二十五話 王太子と〝呪術師〟と
「……あの『役立たず』の行方を探してこい」
ポツリと。
それは幽鬼の如く消え入りそうで、か細く、そして頼りのない呟き。
身体に巻かれていた包帯を無理矢理に剥ぎ取りでもしたのか。乱暴に解かれた一部からは思わず目を逸らしてしまいたくなる程に痛々しい傷跡が見え隠れしていた。
「……どう、いう事でしょうか」
部屋に戻ってくるや否や言い放たれた言葉。
国王から呼ばれ、向かって行った時からは考えられないレグルスの不機嫌具合に戸惑いながらも、彼の部屋で待機をしていた従者の1人は聞き返す。
「……僕に、二度も言わせるな」
それは魔物の唸りに似た低い声であった。
渦巻く憤怒が舌に乗せられ、赫怒の形相が見え隠れする。国王と何を話してきたのか。
従者の男には皆目見当もつかなかったが、それでもレグルスの機嫌がとんでもなく悪い事だけは明らかであった。
「し、失礼いたしました!」
その一言を告げ、首の後ろまで見える程に深く深く頭を下げたのち、従者の男は慌ただしく部屋を後にした。
そして、巻き添えを食らうまいと、側にいた残りの者達も続くように部屋を後にしてゆく。
やがて部屋に残ったのはレグルスと、
「……まだいたのか。〝呪術師〟」
〝呪術師〟の男の2人がポツリと立ち尽く事になっていた。
「『帰れ』とは言われておりませんので。登城しろと命を受けたにもかかわらず、勝手に城を後にするわけにはいかないでしょう」
正論であった。
これ以上ない返答。
だが、国王陛下とのあの話を経た今となっては最早、〝呪術師〟の存在価値はレグルスの中では全くと言っていいほどになかった。
けれども。
「……。お前は、エルダス・ミヘイラという男を知っているか」
それは本当に、気の迷いであり、気まぐれであり、気紛らわし。
〝呪術師〟としての彼に用がなかったにせよ、レグルスは己の考えを整理する上で、偶々都合が良かったからという理由で彼を聞き手の1人として利用する事にした。
〝呪術師〟の男の年齢は40代半ばに差し掛かった中年といったところ。
であれば、十数年前に宮廷から追い出されたエルダスという男について何かしら知っているのではないのか、そう思っての質問だった。
「……知っていますよ。あの大バカの事は、当時を知る人間であれば誰もが知っていると口にする事でしょう。それ程までに話題に事欠かない男でしたから」
どうしてレグルスがそんな質問をするのか。
脈絡のないその質問に、頭を悩ませていたのだろう。
それ故、不自然な間を挟んだのちに〝呪術師〟の男はそう答えていた。
次いで、
「陛下からお話でもされましたか。エルダスの事を」
〝呪術師〟の男は一切の躊躇いなく、目の前に見えていたであろう地雷を踏みにいった。
程なく、彼の胸元目掛けて再び、手が伸びてくる。そしてガシリ、と。
つい数十分前と全く同じ胸ぐらを掴み、掴まれるという状況が出来上がった。
「お前も、貴族であったな。〝呪術師〟。ならば、どう思う。エルダス・ミヘイラという男の言い分が真に正しいか、正しくないか。この場で言ってみろ」
位は低いものの、城に呼ばれた〝呪術師〟の男も貴族の端くれであった。
故に、レグルスはこの上ない圧を込めて問い掛ける。エルダスという男の戯言について、どう思うのか、と。
「決まっております。あいつの発言は紛れもなく、救いようのない阿呆のものであると。私は、そう思っておりました」
「……思って、いた?」
含みのあるその言葉に、思わずレグルスの眉根が寄った。しかし、不快感を隠そうともしない物言いを受けて尚、〝呪術師〟の男は口を閉じようとはしない。
