五十五話 呪術刻印——〝憤怒〟
* * * *
「良いだろう? オレ様の親友は。普段は甘ちゃんだが、やると決めりゃ、とことんやりやがる。だから、おっかねえんだアレクはよ」
眩い程の光が降り注ぐ落雷。
自傷はもとより覚悟の上で、ダメージを与えに向かったその行動を称えながら、オーネストは愉しげに笑う。喉を鳴らし、殺意飛び交う場にとても似つかわしくない表情が。
そんなオーネストは、やがて笑みを止め、今度は冷笑とも形容すべき冷え切った表情に変貌させながら、「だからこそ」と、言葉を紡いだ。
「————気に入らねえなあ?」
そう、オーネストはどこまでも傲岸に言い放つ。
「その目だよ、その目。オレ様が認めた数少ねえ身内を馬鹿にしやがるその目が気に入らねえ。昔のオレ様そっくりで、それが余計にイラつかせやがる」
己以外、「雑魚」とすら思っていない傲岸不遜。天上天下唯我独尊を地でゆくような、ゴミでも見るような侮蔑の眼差し。
一貫して、鬱陶しい「蠅」でも見るような眼差しを向け続けるグロリアに対して、吐き捨てた。
「てめえが強えのはよぉく分かった。だが、だからこそ、狭窄甚だしいな? オレ様から言わせりゃ、てめえはただの愚者だ」
「……愚者。なるほど、愚者ときましたか。しかし、僕からすればダラダラと講釈をたれようとするお前の方がよっぽど、」
「————分かってねえなあ? そういうとこだっつってんだろ」
交錯する、槍と剣。
確実に隙を突いたであろうひと刹那。
しかし、そこに滑り込ませたであろう一撃は、いとも容易く平然とした様子でオーネストによって防がれ、弾かれる。
まるで、初めから攻撃がソコに来ると分かっていたかのような対応。
加えて、余裕綽々とした態度が、まだまだ余裕であると言っているようで腹立たしかったのか。
オーネストらしい物言いも相まって、グロリアの眉間に青筋が浮かんだものの、すぐ様飛び退き、グロリアは再び距離をつくる。
「アレクが意地張ってンだ。だったら、オレ様もオレ様らしく、天才の意地を張ってやろうじゃねえか」
そして、手にする槍を一薙ぎ。
ぶぉん、と豪快に風切音を響かせながら、
「やってやンぞ、〝貫き穿つ黒槍〟」
己の得物の銘を口にする。
「————〝雷轟殲閃〟————」
バチリ、と雷撃の音が響いた。
音の出どころは、魔法師のアレク・ユグレットによるものではなく、オーネストの槍の矛先から。
口にされた一言は、少し前にアレクが使用していた魔法の名であったものの、その響きには若干の差異が存在していた。
「……本当はあそこの〝剣聖〟相手に使ってやりたかったが、今回ばかりは仕方ねえ。だから代わりに、てめえに見せてやるよ。本当の『天才』の実力ってもンをよ」
そして、向ける。
少し前に、オーネストが自ら気に入らねえと指摘した底冷えする瞳を。
真にその眼差しを向けられる人間は、オレ様達ではなく、お前なのだと言外に告げるように。
「……それはそれは。良い度胸ですねえ゛?」
「そんなに切れンじゃねえよ。なんて事はねえ事実を言っただけじゃねえか。それに、舐めてンのはどっちだ? オレらの前でヨルハを攫う? 冗談キツイだろ」
おかしくもないのに笑う。
面白くもないのに、精一杯の強がりを見せるように喉の奥をオーネストは震わせる。
「〝剣聖〟? 〝名持ち〟? 〝憤怒〟? 知らねえ、見えねえ、聞こえねえ。オレらが相手なら、そんな名ばかりの称号なんざクソの役にも立ちゃしねえぜ」
暗に、見掛け倒しの脅しはきかないと宣い、同時にてめえにオレを倒せるだけの実力は備わってねえと言い放つ。
やがて、「十分」と小さく呟いた後、獰猛に嗤い、瞳を炯々と滾らせながら、時間がねえから————と、前口上を述べた後、
「————とっととくたばれ〝二重人格〟野郎」
尋常もクソもねえ。
一方的に嬲って叩きのめす。
そう言うように、今度はオーネストの姿が掻き消え、後方へ飛び退いていたグロリアとの距離を刹那の時間でゼロへ。
「————」
空白の思考。瞠目。
明らかに先程までとは段違いの速度であったオーネストの肉薄を前に、驚愕するグロリアの反応はオーネストにとって満足のいくものであったのか。
気を良くしたように、槍を容赦なく振るいながら口を開く。
「〝リミットブレイク〟はてめえの限界をぶち壊す魔法だ!! 攻撃魔法の才がからっきしなオレ様の場合は魔法は普段と大差ねえが、その分身体能力が跳ね上がる————ッ!!!」
