。
そして、その声の主は何故だか俺達の下へと現在進行形で歩み寄ってきていた。
「〝街中サヴァイブ〟……か。ぶはっ、いいねぇ~。檻の名前とはいえ、随分と洒落た名前をつけんじゃねえの~~!」
ポケットに手を突っ込みつつ、大股でサンダルを鳴らしながらそんな事を口にするざんばら髪の大男は何を思ってか、俺達の下へと近づいてくる。
鍛え上げられた胸筋が、開けた派手な柄のTシャツから覗いており、体つきからそれなりの武人であると分かる。
分かるのだが、あまりに戦闘とかけ離れた服装の為、何よりも先に怪訝の感想がやって来てしまう。
そんな俺達の心情を見透かしてか。
掛けていたサングラスを右の人差し指でピンと弾き、裸眼を晒した大男はぶはっ、と吹き出したようにまた笑った。
そして、次の瞬間。
「———————」
数メートルは空いていたであろう間合いが、一瞬で殺され、詰められる。
そこに、予備動作は一切なく、初動が僅かに見えただけ。
その事実に息を呑み、ウソだろッ!? と、顔を引き攣らせる俺の耳元に、大男はすれ違いざまに口を寄せた。
「見た目で判断するのは褒められたもんじゃねえぜぇ~。もっとしっかりしてくれよ。俺ぁ、おどれらに期待してんだぜぇ? グロリアのボケと、〝剣聖〟を退けた実力ってやつによぉ。なぁ? ノイズ」
「…………」
愉楽を孕んだ声音で、大男は小さく呟く。
そこには、幼子が新しい玩具を前にした時に見せるような色が見え隠れしていた。
そして、その発言には俺達の気を惹くワードが幾つか見受けられた。
「……オーネスト」
俺はオーネストにだけ聞こえる声量で言葉を漏らし、慌てて距離をとってゆく。
警戒心を向けるその対象は、ざんばら髪の男と、今しがた「ノイズ」と名を呼ばれた先程まで側で言葉を交わしていた黒髪の男に対して。
だが、いつでも魔法を行使出来るよう、臨戦態勢に入る俺とは正反対に、ざんばら髪の男は何事も無かったかのように笑みを深めるのみ。
そこに、敵意はない。
害意もない。
しかし、拭いきれない底知れなさがそこにはあって、警戒せずにはいられない。
「まぁ、美味そうなら喰っちまうのもアリかと思ったが、この様子じゃあ、ちぃとばかし時期尚早かねぇ~」
落胆。失意。
薄らと見え隠れする期待外れと言わんばかりの感情。
それらを残して、大男は軽い足取りで後退。
「とはいえ、この程度であの二人を退けられるわけがねえ。って事は何か隠してる線が濃厚。くく、面白え」
何事も無かったかのように、再びぶはっ、と笑ってみせた。
「……さっき言いかけてた質問を変える。あんたらは、誰だ」
責めるように厳しい視線を向けながら、俺は猜疑心を隠そうともせず、厳かに告げる。
ごくごく僅かな可能性であるが、俺の知り合いか何かかと思って彼の顔を矯めつ眇めつ見詰めるも、やはり心当たりはない。
相手が一方的に此方を知っているだけなのだろう。
「そうだなぁ」
顎に手を当てながら、勿体ぶるように男はどこか戯けた顔で悩むような仕草をする。
その際に、ノイズと呼ばれた黒髪の彼の顔色を窺うような素振りが刹那ほどの時間存在していたが、しかし。
愉悦ここに極まれりといった様子でざんばら髪の彼は口角を吊り上げたまま告げた。
「俺の名前はシュガム。おどれらに分かりやすいよう自己紹介をすんなら、〝闇ギルド〟の人間っつった方が分かりやすいかねぇ~~?」
一切隠す気のない自己紹介に、一瞬だけ呆然としてしまう。
予想外も予想外。
斜め上を通り越して、天井を突き抜けてるレベルだ。
そして、矯め直されていない上着の隙間からは言葉の通り、見覚えのある刺青の一部が確認出来た。
「……はぁん。いい度胸してンじゃねえか。あの二重人格野郎の名前を出したって事ぁ、つまりそういう事で良いンだよなぁ!?」
いち早く言葉の意味を理解したオーネストの発言に呼応するように、彼の右手に黒槍が収まる。
〝古代遺物〟————〝貫き穿つ黒槍〟。
す、と目を細めて体躯から殺意を立ち昇らせるオーネストも、負けじと獰猛な笑みを浮かべる。穂先はシュガムと名乗った男を捉えており、気付いた時には既に、剣呑な空気で場は満たされていた。
だが、オーネストの槍が繰り出されるより先に、気の抜けた言葉が鼓膜を揺らす。
それ故に、俺達の注意が一斉にそちらに向いた。
「なにぶち壊しちゃってくれてんですか、シュガム。見て下さいよ。貴方のせいで、おれまで警戒されてるじゃないですか。はぁー、やだやだ」
紡がれる言葉や声音は浮薄そのもの。
先程までとは、口調が一変していた。
シュガムのあの一言で、取り繕う事は不可能と諦めたのか。
