五十話 三つ巴の予感
* * * *
「————ぐぇッ」
それから十数秒後。
飛んで火に入る夏の虫。
と言わんばかりに肉薄するオリビアに対して、応戦を試みたバンダナの男は、蛙が潰れたような声を漏らしながら地面に叩き付けられ、完全に無力化されていた。
オリビアは助力を求めず、一人で対処しようと試みてはいたが、そもそもが5対1。
いかに変わった人間とはいえ、この状況下で真正面から挑むのは馬鹿のする事である。
それもあってきっと、オリビアは彼を馬鹿呼ばわりしていたのだろう。
「メレア・ディアルは、何処にいる」
万が一にも、抵抗が出来ないようにとヨルハが〝拘束する毒鎖〟で地に伏す彼の身体を縛った事で、既に身動き一つ出来なくなっている。
故に、脅威はもう何一つとして存在していない、筈だったのだが、
「……く、くく、ひゃははっ」
「何がおかしい?」
何を思ってなのか。
薄い唇を限界まで引き上げて笑うバンダナの男に堪らずオリビアがそう問い掛けていた。
堪えきれず吊り上がったソレは紛れもない愉悦の発露。嘲笑である。
拘束され、無力化されたというのに、何がおかしいのかとオリビアだけでなく俺達の内心も同様に疑念に埋め尽くされていた。
「いやぁ、なに。実に健気だなあって思ってさあ? こうも、あいつの思い通りに動くんだ。流石の俺も笑っちまうよ」
バンダナ男の言うあいつとは、オリビアが先程口にしたメレア・ディアルという人物の事なのだろうか。
……何処かで聞いた覚えのある名前である気がするのだが、どうにも思い出せない。
眉根を寄せて黙考する中、
「……〝剣聖〟メレア・ディアル、ねえ」
厳かに、俺の側でそう口にしたのはオーネストであった。ただ、どうしてか、何処か歯噛みをするように複雑な表情を浮かべていて。
「学院を卒業する時に、オレだけ色々と忠告されてたンだよ。だから、基本的に人の名前を覚える気はねえンだが、そいつらの事だけは覚えさせられた。悪い事は言わねえから、そいつらには関わらねえ方が身の為だってな」
厄介ごとを頻繁に呼び込むオーネストの性格を危惧した教員の一人が、卒業する際に教えてくれたのだとオーネストは言う。
「メレア・ディアルは、そのうちの一人だ。とはいえ、それがどうしたって話なンだがな」
その言葉を最後に割り切ったのか。
いつも通りの笑みを浮かべて何事もなかったかのようにくは、と笑った。
「————しっかしまあ、知らねえってのは罪なもんだなぁ。哀れに見えて仕方がねえや」
身体を揺らし、くつくつと喉の奥を震わせながら、嘲るような口振りでバンダナの男は告げる。
「……知らない?」
「くひ、くひひひっ」
さあ、一体何のことだろうなあ?