再度合わさる衝突音。
すぐ様、移行する鍔迫り合い。
そして、ぐ、と苦悶の息が歯列の隙間から漏れ出たのも刹那。
その微かな吐息は一瞬にして爆発が起こったと錯覚させる程の連撃の音によって掻き消される。
————〝雷轟殲閃〟————。
アレクの時とは異なり、オーネストは嵐を思わせる怒涛の刺突を雨霰と降り注がせる。
愚直に繰り出されるソレは、圧倒的物量と破壊力を誇った先の落雷とある意味遜色はなく。
槍に纏われた雷が、忙しなく虚空に槍線を描き、容赦なく刺し貫いてゆく。
そして生まれる赤線。
鮮血がぷくりとグロリアの肌の上に浮かび上がり、次いで身に纏う黒の外套は襤褸と化してゆく。
しかし。
しかしだ。
「馬鹿、がッ!!!」
痛苦に苛まれ、表情を歪めながらも、身体から溢れ落ちてゆく鮮血を横目にグロリアは盛大に嘲る。
〝ブラッドマジック〟。
その使い手であるという事前知識を得ていながら、嬉々として傷をつけていくその様は、物の道理を弁えない夢見がちな道化そのもの。
乱雑に散らばってゆく鮮血、その全てがグロリアの武器と化す。
なればこそ、無闇矢鱈に攻撃を繰り返すオーネストのその行動は嘲ってしかるべきものであった。もので、あった筈なのだ。
唐突に、一切の予備動作すらもなく、一条に伸びる刃と化す地面に落ちた血を、難なく避けるオーネストの姿を目にするまでは。
「なん、で、コレを避けられるんですかねえ゛」
「逆に聞くが、なんでオレ様が避けられねえと思ったよ?」
二撃目。三撃目と難なく凌ぎ、先の一撃は決してマグレではなかったのだと否応なしに現実として無情なまでにオーネストは叩きつけてゆく。
ある意味、オレと似てるンだろうが、無意識のうちに見下してくるその思考回路はやっぱり気に食わねえ————そんな感想を胸中に漏らしながら、オーネストは憂さ晴らしでもするように槍を振るう。
伸びる鮮紅色の刃を駆ける事で躱しながら、すれ違い様にグロリアの肩口を斬り裂いた事でまた一つと血飛沫が上がった。
そこで漸く、グロリアは表情から嘲りの色を取っ払う。オーネストは、侮っていい相手ではない。寧ろ、〝剣聖〟に向けていたものと同等レベルの警戒心を向けるべき。
そう考えが至ったところで、槍撃から逃げるように後退しながら、オーネストの容姿を目に焼き付ける。
————コイツらは、冒険者だ。ならば、この強さであれば、間違いなく数いる冒険者の中でも、ひと握りの上位に食い込む人間。
攻撃から逃れながら、心の中で状況の整理を始めるグロリアであったが、しかし、彼はオーネストらの事をちゃんと知っていた。
故に、実際と事前に知っていた情報の違いに顔を顰める。
グロリアがすぐに片付けようとせず、ヨルハを生捕にしようとしていた理由は、それが可能と断じていたからだ。
もし、初めからSランクの中でも上位の冒険者共であると知っていたならば、また行動は違った事だろう。
だが、グロリアはあくまで現実を知らない餓鬼。ついこの間までずっとAランク止まりだった者達と認識していたが故に、全く警戒していなかった。
たとえそれがSであれ、駆け出しならば全く行動は変わらなかった。
事実、当初はその認識で間違ってはいなかったのだ。
決定的に状況が変貌したのは、彼らが〝リミットブレイク〟と口にしたあの瞬間から。
「———————……チ」
鋭く舌を打ち鳴らす。
血を失うのは構わない。
寧ろ、優位に働くゆえに許容すべきである。
だが、それもある一定ラインまで。
適度に失う事はプラスに働くが、失い過ぎるのは不味い。
その危機感が己の脳裏を過った事実にグロリアは歯噛みする。
直後、押し寄せる後悔の念に似た感情。
————安易に〝リミットブレイク〟などというものを許容すべきでなかった。見過ごすべきではなかった。……とはいえ、ソレは十分しか続かない。ならば、十分を凌ぎさえすれば————。
……そう考えたところで、はっ、と我に返る。
この程度の雑魚相手に、どうして僕がこうも弱気にならなくてはならないのだと。
そして、意図せず、抱くプライドが彼の精神を安定させてゆく。
「……全く、情報の差異にも困ったものですねえ」
グロリアが敬語擬きを使う際は決まって、精神に一応の余裕がある時である。
ここまでの強さがあるなら、仲良しこよしに手を繋いであの憎き〝剣聖〟をぶち殺しておくのもアリか?