「武力がなくとも経済は回ります。しかし、政が機能してなければ、経済は回りません。そして、政を行えるのは我々貴族といった上流階級の人間のみ。それをする権利があるのもまた、我々のみ。ですから、私はエルダスの言葉を戯言と認識しておりました。いざという時、武力に訴えるだけが能のような下賤な連中と手を取り合うなぞ、正気の沙汰ではないと。あやつらは、使ってこそであると」
「……その通りだ」
肯定する。
レグルスの中にある考えと、〝呪術師〟の男が口にしたその言葉は全く同じものであったから。
ただ、言葉はそれで終わりではなかった。
「しかし、それは最善と呼べるものなのでしょうか」
やって来たのは疑問の言葉。
問い掛けであった。
「……それは、どういう事だ」
その一言に、レグルスは〝呪術師〟の男に父であるフェルクスの影を見たのか。
ゆっくりと、胸ぐらを掴んでいた手から力を抜いてゆき、やがてその手を離した。
「この世界には、殿下もご存知の通り、ダンジョンというものが存在しております」
童でも知っている常識だ。
「実際に、殿下も陛下の命でダンジョンに潜っていたかと存じます。その上でお聞きします。如何でしたか」
「……如何、だと?」
「ダンジョン。それは一見すると、力自慢や、学のない連中の唯一の食い扶持。我々からすれば、ダンジョンなぞ、基本的にはそのような認識です。いくら価値のある物が得られるとはいえ、泥臭い行為はあの連中に任せるべきだ。それが不変の常識でした」
その通りであった。
だからこそ、レグルスは当初は困惑していた。
何故、国王であるフェルクスが己にダンジョン攻略などという任を課したのだろうか、と。
「しかし、殿下も薄々と感じていたのではありませんか。ダンジョン攻略というものは、我々が考えるよりずっと、難解で、頭を使う、と。一筋縄ではいかないと」
猪突猛進に攻略を試みたところで何とかなるほど単純なものでもない、と。
先程フェルクスから差し出された紙の山こそがその証左。
「……神算鬼謀とも言える頭を持った平民も中にはいる。そして、〝天賦〟の魔法の才を持った平民も、また。だから、一方的に見下すのではなく彼らのその発想を、頭を、力を、御国の更なる繁栄の為に手を取り合い、役立てていくべきだ。それが、大バカの〝言い分〟でした」
だが、当時は誰も耳を貸さなかった。
それどころか、嘲り、侮蔑した。
多くの人間が、「恥知らず」と罵った。
そして結局、最後は国を出て行く事しか出来なかった哀れな人間。
それが、〝呪術師〟の男が知るエルダス・ミヘイラという人間の全てであった。
「私にあの大バカの言葉を肯定する権利はありませんが、それでも尚、この場に限り言わせていただきましょう。あいつの言葉は、きっと正しかった」
「……随分と、良い度胸をしてるな」
おべっかを使う事もなく、徹頭徹尾、最後まで己を貫き、意見を言い放った。
〝呪術師〟の男のその態度を前に、レグルスは胸中で鎌首をもたげていた怒りの感情を乗せて睨め付ける。
しかし、それも刹那。
ふん、と不機嫌に鼻を鳴らし、レグルスは彼に背を向けた。
「お前などの意見を馬鹿正直に聞くなぞ、僕はどうかしていた。とっとと去ね。目障りだ」
一発くらいは殴られると覚悟でもしていたのか。〝呪術師〟の男の表情には驚愕めいた色が浮かんでいた。
ただ、
「……殿下。先程、アレク・ユグレットの行方をと仰っていましたが、何をするおつもりですか」
城から出て行けと言われて尚、彼は足を止めて言葉を続けていた。
「その理由をお前に聞かせる義理が何処にある? 何処にもないだろう?」
だが、返答は拒絶。
口の端を軽く吊り上げ、不気味な笑みを浮かべるレグルスの様子を前に、答えを聞く事は不可能であると悟ったのか。
これ以上、彼の機嫌を損ねる前に、部屋を後にすべく歩を進める。
そんな中、微かに声が聞こえた。
小さかったものの、それは確かな意思を感じられる声であった。
「……僕は、認めん。認めるものか」









