六十一話 〝願い〟
怒涛の雷撃。
うねる毒鎖。
放たれる青白の斬撃。
それら全てが纏めてぶつかり、生まれる衝突音。舞い上がる砂煙。
しかしそれも、長くは続かず、やがて収まってゆく轟音と不明瞭な視界。
その中で、小さな呟きが大気に響いた。
————あぁ、忘れてた。君ら、三人パーティーじゃなくて、四人だったか。
まったく、してやられた……。
へらへらと力なく笑う声の主の姿が、ゆっくりとあらわとなってゆく。
そして彼の視線の先には、白く輝く矢を弓につがえ、弓弦を引き絞るクラシアの姿があった。
変な動きを見せた瞬間、迷わず射る。
そう言わんばかりの圧と共に、クラシアの焦点は依然とメレアへと向けられており、身体から放たれる雰囲気は、鋭く冷たい金属のソレ。
抜き身の刃のように冷ややかであった。
だから、なのか。
石壁に縫い付けるように、メレアの肢体に突き刺さる白矢をぎょろりと目を動かし、確認をしてから嘆息を一度ばかし漏らすだけであった。
「毒鎖も、雷撃も、オーネストも。全部が囮で、本命が君か。しかもご丁寧に全部骨を射抜いてる。おんぶに抱っこでパーティーを組んではいないってわけだ」
穿つは四連、無駄撃ちは無し。
手足の関節付近を四本の矢がきっちり射抜いているせいで、メレアといえど身動きが取れない状態に陥っていた。
しかし、それでも超然とした態度を貫くメレアの様子には薄気味悪さを感じずにはいられない。
オリビアの不興を買ってでもここで後顧の憂いを絶っておきたいところではあったのだが、
「……あ゛ー……クソったれ。身体がぴくりとも動きやしねえ」
すぐ側。
大の字で仰向けに倒れるオーネストと同様に、俺もまた、〝リミットブレイク〟の反動によって身体がもう全くと言って良いほどに動かなかった。
「つぅか、オイ! 何やってンだ潔癖症!! さっさと射って終わらせろ!! そこで突っ立ってるエセ神父もエセ神父だ。ちったあ、————」
「————今は黙って、オーネスト」
「誰がバカだ! 誰が!!」
先程まで得物を合わせ続け、その上で最低限ではあったものの、見るも痛々しいまでの裂傷を負い続けていたオーネストだからこそ、その危険性を叫ぶ。
さっさと〝剣聖〟をどうにかしろと。
そして、先程まで戦い続けていた俺もそれには同意見であった。
なのに、クラシアは威嚇をするように矢をつがえるだけで、とどめを刺そうとはしていなかった。
「聞きたい事があるの」
「へえ?」
ぎゃあぎゃあと唯一真面に動く口で叫び続けるオーネストの言葉を無視して、クラシアは何を思ってか、メレアにそう問うた。
喜色に弾んだ声で反応するその様子は、続きを言いなよと促しているようでもあって。
「ヨルハを攫おうとした理由は、一体何?」
「……うん?」
……そうだった。
クラシアやヨルハとは途中で別れていたせいで、攫おうとしていた人間————グロリアを既に片付けてしまっている事を知らない。
だから、その事については問題ないと俺が答えようとしたところで、
「あぁ、グロリア君が変な事を言ったのか。攫うとはまた物騒な。まぁ、当の本人はけちょんけちょんにされてたわけなんだけども」
事情を理解したメレアが、世間話でもするかのような軽い様子で答える。
「だから、それはグロリア君に聞け————と、言いたいところだけれど、攫おうとした理由は私でさえも何となく分かるなあ」
表情に、好奇心に似た感情が散りばめられる。
一応とはいえ、手を組んでいたのだから知っていて当然、と言いたいところではあったが、およそ仲間とはいえない関係性を目の当たりにしている手前、安易にそうであると答えを結びつける事は憚られた。
