二十八話 フロアボス③
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1秒、1秒経過するたびに猛烈な勢いで生命力を消費させているのでは。
そんな錯覚を思わず抱いてしまうギリギリの命のやり取り。
一瞬、一手間違うだけで死に直結する闘争。
そして、満足に目で追いきれない戦闘が始まってから体感では既に数十分といったところ。
しかし、ロキの合図が未だないあたり、それは間違いでしか無いのだと無理矢理に自分自身を納得させる。
やがて、限界まで圧搾された殺意飛び交う緊迫の空気の中、
「————漸く、〝らしく〟なってきたじゃねえか。ええッ!?」
愉楽孕んだオーネストの声音が、殷々と鳴り響く剣戟の音に紛れて俺の鼓膜を掠める。
はぁ、はぁと息を切らしているにもかかわらず、よくもまあ叫ぶよと呆れを通り越して畏敬の念すら僅かに抱いた。
「ったく、4年ぶりに面を見せたかと思えばクソつまんねえ顔浮かべてやがるしよォ!?」
唐突過ぎる叫び声。
それは、ただの文句だった。
今ここで言うような事か!? と、今すぐにでも指摘したくなる程のなんて事はない文句。
どんな意図でもって言い放たれたのか、判然としないその言葉に対して俺は縦横無尽に剣を振るいながら叫び散らす。
「うっ、せえよッ!!! 俺にも色々と事情があったん、だよ——–—っ」
言い逃れが出来ないこの場にてその言葉を投げつけてくるあたり、悪辣というか。
無遠慮なオーネストらしいというか。
「ふは、そりゃ悪かったなァ!?」
俺の乱暴でしかない返答が納得のいくものであったのか。迫り来る大剣を黒槍で上手く捌きながら、薄い唇を限界まで引き上げ、歯を見せて笑う。それは憎らしい程快活な笑みであった。
「にしても、いやあ、やっぱり楽しいなあ?」
頰に、手に、腹に。
彼方此方を掠める攻撃と、程なくぷくりと浮かび上がる鮮血。走る赤の線。
雨霰と襲う連撃を一緒になって防ぎながら、オーネストは場違いに声を弾ませていた。
「特にオレらみてえなヤツらは、こういう場でこそ、輝くからよぉ!!」
見え隠れするは、忘れもしない戦闘馬鹿の面影。
「だから、当時は不思議で仕方なかったンだぜ!? 幾ら親父さんの事があるとはいえ、てめえはオレらと道を共にするもンとばかり思ってたからなぁ!?」
4年越しの昔語りが始まる。
心底楽しそうに、オーネストは語る。
口を動かす事で裂傷が増えても構わないと言わんばかりに。
この瞬間じゃなけりゃ、てめえは答える気ねえだろ!? と言われているような気がして、敵に全身全霊の集中を向けるべきであると頭では理解していてもどうしてか、オーネストの声をシャットアウト出来なかった。
『————こうして4人、出会ったのも何かの縁。どうせなら、行けるとこまでいってやろうや。目指すは〝最強〟ただ一つ。くは、楽しくなってきやがった————!!!』
それは〝魔法学院〟に入学をして、1年が過ぎた頃。
進級祝いだなんだと理由を作って4人で食べに行った飯屋にて、オーネストが大声で叫び散らしていた言葉。忘れもしない発言であった。
「なのにこれだ!! だからオレさまは言ったじゃねえか!! 宮廷はロクでもねえってよぉ!! ンな顔をオレらに見せる事になってまで、てめえは何をしたかったんだよ!! 吐き出せよ、なぁ!?」
迫る袈裟懸けに振り下ろされた一撃を紙一重で躱しながら、間髪いれずに反撃のモーションに入る。
すっかり言われたい放題となっていた事で積み重なっていた憤懣を発散すべく、思い切り敵目掛けて刺突を繰り出すも、それは虚しく空を切った。
