二十七話 フロアボス②
————もしかすると中身は空かも。
ふと過ぎる、ロキの言葉。
ただ、転移前に聞いていたオーネストのロキに対する評価と、何事も試してみなければ信じられない己の性分が邪魔をした。
そのせいで、物の見事に初撃が躱されていた。
「これ冗談抜きで中身ないぞッ!?」
迫る剣閃。
それを防ぐ為に、振り終えた剣を咄嗟にクルリ、と逆手へと持ち替え、そのまま地面目掛けて突き刺した。程なく剣と剣が衝突。
虚空に弾ける火花。
響く虚しい鉄の音が容赦なく鼓膜を殴りつけてくる。
圧倒的な重量感が柄越しに伝わり、地面に突き刺した得物が、ざり、と見る見るうちに押し返されていた。
「……ンなら、紛らわしいが対人相手って思わねえようにしねえとなぁぁああああッッ!!」
咆哮。
ただし、その出どころは俺の側ではなく、向かい。
常人離れした速度で跳ね進んだオーネストの姿は既に敵の背後を取っていた。
そして足を地面から離し、虚空に身を躍らせ、身体全てを使っての一閃。黒の軌跡が風を斬り裂き、常軌を逸した速度で黒槍が敵へと肉薄する。
「—————!!」
背後からの一撃。
いくらオーネストが叫び吠えたとはいえ、その一撃はなんの準備も無しに避けれる程生易しいものではないと言うのに、まるで背後に目を付けていたのかと錯覚するあり得ない挙動でまたしても、回避。
……けれど。
「それは2度目だろうが」
人外の挙動を見るのはもう2度目。
ならば、敵の動作もある程度予想がつく。
故に、繰り出すならきっとこの隙間。
この瞬間に、滑り込ませろ————!!
「〝天地斬り裂く〟————ッッ!!!」
狙いは頭部。
繰り出すは、身体を僅かに傾けさせながらの横薙ぎによる一撃。
全てを斬り裂け。
そんな想いを乗せて、銘を叫び剣を振るう。
「—————っ」
未だ一言も声をあげない目の前の敵から、息をのむような音が幻聴された気がした。
そして、一瞬遅れて耳障りな擦過音が一度。
剣を振り抜いたのち、数瞬遅れてカラン、と少し離れた場所にて、金属製のナニカが落下する音が場に響いた。
「〝首無し騎士〟」
それは一体、誰の声であったか。
否、誰の声であろうとこの際どうでも良かった。
……斬り裂いたにもかかわらず、驚く程に手応えがなかった。加えて、頭部と泣き別れになったにもかかわらず、フルプレートの体躯から立ち上る闘志は未だ衰えず。
首元からは、見通せぬ闇の洞が如き不気味な色が見え隠れしていた。
「……あの時ブチ殺してやった〝化け物〟は、こいつの騎獣だったってところなのかねえ?」
〝首無し騎士〟は人馬一体の〝死霊系の魔物〟。
「……だろうな」
それ故にオーネストの呟きに対して肯定する。
頭部を斬り飛ばした事により生まれた敵の硬直。束の間の静けさ。
しかし、それも長くは続かない。
斬り殺さんとばかりの濃密過ぎる殺気は、ぶわりと突如として膨れ上がり、それが再開の合図となって全身を隈なく覆い尽くしてくる。
「ッ、……!」
転瞬、眼前から残像だけを残して掻き消える敵の姿。移動の音すら置き去りにし、敵の存在は俺の認識の外へと自ら弾き出された。
そして視認するより先に、勘に身を任せて身体を捻る。直後、一瞬前まで俺がいた場所を大剣が通り抜けた。その事実に、思わず顔が歪む。
「コイ、ツ…………っ!!」
さっきまで手を抜いてやがったろ!?