「特別不思議がる事でもないだろうに。彼女が今、手にしている〝ダンジョンコア〟の存在こそが彼女の価値をこれ以上なく教えてるんだから」
「…………」
〝ダンジョンコア〟。
メレアの口からその言葉が出た途端に、何故かクラシアの表情が苦々しいものへと移り変わっていた。
〝ダンジョンコア〟に、何かあるのだろうか。
「もしかして、君達は〝ダンジョンコア〟を手にするのはそれが初めてだったかな」
「……それと、何の関係があるっていうのよ」
「こんな話を聞いたことはあるかい。〝ダンジョンコア〟は、意思を持っている。そんな馬鹿げた話をさ」
その荒唐無稽な発言を前に、場に沈黙が下りる。しかし、その沈黙も長くは続かない。
程なく、その静寂はオーネストの一言によって破られる。
「意思、だぁ? じゃあなんだ? てめえは〝ダンジョンコア〟が生きているとでも言いたいのかよ?」
「あぁ、そうだね。ある意味では生きていると言ってしまっても良い」
刹那の逡巡すらなく肯定してしまうメレアの言葉を耳にし、これ以上聞いてらんねえとオーネストはそっぽむく。
けれど俺には何故か、彼が全くの出鱈目を言っているようには思えなかった。
「彼————〝アダム〟の意思が込められた〝ダンジョンコア〟を集める事によって、込められた意思が彼の居場所である〝楽園〟への道を照らしてくれるらしい。ただ、それらは選ばれた人間にしか反応しなくてね。彼風に言うならば————〝望む者〟にしか、〝ダンジョンコア〟の意思は伝わってはこない」
お陰でほら、君らよりずっと前に最下層にたどり着いた私は〝ダンジョンコア〟を得られず、来たばかりの君達がこうして今、手にしている。
これが、意思が伝わる人間と伝わらない人間の差。ここまで言えば、どうしてグロリア君が攫おうとしたのか。分かるんじゃないかな。
そう言わんばかりに、面白おかしそうにメレアは口角を吊り上げた。
「……貴方も、あれを見たんですか」
ずっと口を真一文字に引き結んでいたヨルハが、今度はメレアに向かって話し掛ける。
「見てたなら、私がとうの昔に〝ダンジョンコア〟を手にして、君達を圧倒してただろうよ。これは、お喋りなやつから聞いただけの何気ない話さ」
ここまで来ると、嫌でも理解する。
恐らく、クラシアとヨルハは、俺達と別れた先で何かに見舞われたのだろう。
それが、〝ダンジョンコア〟に深く関係していた。といったところか。
「〝楽園〟にたどり着けば、どんな願いでも叶えられる。だが、〝アダム〟の意思を感じ取れる〝望む者〟はごくごく少数。だから、〝闇ギルド〟の連中は、君のような〝望む者〟と、〝ダンジョンコア〟を必死になって集めてるってわけさ。そして、その動きは最近になって活発化してる。攫う理由はそれ故だろう」
今回は〝ラビリンス〟であったが、これからもダンジョン攻略を進めるならば、〝闇ギルド〟との衝突はさけられないだろう。
そう言って、何故かアドバイスのような事を告げてくるメレアであったが、それを最後に閉口した。
まるで、お喋りはこれまでだと言うように。
「無様なものだな、メレア・ディアル」
侮蔑の感情がふんだんに込められた言葉が遠間からやって来る。
それは、覚えのある声。
オリビアのものであった。
「存外手強い相手だったものでね、見ての通りさ」
かつ、かつ、と己の存在を主張するように、足音を殊更に強調しながら、オリビアがメレアに歩み寄る。
一目で分かる程に、彼女の身体からは敵意と殺意が綯い交ぜになった圧が滲み出ていた。