「……うるせえ」
不機嫌な心境を隠すつもりもなかった。
だから、自分でも驚くような低音で呟く。
ただ、飛び交う言葉は止まらない。
俺に問いを投げ掛けているのは〝ど〟がつく程の気遣い屋のヨルハではなく、事なかれ主義のクラシアでもなく、オーネスト。
故に、「言いたくねえんだよ」という逃げは絶対に通じない。
「いいや、黙らねえ!! てめえがその胸の内に隠し込んでる事を吐かねえ限り、オレは黙らねえ!!」
ガキン、と鈍い衝突音を響かせて〝首無し騎士〟の得物を横に弾いて無理矢理に逸らし、そのまま深く踏み込む。
直後、瞬く間に懐へと潜り込んで防戦から一変してオーネストは攻勢に転じていた。
まるで、俺が彼らに話していた宮廷魔法師の道を望んだ際に話した理由以外にもまだ何かある。
そう確信しているような物言いであった。
……妙なところで察しが良いのは相変わらず。
「だ、から————」
オーネストの言葉は、決して間違っていない。それも、これは俺が答えれば済むだけの話だ。
でも、情けない話をしたくはなくて。だから、それでも尚と「うるせえんだよ」と言葉を続けようとして。
「……知らなきゃ助けられねえ。知らなきゃ手も貸せねえ。背中を任せて同じ釜の飯を6年も一緒にかっ食らったヤツの悩みを解決してやりてえと思うのはそんなに悪ぃ事なのかよ!? ええ!? それでもてめえは黙れってか!? ああッ!?」
その言葉は、叫びは、剣戟の音の合間を縫うように、鮮明に聞こえてきた。
聞こえない振りをするなと言わんばかりに、耳に届きやがった。
……その言葉は、狡いだろうが。
卑怯にも、程があるだろうが。
無性にそう言いたくなった。
そして、振るう剣の柄を持ち得る限りの膂力を使って思い切り握り締めながら、下唇を一度強く噛み締める。
「……。っ、おれ、は、借りを返したかっただけだ」
次いで、オーネストと一緒になって攻勢に転じ、剣の刃をぶつける音で掻き消さんとばかりに音を大きく立てながら、絞り出すように言葉をこぼす。
「ずっと昔に受けた恩、を、返したかったッ」
眼前に映り込む突き出される黒い軌跡。
1度はモロに受けたその体術。
2度目は食らうわけないだろうがと言わんばかりに距離を取り、確実に避ける。
その間に繰り出されるオーネストの刺突連撃。
なれど、もうすっかり見慣れた人外の挙動でそれをいとも容易く〝首無し騎士〟は避けてみせる。
「……ふとした時に、アイツの顔が浮かぶ。悲しそうで、苦しそうで、辛そうで、今にも泣き出しそうだったらしくないアイツの顔が……ッ」
————宮廷魔法師にだけは、ならない方がいい。
それだけを告げて、俺の前からその日を境にいなくなったヤツの顔が。
「だ、から————ッ!!! 俺は! 宮廷を変えさえすればアイツへの恩返しになると思った!! だから、だから、全員の反対を押し切ったッ! なのに、このザマだ!!」
言えるわけがないだろ。
隠すに決まってるだろ。
これで満足かよ、オーネスト。
振るう刃に怒りを乗せ、側で今も尚共に〝首無し騎士〟と干戈を交え戦う友人に向けて、感情を音に変え叩き付ける。
そして遅れてやって来る、自責の念。
後悔の感情。
……せめてあの時、こうなるくらいなら、パーティーから追い出される事になったあの瞬間に、あの3人に面と向かって言うべきだった。
好意的ではなかったものの、どうしてか、唯一俺を無下にしていなかった国王に直訴すればいい。
そんな考えに逃げるべきではなかった。
