四十九話 バンダナの男
「…………ったく、ひでぇ目にあった」
「……いや、オーネストがボクの言葉に耳を貸してくれていれば、あそこまで酷い事にはなってなかったからね、絶対に」
責めるような眼差しで穴があくほど見詰めていたヨルハとは一度も視線を合わせたくないのか。
オーネストはあからさまに、視線を俺とオリビアに行き来させていた。
恐らく、誰が一番悪かったのか。
その自覚があるのだろう。
髪を乱暴に軽く掻きまぜた後、この話題は良くないと悟ったのか、オーネストは別の話題に切り替える事にしていた。
「————で、だ。てめえは一体どうしてダンジョンに一人で潜りに行きやがったよ。まさか、答えられねえ、なんて言わねえだろうなあ? 無愛想」
相変わらずの、ど直球ストレート。
遠慮なんてオレの辞書には存在しねえと言わんばかりの物言いは正しくオーネストらしいものであった。
けれども、独特の呼び方で呼ばれたオリビアはといえば、無表情のまま閉口を続ける。
答える気は無いのか。
そう思った時だった。
「師を探していた」
小さく開かれた口の隙間から、過去形の言葉が紡がれる。それはまるで、既に見つかったかのような物言いで。
「おー、おー。そいつは良かったな。で、闇ギルドにでもいたか? そいつはよ」
たった一言で全てを理解したのか。
戯けた物言いでオーネストは言葉を返していた。
師を探してダンジョンに潜ったのであれば、〝ラビリンス〟にいるという確信を抱かせるだけの根拠が何処かに必ずあった筈なのだ。
そして浮かぶ一つの選択肢————闇ギルド。
故にオーネストのその帰結は、間違いとは思えなくて、俺はその発言に対するオリビアの返事を待つ事にした。
「居た、と言ったら?」
「どうもしねえよ。オレらが気にしてンのは、てめえの行動だけだ。てめえの師匠が闇ギルドにいようがいまいがオレらには何一つとして関係ねえ。重要なのは、それでてめえがどうするか。その一点だけだ」
あくまで俺達の目的はオリビアを連れ帰る事。
彼女の師がいようがいまいがどうなろうが、俺らからしてみればそれがどうしたで終わってしまう些事だ。
だから、「なあ?」と俺に話を振ってくるオーネストに向かって肯定の意で以て応える。
「師を探して……それであんた、どうするつもりだったんだ」
説得か。強引に連れ戻すか。
はたまた、迎合するか。
一瞬にして様々な考えが浮かぶも、しかし、それらが掠りもしていなかったと次の瞬間に思い知らされる事となった。
「どうする、か。……く、ははっ。お前とクラシア・アンネローゼには、もう既に答えてやっただろうに。ケジメをつける為、であると」
オーネストに倣うように、どこか戯けた調子でオリビアの口から言葉が発せられる。
「要するに————ブチ殺してやるんだ。あのクソ野郎を、この手でな」
俺と似たり寄ったりの体躯から、燃えるような怒気に似た殺気が立ちのぼる。
決してそれは紛い物の殺意ではないのだと、確証もないのに、不思議とそう受け取れてしまった。
「……ケジメをつけると言っていたから何かと思えば。随分と物騒な事を考えるのね」
「だから私の事はほっといてくれ」
淡々と言葉を並べて感想を述べるクラシアは、若干その発言に引いていた。
「……でも、そういう事ならボクは見過ごせないかな。別にオリビアさんの事情に首を突っ込む気は全く無いけど、ボク達はマーベルさん達から貴女を連れ戻すって約束してる。このまま放っておいたら、きっと次は大怪我どころの話じゃ済まなくなる」
オリビアの傷は殆ど完治しているものの、服にこびり付いた血痕までは隠し通す事は出来ない。
何より、ここに居合わせた全員が、オリビアが重傷を負っていたという事実を知っている。
その師とやらを殺そうと試み、返り討ちにあった。そして懲りずにまた挑もうとしている。
この予想が事実であるならば、確かにこれは止めなくてはならない。
「……成る程、マーベルか。確かに、あいつであればお前らとの接点も少なからずある、か」
〝タンク殺し〟での一件を知っていたのか。
一瞬ばかし得心顔を浮かべ、けれども、次の瞬間にそれは煩わしいと言わんばかりの表情に移り変わる。
