四十五話 メレア・ディアルという男
* * * *
「——————」
息が詰まる程の張り詰めた緊迫感が場に降りる。
飛び交うは、一方的な罵詈雑言。銀に輝く凶刃。常軌を逸した突き刺すような殺意。
常人であればまず間違いなく足を竦ませるであろう状況が出来上がっていた。
そして鼓膜を殴りつける程の衝突音を伴って合わさる得物が忙しなく火花を散らし、闇に染まっていた筈の世界に一瞬限りのあかりを灯す。
静まり返っていた筈のそこは、まごう事なき〝殺し合い〟の場へと変貌を遂げていた。
必要なのは一足の踏み込みだけ。
たったそれだけあれば両者共に、攻撃の射程圏内へと移行出来てしまう。
そんな化け物同士のやり取り。
闘争の火蓋を切ってからというもの、未だ負傷らしい負傷は見受けられない。
故に、少なくとも現時点において両者の間に明確な力量の差は傍目からはないように思えた。
「……舐め腐りやがって」
やがて、ひっきりなしに振るわれていた筈の嵐を思わせる攻撃の手が止む。
そして、言葉を発したのは黒の外套を被り続けるグロリアであった。
「剣を抜いておきながら、殺す気がねえってのはどういう了見だあ゛?」
グロリアは〝血潮は燃える〟の使い手。
故に、彼の場合は血を流せば流す程厄介な相手へと昇華してしまう。
だから、そこに警戒心を抱く事にはグロリアも何一つとして疑問には思わない。
しかしながら、それを踏まえても尚、対峙するメレアの剣に見られる典雅さと優美さが「その考えは違う」と否定してくるのだ。
それはあまりに、「殺し合い」には不似合いなものであると。
その為、舐め腐りやがってと、グロリアはがなり立てていた。
だが、メレアに答える気がないのか。
口を真一文字に引き結んだまま、一向に話そうとはしない。
故に、グロリアは質問を変える事にした。
「……チッ、結局一体、メレア殿の目的は何なんですかねえ?」
ひと通り剣を振り、漸く冷静さを取り戻したのか。グロリアは口調をもとに戻す。
ただ、目的は既にメレアの口から聞いていた。
————ダンジョンコアの奪取。
しかし、ダンジョンコアを手に入れる上でグロリア達の存在は間違いなく障害になり得てしまう。だというのに、メレアに殺す気というものが先のやり取りの中で微塵も感じられなかったのだ。だからこそ、グロリアは手が止まったこのタイミングを見計らい、再度問い掛けていた。
「無論、私の〝望み〟を叶える事が目的だが?」
「……はぁ?」
その要領を得ない回答に、意味が分からないとグロリアは眉根を寄せる。
〝望み〟を叶える為にダンジョンコアを手に入れようとしている。それは分かる。
だが、それがどうして敵である己を殺さないという選択に繋がるのか。
その部分が釈然としないから問い掛けたというのに、返って来たのは代わり映えしない言葉であった。
「……その一言こそが、他でもない答えなのだがな」
そんな彼を見かねてか。
ちっとも納得しようとしてくれないグロリアに向けて、諭すようにメレアは言う。
「私の〝望み〟は、有り体に言えば〝強くなる〟事だ。強くなって、高みへ辿り着きたい」
「だからそれが————」
何なんですかねえ? と。
苛立ちめいた様子でグロリアが言おうとするも、その言葉はメレアの声によって被せられる。
「強くなる為には一体何が必要だと思う? 経験か? 才能か? 運か? 根性か? ああ、ああ、どれも正しい。どれもが正解だろうな。……ただ、40年近く生きてきた私から言わせれば、強くなる為に最も必要である要素は間違いなく〝経験〟だ。私の〝望み〟とはとどのつまり、強くなる為の〝経験〟を求めているに過ぎん」
言い換えるならば、それは〝糧〟。