真に変えたいと願っていたならば、言うべき時に、言うべき言葉がもっと、もっとあった筈なのだ。
「……俺がやれていた事は、ただただ得た地位にしがみ付いてただけだ」
何も変えられなかった。
何も成せなかった。
言ってしまえばただ、ダンジョン攻略の為の荷物持ちをやらされていただけ。
その空虚さに、思わず自嘲めいた笑みが溢れそうになる。……だけど、
「————それでも、てめえが変えたいと願っていたその想いは紛れもない真実なンだろ? じゃねえとそもそも、あんな宮廷に4年もいられる筈がねえ。オレさまにゃ、それだけで十分立派に映るがね」
アレクにゃ、そうは捉えられねえのかもしれないが。
オーネストの口から、そんな優しい言葉が付け足された直後であった。
強烈な踏み込みと共に繰り出された一閃と黒槍が衝突する。そして、散る火花と一緒になって黒槍が手にする腕ごと大きく弾かれた。
「……ァ?」
それは無駄口を叩きながらも、時に見た事もない技を織り交ぜていた敵に対して最低限の裂傷で済ませていた筈のオーネストが見せた最初で最後の隙だった。
ほんの一瞬。
しかし、それを見逃す〝首無し騎士〟ではなく。
「……チ、ィッ」
鋭く舌を打ち鳴らし、顔を顰めるオーネストを助けるべく咄嗟の判断で援護に回ろうと試みる。
けれど、刹那。
まるで狙っていたかのようなタイミングで、キィン、と聞き慣れた金属音を伴って俺とオーネスト、〝首無し騎士〟の頭上に浮かび上がる特大の魔法陣。
その出どころは考えるまでもなく、そしてその存在に気付いた〝首無し騎士〟は己が持つ知性に従い、直前で追撃をやめてその場を離脱。恐るべき速度でその場から姿を掻き消し、やがて向かった先は————
「ま、て。おい、そっちは……!!」
肩越しに振り返るとそこにはヨルハやクラシアを含む5名の人間の姿が。
そして〝首無し騎士〟がまず先に向かった場所は頭上に展開された魔法を発動した人間の下。
知性がある故にそれをピンポイントで見透かし、ロキとクラシアが立ち尽くす場所へと全速力で向かい、手にする大剣を振り下ろす———。
と、思われた瞬間。
「ふ、はっ。ふは、ふはははははははは!!!」
虚をついたであろう〝首無し騎士〟のその行動を全力で馬鹿にし、嘲笑う哄笑が1度、2度、3度と何処からともなく断続的に響き渡る。
そして、程なく大剣を振り下ろされた場所がぐにゃりと空間ごと歪み、続け様、設置系の魔法だろうか。〝首無し騎士〟の足下に魔法陣が複数展開された。
「ちゃぁんと僕が置いといた魔法を律儀に踏み抜きやがったよコイツ!? 馬鹿だ。馬鹿がここにいる! ぎゃははははははははは!!!」
ひぃー!
と、笑い苦しむ声の主は言わずもがな、ロキである。
「でーも、思いの外、あの2人が手強かったのか。それとも虚仮威しの僕お手製の大技魔法に臆したのか。随分と余裕がないじゃぁん。〝死霊系〟なら魔法師を先に潰す必要があるのは分かるけどさぁ……焦ったねえ、キミィ?」
設置魔法は基本的にその存在を隠し切れるものではなく、精々がここ通るな危険。
程度の使い道しかない。
その為、踏み抜けば攻撃が100%命中する等の利点はあれど、知性を持った相手には滅多な事がない限り設置魔法が直撃する事はない、筈だった。
しかしその〝滅多な事〟を一瞬の〝焦り〟を使って無理矢理に引きずり出してみせる。
〝首無し騎士〟が踏み抜いた場所に展開された魔法陣の色は青白。
「————しっかし、こうも予想通りに行っちゃっていいのかねえ? ま、こうなると、詰めまであと数手。取り敢えず、そのうざったい機動力を削らせて貰うっかなあ?」