二十九話 フロアボス④
「……、ッ!! あ、ん、の〝クソ野郎〟が……っ!! 魔力足りねえってただの嘘かよッ!!!」
ぐにゃりと歪められた空間。
その正体は————〝幻術〟。
そしてその魔法を行使した人物は十中八九今も尚、ゲラゲラ笑い続けているロキだろう。
何より、クラシアとヨルハに〝幻術〟の魔法に対する適性はなかった筈。
数ある魔法の中でも特に消費が別格で知られる〝幻術〟を行使している時点で〝転移魔法〟をクラシアに手伝わせる為のあの言葉は間違いなくただの嘘っぱち。
故にオーネストは身体を怒りに震わせながら、血管をこめかみに浮かばせ、怒り哮る。
「気に掛けて損したクソが……ッ!!!」
ぴしり。ぱきり。と音を立てながら凍り付いてゆく〝首無し騎士〟の足部を見詰めながら背後に控えているであろうロキ達に攻撃が向かないように戦っていたオーネストは毒突いていた。
「いやいやぁ。キミ達のその気遣いがあったからこそ、〝デュラハン〟は〝幻術〟である事に気付けなかった。無意識のうちに、そこにいると信じ込んでしまった。こういう細かな布石が、相手をハメるコツなんだよねえ!!」
「ンな事ぁ聞いてねえよッ!!」
つまり、背後を気にする俺達の心情と行動。
そして敵に〝知性〟がある事を逆手に取り、幻術でないという信憑性を高めた上で、仕掛けにかかったのだと。それ故にハマったのだと。
そんな事を事細かにわざわざ説明するロキの言葉に対して声を荒げ、黒槍を握り直してオーネストは腰を落とす。
次いで、再び敵へと肉薄を開始し————、
「そう。オーネストくんなら怒った上でそう突撃して来るよねえ。うん、知ってた。知ってたから」
やって来るただの感想。
その何気ない言葉に何の意味があるのかと一瞬不思議に思うも、
「だから、そこに仕掛けて貰った」
次の瞬間にオーネストが踏み込み、突き進んだ先で発動する魔法陣が一つ。
すっかり見慣れたソレは、設置型に改良された転移の魔法。
その仕掛け人は、恐らく
「……なる、ほど。それでクラシアか。クラシアに〝転移魔法〟を手伝わせた理由はそれか」
俺が知る限り、誰よりも卓越して〝器用〟な人間————クラシア・アンネローゼの仕業。
俺とヨルハ、そしてオーネストの三者に回復魔法の適性が全くと言って良いほど無かった。
たったそれだけの理由で回復魔法の適性が多かった事もあり、その修練に力を入れ、そして気付けば回復魔法のエキスパート。
などと呼ばれるようになってしまっていた才女。
器用過ぎる人間、それがクラシア・アンネローゼという『天才』。
彼女であれば間違いなく、一度手伝っただけの魔法をあの短時間の間に100%命中させる為に設置魔法に改良し、行使する事も可能————。
「————く、はっ」
転瞬、オーネストの姿が掻き消える様を目視した直後、突如として彼の笑い声が遠間から聞こえた。しかも、その場所は、〝首無し騎士〟の背後ドンピシャ。
「流石は〝クソ野郎〟!!! 相変わらず人の思考を読むのが気持ち悪りぃくらいうめぇなぁ!? オイ!!」
既に黒槍は振り抜くモーションに入っており。
「——————ッ、!?」
一瞬遅れて〝首無し騎士〟がその転移に気付くも、足に纏わりついていた設置魔法——氷が邪魔をし、反応が僅かに遅れる。
そして、
「おせぇよボケッ!!!」
怒声と共に繰り出された一撃は、真面に防御の姿勢を取れていなかった〝首無し騎士〟に直撃し、致命的な壊音が大きく轟く。
やがて、振り抜かれた黒槍の一撃によって宙に舞い上がるフルプレートの身体。
勢いよく弾き飛ばされながらも、懸命に足を伸ばし、地面に擦り付ける事でなんとかその勢いを殺さんと試みる。
次いで、猛烈な擦過音がガガガガガ、と響き渡った。
……ただ、
「わーお。……さっすがロッキー。本当に言ってた通りの場所に飛んできちゃったねえ!?」
それはまるで、オーネストがその場所に向かって斬り飛ばすと知らされていたかのような物言いであった。
そして漸くの思いで壁に衝突する寸前に、勢いを完全に殺して見せた〝首無し騎士〟の前に立ち塞がるは不敵に笑う矮躯の女性————恐らくは、Sランクパーティー〝緋色の花〟所属のメンバーの1人。
ロッキーとはきっと、ロキの事を指しているのだろう。
肉食獣を想起させる獰猛な笑みを浮かべる彼女の手には〝首無し騎士〟の得物と似たり寄ったりの大剣が一つ。
そしてそれは既に振り上げられており、
「どっ、せい————ッ!!!」
先の発言に対する返事を待つ事もなく一方的にそれはぶぉんっ、と風を斬る音を伴って振り下ろされる。
小柄な身体に似合わないその攻撃は正しく、初見殺し。ただ、彼女は既に〝首無し騎士〟と剣を交わしていた人間。
故に、油断が入り込む余地はなく、所々が凍り付いていた足を使ってすんでのところで、片足を使って右に身体を跳ねさせる事で回避。
「んふふ。やっぱりデュラちゃんは反射的に右に避ける癖あるよねーえ。でもそれ、ロッキーに見透かされちゃってるよん?」
