三十四話 意地
そうして、突き出される両腕。
レグルスの両手首には、見慣れた銀色のブレスレットが嵌められていた。
その正体は、————〝古代遺物〟。
共にダンジョンに潜っていた時には手にしていなかった筈の彼が、そんなものを何処から引っ張り出してきたんだ。
そう言ってやりたかったが、声に出したところで目に映る現実が変化する事はない。
だから、口を噤み、その動作一つ一つを見逃すまいと注視する。
「————〝赤銀輝く〟……!!」
程なく発せられるその言葉に反応し、レグルスの手元が発光。
眩しい輝きが収まった頃には既に、彼の手に対となる短めの剣が両手に一本ずつ握られていた。
「……双、剣……?」
「……何を驚く必要がある。〝古代遺物〟を見た事がないわけじゃないだろうが」
……違う。そこじゃない。
俺は決してそこに驚いたわけじゃない。
記憶が確かなら、レグルスの得物は長剣であった筈だ。それも、剣は貴族が振るうもの。嗜み。
そんな見栄を第一に据えていた筈のレグルスが無骨な双剣を手にしている事実に驚きを禁じ得なかった。
見せる泰然とした立ち姿に隙は感じられない。
そしてそれが揺るぎない本気度のあらわれ。
「…………」
てっきり文句を言いに来たものとばかり思っていた俺からすれば予想外も予想外。
まさか剣を手に、証明をするなどと言ってくるとは夢にも思わなかった。
「……何を、吹き込んだんです、ヴォガン卿」
炯炯と滾る瞳から目を逸らし、尻目で俺のすぐ後ろで存在感の主張を続ける人物に対して言葉をこぼす。
こうなった原因を作った人間は間違いなく彼、ヴォガン・フォルネウスだろうから。
「……おれが言ってやったのは、自分の目で確かめた上で否定しろ。でなければ話にならん。ただ、それだけだ」
詳しくは答える気がないのだろう。
だから、仄めかされた。
そんな感想を抱いた直後だった。
「王の言葉が認められない。他の奴らの言葉が認められない。……そう言うのなら。その考えを通したいのなら、必然、それが正しいと証明をするしかない。その上で、誰もに認めさせなくてはならない」
相手を否定するんだ。
だったらそれが、最低限必要な要素だろう。
と、ヴォガンの口から物事の道理が語られる。
「……あのクソガキは、貴族こそが優位であると説いた。平民の手なぞ借りる必要はないと、王の言葉を真っ向から否定した。そしてそれは他でもないあのクソガキの考えであり、意地。だからそれを通す為に、手前の身を使ってそれを証明しに、フィーゼルまでやって来た。……だから何度も言ってるだろう。阿呆であると」
……確かに阿呆だと、そう思った。
口にこそ出さないけれど、胸の内でその発言にこれ以上なく同調する。
……頑固にも程がある。
「……だが、おれは嫌いじゃない。上でふんぞり返るだけの馬鹿は好きになれんが、少なくとも手前の意地を通す為なら、行動を起こせる馬鹿は面倒臭いものの、嫌いじゃなかった」
少しだけ、ヴォガンの声は弾んでいた。
「……だから、面倒臭い事この上なかったが、付き合ってやった。時間を割いて、剣を教えてやった」
身の丈に合わない長剣ではなく、小柄な体躯であっても満足に扱う事の出来る双剣を手にしている理由は、きっとヴォガンの教え。
「……なるほど。です、が」
理解はした。
ただあと一つだけ、未だ解消されない不可解な疑問が残っていた。
「どうして、俺なんでしょうか」
「————僕は、ダンジョンに挑んだ。30層に、この1ヶ月、ずっと挑み続けた……!!」
その疑問に対する返事は、ヴォガンの口からでなく、レグルスの口から聞こえてくる。
「……そうする中で、お前が残していたメモを読んだ。読み漁った。ああ、正しかった。正しかったさ……!! あれには正しい事しか書かれてなかった!! 最適解しかなかった……ッ」
メモ。
一瞬、なんの事だと疑問符が浮かび上がったがそれも刹那。……それが30層攻略の為に用意していたメモの存在なのだと悟る。
「……腹立たしいが、『天才』だと思った。敵にとどまらず、僕の行動も含め、全てのパターンが書き記されていた。この状況に陥ったならば、間違いなく僕はその行動を選び取るだろうと、納得する部分ばかりだった」
そのメモの中身は、〝魔法学院〟に在籍していた頃に培った経験が多数を占めていた。