「相変わらず、お節介な奴め」
この場にいないマーベルに向けて告げられたであろうその言葉で以て、締めくくられた。
「でも、そのお陰で貴女は助かった。自称とはいえ、大親友さんに感謝する事ね。一人だったら間違いなくあの〝モンスターハウス〟でくたばってたわよ」
基本的に、ダンジョン内に仕掛けられた転移陣を看破する方法は存在しない。
補助魔法に特化したものの中でもひと握りの人間であれば、ある程度は看破出来るが、それでもやはり、ある程度止まり。
それもあって、俺にはオリビアに転移陣を看破する手段が備わっているようにはとてもじゃ無いが見えなかった。
「そうなった時はそうなった時だ」
その時は仕方がなかったと諦めただろうさ、と呆気らかんとオリビアが言い放ち、クラシアは呆れたとため息をついて、視線を外した。
「……オリビアを助けに向かう前に、俺はルオルグからダンジョン攻略の協力をしてくれないかって話を持ち掛けられてたんだ」
どこまでも自己中心に。
独りよがりに、独りで我が道を我儘に貫く。
そんな意思が見え隠れしていたオリビアだったからこそ、俺はそう言わずにはいられなかった。
あの時のルオルグの言葉は、オリビアのこの無茶があると予見していたが為だったのかもしれないと、思ってしまったから。
「闇ギルドの対処をする為に、他のパーティーの力を借りたいって話だった。……待つって選択肢は無かっ————」
「————ない」
強引に言葉が被せられ、遮られる。
そして、嘲笑めいた笑みが俺に向けられた。
「お前は、愉快な勘違いをしているな」
「勘違い?」
「ああそうだ。誰もがお前らのように仲良しごっこをしてると思ったら大間違いだ」
「……あァ?」
それは、徹底的なまでの拒絶であった。
俺達と己は違うのだと、指摘をされる。
側でオーネストが不機嫌に声をあげるも、そちらに気を向けず、続けられる言葉にのみ耳を貸す。
「知らないようだから教えてやる。ルオルグからどんな説明を受けたかは知らないが、〝ネームレス〟は訳あってフィーゼルに身を置いている奴の集まりだ。それを無理矢理パーティーの形に一人のお節介が纏めているだけ。放ってはおけないから。そんなふざけた理由でな」
だから、頼るだとか、頼らないだとか。
それ以前にそもそも、パーティーに加わっているという意識すら存在していないんだよと先の俺の言葉が否定された。
「都合が良いから一応属してはいるが、それだけだ。私達の関係は、そんなもんだ。そして漸く、私の目の前に悲願が転がり込んできた。だから、それに手を伸ばしただけの事。故にもう一度だけ言う。邪魔をしてくれるな」
それだけを言い残し、体力を休める為に壁にもたれていたオリビアはその場から離れ、歩き出す。
「————ほっとこうぜ」
そんなオリビアを見かね、オーネストが声を上げた。
「ああなった時の無愛想にゃ、何言っても無駄だ。付き合ってらンねえ。それに、潔癖症がもう既に治癒の魔法ぶっかけてやったンだろ? だったら、オレらに出来る事はもうねーよ」
————つーわけで、オレらは気兼ねなくフロアボス攻略をしてやっか。
せいせいとした口調だった。
無駄足だったなと言ってオーネストは、くぁっ、と欠伸を漏らし、コキコキと身体の骨を鳴らし始める。
もうすっかり、オリビアの事はどうでも良いと言わんばかりの様子であった。
……でも。
「そうもいかないだろ」
説得をしたけどダメだったから諦める。
その結論は間違ってはいないが、最善からは程遠い。何より、任せてくれと言ったのにこれじゃあダメだろうと諭すように言葉を紡ぐ。
「……チ」
鋭く舌を打ち鳴らす音が返ってくる。
めんどくせえ。なんて言葉が続けられるも、律儀に足を止めるあたりが何というか。
「……説得はお前らでやってくれ。オレさまにそこまで面倒見る義理はねえし、何よりめんどくせえ」
投げやりな声音だった。
マーベル達の前では割と乗り気のようにも見えたけれど、あそこまで拒絶の意思を突き付けられては出来るものも出来ない、といったところか。
そして、不貞腐れた様子で腰を下ろし、オーネストは地面に座り込んだ。