そう叫び散らしたかったが、逼迫した状況の中、辛うじて紡げたのはその1単語だけ。
加えて、俺の驚愕に対する返事は勿論なし。
明らかに先客2人とのやり取り。
そして頭部を飛ばす前の一合程度の打ち合いとは打って変わって段違いに跳ね上がった身体能力を前に、毒突かずにはいられない。
……けれど。
「それ、はっ、悪手だろッ!?」
2度、3度、と薄皮を斬り裂かれながらも避け、剣の腹で受けるを繰り返しながら叫ぶ。
なにせ、俺と一緒に切り込んだ人間はあのオーネストだ。自他共に認める自尊心の塊のオーネストである。己の存在を無視され、俺を先に始末してしまわんと肉薄した〝デュラハン〟に腹を立てないアイツではない。
故に、悪手。
「————オレさまを無視たぁ、良い度胸してンじゃねえか」
やってくるのは底冷えした一言。
そして胸中でその言葉に俺は肯定する。
そうだ。その通りだ。
あのオーネスト・レインを近接戦闘において無視するとは全く良い度胸をしている。
「は————」
小さな息遣い。
次いでミシリ。そんな幻聴を耳にしてしまうような力強い踏み込み。
やがて襲うは、小手先の足掻きを「それがどうした」と嘲笑う、
「ッ、オ、らぁぁあああああッッ!!!!」
————憤怒纏った極限の一撃。
この攻撃は、逃げられない。
本能的にそれを悟ったのか、俺に背を向けてまで〝首無し騎士〟はオーネストの攻撃に対する防御に全身全霊を傾ける。
直後、防御の構えを取った〝首無し騎士〟と、振り下ろされたオーネストの黒槍が衝突。
その並々ならぬ衝突により、〝首無し騎士〟の両足が地面に僅かに陥没。びり、とその衝撃が大気にすら伝播する。
なれど、受け止めた。
その反射神経は最早、感嘆すべきものだろう。
しかし、
「く、はッ!? バァカ。逃さねえよ!?」
重くのし掛かるオーネストの一撃は、その場からの離脱を執拗に許さない。
となれば必然、隙だらけの無防備な背中が俺の眼前に出来上がる。
本来であれば彼の一撃を軽くいなし、続く俺の攻撃を対処するつもりだったのだろうが、それは幾ら何でも甘く見過ぎだ。
「やれ、アレク————ッッ!!!!」
「任せとけッ!!!」
背中を強く押す声が一つ。
そして、めきゃッ。
そんな壊音と共に、オーネストからの一言が聞こえるより先に振るっていた剣を伝って何かがひしゃげる感触が届く。
次いで、元々は鎧の一部であっただろう黒塗りの金属片が複数虚空に飛び散り、力任せに放った一撃は〝首無し騎士〟を容赦なく斬り、押し飛ばす。
ヨルハの〝補助魔法〟が合わさり、今の膂力は普段とは比較をする事が烏滸がましく思える程に跳ね上がっている状態。
故に、それをモロに受けた〝首無し騎士〟の身体は宙を舞い、幾度となく地面をバウンド。
そしてダンジョン特有の角ばった壁へと一直線に突っ込んでいった。
巻き上がる砂煙。遅れて地鳴りに似た音が聞こえてくる。
「手応えは」
「微妙」
視線を合わせるまでもなく、最低限の言葉を交わし、轟音でしかない重い衝突音が生まれた場所へと一緒になって注意を向けた。
「……というかアレ、硬いにも程があるだろ」
ロキから借り受けた〝古代遺物〟の銘は〝天地斬り裂く〟。事前に切れ味が良いとも聞いていた割に、先程の一撃は間違っても斬り裂いたという感触ではなかった。
どちらかといえば鈍器を使って殴ったような。
そんな感触。
「……一応アレ、64層のフロアボスなンだろ。だったら、〝古代遺物〟があんまし機能しなくともおかしくはねえ。打ち合って壊れねえだけ儲けもんって考えるしかねえだろ」
〝魔力剣〟であれば一溜まりもなかった。それは数合の打ち合いで否応なしに理解させられている。
それもあって、オーネストの言葉に頷く。
「——————」
やがて不穏な空気を漂わせながら、ゆらりと不気味に動く影。
「ま、立ち上がるわなあ」
微塵の痛痒も感じていない。
とまでは考えたくないが、〝死霊系〟である以上、剣でどうにか出来る相手でない事は納得ずく。