一歩、一歩と先へ進む為には経験なくしてあり得ないのだと彼は言う。
「しかし、その〝経験〟というものが厄介でな。これが中々見つからないんだ。そこで私は考えた。自分を更なる高みへ導いてくれる良い経験が見つからないのであれば、ならば————己の手で作ってしまえばいいと。そう考え、指導者になったのがかれこれ10年程前の話だな」
饒舌に語られる言葉。
段々と見えてくるメレアの真意。
「本来であれば、寄り道なんぞせずにダンジョンコアを取りに向かうつもりだった。だが、予想だにしない偶然を前に、興が乗ってしまった」
私の悪い癖だ、と言ってメレアは苦笑い。
「元々私は、〝ネームレス〟を退ける為にこうして〝闇ギルド〟と一時的に手を取った人間だ。しかしながら、私は剣以外に全く興味を持たない人間でな。だから、〝ネームレス〟の中にオリビアがいるとは露ほども思っていなかった」
それこそが、彼にとっての予想だにしない偶然。そのせいで、メレアが当初脳裏に描いていたプランは全て白紙に変わってしまったと言う。
とはいえ、そこに不満は一切ないのだろう。
喜色に口角をつり上げ、破顔するその表情が言葉の代わりに全てを物語っていた。
「しかし、都合が良かった。であるならば、尚更に〝闇ギルド〟側にいた方が都合が良かった」
強調するように、言葉を繰り返す。
そんな言葉を口にするメレアの瞳は、どこまでも直向きに真っ直ぐだった。
それはいっそ、不気味なまでに。
「その場のノリでつい、返り討ちにしてしまったが……あのオリビアの事だ。どうせ身体を引きずってでもまた、〝ラビリンス〟に来る。それは、間違いなく」
剣を合わせる直前に、グロリアが感知していた侵入者の気配。恐らくそれはオリビアのものだろうとメレアは睨んでいた。
————何より、〝勝ち〟に対して執拗なまでに拘るように私が育てたのだから。たとえ相手が師であれ、それは変わらない。
「だから、お前達はオリビアにとっての経験として丁度いいと思った。故に殺さない。傷付けすらしていない。ここまで言えば、流石のお前も理解出来るか?」
「…………」
メレアの口から飛び出した言葉というものは、最早舐め腐っているどころの話ではなかった。
自分の弟子の〝経験〟とする為に、殺していない。己をオリビアに嗾けるつもりだと抜け抜けと言うメレアにびきり、と顳顬に浮かぶ血管を膨れ上がらせる。
ただ、一度頭が冷えたからか。
激情に駆られて殺しに向かう、という選択肢をグロリアが掴み取る事はなかった。
「……成る程。何となくですが、上の連中がメレア殿を警戒するその理由の一端を垣間見れたような気がしますねえ」
通常、利用価値のある人間はとことん利用しようと考える〝闇ギルド〟の上層部が、機を見て殺せと言ってきた理由はきっとこの〝異常性〟故。
〝剣聖〟メレア・ディアル。
彼もまた、尋常な人間ではなかった。
「しかし、狂気にも映るソレを湛えながらも、メレア殿自身は僕から言わせれば限りなく理知的。いやはや、見習って欲しいものですねえ」
そう言って、グロリアはある場所へと視線を向ける。そこには既に忽然と姿を消していた〝核石を食う〟男が何処かへと飛ばされた場所であった。
ここは転移陣に埋め尽くされたまごう事なき〝ラビリンス〟。
考えなしに歩もうものならば、まず間違いなくその餌食となってしまう。
そして、ものの見事にメレアとの戦闘が始まるや否や、早々にその餌食となってしまった仲間の事を思い返しながらグロリアは小さな溜息をこぼした。
「お前は違うのか?」
どこか笑みを湛えながらメレアは問い掛けた。
先程までのお前は理知的とは程遠かったではないかと。寧ろ、お前の方が見習うべきだったようにも思えるが?