聞き手の神経を逆撫でにでもしたいのか。
自分から含みのある言葉を口にしたにも関わらず、独特な笑みを浮かべるだけでバンダナの男の口から答えは一向に紡がれない。故に、
————ただの虚勢だ。
刹那の逡巡すら要さず、そう結論付ける。
オリビアも同じ感想を抱いたのだろう。戯言と決めつけて先の発言は無かったものとして扱おうとしていた。
しかし、
「……アンタさっき言ったよなあ? 俺を雑魚だと。ああ、そうだとも。実に業腹な話ではあるが、確かにアンタや、あの剣士然り、グロリアさん達と比べられちゃあ俺なんて雑魚に映るだろうよ」
不本意なれど、その事実を真っ向から否定をする気はないのだと彼は言う。
「そりゃあそうだ。なにせ元々俺は、戦闘員として72層にやって来たわけじゃねぇんだから」
「あン?」
含みのあるその言葉を前に、オーネストは片眉を跳ねさせ、軽く声を上げた。
だが、直後に割り込んだオリビアの発言によってバンダナ男の言葉の続きが紡がれる事はなかった。
「……お前の身の上話に私は微塵も興味はない。時間稼ぎをしていないで、メレアの居場所をさっさと吐け」
苛立ちめいた感情を曝け出し、オリビアは射竦めるような視線を浴びせながら答えを急かす。
「さてな。転移陣のせいで俺はこの通りはぐれちまったんだ。居場所なんて知ってるわけがないだろうよ」
「なら、あいつの目的を教えろ」
「目的、ねぇ……あぁ、そう言えば、下層に向かうって言ってた気がするなあ」
ダンジョンに潜るくらいだ。
であるならば、その目的はまず間違いなく最下層にたどり着く事。
だから、口調こそ人をおちょくったようなものであったが、バンダナの男のその答えは、決して的外れというわけではなかった。
「どうにも、ダンジョンコアに用があるらしいぜ?」
「……ダンジョンコア、だと?」
しかし、その至極当然とも言える答えにオリビアだけは納得がいかなかったのか。
疑いの眼差しを向けながら再度問いただす。
「……あの剣狂いが今更ダンジョンコアを? ……はっ、己を強くする為だけに人を育てていたような奴が、今更ダンジョンコアなぞに用があるわけがないだろうが」
故に、その答えはあり得ないと。
出鱈目を言うなと、オリビアは切って捨てる。
「そうかねぇ? 話した限りじゃあ、本人も割と乗り気だったように俺には見えたんだが……色々と饒舌に語ってくれたぜぇ?」
まぁ、信じねぇんなら、それはそれで俺は構わねぇがな。そうバンダナの男は言葉を締めくくる。
「————ねえ、アレク」
そして、バンダナの男に注意を向けていた俺に、何か用でもあったのか。
ヨルハが声を掛けてくる。
「……さっきから何か、聞こえない? その、何というか……変な音」
言葉に従い、耳を澄ます。
ぱら、ぱら、と建物がじわじわと倒壊していくような音と、何かがひび割れていくような、それらが混ざったような音が、小さくはあったが聞こえてきた。
そして、間違ってもそれは魔物によって生み出された音とは思えなかった。
「へぇ……随分と耳がイイな、アンタは」
ヨルハの言葉を聞いていたのか。
此方に声だけ向けながら、気を良くしたようにバンダナの男がくひ、と笑う。
まるで、己がその音を生み出した張本人なのだと肯定する口振りを前に、全員の視線が一斉に彼に集まった。
「なぁに、驚く程の事じゃあねぇよ。言っただろ? 俺は戦闘員としてきたわけじゃあねえって!!」
地に伏せた状態のまま、威勢よく叫び散らす。
直後、脳裏を過ぎる一つのワード。
————時間稼ぎ。
故に、これ以上あの男に喋らせてはいけないと俺の中の本能が警笛を鳴らす。
魔法で拘束されたあの状態では何も出来ないという事も分かっている。なのに、胸騒ぎのようなものが何故か止まらなかった。
「折角だ。特別に、アンタらにおもしれぇ話をしてやるよ。どうして俺が〝核石〟を食ってるのか、気にならねぇか?」
此方の返事を待たずに、それはな、と言葉が続けられる。
「ダンジョン攻略に必要だったからさ。強くなる為? ああ、そうだなあ? 確かにそういった意味もある事にはあった。だが、その答えじゃ的外れも良いとこだぜ」
まるでそれは、副産物であると言わんばかりの物言いで。
「簡単な話さあ。下層に向かう為に、〝核石〟……いや、ダンジョンの力を体内に取り込む必要があったんだよ」
下層に向かう為には、フロアボスを倒すという手順が必要不可欠である。