30層の攻略は当時の俺達にとっても鬼門だったから。だから、馬鹿みたいに時間を費やして、知恵を出し合って漸く踏破した階層の一つ。
故に、4人の考えがあのメモには詰まっていた。無駄なんて、ある筈がない。
「……だから、お前なんだ。お前を真っ向から否定するからこそ、意味があるんだ……ッ」
絞り出された言葉は、疑いようのないレグルスの本心。間違っても、取り繕っているとは思えない心からの叫びだった。
「……あまり僕を待たせるな。とっとと出して構えろ、『役立たず』。〝古代遺物〟、お前もあるんだろうが……!!」
視線は俺の手首に。
嵌められた銀のブレスレットに向けられていた。
あくまで、手を抜く事は許さないと。
その発言をあえて此処でするレグルスの意図が全くもって理解出来なかった。
勝ちたいのなら。否定したいのなら。
間違っても〝古代遺物〟を相手に使わせるべきではない。
そんな事は誰にだって分かっている筈だ。
なのに使えと言う。
一体なぜ。俺のその心境を悟ってなのか。
「……まさか、使うまでもないとでも言いたいのか。使えば僕を殺してしまうとでも? 使うなと、僕がそう言うと思っていたのか……? ふざけるなよ。ふざ、けるな。お前如きが、『役立たず』風情が何で僕を下に見るんだ。見れるんだ。許さん。そんな事は、断じて許さない。出せ。それを使え。これはその上での立ち合いだ。拒絶は許さん……!!!」
言葉、その全てに疑問を差し挟む余地は与えんと言わんばかりに、まくし立てられた。
そして、指摘を受けて初めて気付かされる。
この期に及んで、俺が遠慮をしていたのだと。
もしかすると、がむしゃらに言い合える機会はこれが最初で最後になるかもしれないと言うのに、遠慮をしていた。レグルスからは、「見下し」に映ってしまうロクでもない遠慮を。
「……〝天地斬り裂く〟」
下唇を一度、軽く噛み締めてから静謐に言葉をこぼす。
そうして発光し、手に収まるは一振りの劔。
ロキから譲り受けた〝古代遺物〟がその姿をさらした。
「そうだ。それでいい。そうでなければ、僕がここまで来てやった意味がない」
やがて理解をする。
〝ギルド地下闘技場〟に向かう最中、ヴォガンがいざという時、止めろという命令を受けたのはコレが理由であったのかと。
事実、それを証明するように後ろに控える彼からは、俺達がこれから起こそうとする行動を止める気配はこれっぽっちも感じられなかった。
「……意地、か」
自分にだけ聞こえる声量で、ぽつりとこぼす。
もしかすると、レグルスにとってこれは自分を繋ぎ止める最後の頼みの綱。
……そのようなものなのかもしれない。
何より、あそこまで感情を爆発させ、あらわにする姿を俺は今まで見た事はなかった。
「……ヴォガン卿」
「……なんだ」
「最後に一つだけ、お聞きしたい事があります」
視線を、上へ。
言葉を向ける相手に背を向けたまま、俺は呟く。
「……殿下は、何を否定しようとしてるんですか。何を、認めようとしていないんですか」
散々並べ立てられていた支離滅裂で手前勝手な暴論の数々。それらから既に何となく、その問いに対する答えは得ていた。
でも、それに対する確証はまだなくて。
だから、確認を取る。
「……王は、宮廷を変えようとしている。平民だからと、全てを拒む今の風潮を変えようとしている。漸く踏ん切りがついた。そんな事も言っていたが、それを断固として認めないヤツがいてな」
「成る、程。やっと合点がいきました。だから、陛下だけは俺に対して貴族らしくない態度だったんですね。そして俺は、その踏ん切りの為に利用されたと」
「……不満か」
「いえ。逆です。理由は存じ上げませんが、意味が無かったと思っていたあの4年にそれ程までの価値を付けていただけるのなら、これ以上の喜びはないとさえ言えますよ、俺は」
そう言って、俺は笑った。
しん、と静まり返った〝ギルド地下闘技場〟にて、僅か十数秒ながら沈黙が降りる。
そして、
「……じゃあ、始めるか」
得物を握る手にぐっ、と力を込める。
次いで小さく息を吐き出し、前を見据えて俺は構えた。
その一連の行為でもって、準備が整ったと判断を下したのか。
ざり、と目の前から足音が立つ。
それが始動の合図となり、程なく耳を劈く衝突音が、周囲一帯に強く鳴り響いた。