ノイズと呼ばれた黒髪の彼は、溜息を吐きながら丁寧な口調でシュガムを責め立てる。
恐らく、こっちが本来の口調なのだろう。
「おれの予定が台無しですよ、台無し。折角、面白い事をする為に色々と取り繕って接触してみたというのに」
信頼を勝ち取る前に全てをバラされたと口にするノイズは、面白くなさそうに視線を落とす。
「……面白い事?」
「……。味方だと思っていた人間が、最後の最後で敵でした。なんて展開、安っぽくはありますけど、面白くないですか? おれ、そういう二流劇作家が描きそうな展開が好きなんですよね」
へらへらと笑いながら、ノイズは言う。
「他にも他にも、長年、存在すら知らなかった家族同士が、実は敵対する立場にあった、とか。そしてその立場に身を置いた理由が過酷であればある程、映えますよねえ。まぁ、誰とはいいませんけど」
顔に、明らかにソレと分かる嘲弄が浮かんでいた。これは、挑発。
そう分かって尚、知らぬ存ぜぬで聞こえないふりを貫くわけにはいかなかった。名前こそ出されてはいないが、その内容は間違いなく、
「〝魔力剣〟」
強引に会話を打ち切らせんと、得物を発現。
〝古代遺物〟を使用するか迷ったが、ここから絶対に逃すわけにはいかない。
だからこそ、俺は攻撃力よりも馴染み深い得物を選んだ。
「おいおい。臨戦態勢に入んのは勝手だが、俺らはここでおっ始める気はねえぜ? 殺るとしても楽しめる状況が整ってからじゃねえと」
〝古代遺物〟を発現させ、いつでも戦闘に移れるよう態勢を整える俺達を前に、シュガムと名乗った男は、大して身体を強張らせることもなく、自然体のままそう言い放った。
つまりそれは、今の状態でも対応出来るという自信のあらわれ。
腹立たしくはあるが、高い力量である事は既に身を以て知ってしまっている。
だから、彼に対して安易に斬り掛かる事は憚られた。
そして何より、先ほど聞こえてきた「楽しめる状況が整ってから」という言葉。
そこから、こいつも〝剣聖〟と同類か。
俺はそう判断し、歯噛みした。
この手の輩は、大抵総じて面倒臭いから。
「そう警戒すんなよ~~!! 言ったろ? 俺らは、ここでおっ始める気はねえって」
「……なら、ここで俺達に声を掛けた理由はなんだ? わざわざ〝闇ギルド〟の人間ですって挑発してきた理由は」
「そりゃ簡単な話だ。単にそういう気分だったんだよ。もっというと、バラしちまった方が楽しそうだったからだ。おっと、言い忘れてたが、弔い合戦みたいな気持ちは微塵もねえぜ? 弱えやつがどうなろうと俺の知った事じゃねえからなぁ~~!!」
〝闇ギルド〟と呼ばれる組織に所属している連中に、真っ当な仲間意識はない。
だから、シュガムのように、他の人間がどうなろうと知った事ではないと思う人間が大半であった。
「とはいえ、だ。まぁ、その上であえておどれらに理解出来るような理由をつけるとすりゃ、それはきっと、戦ってみたいから、だろうよ」
「……戦ってみたいから、だぁ?」
「おうよ。だってよぉ、ここで俺が正体バラしちまえば、今後、外で何が起きようとおどれらはそっちに掛かりきりになるっつー選択肢を失うわけだ。その理由は単純明快。『武闘宴』に、とびきりの危ねえ奴がいるから。放っては置けなくなる。そうだろ? くくくッ」
やはり、こいつは〝剣聖〟と同類とも言える人種か————。
「とは言っても、俺はあの〝剣聖〟のヤロウとは人種がちげえけどなあ」
「…………」
まるで俺の頭の中を覗きでもしたのか。
そんな疑問を思わず抱いてしまう程、的確な言葉が投げ掛けられた。
「俺ぁ強くなりたいなんざ思ってねー。ただ、闘争っつー死線に身を委ねる命のやり取りが好きなだけさぁ。ただ、気の済むまで暴れてえだけだ」
どこまでも強くなりたい。
それが〝剣聖〟の望みだった。
しかし、シュガムと名乗ったこの男の望みは、どこまでも戦いたい。血に酔いたい。剣を、振いたい。それだけ。
そこに目的などあるわけもなく、あえて目的を作るとすれば、それは単純傍迷惑に「満足したいから」という理由一つ。
「だから、おどれらにゃ期待してんだぜ。んで、もしおどれらが俺に打ち勝つような事があれば。その時ぁ、なんでも言う事聞いてやるよ。勝者にゃ、それをするだけの権利があるからなぁ~~!!」
成る程。
目的や動機は傍迷惑極まりないが、本当に言葉通りならば、シュガムという男は良くも悪くも武人だ。
————ただ。
「期待を向けるのあんたの勝手だとは思うが、俺達がそれに付き合ってやる義理はないな」
答えた直後、ダンッ、と床を蹴りつける強烈な踏み込み音が一つ。
