三十六話 『役立たず』とクソガキと
これにてタイトル回収となります。
* * * *
「…………」
分からなかった。
俺には、レグルスが何をしたいのかが全く分からなかった。
雨霰と降り注ぐ罵倒に似た言葉の数々。
振るう刃に怒りを乗せて、乱暴に繰り出される攻撃。それらを躱し、時に剣で受け。
そうする中で悟ってしまった一つの事実。
恐らく、レグルス・ガルダナはこの立ち合いに勝つ気がない。
寧ろ、己が斬られる瞬間を待ち望んでいるかのような立ち回りを前に、俺の頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。
絶え間なく響く、相手を倒そうと意気込む威勢の良い叫び声。
でも、そこには隠し切れない違和感があった。
言葉に変えるならば、それは空っぽな言葉の雨とでも言うべきか。
熱はあった。殺気はあった。感情もあった。
それでも、向けられる言葉の数々は空っぽだった。
「……なん、で、手を出さない……ッ!! 同情のつもりか……!? ふざけるな、ふざけるな……!!!」
口を歪めて苦しげに。
「僕がお前に何をしていた!? なぁ!? 思い出せよ……ッ!! 無下にしただろう!? 軽んじただろう!? 馬鹿にしてやっただろう!? それを思い出せよ!! 思い出せよ……ッ!!!」
散々に声を荒げていた事により、レグルスの声は枯れ始めていた。
だけど、それでも叫ぶ事をやめなかった。
怒る事をやめなかった。
これも、〝意地〟なのだと言わんばかりに。
嚇怒の形相で。
額に血管を浮かばせて。
殺す気で剣を振るって。
罵倒して。俺を怒らせようと必死になって。
そして、怒ってる筈なのに今にも泣き出しそうなくらい、瞳を潤ませて。
それが、全てを台無しにしていた。
そのせいで、俺は手を出す事を避けていた。
……そんな奴を、誰が斬れるか。
だから、ただその時その時をどうにかやり過ごす事しか俺には出来なかった。
「なん、で、斬らない……!! なん、で、ここまでしてやってるのに、思い通りにならない……ッ、なんで、お前までも僕をそんな目で見る……ッ!! やめろ、やめろ……やめろやめろやめろやめろやめろ……ッ!!!」
最早その声は、慟哭に他ならなかった。
傲慢で、無駄に自信過剰な王子の姿は、そこにはなかった。
あるのはただ、駄々をこねる子供の姿だけ。
……俺の目にはそうにしか見えなかった。
続け様に、数十秒剣戟の音が鳴り響く。
でも、それを最後に、レグルスの攻撃の手がゆっくりと止んだ。そして、場に静寂が降りた。
「…………僕は、誰なんだ」
ぽつりと、弱々しいレグルスの言葉が聞こえてくる。一滴の微かな言葉から、次が溢れる。
同時、力強く握り締めていた筈の〝古代遺物〟が、彼の手からこぼれ落ちた。
「……僕が、一体誰なのかが、分からなくなった。何をするべきで、何をしなくていいのか。何が正しくて、何が間違っていて。何もかもが分からなくなった。そもそも、もう、何も考えたくなかった。自分を信じた結果が、このザマだ。でも、だけれど、それは正しい筈なんだ。正しかった、筈なんだ。……だから、お前に斬られるのも悪くないと思った。それならば、どちらに転ぼうと父上は考えを改めてくれるだろうと思ったから。僕らしく在れる唯一の方法だと思ったから」
勝てば、否定の証明となる。
仮に負けて、それで斬られる事になったとしても、その結果を目の当たりにした父上は、きっと意見を変えてくれるだろうから。
レグルスは本音を吐露する。
「……なのに、ここにきて、それが真に正しいのかすら分からなくなってきた。なあ、教えろよ。僕は誰なんだ。僕はどうするべきだったんだよ。教えろよ……教えろよ『役立たず』……ッ!!」
怒っているようにも思えるソレは、切実な訴えであった。絶叫であった。悲鳴であった。
……何がどうあって、レグルスがこのような状態に陥ったのか。それは知らないし、きっと俺はそれを知ったからと言って同情の念はこれっぽっちも抱かないだろう。
俺自身が、レグルスの考えは間違いであると心から思っているのだから。
「……どうしてその問いを俺なんぞに、投げ掛けるんですか」
問いに対して問いを返す。
それは本来、不躾としか言いようがない行為。
けれども、聞かずにはいられなかった。
あのレグルスが、平民如きでしかない俺にどうして〝答え〟を求めているのか。
それ程までに我を失っているといえば、話は自己完結した事だろう。
でも、それでもと俺は思った。
「……こんな、助けられてばかりの人生を歩んでる奴に聞いても、何一つ真面な答えは得られないと思いますけどね」
自嘲する。
でも実際、あの時ヨルハと出会い、手を差し伸べられていなかったら。俺は今どうなっていたか。俺自身ですら想像がつかない。
やがて俺は、手にしていた〝古代遺物〟を収めながら、上を仰ぐ。
気付けば俺の口調は、丁寧なものに戻っていた。
「人の不幸を笑うつもりは毛頭ありませんが、面白いですね。人生ってやつは。俺は、殿下と言い合いをする気でいたっていうのに。クソみたいな汚い言葉を吐きあって、罵り合って。そんな結果が待ってると思った。何より、俺、殿下の事嫌いでしたから」
お互いに嫌い合っている。
ならば必然、喧嘩になる。