言葉にこそされなかったが、メレアがそれに似た感想を抱いている事は見せる態度から、最早明白であった。
「心外ですねえ? あれは一種の戦術ですよ。ああしておけば相手は勝手に猪突猛進に挑んでくると錯覚する。そう捉えてくれれば、もう後は殺したも同然になりますしねえ」
……演技にしては、やけに熱が入り過ぎていた気もするがな。
若干目を細め、無言の圧を向けるメレアであったが、グロリアにはどこ吹く風。
「まぁ、そういう戦法もありといえばありか」
ただ単に自身の二面性を否定したいだけのようにも思えるが、まあいい。と、胸中で己を納得させながらメレアは呟く。
「ただ————私は恥ずかしくてとてもじゃないが、出来んがな。あれだけ威勢よく叫び散らしておきながら、傷の一つ与えられなかった日には、恥ずかしくて死んでしまいそうだ」
面白おかしそうにメレアがそう口にした、直後だった。
————ブチリ。
致命的な何かが千切れ飛ぶ音が幻聴される。
きっとそれは、感情を抑えつけていた理性だったのかもしれない。
「……へえ゛?」
返ってきたのは底冷えした声音。
挑発に対する耐性が皆無と言える程の反応であった。
次いで浮かぶは赫怒の形相。
未だ顔を覆い隠す外套越しにも分かる怒りの発露はやはり、演技とは程遠くて。
「事実だろう。現にほら、手持ち無沙汰になっている」
構えは既に解かれ、警戒心の欠片も見当たらない脱力した状態をこれ見よがしに見せつけながらメレアが言う。
執拗に煽り続けるメレアには、何か考えがあるのだろう。しかし、理性をガリガリと言葉の研磨機によって猛烈な勢いで削られるグロリアに、「何故」と自問する余裕は何処にもなかった。
やがて、
「……は。はは、はははッ」
不気味な笑い声が断続的に響き渡り、数秒経て、ぴたりと止まる。
それはまるで嵐の前の静けさのようでもあって。
「————上等だ。その挑発に乗ってやるよ。クソったれがぁぁあああああああああ!!!」
がむしゃらに吐き捨てられた怨嗟の咆哮が耳をつんざく程の声量で場に轟き、そして怒りに身を任せたグロリアは我を失っていたのか。
ある場所を見事に踏み抜いてしまう。
そこは、〝ラビリンス〟特有の転移陣が潜んでいた場所。
転瞬、————しくじった。
と、言わんばかりの、あ゛ッ、という声と共にグロリアの足下に転移陣が明瞭に浮かび上がり、彼の身体が光に包まれる。
「悪いな。流石に此処からそろそろ動かないと、オリビアに見つかってしまいかねないんだ」
出会ってしまったが最後。
オリビアがメレアに向かって殴りかかってくる事は間違いないが、それでは返り討ちにしたあの時の繰り返し。
だから、そうなるわけにはいかなくて。
故に、姿を眩ませる為に強制的に切り上げさせて貰った。
メレアはそう言葉を締めくくる。
————まさか、ここまで上手くいくとは思ってもみなかったが。
脳裏に浮かんだその言葉をもう挑発をする理由がないからとのみ込み、小さく笑う。
「————!!」
何か言いたげにしてはいたが、既に転移魔法が発動しており、向こうの声は既に届く筈もなく。
メレアの一方的なその言葉を最後に、グロリアの姿は一瞬にして消え失せた。
「……でも、良い暇潰しにはなったよ」
もう声は届かないであろう人間に向けて、言葉を漏らす。
「しっかし、幹部クラスを寄越してるって事はつまり、〝闇ギルド〟も漸く本腰を入れてきたって事なんだろうな」
元々、〝古代遺物〟やダンジョンコアを奪う事に重きを置いていた連中が、自らダンジョン攻略を始めている。
という噂はメレアも知るところであった。
だが、多く存在するダンジョンの中でも特に難関とされるフィーゼルにまでその手を伸ばしてるとは当初、思いもしてなかったのだ。
そして、先程戦っていたグロリアという男の腕には趣味の悪いタトゥーのようなものが刻まれていた事をメレアは視認している。
あれこそが、〝闇ギルド〟の中でも〝魔神教〟なんてものを掲げてるコミュニティの中で、〝幹部〟などと呼ばれている連中の証。
「ある程度の戦力が揃ってきたって事なのか。はたまた、〝楽園〟に辿り着く目処が立ったのか……ま、私にはそこまで関係のない話か」
〝望み〟とは言ったものの、メレアの望むものは強くなる為の〝経験〟である。
それ故に、他の人間達と比べて〝楽園〟と呼ばれる場所に辿り着きたいという想いは希薄なものであった。
だからこそ、この現状にメレアが大して危機感を抱く筈もなくて。
「ただ————」
ゴツゴツとした岩で覆われた天井を見上げながら、ふと、思いを馳せる。
メレアに〝楽園〟の存在を語り、そして自分のパーティーに加わる気はないかとしつこく勧誘をしてきたお節介な友人を想うのだ。
『僕にも叶えたい願いがあるんだ』
『聞いて驚け? 実は僕にも一人だけ弟子がいてね』
『奇遇だね。実は僕も家から追い出された身でさ』
べらべらと共通の話題をあげて、強引に仲良くなろうとしてきたお節介。
「————もう少し急いで〝裏ダンジョン〟の攻略を行わないと色々と手遅れになるかもしれないぞ。なあ————エルダス」
Sランクソロパーティー。
その卓越した技量故に、特例で一人パーティーにかかわらず、Sランクに認定された〝剣聖〟は、それだけ言い残してその場を後にした。