近づいて来る気配は一人分。
故に、レヴィエルや、ルオルグは一緒じゃないのか。
そんな事を思っているうちに、彼女はメレアとの距離をゼロへと詰めてしまう。
そして、壁に縫い付けられた彼に向かって、一言。
「何故、お前は私を拾い、育てた?」
「……これはびっくりだ。言葉より手が先に出るものだと思ってたけど……意外と冷静みたいだねえ」
ぷるぷると怒りに震えるオリビアの手は、腰に下げられた得物の柄にかかっている。
斬り捨てたいという衝動を、限界スレスレのところでどうにか押し留めているのだろう。
「……叩きのめしたい気持ちは自分の中で多分を占めていた。けれど、それよりも虚仮にされたという事実に対する怒りの気持ちの方が大きかった」
そして、メレア・ディアルという剣狂いは、質問一つとっても自分が打ち負かされた時にしか答えようとはしない人種だ。
偶然にも、今その状況が転がっている。
故に、ぶち殺す事を後回しにしてオリビアは問い掛ける。
「どうしてお前は、己が見捨てた仲間の子供をあえて引き取り、自分の子供のように育てていた……?」
それが怒りの根源。
オリビアが、メレアを許せない理由。
深い憎しみを抱くようになった原点が、その一言に詰まっていた。
「…………」
「メレア・ディアルという人間が、強さを求める剣士である事は昔から知っていた。そして、あの日までは、お前は良い師であった。なのにお前はどうして————あの時、私を突き放した? あえて恨みを抱かせた? なぜ、私を見捨てた?」
声は震えていた。
切実とも言える慟哭。
オリビアの口から告げられた言葉というものは、心の悲鳴とも捉えられる絶叫に近かった。
「決まってる。答えは単純だ。エゴだよ、エゴ」
「な————」
もしかすると、あれだけ怒りをあらわにしていたオリビアであったが、心の何処かでは何かどうしようもない理由があったのではないのか。
そんな一縷の希望に似た何かを期待していたのかもしれない。
けれど、その希望を易々と打ち砕かれ、絶句するオリビアの様子を無視してメレアは言葉を続ける。
「私は、欲張りで、醜くて、汚らしい自分のエゴを貫いただけさ。エゴまみれで欲深いだけのエゴイスト。それが私さ。そして、あの日を最後に、オリビアという存在はいらなくなった。邪魔になった。だから————見捨てた。突き放した。これが答えさ」
「メレア、ディアル……き、さまぁぁぁぁあ!!」
「————願いは!!」
既に手を掛けていた剣を抜き、怒りに身を任せて斬り捨てようとするオリビアの行動を遮るように、俺は声を張り上げた。
どうしてか、メレアの言い分に違和感を感じた。だから、考えるより先に叫んでいた。
「あんたの、願いは何だったんだ。俺はまだいまいち理解が出来てないけれど、〝楽園〟の存在を知った上で、〝ダンジョンコア〟を求めてたなら、あんたにも願いがあった筈だ。それは一体、なんだったんだ」
「知れたこと。当然、今より更に強くなる為に」
「それは嘘だろ」
「……うん?」
「だったら、オリビアをあえて手放す理由が見当たらない」
故に嘘と断言する。
「ただ強くなりたいだけなら、側に置いてても不都合はない筈だ。たとえ獲物を横取りされたとしても、その分だけオリビアが強くなる。なら、最後にオリビアを喰らって己の糧にすればいい。だから、オリビアが側にいたとしても、あんたに何の不都合も生まれない」
それが分からないメレア・ディアルではない筈だ。
だとすれば、他に理由があると捉えるのが賢明か。なら、メレアは何を考えている?
メレアは、一体何を望んでいた?
