四十四話 闘争の気配はすぐ側に
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いしますー!!
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時は、アレク達が〝ラビリンス〟に足を踏み入れる少し前にまで遡る。
暗い、昏い、光源のない真っ暗な世界にて、〝ラビリンス〟と呼ばれるダンジョンに位置するある場所で、身を隠すように腰を下ろす人影が二つほどあった。
「にしても、すっげぇよな、アンタ」
喜悦を孕んだ称賛の声が響く。
黒と赤の二色に染まったバンダナを頭に巻き付ける切れ長の目の男は、隣に座る藍色の長髪を首の後ろで結った彼————メレアに言葉を投げ掛けていた。
「アンタがボコったあいつ、一応Sランクの人間だぜ? 〝ネームレス〟のオリビア。名前だけなら俺でも知ってる有名人だ。それをまさか、ああも一方的に倒せるたぁ、流石の俺でも予想出来なかったよ!!」
次いで、ガリ、と。
氷の塊でも食べるかのように、硬質な音を響かせながら、バンダナの男は手にする〝核石〟を噛み砕いて食してゆく。
「……あれでもアイツは、私の教え子だ。だから、あいつの弱点くらいは知っている。今回はそれを突いただけだ。故に、この結果は当然。驚く要素など、どこにも無いさ」
愛想とは無縁の淡白とした声音で紡がれる返答。しかし、そこに頓着する気はないのか。
バンダナの男は楽しそうにケラケラ笑うだけであった。
「はぁん。成る程ねえ。道理であいつがアンタのツラ見て馬鹿みてぇに動揺していたわけだ」
合点がいったとバンダナの男は言う。
「しかし、解せねぇな。だったらどうして、アンタは俺ら側にいるよ?」
「それの何がおかしい?」
「どう考えてもおかしいだろうが? あれが弟子だと言うんなら、あえて、あの女の邪魔をしてまで俺ら側に来る必要もなかったんじゃねぇのか」
「簡単な話だ。私の望みを遂げる上で、こちら側にいた方が都合が良かったからだ」
なんだ、そんな事かと理解が及んでいないバンダナの男に向けて、メレアは言う。
「……望み、だあ?」
「なに、〝闇ギルド〟の上の連中と同じ目的さ。ただ、私とアイツらとでは、望む願いが違うがな」
訳がわからない。
そう言わんばかりに、バンダナの男は疑問符を浮かべる。
しかし、その無知蒙昧さを前に呆れて物も言えないのか。
殊更に大きな溜息を吐いてからメレアは言葉を続けた。
「〝闇ギルド〟の目的は、〝魔神〟なんて言うよく分からんものを顕現させ、そいつの力を借りる事で好き勝手に出来る秩序のない世界を手に入れる事だろう? そこまでは、まあいい。だが、ならばそいつを結局、一体どうやって顕現させるんだ?」
その問いに対する答えを持ち得ていないのか。
バンダナの男はその問い掛けに黙りこくる。
「答えは簡単だ。〝楽園〟に辿り着けばいい。要するに、お前らの上の連中が、ダンジョンコアを必要としている理由はそれさ。〝楽園〟にたどり着けば願いが叶う————故に、望み」
世間の常識として認知されている特殊ダンジョンは一年に一度生まれる〝アルカナダンジョン〟ただ一つ。
だが、一部の人間達の間では、もう一つの特殊ダンジョンの存在が知られていた。
名付けるとすれば————〝裏ダンジョン〟。
特定のダンジョンコアを所持している場合にのみ足を踏み入れる事が許される特殊ダンジョンだ。
「〝楽園〟とは、特定のダンジョンコアを集めた先にて出現する特殊ダンジョンを攻略した果てに辿り着くと言われている場所。そして、そこに辿り着いた人間は、望みを何でも叶えられると言われている。だから、お前らはダンジョンコアを必要としてるのさ」