「へ。そういうこった。貴重な情報源をみすみす見逃してやる義理はねえよなぁ!?」
躊躇う事なく突き出されるオーネストの槍は、目にも留まらぬ速さでシュガムの肢体を狙い過たず穿とうとして。
しかし、その一撃は甲高い音を一瞬だけ場に残し、正体不明のナニカによって弾かれた。
続け様、二度、三度と弾かれた勢いすらも利用し、旋回させて連撃を浴びせるオーネストであったが、ソレすらもナニカによって防がれてしまう。
その間に、俺はノイズに向かって剣を振るうべく、距離を詰めにかかるが、生まれていた間合いを詰める事は出来なかった。
「鎖……?」
じゃらり。
足下には、いつの間に出現したのか。
黒々とした不気味な色合いの鎖が、俺の足に巻き付いていた。
「早速潰し合いが始まってんぞォ!!」
「いいぞ!! やれやれ!!」
気付けば、周囲には十人程度のギャラリーが集まっており、こちらを面白おかしそうに眺めていた。
「だから言ってるだろぉ~~!? 今、おどれらと殺る気はねえって。こっちにも事情があんだよ。お互いの為にも、ここは自己紹介までで済ませとこうぜえ?」
「……お互いの為?」
鎖を魔法で砕き壊すべく、足下に魔法陣を展開していたところで、引っ掛かりを覚える言葉が聞こえる。
「拡声器やら、会話やらで外の音があまり聞こえはしませんでしたが、耳を澄ますと……ほら、やけに騒がしくありませんか?」
ノイズが耳元に手を当てたりと大袈裟にも思える身振り手振りで、そう口にする。
言われるがまま耳を傾けてみると、確かに、やけに騒がしいような。
「おれの予感を言わせていただけるのなら、多分、あと少しでもう一つの仕掛けがダンジョンで作動する気がするんですけどねえ」
————良いんですか? こんなところで、道草を食っていても。
値踏みするような視線は、まるでそう告げているようでもあって。
「……オーネスト」
どうぞ、逃げて下さい。
そう言わんばかりに鎖が緩められていた事もあり、俺は発動しようとしていた魔法を中断。
その代わりに、俺とオーネストに付与出来るよう、新たな魔法————補助魔法の行使を試みる。
「よく聞いてくれ。アイツらは、これからの一撃で仕留められなかったらひとまずは諦めよう」
俺は耳打ちをした。
聞きたい事が沢山ある。
不安要素でもある。
ローザが頭を悩ませている今回の一件に、間違いなく絡んでいるだろう。
だから、おめおめ取り逃す事はしたくはなかったが、そうも言っていられなくなった。
「しゃーねえか」
時間をかけていられないと理解しているからか、二つ返事でオーネストは頷いてくれた。
意見は纏まると同時、魔法を行使。
————〝加速術式〟————。
ヨルハと比べると、やはり物足りなさは多分にあるが、今は贅沢を言ってられる場合じゃない。
「俺は黒髪を狙う!! グラサンは任せた!!!」
「ぶはっ、殺る気はねえって言ってんのに、随分と殺意がたけえじゃねえの。まぁ、そういうのは嫌いじゃねえぜ、俺ぁよ~~!!」
呵呵大笑するシュガムと、余裕めいた笑みを崩さないノイズに向かって、大声で叫ぶ。
「〝多重展開〟!!」
周囲のギャラリーにはお構いなしに、魔法陣を展開。
一瞬にして、虚空に十数の魔法陣を出現させる。
その魔法陣の量の多さに、どよめきが生まれていた。だが、その魔法陣に向いた注意を利用し、先程は詰められなかったノイズとの間合いを今度こそ刹那の時間でゼロへ。
このタイミングは、必中————!!
少なからず傷は与えられる。
そう思って繰り出した袈裟懸け一閃であったが、次の瞬間、俺の瞳は驚愕の感情に彩られた。
————攻撃を阻んだものは、正体不明の鎖。
黒い渦のような波紋が、複数虚空に生まれ、そこから鎖が飛び出している。
それが幾重にも重なり、盾のような役割を果たしてノイズの身体を守っていた。
ぎちぎちと擦れ合う金属音。
横目で一瞬、オーネストの様子を確認するも、そちらもそちらで仕留めきれてはいないようだった。
「……〝雷鳴轟く〟」
その狙いは、刃を向けていた彼らではなく、その、足下。
派手に展開していた理由は、元より攻撃の手段ではなく、目眩し。
「ダンジョン向かうぞ、オーネスト!!」
「ったく、わぁったよ!!」
一斉に撃ち放たれた事で、視界を覆う程の砂煙が巻き起こった。
容易に倒せる相手じゃない。
不意打ちが決まらないのであれば、この場を脱してローザにこの事を伝える事が先決。
そう判断を下した俺達は、「警戒心が高えヤロウ共だ」と口にするシュガムの言葉を耳にしながら、会場を後にした。