「————なぁ、オリビア」
オーネストから視線を外し、今度はオリビアへ。そして俺は、意識して声を張り上げた。
てっきり無視されるものとばかり思っていたが、意外にもすぐに足を止めてくれる。
続け様、肩越しに振り返ってくれた。
「だったら、せめて力になりたい。勿論、あんたの邪魔をする気はこれっぽっちもない」
自称とはいえ、マーベルの大親友。
悪い人間ではないのだろう。約束の事もあったけれど、それもあって知らないふりをする気はなかった。
何があろうとオリビアに譲る気がない事は最早変えられない事実。
無理矢理に押さえ付けてでも連れ帰る、と言う選択肢を選ぶとしても相手はSランク冒険者。
どれ程の被害を被るか分かったものじゃない上、その選択肢は出来れば選びたくはない。
「……お前も懲りない奴だな」
嫌そうな苦笑いが向けられた。
今ここで、先のオーネストの言葉に従えば、まるで見殺しにしたようなものではないかと。
何より、マーベル達と交わした約束を反故にしたくない。
しかし、それらの理由を並べ立てたとしても、これっぽっちの賛同すら得られない事は明白。
故に、そう口にする気はなかった。
「俺らはあんたを連れ帰ると約束した。だけど、別にそれは今すぐってわけじゃない」
譲る気がないのであれば、とことんオリビアに付き合う。
そう言わんばかりの俺の物言いに、「……おいおい、冗談だろ」と、オーネストが呆れていたが、見殺しにするよりよっぽどマシだ。
それに、俺の言葉にヨルハは賛同の色を浮かべている。
「……ルオルグと同類か。はたまた、筋金入りの馬鹿なのか。放っておけば良いだけの話だろうに」
生きていた。
その一言でアイツらはきっと満足するぞ、とオリビアが言葉を続け————そんな時だった。
俺達の会話に予期せぬ雑音が混ざり込んだ。
「————あっれぇえ?」
ガリ。ガリ。
何かが砕かれる音が、一定間隔を刻んで響く。
「いつの間に〝72層〟は、こんなにも賑やかになったのかねぇ?」
俺達を、招かれざる客呼ばわりする男は足音と共に言葉を紡ぎ、此方に近づいて来ているようであった。
「……あの時の変人か」
その正体を視認したであろうオリビアがため息混じりに、そう一言。
どうにも、背後から響いてくる声の主とは知らない仲では無いらしい。
その正体は。と、振り返ると、そこには黒と赤の二色に染まったバンダナを頭に巻きつけた男性が視界に映り込んだ。
切れ長の目は炯々として肉食獣が如き輝きを帯びているようにも見える。
友好的とは、とてもじゃないが思えない様子だ。
「はぁん。世界は広いとは言うが……とんでもねえ馬鹿舌もいるンだなぁ?」
バンダナ男の右手。
口に運び、食しているように見える欠けた〝核石〟を前に、面白おかしそうにオーネストは身体を揺らしてくつくつと笑う。
「……うわ、本当に〝核石〟食べてるよ」
ヨルハはそう言ってドン引きし、クラシアは冷めた視線でそいつを黙って観察していた。
事前に聞いていたとはいえ、その奇想天外過ぎる事実を前に、俺も堪らず警戒心をあらわにする。
————〝闇ギルド〟の連中の中に、〝核石〟を食べるやつがいる。
マーベルのその言葉を信ずるならば、今しがた俺達の前に姿を現したバンダナ男の正体は〝闇ギルド〟の人間という事になる。
そして何を思ってか。
「ちょうどいい。折角だ。のこのこと姿を現したあいつから色々と情報を引き出すか」
さも当然のように、オリビアは戦闘態勢に移ろうとする。
そこには、立ち向かう事に対しての躊躇いが微塵も存在していなかった。
「……〝核石〟を食うやつに遅れをとったらしい、ってマーベルさんから俺は聞いてるんだけど」
そう聞き及んでいたからこそ、オリビアの言葉に疑問符が浮かぶ。
聞いていた話と違うような、そんな気がしてしまって。
「マーベルを煙に巻く為の法螺に決まってるだろう。確かに、厄介な奴は二人ほどいたが、目の前のあれは問題ない奴だ。〝核石〟の食い過ぎで頭がやられたのか。あいつはただの馬鹿だ。私一人でも問題ない」
鴨がネギどころか鍋まで背負ってやって来たぞと言わんばかりの物言いに、若干の憐憫を抱いた。