三十二話 ヴォガン・フォルネウスという男
————待ち人。
レヴィエルのその言葉に対して、無性に嫌な予感のようなものを覚える。
ただ、どう見ても逃げられるような雰囲気ではなく、向けられるレヴィエルの瞳は、早く何とかしてくれと急き立てているようでもあった。
だから、不思議そうな表情を浮かべ、立ち止まるヨルハの側を通ってギルドへと俺は足を踏み入れた。
「——————」
らしくない空気だった。
普段は喧々としている筈のギルドが、シンと静まり返っている。
そしてその理由は、俺の意思を度外視してすぐに理解させられた。
「…………」
逆立つ黒に染まった短髪。
猛禽類を想起させる獰猛な瞳。
そして獅子を彷彿とさせる、精悍な相貌。
身に纏う深緋のコートは、とてもよく似合っていた。
……ただ、巌を思わせる大きな体躯。
筋骨隆々と言って差し支えないその身体は、あまりに貴族らしさとはかけ離れていて。
「……お久しぶりです。ヴォガン卿」
……なんで貴方がここにいるんだ。
まっ先にその言葉を言わず、飲み込んだだけでも良くやったと自分を褒めてやりたかった。
そして、目の前で立ち尽くす男の名を俺は知っていた。
フォルネウス公爵家が嫡子。
ヴォガン・フォルネウス。
ガルダナ王国に位置する貴族家の中でも最上位。宮廷勤めであった俺だからこそ、彼とは何度か面識があった。
故に、その名前はするりと口からこぼれ出てきていた。
「……何故、教えなかった?」
唐突に投げかけられる言葉。
それは疑問だった。
「身の程を何故教えなかった? それとも、お前はアイツを殺したかったか?」
抑揚のない声が続く。
恐ろしいまでに感情が篭っていない冷えた声音が、俺に向けられていた。
ただ、淡々と無感情に言葉を並べ立てているだけ。なのに、少しだけ額に脂汗が浮かんだ。
ヴォガン・フォルネウス。
彼は俺が知る限り、ガルダナの貴族の中で一番腕が立つ人物。そして、関わりは殆ど無かったが、俺と同じ宮廷魔法師であった男であり、色んな意味で貴族らしくない人間だった。
「……俺が言って、聞くような人間ですかね。殿下は」
唐突過ぎる出来事。
後ろで控えるヨルハはどういう事なのかと顔を顰めているが、その問いを解消する余裕は今の俺には無かった。
ヴォガンが俺にそんな質問を向けてくるという事は、俺がパーティーから追い出されたあの後、王太子であるレグルスは何らかの良からぬ事態に陥った可能性が極めて高い。
そうでなければ、「殺したかったのか」なんて言葉が向けられる筈がないから。
「……それもそうか」
一応の確認。であったのかもしれない。
険が入り混じる相貌から、否応なしに感じられる鋭い威圧感に似たナニカが若干緩んだような気がした。
「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
それを言いに、わざわざ俺の所在を調べ、ここまで赴いたとは幾ら何でも考え難い。
何せ、俺の目の前にいるのはあのヴォガン卿。
〝ど〟が付くほど面倒臭がり屋の、ヴォガン・フォルネウスである。
そんな彼が、使いっ走りのような役目を引き受けるとはとてもじゃないが、俺には思えなかった。
ただ、それでも。
「俺が抜けた後、パーティーに加わったのは貴方ですか。ヴォガン卿」
彼が赴いた理由より先に、この事を聞いておきたかった。
レグルスはあの時、別れ際に言っていた。
優秀な宮廷魔法師を迎え入れると。
……俺の知る中で、王都ダンジョンの30層を単独で攻略出来てしまいそうな魔法師はといえば、目の前の彼、ただ一人。
だから、俺の後釜がヴォガンでなかった場合、最悪既に命を落としている可能性すらあった。
「……ああ。貧乏クジを引いてきた。面倒臭い事この上なかった。思い出しただけで欠伸が出る」
くぁっ、と心底面倒臭そうに欠伸をするヴォガンの答えは肯定。
「……そして、今もな。ある程度の傷は良い薬と思ったが、どうにも劇薬過ぎたらしい。……全く、おれが言い出した事とはいえ、下手な事を言うんじゃなかった」
気怠げな表情が向けられる。
「どういう事ですか」
「……どうもこうもない。言葉のまんまだ。おれを憂さ晴らしに使おうとするクソガキに、わざわざ説教を垂れてやったらこのザマだ」
クソガキとは恐らく、レグルスの事だろう。
仮にも王太子殿下という地位の人間に対して、「クソガキ」と呼んでしまうのは世界広しとはいえ、きっとヴォガンくらい。