だから、その発言は、己の力を向上させる為のものであると反射的に自己解釈をした。
けれども、
「おいおい、勘違いしてくれんなよ!? 俺は戦闘員じゃねぇって言った筈だぜ!? それに、下層に向かう手段は何も一つじゃねぇ。早い話、階層の壁をぶち壊せば、下層に進めるよなあ!?」
その解釈は間違っているぞと、心の中を見透かしでもしたかのような発言がやって来る。
そしてやってくる無茶苦茶としか言いようがない理論。
ダンジョンの地面にあたる部分は、どういうわけか。どれほど強大な魔法をぶつけたとしても若干抉れる、そんな程度が精々。
だから、下層に向かうにはフロアボスを必ず倒さなければならない。
子供でも知っている常識だった。
……ただ、その事実を裏返せば、ある可能性が浮かび上がってくる。子供でも知っているようなその常識をあえて語るという事はつまり————壁をぶち壊す手段が、あるという事。
「あの剣士が裏切った時点で、馬鹿正直に72層のフロアボスを相手するっつー選択肢は消えたのさ!! だから、俺はあちこちぶっ壊してきたわけよ!! そして、今ここに俺がいるって事は、〝セーフティポイント〟も床抜けさせる準備が整ったって事なんだよなぁ!?」
音が大きくなる。
それは、何かが崩れていく音だった。
もう、聞き間違いといえる範囲を超えている。
「アンタはあの剣士の事を探してるんだっけか!? くひっ、くひひひひ!! いいぜ、いいぜ!! だったらその願い!! 特別に俺が叶えてやろうじゃねぇか!!!」
心なし、視界に映る景色は揺れているようにも思えた。
「……壁を壊す、ね。相変わらず、頭のおかしい事をやらせたら右に出る者がいない連中ね」
嘆息を滲ませて呟くクラシアは、その奇想天外過ぎる発想と、行動力に呆れていた。
世間で知られる常識という壁など、ゴミにも等しいと当然のように叩き壊すその思考回路はまさしく、向上心の塊である。
とはいえ、その内容は〝核石〟を食すというふざけたものであるのだが。
「どうするよ」
「————良い機会じゃねえか。タダで下層に連れてってくれるってンだ。なら、このまま流れに身を任せちまおうぜ。〝古代遺物〟に用があったが、この際だ。だったら、〝ダンジョンコア〟をぶんどってやろうや」
やけに乗り気のオーネストが、俺の呟きに答えてくれた。
バンダナの男が俺達を巻き込んで強制的に73層へと連れて行こうとしている理由は恐らく、オリビアにある。
彼女はまず間違いなく、男の言う裏切った剣士とやらを殺しに向かう事だろう。
Sランクの人間が足止めとして機能する。
その事実だけで、俺達を巻き込む価値はアリと判断したのかもしれない。
「……三つ巴になるよこれ」
「〝剣聖〟と、〝闇ギルド〟と、俺らってとこか。これ以上ないくらい、ぐらぐらの均衡だな」
誰かと誰かが手を組む。
という可能性は限りなく薄いとはいえ、ヨルハの言うように、三つ巴として機能するのは果たして幾分か。
「————それ、と。俺の行動を縛りてぇなら、口まで律儀に縛るんだったなぁっ!?」
すぅっ。
〝核石〟を食した事で、肺活量ですらも人間離れしてしまっているのか。
息を吸い込む音は崩れる音に掻き消される事なく、俺の鼓膜にまで確かに届いた。
そして、地に伏せった状態のまま、
「がぁぁぁぁああああああああアア————ッッ!!!」
「あい、つッ、何を!!!」
魔物に勝るとも劣らない咆哮が数秒に渡って響き渡る。その突拍子もない行動に、渋面を見せながらも咎めようとしたその直後、バンダナの男がいる場所を中心として、枝分かれするように複数の亀裂が地面に入り込む。
どれだけ強い魔法をぶつけても、びくともしないダンジョンの地面が、である。
そして程なく、ガラ、と音を立てて老朽化した建物のように地面が次々と重力に従って崩れ落ち始めた。
「ッ、————〝補助魔法〟————!!!」
最早落下は避けられない。
いち早くそう悟ったヨルハによる補助魔法。
バンダナの男を除いた全員の頭上に、一瞬にして魔法陣が浮かび上がった。
「ひゃは、ひゃははははははは!!! さあ、さあ、さあ!!! アンタら全ッ員! 73層にご招待だ!! 精々、あの剣士を足止めしてくれよ!?」
絶えず響く哄笑はとどまる事を知らないとばかりに声量を増してゆき、
「楽しい楽しい、コアの奪い合いの時間だぜ!? なぁッ!!?」
その一言を最後に、足場は完全に崩壊した。