三十三話 認められるものか
かつん。
かつん。と、足音がいやに反響する。
〝地下闘技場〟へ続く道。
ただ、その足音は一つだけではなかった。
「……あのクソガキも、阿呆な奴だ」
背後より聞こえてくる声。
そこには同情、憐れみ。そう言った感情がこれでもかと言わんばかりに込められていた。
「……認められないなら、証明しろ。それがただ一つの解決策。そうは言ったが、まさかこうなるとは初めは思いもしなかった。ただの時間の無駄だろうに。くだらない」
そんな言葉を吐き捨てたのは、ヴォガンである。
てっきり、ついてこないのかと思えば、「いざという時、おれが止めろと命令を受けててな」なんて言葉と共にヴォガンは俺の後ろをついて来ていた。
「……そう、ちゃんと教えてやったというのに、当の本人は聞く耳をまるで持たない。あれはただの阿呆だ。……が、アレもアレで一応はプライドがあるんだろうな。おれには到底理解出来んが、何があろうと覆す訳にはいかない価値観のようなものが」
怠惰を好むヴォガンからすれば、何であろうと楽が出来るのならどうでもいい。
そんな考えを持っているからこそ、見えない何かに拘ろうとするヤツの気がしれないと言い放つ。
だけれど、
「それが、貴族というものでしょう」
「……面倒だな」
「……貴族である貴方がそれを言いますか」
「……おれはおれの生きたいように生きているだけだ。貴族らしさなぞ知らん」
ヴォガンはきっぱりと切って捨てる。
誰もが誰も、彼のような思考であったならば、きっともう少し生きやすい世の中であった事だろう。
そして見えない何か。
それを一言で表すとすれば、きっと虚栄に包まれた自尊心。そんな言葉がお似合いだ。
しかし、絶対的な強制力は無いにせよ、周りから煽てられ続け、己は選ばれた人間である。そんな選民思想を十数年間自分自身に刻み付けてきた人間の価値観は早々変わるものでは無い。
4年もの間宮廷にいた俺だからこそ、誰よりもその事実に対しての理解があった。
————認められないそうだ。
それもあって、紡がれたヴォガンのその一言に対して、不思議と納得してしまった。
殿下ならば、きっとそう言うだろう。
真っ先にそう思えてしまったから。
「しかし、どうして殿下は〝ギルド地下闘技場〟に?」
他にも場所はあっただろうに。
そう思っての発言だったけれど、お前は何を言っているんだと言わんばかりに呆れの含んだ声音で返事がやって来る。
「……〝闘技場〟だ。あえて聞かずとも、やる事なぞ決まってるだろうが」
「……正気、ですか?」
ヴォガンの言葉の真意を測りかねていた。
〝闘技場〟で行う事といえば、つまりは仕合。
けれど、その結果は火を見るより明らかだ。
そんな事はヴォガンにだって分かっている筈。
「……既に言っただろうが。阿呆であると。おれには理解出来んが、それがあいつなりのケジメの付け方であり、あいつが決めた意地の貫き方なんだろ」
最早投げやりであった。
そうして、そうこう言ってる間に辿り着き、道が開かれた。
眼前に映る光景は、すっかり整地された〝ギルド地下闘技場〟。
ぽつりとそこで佇む一つの人影。
後ろ姿とはいえ、見間違う筈もない。
彼は、ガルダナ王国が王太子。
レグルス・ガルダナであった。
やがて十数秒と沈黙を経たのち、漸く此方を振り返った彼と俺の視線が交錯する。
「……父上は、言っていた。現状を変えなければならないと」
唐突に告げられる言葉。
ただ、その言葉は俺に向けられたものというより、抱いた感覚としては、独り言に近かった。
「父上の言葉だ。だから、それが正しいのだろうと思う事にした。変える必要はない。そうは思えど、これは父上の言葉。ならば、それが正しいのだろう。僕はそう、思う事にした」
己に言い聞かせるように、反芻を繰り返す。
そのレグルスの様子は、まるで暗示を掛けているようにも見えた。
「ただ、僕が妥協出来たのはそこまでだ」
俺を見詰める瞳に熱がこもる。
血走った。
そんな表現が、今は何よりも的確であると思った。
「父上を含め、一定数の人間はかく語る。平民と、手を取り合えと。あいつらの能力は捨て難いものであると。……僕達は、生まれながらにして、選ばれた人間だ。そう、言っていたじゃないか……! 教えてくれたじゃないか……! なのに、なのに……!! アイツらときたら……ッ、貴族としての誇りすら見失っている馬鹿がいる。父上も、お変わりになられた」
腹の底から、レグルスは怒っていた。
額に血管を浮かばせ、身体を震わせながら胸に抱く憤怒を吐き出す。
「何故分からないッ!? 何故変わる必要がある!? 何故だ、何故だ、何故だ!!!」
がむしゃらに。
乱暴に言葉をただただ言い募る。