しかし、そうされると分かっていたかのような口振りで女性は満足げに笑う。
程なく明らかになるそのワケ。
発動する複数の魔法陣。
「————ッ、っ!!!!」
〝首無し騎士〟が避けた先にはまたしても、設置魔法が用意されていた。
そして先程と同様の青白の魔法陣が〝首無し騎士〟の足下に大きく展開される。
やがて始まる氷の更なる侵食。
ぴしり、ぱきり、と音が鳴る。
そこで悟ったのだろう。
己にとっての最たる脅威は、行動を先読みし、考える余裕を奪った上で設置魔法を命中させ続ける〝クソ野郎〟こそ、であると。
そいつを真っ先に始末しなければならないと。
「————ァァァアアアアアッ!!!!!」
それは、常人であれば耳にしただけで背筋が思わず凍ってしまう程の怨嗟の咆哮。
おちょくっているかのような仕掛けの数々に痺れを切らした〝首無し騎士〟による、激怒と殺意の発露であった。
最早、膝から下が凍ってしまっている事などお構いなしに無理矢理に動かし、肉薄を開始。
そして、今度は何も無いはずの場所目掛けて突進し、
「……やっぱり、ラッキーパンチに2度目はないよねえ」
苦々しいロキの声が響く。
冷静になられてしまったが最後、〝首無し騎士〟に、〝幻術〟は効かない。
加えて、猛烈な勢いで肉薄をしたかと思えば、突如として方向転換。そして、ぐるりと一瞬にして〝ある場所〟へと回り込む。
それは、考えなしに直進すれば、また餌食になってしまうからと言わんばかりの行動であった。
「なにせ、ラッキーパンチの2度目ってのは」
そして、一見すると、何も無いであろう場所に向かって〝首無し騎士〟は横薙ぎに必殺の一撃を繰り出す。
しかし、そこには確かな歪みが生まれていた。まごう事なき〝幻術〟の兆候。
恐らく、ロキはその場所にいる。だから、〝首無し騎士〟は回り込んでいた。
なのにどうしてか、そこから逃げようとする気配はこれっぽっちも感じられなかった。
補助魔法師であるロキにとって、その一撃を食らう事は即ち、死に直結しかねないというのに。
「——————!!!」
気合一閃。
死を予感させるその一撃は力任せに展開される〝幻術〟すらも塵芥のように薙ぎ払ってゆき、そして、そして————。
「無理矢理に作っちゃうものだもんねええええ!? ふ、はっ、ふははっ、ふはははははははは!!!」
補助魔法師である筈のロキが手にする〝剣〟と合わさり、耳障りな衝突音が火花と共に周囲へ無差別に散らされた。
「ん、な————ッ」
それは一体誰の驚愕であったか。
剣を扱えないと口にしていた筈のロキが即席の〝魔力剣〟を手にしており、あまつさえ襲い来る一撃を食い止めてみせた。
————〝補助魔法〟————
そんな彼の足下には、ヨルハの魔法の影が一つ。故に、一撃であれば奇跡的に〝首無し騎士〟の攻撃を限定的に耐える事が出来た、と。
しかし、その膠着も長くは続かない。
次第に握る得物はひび割れ、壊れてゆき、そして、力負けしている光景も揺るぎないものとして鮮明に事実として刻まれてゆく。
なのに、
「僕を仕留める為に踏み出したその一歩に、泣くんだよキミはさぁぁぁああああああ!!!?」
なのに、ロキは叫ぶ。
心底楽しくて仕方がないと言わんばかりに、相変わらずの人を馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、喉をふるわせ叫び散らす。
直後、ロキを仕留める為に踏み出した〝首無し騎士〟の足下に展開される3個目の魔法陣。
「————〝三点封陣〟————ッ!!」
その言葉がトリガーとなり、〝首無し騎士〟が踏み抜いてきた設置魔法に加えて今踏み抜いていた魔法陣。合わせて計3つ。
それらが一斉に発光。設置魔法が展開される。
そこで漸く気づく。
ロキは嘘をついていたのだと。
機動力を、削ぐ?
……違う。あいつの狙いは、そんなもんじゃなかった。初めから、そう誤認させる為に、もっともらしい魔法を混ぜ込んで表向きソレだけを目に見える形で発動させていただけ。
そう、叫び散らしていただけ。
ロキの目的は、既に起動されていた魔法陣に紛れて仕掛けていた拘束魔法————〝三点封陣〟を使う事だけに初めから目を向けていた。
指定の三箇所を一定時間内に踏み抜いた時だけ発動する最高に使い勝手の悪い拘束魔法。
ただし、発動条件がキツイ分、その効果は絶大。
その発動こそが狙いだったのだと気付いた時には既に、発光する魔法陣より這い出る無数の白の鎖に〝首無し騎士〟は襲われていた。
「っ、ぐ————ッ!!?」
やがて鍔迫り合いに耐え切れなくなり、後方へと勢いよく吹き飛ばされるロキの身体。
壁に打ち付けられ、ごはっ、と血反吐を吐き散らしながらも、そんな事知るか!! と言わんばかりに腹から張り上げられた声が続け様に轟く。
「く、はハっ。さ、あ……! 準備は整った!! 良いとこ全部持ってけアレク・ユグレット————ッ!!!」
それが————待ちに待った合図であった。