「……なんだそりゃ。聞いた事もねえぞ、そんな話は」
知っている人間は、本当にごく一部。
なにせ、
「それはそうだろうな。下っ端なんぞに話す理由はどこにも無い上、条件を満たせるほどダンジョンコアを集められる人間はごく少数だからな。それこそ、今のギルド内では————」
「————そうべらべらと情報をひけらかさないで下さいよ、メレア殿。一番困るんですよねぇ。そういうのって」
カツ、カツと二人しかいなかった筈の場に、足音が混ざり込む。
時折石を蹴りつける音が混ざり込むも、決してそれは一人分の足音だけではなかった。
「協力するにあたって、話してはいけない。なんて条件はなかった筈だが?」
「常識ですよ、じょーしき。〝楽園〟についての秘匿情報をぺらぺら喋るとは夢にも思いませんって」
黒の外套を頭からすっぽりと被り込む男は、言葉とは裏腹に楽しそうに口にする。
頰が裂けたのではと錯覚を抱かせる唇の歪みは酷薄なラインを描いており、間違いなく発言主は楽しんでいた。
「そうか。それは、此方の配慮が足りず悪かった」
ちっとも悪いと思っていないだろう、棒読みでメレアが答える。
だが、その悪びれた様子のない態度であっても責め立てるつもりはないのか。
これ以上の追及はなかった。
「……ところでぇ、さっき偶々小耳に挟んじゃったんですけどぉ、〝望み〟が違うって話は本当ですかぁ?」
神経を逆撫でたいのか。
殊更にゆっくりとした口調で、男は言葉を紡ぐ。
「……さあ? どうだろう。最近忘れっぽくてな。過去の発言なんてもう忘れちまったよ」
抜け抜けと、挑発をするように獰猛な笑みを浮かべながらメレアは言葉を返す。次いで、「きひ」と独特の奇声が外套の男の口から上がった。
「んふふ。そうですかぁ。そうですかぁ。忘れたなら、仕方がありませんねぇ————なんて、言うとでも思ったか?」
一切の感情が削げ落ちる。
そして声音に『圧』のようなものが混ざり込み、一瞬にして溢れ出す戦闘の気配に、堪らずメレアもクハっ、と呼気を吐き出し、すっくと立ち上がる。
「怖い怖い」
笑いながら、視線を落とす。
「だが、〝闇ギルド〟って、嘘吐きの集まりじゃなかったか?」
だから、たとえ私がとぼけていたとしても、別にそこまでキレる程の話じゃあないだろう? と。だから、よくある事だと笑って聞き流せよとメレアが言う。
「それに、お前らだって機を見て私を裏切るつもりだっただろう? こうやって動向を監視してる時点で、信用なんてものがあるわけがないしな」
元々、お互いに最後まで協力する気はゼロ。
ただ、〝ラビリンス〟72層に向かう手段が欲しかったメレアと。攻略を進めていた〝ネームレス〟をリスクなしで退ける方法を探していた〝闇ギルド〟の利害が偶然一致しただけの一時的な関係。
出し抜く機会を窺っていたのは一方だけではなかったというだけの話であった。
「で? 私がお前らから最後にダンジョンコアを奪う予定だったって言えば、それを抜くって認識であってるか?」
腰に下げられた剣の柄を、力を込めて握りしめているからか。メレアの視界にはちょうど、びきりと手の甲に浮かぶ血管が目につき、そう指摘をしていた。
しかし、それも刹那。
力が込められていた筈の拳が脱力し、解ける。
「……いやいや、冗談ですよ。冗談。あれは、そうですねぇ。此方の聞き間違えであった、という事にしておきましょう。此方としても、メレア殿とは今後も良い関係でありたいですからね。ええ、ええ」
冗談の一つや二つ。
聞き流せるだけの器量はあるつもりだと再び、ゆったりとした口調に戻しながら、男が答えた————直後だった。