故にその光景に落胆と言った感情を抱く理由もない。
課された役目はあくまで時間稼ぎなのだから。
「……流石に、こんな簡単には終わってはくれないよな」
「剣でぶち殺せるンならそもそも、〝死霊系〟じゃねえしな」
「違いない」
やがて視線の先に映る影は、ガラガラと瓦礫が落ちる音と共に立ち上がる。
そして、何を思ってか。
硬直したかと思えば、一転。
「——————ァアアアア——————!!!!!!」
「ッ、うっ、せえ!!」
「うる、っさ……っ」
割れんばかりに轟くは、言葉にすらならないけたたましい奇声。
思わず反射的に手で耳を塞ぎ、顔を顰めてしまう。
未だ頭部と泣き別れているというのに、何処からそんな声を出してるんだよと突っ込んでやりたくもあったが、突如としてピタリと止まる奇声。
やがて、
「——————!!!」
「く、そッ、は、やいんだよ……っ」
奇声を止めるや否や、予備動作ゼロの無拍子かつ無音による肉薄を始める敵を前に、無駄口を叩く余裕はもう何処にもなかった。
そして〝首無し騎士〟の狙いは執拗に、俺。
きっとオーネストより俺の方が倒し易いと捉えての行為なのだろう。腹立たしくも、それは正解でもあった為、潰し易い方から潰しに行くというその合理的な作戦にとやかく言う気は毛頭なかった。
警戒心を最大限高め、攻撃に備えるも、気付いた時には既に頭上に大剣が掲げられていて。
そこからはもう、本能的に動いていた。
考えるより先に俺は右手で握る〝天地斬り裂く〟を目の前の光景に割り込ませる。やがて、合わさる剣と剣。
「ぐッ、」
ズン、と伝わる助走という勢いすら加えられた一撃を前に、歯列の隙間から堪らず息が漏れ出る。しかし、受け止めた。
渾身の一撃を防ぎ切った。
……そんな感想を抱いた直後、目にも留まらぬ速さで忍び寄る死の気配を纏った黒い軌跡が一つ。
吸い込まれるかのように、続け様に繰り出されるは、恐ろしいまでに冴えわたった一撃。
「が、ハッ」
気付いた時には、飛沫として口から体液が飛び出していた。遅れて知覚する鋭い痛み。
騎士のなりからは考えられない邪道としか言いようのない体術が腹部に突き刺さった。
めきり、みしりと明確な壊音を刻み、そして塵芥のように今度は俺が勢いよく蹴り飛ばされる。直前にオーネストが叫んでいたがその声の一部すら聞き取れず。
次いで、後方に存在していた壁に打ち付けられ、背中からも激痛が全身を駆け巡った。
……そして間もなく、攻撃をモロに食らったにもかかわらず、俺は顔を顰めながら何とか立ち上がる。
「……ゴホッ、ケホッ、あ、ぶねえっ。ヨルハの補助無かったら、今ので完全にくたばってた……!」
咳と共に血痰のようなものが口からこぼれるも、それに構わず胸の内に収めていたポーションを取り出し、ひと息にそれを呷る。
次第に収まってゆく腹部の痛み。
それを感じながら俺は言葉を口にする。
「……どれぐらい時間稼げばいい」
「最低5分くらいかなあ」
偶然にも、蹴り飛ばされた先のすぐ側にロキの姿を視認。
あの化け物級を相手に近接で。
それも、俺達だけに目を向けさせる程の時間稼ぎとなると、2人掛かりでも魔法無しだとかなりキツイんだが。
という想いも込めての一言であったが、無情にも5分という答えが返ってくる。
ただ、先ほどまでの巫山戯た様子はなりを潜めており、恐らく本当にソレが最低ラインなのだろう。だから、文句の言葉を飲み込んで、なんとか割り切る。
「……出来るだけ早くしてくれよ」
「勿論。仕留める為の仕掛けはちゃんともう準備を進めてるから、思う存分に時間稼ぎをしてきてよ」
手持ちのポーションは後6本。
あまり、無理は出来ない。
そんな事を考えながら、ロキの発言に対してため息混じりに返事をする。
俺の眼前には火花散る剣戟の鉄火場が一つ。
まるで己の手足のように黒槍を扱いながらも、早々に俺が離脱した事で1対1となり、怒涛の勢いでもって攻めに転じていた〝首無し騎士〟の攻撃を凌ぐオーネストの下へ急がんと足を動かした。