「……あんたの願いは、何だったんだ」
先の言葉をそのまま返す。
すると、
「はぁ……」
観念したように、溜息が一つ返ってくる。
次いで、何を思ってか。
首を動かし、メレアは天井を仰いだ。
「その洞察力の良さは、エルダス譲りってところか。いや、実に面倒臭いねえ……ただ、まぁ、話すだけなら問題はない、か」
誰一人として言葉を発しない沈黙が、数秒と経過してから、
「強くなって、強くなって————どこまでも強くなって、そして、〝やり直し〟がしたかった。なんて私が言ったとして、君は信じられるか?」
試すように、尋ねてくる。
「〝やり直し〟?」
「昔の苦い思い出をね、〝やり直し〟たいんだ。〝楽園〟はどんな願いでも叶えられる万能の果実らしいから、きっと出来ると思うんだ。誰も救えなかった過去を、誰もを救えた過去に変える機会を欲する事さえも」
そこで不意に脳裏を過ぎるは、レヴィエルに向けてメレアが言い放っていたある一言。
————仲間を見殺しにした挙句、そいつの子供を育てて自己満足に利用してる時点で友好関係が築けるとは思ってないさ。
仲間を、見殺し。
そして、度々口にしていた強くならなければならないという発言。
何故か、欠けていたパズルのピースがカチリと嵌る音が幻聴された。
先の望みが嘘偽りのないものであるならば、色々と説明がつくし、これまでの行動も殆ど全て一貫しているとも言えてしまう。
事実、当事者であるオリビアもそう捉えているのか。混乱し、硬直してしまっていた。
「まぁ、それを信じるか信じないかは君ら次第なんだけどさ。ただ、そういうわけで、まだ、くたばってやるわけにはいかないんだよ」
不敵に笑うメレアの様子を前に、堪らずクラシアがつがえていた矢を言葉もなく射った。
しかし、狙い過たず彼の身体を貫く筈だった白矢は、命中する直前で闇色の何かにのみ込まれてしまう。
「闇、魔法……ッ!!!」
手足の制御が一切効かないにもかかわらず、的確に己の眼前に魔法を出現させられるその技量に瞠目しながらも、その正体を一瞬で看破。
やがて、黒い靄がメレアの身体を包み込み始める。
「なんとかしろ、エセ神父!!!」
クラシアでは分が悪いと判断してか。
ヨルハ達と共に転移してきていた丸刈りの神父然とした男を呼ぶオーネストであったが、
「……いや、手出しは無用、らしいっすよ」
エセ神父と呼ばれた彼が、オーネストの言葉に応じる事はなかった。
理由は恐らく、手を出すなと言わんばかりに誰よりもメレアに近い位置にいるオリビアが右の腕を横に広げ、手のひらを見せていたから。
「……仮にそれが事実だとして、なら何故、お前は私に一言として相談をしなかった。何も、言わなかった?」
「ハ。当たり前の事を聞くな、オリビア」
嘲弄とも取れる笑みを貼り付け、告げる。
「そんな事をしてみろ。お前、絶対私について来ただろ。剣術も、癖も、口調も何もかも私の真似をするような、馬鹿弟子なんだからさ」
「…………」
「あの日、〝楽園〟の存在を知れた事は心底感謝している。見殺しにした贖罪として、多くの餓鬼を引き取って育てはしたが、それ以外に私に出来ることが見つかったのだから」
それと————。
「最後に、そこのエルダスの弟子。さっきは悪かった。エルダスには感謝しているが、あいつ、〝願い〟といい、考え方といい、それなりに私と似ているから、つい、自責ついでにあいつの事も悪く言いたくなるんだ。ボロクソ言った後で取り繕いにしか聞こえないだろうが、あいつは良いやつだよ。お人好しって言って良いほどに」
そこには、親愛に似た感情が込められていた。
知らぬ仲でない事は、本当なのだろう。
「さて、レヴィエルやルオルグ君も来たみたいだから、無駄話もこれまでにしとこうか」
これ以上、人が集まっては逃げられなくなるから。そう言わんばかりに、言葉は止まり、
「てめえ、無愛想」
「……後で謝罪はする」
こちとら殺されかけてたというのに、オリビアの気まぐれで逃すからには、相応の覚悟は出来てるんだろうな。
限界まで圧搾した殺意を込めて睥睨するオーネストの一言に、オリビアが申し訳なさそうに答える。
そして、遅れてレヴィエル達が駆け付けてきたと同時、壁に縫い付けられていた筈のメレアの姿が、ふっ、と〝テレポート〟でもしたかのように消え失せた。