三十五話 阿呆なクソガキ
* * * *
「————道理でギルドが静かなわけだ」
普段であれば、昼夜問わずに馬鹿騒ぎをしている連中が柄にもなく静まり返っていたその訳を目の当たりにしたからか。
そんな言葉が反射的に口から漏れ出る。
「貴族サマが絡むとだりぃのは共通認識。しかもやって来たのはヤバそうな護衛が1人と、王子サマが1人。流石にアイツらも黙るか」
忙しなく聞こえてくる足音。
時折鳴り響く金属同士の衝突音。
退屈そうにそれらを耳にしながら、今も尚、音を生み出す当人らの許可を得ずに〝ギルド地下闘技場〟へと足を踏み入れ、眺めていたオーネストは呟いた。
「なあ。折角だ。この4人で賭けでもしねえか」
「……それ、成り立つの?」
その発言に対し、彼と同様に足を踏み入れていた人間のうちの1人、ヨルハが疑問を呈する。
これからオーネストが口にする言葉を予想してか、それは成り立たないだろうと彼女は顔を顰めていた。
「……勝ち負けの賭けならお断りね。たとえ両手を縛って、その上で〝古代遺物〟と魔法を禁じて目隠しをするってハンデ付けられててもあたしは迷わずアレクに全賭けするわよ。……そもそもアレ、勝負にすらなってないじゃない」
そう答えたのは、クラシアであった。
「……クラシアの嬢ちゃんが言った条件の上で、ヨルハの嬢ちゃんの補助を一方的に受けて漸く、不利なテーブルにつく事が出来るんじゃねェか? ……だがそれでも精々が7、3だろうよ。今の状況じゃとてもじゃねェが話になんねェわな」
異常としか言いようがない数のハンデを背負ったとしても、それでも7割以上の確率でアレク・ユグレットが勝つ。
迷宮都市フィーゼルに位置するギルドにて、ギルドマスターを務めるレヴィエルのその評に、異を唱える者はいなかった。
「天地がひっくり返っても勝てねェ。そりゃもう一目瞭然だ。……だから分からねェ。その事実を、あっちの護衛さんが理解してねェ筈がないっつーのによ」
あっちの護衛。
そう言ってレヴィエルが視線を向けた先には事の趨勢を黙って見詰める偉丈夫が1人。
ヴォガン・フォルネウスである。
「現実、アレク・ユグレットはオレらが来てからまだ一度も手を出してねェ。偶に剣で防ぎこそしてるが、殆ど見て避けてる。あんなん勝負じゃねェ。勝負にすらなってねェ。王子さまのあからさまな殺気がなけりゃ、ただの稽古にしか見えねェよ」
そんな、折だった。
「————……〝ど〟がつく阿呆だろう? あいつは」
レヴィエルの視線に気付いてか。
閉じていた口を開き、ため息混じりにヴォガンがそんな言葉を発した。
やがて、じっ、と無言で佇んでいた筈のヴォガンはゆっくりとした歩調でオーネスト達の下へと歩き始めた。
「……おれは言ってやったんだがな。勝負らしい勝負にすらならないと」
威圧的な強面ではあるが、敵意らしきものが一切感じられなかったからだろう。
ヴォガンの接近に対して、特別オーネスト達が身構えるといった行為に移る様子はなかった。
「……なのに、あの阿呆は一向に聞く耳を持たなくてな。そのせいで、こうして来るとこまで来た訳だ。全く、おれからすればいい迷惑だ」
彼の言葉には呆れこそ含まれてはいたが、嫌悪といった負の感情は含まれておらず、多少なりレグルスに対する情が感じられる発言であった。
「……そうだな。阿呆っつーのはよく分かる。あンだけの実力差がある相手に殺意ばら撒くのはただの死にたがりか、知能がど底辺のバカと相場が決まってっからよ。だが、それよりもだ。……あのボケは、どのツラ下げて此処へやって来やがった?」
地を這うような低い声で、怒気すら滲ませ、オーネストが問いを投げ掛ける。