思い描いていたその帰結は、きっとオーネストや、ヨルハ、クラシアに、ヴォガン、レヴィエル。
今現在〝ギルド地下闘技場〟に居合わせている連中に問うたとしても俺と同じ答えを口にした事だろう。そのくらい、明白な答えであった。
「だというのに、何故か俺はその殿下から人生相談を受けてる」
奇想天外もいいとこだ。
「…………」
レグルスからの返事はない。
斬れ斬れと俺を煽っていたのだ。
俺が彼に対して良い感情を抱いていない事はきっと、レグルスも分かっている。
「不思議な事も、あったものですね」
何となく、剣を合わせる前から違和感のようなものを感じ取ってはいたが、それがつい先程確固たるものへと変わった。
だから、俺は口の端をゆるく持ちあげて声を弾ませていた。
〝嫌悪〟を始めとした負の感情を、俺はレグルスに抱いていた。それは、今も変わらないし、碌でもない扱いを受けた過去を忘れて水に流す。
なんて行為をするつもりは微塵も無い。
だとしても、ここで追い討ちをかけるのは違うと思った。そうするべきでないと思った。
だから、先の質問に対して俺なりの答えを返そうとして————。
「……わる、かった」
それを遮るように、思わず笑いが出そうになるほどあからさまに嫌そうな声が俺の鼓膜を揺らす。それは、謝罪の言葉であった。
ただ、それがあまりに意外な言葉過ぎてつい、呆気に取られる。
「……悪かった。これで、満足か」
その言い方から察するに、俺の先の言葉を皮肉であるとして捉えてしまったのかもしれない。
全くそんなつもりはなかった。といえば嘘になるだろうけれど、『役立たず』と散々呼んでいた人物に物事を尋ねるな。
俺が言外にそう訴えているとレグルスは受け取ったのだろう。
紛らわしい物言いをしてしまった事に対して、申し訳なさを感じつつも、
「……貴方が何者であるのか。一体、どの選択が正しかったのか。……そんな事は、俺の方がもっと分かりませんよ」
当人ですら分からない質問を他者でしかない俺に投げ掛けるなと事実を口にする。
「それらは間違っても、他人の意志に委ねるものじゃない。だから自分で見つけて、自分で選び取って下さい」
貴方が誰かの人形であるのなら、話は別でしょうが。
そう言って突き放してやると、目に見えてレグルスの顔が不機嫌そうにさらに歪んだ。
謝り損だ。
俺に向けて来る表情は、そう訴えているようにしか見えなくて。
「……チ、頭が冷えた。……僕は何でこんなヤツに話したんだか」
舌を一度、軽く打ち鳴らし、落としていた〝古代遺物〟をレグルスが拾う。次いで、それを収めながら俺の側を無言で横切り、通り過ぎた。
……勝手に吹っかけてきておいて。勝手に、満足したのか。
それ以上は何も言わずにレグルスは俺の視界から外れた。
「……アレを寄越せ、ヴォガン卿。どうせあいつは受け取っていないんだろう?」
そのまま俺の前から消えるのかと思ったが、それはどうやら違うようで、レグルスの声が俺の鼓膜を揺らす。
「……おい。アレク・ユグレット」
名を呼ばれ、振り向くとそこには〝ギルド地下闘技場〟に向かう前、ヴォガンから差し出されていた手紙を手にするレグルスの姿が映り込む。
「今ここで読め」
再び俺の下へと歩み寄り、その手紙を手渡しで押し付けてくる。
……手紙を投げ渡してこないあたり、父への敬意だけはどんな状況であろうと忘れない。といったところなのだろうか。
そして言われるがままに封をあけ、中身を確認———するより先に何を思ってか、レグルスはその内容を語り出していた。
「……父上からの伝言だ。今は僕のせいで追放となっているが、〝宮廷魔法師〟の席は、お前の為にいつでも用意する準備がある、だそうだ」
手紙の中身は、長い長い謝罪文であった。
その内容は主に、平民の位である俺という存在を利用した事。
追放されていたにもかかわらず、すぐに手を差し伸べなかった事の2点について。
「……ただ、今の宮廷状況で、お前を〝宮廷魔法師〟として連れ戻したところで周りからの風当たりは大して変わらない。それ故に、好きな時に門戸を叩けと仰っていた。だから、————」
レグルスがそう言ったところで、俺は手渡された手紙を返却せんと差し出した。
「……何の真似だ?」
「どうやら、これは俺には必要なさそうなので、お返しいたします」
手紙には、謝罪文と同時に、〝宮廷〟に戻りたいと思った時、これを王に差し出せとも書き記してあった。
だから、レグルスに手紙を俺は返していた。
「俺が入ったパーティーは、どうにも脱退が禁止らしくて。戻ろうにも、もう戻れないんですよね」
一瞬だけヨルハに視線を向けて、俺は小さく笑った。
「勿論、陛下のこのご厚意には感謝していますが、これは、戻る気がない人間が持っておくものじゃあないでしょう?」
要するに。
「今更戻ってこいと言われても、もう遅いって事で勘弁して貰えませんかね」
「……ふん」
不機嫌な心境を隠そうともせず、鼻を鳴らし、レグルスは俺に背を向けた。
「父上の厚意を無下にするとは、とんだロクでなしの輩もいたものだ」
まるでそれは、初めて知ったような物言いで。
「……俺がロクでもないヤツだなんて事は今更でしょう?」
盛大に皮肉ってやる。
散々、お前は俺を『役立たず』呼ばわりしていたじゃないかと。だから、今更だと。
「……やっぱり僕は、お前が嫌いだ——————」