ずどんッ。
重々しい破壊音が突如として響き渡り、地面が砕け割れると同時に砂煙がぶわりと舞い上がる。音の発生源は、ピンポイントに、先程までメレアがいたその場所であった。
「————何が良い関係でありたいだ。それみた事か。やっぱり嘘吐きだろうが」
次いでやって来る声。
余裕が感じられるその声はまごう事なきメレアの声。しかも、音の出どころは外套の男のすぐ側。
「————チッ」
……仕留め切れなかった。
その現実を認識し、外套の男は舌を強く打ち鳴らす。
ぶぉん、と風を巻き込みながら男は一瞬で得物を引き抜いて振るう。
だが、その一撃は視認するまでも無く、綺麗に避けられ、「欠伸が出る」なんて言葉がメレアの口からこぼれ出る結果となっていた。
「…………? んぁ? おかしいな。ちゃんと俺は、不意をうった筈だったんだが」
そして、先の轟音を生み出した張本人は、齧っていた〝核石〟をポイっ、と手放しながら握り拳を作っていたもう一方の手を不思議そうに眺める。
そいつはなんと、ただの拳の一撃で、地面にデカいクレーターを生み出していた。
「威力は申し分ない。当たれば一撃だろうな。ただ、当たればの話だが」
「あ゛あ゛ッ!! だから僕はヤダっつったんだよ、こんなやつを内に入れるのはッ!!」
目を怒らせながら、外套の男————グロリアの頭の中では数日前に交わされた会話が思い起こされていた。
————上手く利用しろ。そして、機を見て殺せ。
上の人間からはそう言われ、メレアと協力関係を結んだは良いものの、巷で〝剣聖〟などと呼ばれる獣じみた勘を持つ剣馬鹿は間違いなく手に余る。
そう言って拒絶したあの時の言葉が、見事に現実のものとなってるじゃないか。
ふつふつと湧き上がる苛立ちが、言葉となり、表情にまで現れていた。
最早隠し切れていない二面性に、メレアは気を良くしたように笑う。
それが更にグロリアの癪に障った。
「————っ」
今まさに、苛立ちを言葉に変えて今にも叫び散らそうとしていたグロリアであったが、どうしてか、唐突に彼の表情に険が生まれる。
「……クソが。どいつか知らねえけど、次から次へと鬱陶しいなぁぁぁああ゛!!!」
彼が感じ取ったのは、ここ、〝ラビリンス〟72層への新たな侵入者の気配であった。
ただでさえ、厄介な状況になりつつあるというのに、その上、更なる侵入者。
グロリアの苛立ちは頂点に達しつつあった。
「……決めた。メレアはここで始末する。本来なら72層のフロアボスもこいつに倒させる予定だったが、変更だ。気に食わねえからもう殺す。今ここで殺す」
直後、真っ赤に染まった魔法陣が、グロリアの足下に出現する。
そして————一言。
「〝血潮は燃える〟」
足下から頭へと魔法陣が平行移動。
それは正しく、補助魔法を行使する際に決まって見られる光景であった。
「……それを使えば、血が尽きない限り死なないんだっけか。それこそ、首を斬り落としたとしても。そして、流れる血の全てが武器となる、と」
傷口を作ろうものなら、そこから血の刃が飛び出す事もあり得る変わり種の魔法。
それが〝血潮は燃える〟。
ただ、使用する場合の代償。
加えて、その魔法の適性を持つものがあまりに少ない為、全くと言っていいほどに認知されてはいない魔法であった。
しかし、考察する時間もそれまで。
やがて言葉もなく襲い来るは、突き刺すような怒涛の殺意の奔流。そこに始動の気配を見出したメレアは腰に下げていた剣を引き抜き、そして、
「ブッ殺す————ッ!!」
残像を残す強烈な踏み込みと共に告げられた言葉と、金属同士の衝突音が重なり合い、びり、と大気が軋む音が響き渡った。