「……お陰で、ここに来るまでの護衛を無理矢理させられた。鍛錬まで何故か半月もおれが付き合わされた。こりゃ、来年には隠居だな。やってられん」
理解不能な言葉が次々と羅列される。
ここに来るまでの護衛。
半月の鍛錬。それに付き合った。
ゆっくりとヴォガンの言葉を噛み砕いてゆき、理解を深めてゆく。
やがて、もしやヴォガンはレグルスの事を————。
と思ったところで思考に声が割り込んだ。
「……認められないそうだ」
それは、代弁するかのような物言いだった。
俺の姿を射抜くその瞳は、心境を見透かしているようでもあって。
「……たとえ王の考えであろうと、諌められようと、その言葉に、どれだけの正しさが含まれていようと、自分だけは何があろうと認められないそうだ」
ヴォガンが面倒臭がったからなのか。
その言葉には致命的なまでに主語が欠けていた。だから何の事なのかが上手く理解出来なくて。
でも、その言葉が何かしらの意地を貫こうとした上での言葉である事は不思議と分かってしまった。
やがて、懐へと手を伸ばし、ヴォガンから封のされた手紙が差し出される。
表に見えるは見間違えようもない王家の紋。
レグルスが俺宛に手紙を出すとは考えられない為、残る可能性はただ一つ。
「……勅命ですか」
そう問うと、ヴォガンは首を左右に小さく振った。
「……おれは嘆願と聞いている」
「嘆、願、ですか……?」
てっきり、俺の追放はレグルスの暴走だから。
そんな理由を付けた上で、宮廷魔法師としての俺に勅命かと思えば、返ってきた言葉はまさかの、嘆願。
青天の霹靂でしかないその返事に、俺は瞠目。
そしてやってくる空白の思考。
頭の中が一瞬、真っ白となった。
「……恥を忍んで頼みがあると。そう言って、お前にこれを渡して欲しいと、王から頼まれた」
何となくではあるが、話が見えてきた。
「殿下も、フィーゼルにいるんですか」
「……察しがいいな。いや、ここまで言えば誰でも分かるか」
「殿下の事を頼む。そんなところですかね」
「……嫌なら断っても構わないと聞いている。王は、負い目がある相手にまで無理強いをさせる気はないと言っていた」
差し出された手紙の中身は、簡単に想像がついた。何より、場が整い過ぎている。
そして恐らく、ヴォガンの言葉はその場凌ぎの取り繕いではないのだろう。
というより、俺が知るヴォガンという人間はそう言った気回しをするような人物ではない。
……なら、答えは決まってる。
それに、良い機会であるとも思った。
何か一言言ってやる。
少し前までちょうどそう思っていたところであったから。
「……殿下はどこです」
「……あれは、〝ギルド地下闘技場〟と言ったか。クソガキならそこにいる。治癒の件をほったらかしにしていた事を引き合いに出した途端、あそこの男が2つ返事で貸してくれてな。物分かりの良いヤツで助かった」
そう言ってヴォガンの視線が俺からレヴィエルへと一瞬だけ移動する。
治癒の件とは一体何の事なのだろうか。
そんな疑問を抱きはしたものの、気にしても仕方がないかと割り切り、彼方へ追いやる。
「……そう、ですか」
ヴォガンから差し出された手紙を受け取らずに、俺は初めてフィーゼルに訪れた際に案内をされた〝ギルド地下闘技場〟へ向かって一歩踏み出した。
既に内容は把握した。
だったら、中身を見るまでもない。
「ちょうど、俺も殿下には言いたい事があったんです。だから何を言いたくて、どんな事情で俺を探してフィーゼルまでやって来たのかは知りませんが……そのお話、引き受けさせていただきます。みんなをわざわざ俺の事情でガルダナにまで連れて行くのは申し訳ないと思ってたところでしたから」
そして、一歩。
また一歩と前へ向かって進んでゆき——ふと、ある事を思い出して、その足を止める。
「また忘れるところだった」と呟きながら俺はポケットへと手を突っ込み、ある物を掴み取って後ろを振り返りざまに、ヴォガンへ向かって放り投げた。
宙に舞うは、金色のペンダント。
吸い込まれるように、ソレはヴォガンの手元にぽとりと落下した。
「ヴォガン卿。陛下にお伝え下さい。4年間、お世話になりましたと」
これで完全に、宮廷との縁はなくなった。
「色々と清算してくるわ、ヨルハ」
未だ何が何だか満足に理解が出来ていないヨルハに向けて、一方的にそれだけを告げ、俺はその場を後にした。