最悪、ここで戦闘に発展しようと構わない。
そう言わんばかりの態度であった。
しかし、
「……さてな。そんな事はおれも知らんし、そもそも貧乏クジを引かされただけのおれに聞くな。そういった事は後で本人に聞け」
暖簾に腕押しと言わんばかりに、知るかと言ってヴォガンはやり過ごす。
「……そうかい。そうかよ。だが、ここまできて知らねえで通ると本気で思ってんのか、あんた……?」
今にも殴りかかりそうな雰囲気を漂わせるオーネストを見兼ねてか。「……面倒臭くなるから、オーネストは黙ろうね」とだけ告げてヨルハがヴォガンとオーネストの間に割って入った。
「……オーネストじゃないんですけど、ボクからも一つ、質問良いですか」
それはオーネストの熱を抑える為のものなのか。はたまた別の何かがあってなのか。
ヨルハは気怠そうな表情を崩さないヴォガンに対して言葉を投げ掛ける。
「貴方達は、アレクをどうするつもりですか」
その問いに、ヴォガンの眉が僅かに跳ね上がった。
「さっき、言いましたよね。勝負らしい勝負にすらならないって。なのに何で、彼をあえて此処へ連れてきたんですか」
向ける眼差しは、これ以上なく真摯なものであった。嘘偽りは許さないと言わんばかりのものであった。そこに潜む筆舌に尽くし難い圧を悟ってか。その時既に、頭に血が上っていた筈のオーネストは閉口していた。
「…………」
そしてヴォガンもまた、どう答えたものかと悩んでなのか。言いあぐねていた。
やがて、
「……それを、あのクソガキが望んだからだ。おれが諭してやっても、それでも尚と望んだから連れて来てやった。それと安心しろ。おれ達にアレク・ユグレットをどうこうしようとする意思は誓ってない」
それだけ告げて、ヴォガンはヨルハから視線を外し、今度はまたオーネストへと焦点を当てる。
まるでそれは、先の言葉に対して返事をしてやると言わんばかりに。
「……あくまでおれの想像だがな、言葉では認められないだ、否定するだ。そんな事をあのクソガキは言ってはいるが、もう既にある程度本人も理解しているんだろうさ。だが、過去の自分の言動と、信ずる価値観が断固として認める事を許さない。……だから、コレなんだろうな。だから、恐らくあのクソガキはフィーゼルへ叩きのめされにやって来たんだろうな。それを、己なりの罰とする為に。……ま、あくまでもおれの想像だが」
ただ、そうでもなければこの現状に説明がつかないような気もするがなと、付け加えられる。
〝魔法学院〟始まって以来の『神童』とまで謳われ、所属するパーティーは68層踏破という〝異常〟過ぎる記録を打ち立てた。
少なくとも、その片鱗はレグルスも目にした筈だ。なのに、それでも「認められるか」と叫び散らし、馬鹿正直に剣で挑みにやって来た。
勝てる可能性は万が一にもないとヴォガンが諭したにもかかわらず。
それは、何たる異常であるのか。
「……ただの笑い話だ。自分が無能と蔑み、蹴落としてやった人間が一番、手前の事を考えていて。自分を煽てていた奴らは手前を扱い易い人間としか考えていなかった。その事実を知って、はてさて、一体どんな感情が残ったんだろうな」
淡々と、言葉が並べ立てられる。
クソガキの護衛がおれ1人しかいない理由はそんな事情あってなのさ。ああ、面倒臭い。
なんて言葉の後に、深いため息が続いた。
「……ま、おれはあくまでも第三者。事の真偽については一切しらん。故に、これはただの想像でしかない。とはいえ」
ヴォガンの視線がオーネストから外れ、今度は〝ギルド地下闘技場〟において一番忙しなく音が立っている場所へ向かう。
「じきに、あいつらの口から答えが聞けそうでもあるがな」