などと考えるも、〝剣聖〟は腹が立つクソ野郎だが、オーネスト達と手を組む事はそれよりもよっぽど腹が立つと却下。
とはいえ、ここで己が手を引き、〝剣聖〟vsオーネスト&アレクという状況を作り、あの〝剣聖〟が苦しむ様を想像するのもまた一興。寧ろ、そうしておくべきではないか。
グロリアの己の中に存在する天秤が大きくグラつき————しかし直後、その天秤から意識を逸らした。
「————しかし、そんな事はさておき、実に気に食わないですねえ?」
それは奇しくも、オーネストが少し前に口にした言葉と類似する一言であった。
次いで、不気味に笑みながら、グロリアは手にする得物を力強く握り締める。
瞬間、力を込めた事で腕に付けられていた裂傷から、血が滲み出す。
それはまるで意思を持った生き物のようにグロリアが手にする剣へと纏わりつき、同化。
程なく、先程までとはひと回りは違うであろう大きな剣が出来上がる。
「その自分が勝てると信じて疑っていない態度。どうしようもなくぶっ壊したくなりますねえ」
「そりゃちげえなあ? 勝てるって絶対的な確信を持ってんだよ、ボケ」
忙しなく振るい続けていた槍を、オーネストは今一度構え直す。
骨をも砕くような殺意を柳に風と受け流しながら、何度目か分からない獰猛な笑みを貼り付ける。オーネストのその様子は、来るならこいよと挑発してるようでもあった。
しかし、その態度に怒りを見せるのではなく、グロリアはくひ、と一度嗤う。
ただ、如何に精神が一度安定したとはいえ、〝憤怒〟の二文字を冠する人間。
彼の根源は怒りであり、故に————一瞬の冷静も、ブチリという決定的な逆鱗にとどめを刺された結果が音に代わり、
「だ、から……そういうところがうざってえってんだよクソがぁぁぁあああ゛!!!!」
身体を怒りに震わせながら、地鳴りの如き大声をグロリアが上げた。
なれど、先程までとはほんの僅かに様子が異なっていた。
怒り散らすグロリアの身体の一部が、光を帯びていた。
それは、巻きつく蛇のような模様であって。
「お前は、〝呪術刻印〟っつーもんを知ってるかぁ゛ッ!?」
聞き慣れない言葉を吐き捨てながら、突撃。
一見すると、ただの突撃にしか見えない行動であったが、続けられた愉悦に弾んだ声が、確かな勝算あっての行動なのだと指摘してくる。
「僕達〝名持ち〟と呼ばれる人間は、どいつもこいつも特別な〝呪術刻印〟を扱えるが故に、名を与えられていましてねえ゛!?」
グロリアの二つ名は————〝憤怒〟。
故に、本来、適性のない魔法を限定的に使用可能とする方法として知られる〝呪術刻印〟。
それもまた、〝憤怒〟を冠するものであり、何よりそれは、他とは一線を画す特別製。
「————〝憤怒の叫び〟————!!!!」
出し惜しみはナシだ。
そう言うように、まるで侵蝕でも始まるかの如く、外套から見え隠れしていた肌の色が言葉と共に赤黒く変色を始め————弾丸を思わせる速さでもって肉薄をし、
「————死ね」
「————てめえがな」
一瞬の後、一陣の風が、音が、剣風が、得物が、言葉が、意志が凄絶な音を伴って激突した。