まるでそれは子供の癇癪のようでもあって。
最早それは、意見にすらなっていなかった。
「……そして、その挙句、国を変える踏ん切りを付けるために僕を利用していた、だ? ……百歩譲ってそれは、良い。だが、平民と僕らは違うのだと教えて下さった父上が、何故、今になって意見を変える……? 責めたいなら好きなだけ責めろ? 幾らでも頭を下げる? ……そうじゃない。そうじゃないんだ。僕が求めている言葉は、そうじゃない」
ゆっくりと。ゆっくりと。
声を震わせながらも紡がれてゆく言葉。
……一言にとどまらず、レグルスには色々と言ってやるつもりだった。
なのに、その様子を前にして俺はただ口を真一文字に引き結んで聞くだけしか出来ずにいた。
「だっ、たら、僕の生きてきた15年はどうなる。全てが嘘だったと? 全てが偽りでしかなかったと? 全てが間違いであったと? それを僕に認めろと? ……ふっ、ざけるなあぁあああああああ!!!!」
一方的に、レグルスは俺に向かって言葉を叫び散らす。そして、支離滅裂に口にされた言葉の全てが彼の本心であると何故か理解出来てしまう。
一見、独り言のように思えるその荒々しい言葉の怒りの矛先が、俺に向いている事も。
この顛末だけは何があろうと許さないと。
場を捩じ伏せんとばかりに発せられた言葉がいやに耳に残った。
「……認めるものか。誰が、認めるものか」
「何を」
一向に核心を突かず、何が言いたいのか曖昧だった発言の数々に対して俺はこの日、初めて言葉を返す。
……ただ、彼がここまで怒りをあらわにしている理由は、何となく予想がついていた。
これまでのヴォガンとのやり取り。
そして嘆願という王からの手紙。
レグルスのこの荒れよう。言葉の端々から感じられる憤怒と、継ぎ接ぎの発言。
導き出される答え。
それはきっと、彼は否定されたのだ。
どんな理由があってなのかは知らないが、それでも抱く価値観を否定されたのだろう。
誰よりも、否定されたくなかった人間に。
「……決まっているだろうが。お前のような、ヤツをだ……ッ」
ずんずん、とレグルスは俺との距離を詰めてゆき、やがてその距離はゼロへ。
次いで、ガッ、と胸ぐらを強く掴まれた。
「お前には分からないだろうな。僕の気持ちなぞ」
「……知らねえよ。あんたの気持ちなんざ、俺は分かる気も、そもそも分かりたくもない」
遠慮をこの時この場に限り、取っ払う。
「あんたが何を言われて、何をして。そんな事は俺は知らない。知る気もない。……ただ、それでも一つだけ言ってやる。少なくともあんたは、あんたのその考えは、間違ってる」
レグルスに譲る気が一切ないという事は、一目で分かった。それでも、これだけは言わないと俺の気が済まなかった。
やがて、わなわなと俺の胸ぐらを掴む手が震え始める。
「……言葉に従えなんて言うつもりは毛頭ない。でも、だけれど、少なくとも声は聞き入れるべきだった。聞き入れて、欲しかった。そうすれば、また違った『今』がきっと存在していた」
たぶん、ヨルハやオーネスト。クラシアのお陰。あいつらとの時間があったお陰で、激情に駆られる事もなく言葉を紡ぐ事が出来ていた。
自分でも驚くほど、冷静だった。
「……戯言を聞き入れろと? ふざけるな」
平行線。
どれだけ言葉をこれから尽くしたとしても、この平行線に変わりはないだろう。
なにせ、埋められない何かが俺達の間には確かに存在していたから。
「僕は、変わらない。認めない。そもそも、変える必要なぞ何処にもない。だから、それを証明してやる」
そうして手は離され、間合いをはかるように、再びレグルスは俺と距離を取り始めた。
「いいか。約束は、守れ。ヴォガン卿」
後ろで腕を組み、直立不動で俺達のやり取りを眺めていたヴォガンに対して、唐突にレグルスが声を投げ掛ける。
ヴォガンには背を向けている為、俺にはその言葉に対する返事は分からない。
少なくとも、言葉は返ってこなかった。
「父上は言った。これからは、お前のような人材を受け入れていくのだと。しかし、僕は不要と断じる。だからこそ、証明する」
————……認められないなら、証明しろ。それがただ一つの解決策。
〝闘技場〟に辿り着く前のヴォガンとのやり取りが思い起こされる。
つまり、レグルスはヴォガンの発言を認め、肯定したのだろう。
そして、
「だからこそ、此処で僕と立ち合え、アレク・ユグレットッッ!!!」
割れんばかりの怒号が、場に響き渡る。
それは、譲れない意地というヤツなのだろう。
「認められない。認められるか!! 僕は、間違っていない。間違っていないんだよ……ッ。だから、僕は!! 僕は、そのすべてを否定するッ!! 僕が間違っていないと、お前らに頼る必要なぞどこにもないと、証明をするッ!!!」