二十四話 エルダス・ミヘイラという男
「そのような身体であるにもかかわらず、呼び出してすまなんだ。で、唐突ではあるがお主、エルダス・ミヘイラという男を知っておるか」
顎髭を拵えた白髪頭の男は不意に、そんな言葉を発していた。
顔に刻まれた皺の数も多く、それなりの歳を重ねている事は誰の目から見ても明らか。
なれど、年老いた相貌からは未だ、侵しがたい威光がはっきりと感じられた。
名を、ガルダナ王国が国王陛下フェルクス・ガルダナ。
そんな彼は、レグルスの姿を視認するや否や、唐突に呼び出した理由とは全く無関係の問いを投げ掛けていた。
「……? エルダス、ミヘイラ……ですか」
アレク・ユグレットの事で話がある。
そう言われてやって来たというのに、身に覚えのない人物の名を口にされ、レグルスは困惑してしまう。
しかし、過去の記憶を幾ら探ろうとも、先ほど口にされた名前に心当たりはなく。
「その者がどうしたというのです」
「そやつはな、確か十数年前であったか。余が国から追放した宮廷魔法師の名でな」
そう言って、フェルクスは笑う。
自嘲のような独特の笑いに、より一層レグルスは困惑を隠せないでいた。
どうして、そんな顔を浮かべるのだろうかと。
「まぁなに、そう気にする程のものでもない。ただ、そやつが〝ど〟がつく程の大バカなだけよ」
浮かべるフェルクスの表情は、嘲る類のものでなく、昔の出来事を懐かしむような。
どこまでも穏やかで、楽しそうな笑みであった。
「大バカですか」
「うむ。国王たる余に、この宮廷の現状を変えていかなければならない。でなければ、ガルダナは近い未来に、取り返しのつかない事態に陥る。そんな世迷言としか思えぬ進言をたびたび行なっていた阿呆な貴族であった」
「それは、また……とんでもない輩がいたものですね」
物の道理すら満足に理解出来ていないであろう平民ならまだしも、貴族がそんな愚行をおかすなど、到底許されるものではない。
だからこそ、先ほど聞こえて来た「追放」という措置は至極当然であるとレグルスは思った。
それほどの不敬にもかかわらず、命を取らずに済ますとは、なんて慈悲深い対応なのだとフェルクスを称えてすらいた。
「そして、この話には何と続きがあってな。家名を取り上げられ貴族としての地位を失ったあやつは、あろう事か、〝魔法学院〟の門戸を叩きおった。そしてなんと、当時は名ばかりでしかなかった仕組みを利用し、周囲を実力で黙らせた上で今度は貴族としてでなく、宮廷魔法師として独力で宮廷に戻りおったのだ。く、ふふは、はははは!! お主も思うであろう!? 〝ど〟がつく程の大バカであると!!」
腹を揺すって哄笑する。
面白くて仕方がないと言わんばかりに、その笑い声は数秒に渡って響いていた。
「……そして1年もの間、ガルダナが平民と貴族との平等を謳っている事を盾にして宮廷魔法師として宮廷に居座った大バカ。それがエルダス・ミヘイラという男よ」
そして、結果的に二度も宮廷から追い出された前代未聞としか言い表しようのない男であり、結局、その訴えが受け入れられる事はついぞなかった。
……ただ。
「だが、最近になってどうしてか、ずいぶん昔のあやつの言葉をよく思い出すようになった」
打って変わって神妙な面持ちで、フェルクスは語る。
「なあ、レグルス。どうして、余がお主にダンジョン攻略などという行為をさせていると思う?」
試すような問い掛けであった。
事前に聞いていたアレク・ユグレットとは全く関係ない話題が続き、未だ戸惑うレグルスであったが、父である国王陛下に逆らうわけにもいかず、投げ掛けられた問いに応じようとする。
しかし、返事をするより先にフェルクスが言葉を続けた。
「————その理由はな、現状を変えようと思ったから。ただ、それだけよ」
「は、い?」
「だからこそ余は、ずっと昔に向けられていた世迷言に、耳を一度だけ貸す事にしたのだ」
————あなた方は、あまりに物事の視野が狭過ぎる。
それは、間違っても王に向けるべきでない発言。
なれど、その言葉は十数年という時を経て尚、忘れられなかった。それどころか、歳を重ねるにつれ、当時のエルダスのその言葉に同調する己さえも生まれてしまっていた。
だから、己の息子であるレグルスを、フェルクスはダンジョンに送り出した。
世界に2人だけの〝反転魔法〟の使い手。
ある界隈では、かつて神童とも謳われていた元公爵令息〝エルダス・ミヘイラ〟の再来と呼ばれていたアレク・ユグレットと共にダンジョンを攻略させる事で、かつてエルダスより、己に向けられた言葉が真に正しかったのか。
どうであったのか。
それを、知る為にフェルクスは送り出していたのだ。ここ数年、己を苛み、今も尚、心に巣食う疑念を晴らす為に。
「……なるほど。流石は国王陛下です。その慈悲の深さに感服いたしました」
下々の意見を不要と切り捨てるのではなく、拾い上げ、耳を傾ける。
ああ、何という慈悲の深さであろうか。
ただ、しかし、とレグルスは思う。
「ですが」
ニィ、と口元を歪ませる。
その言葉に、どれ程の価値があるのかを知らないレグルスだからこそ、嗤って切り捨てる。
「現状を変える必要がどこにありましょうか」
「というと?」
「そもそも、陛下は何を変えるおつもりなのでしょう」
現状を変える。
とはいえ、その言葉だけではあまりに範囲が広過ぎる。故にレグルスは問うた。
「手始めに、宮廷を」
「……宮廷を、ですか」
その一言に、レグルスの表情が曇りを見せる。
何より一切の躊躇いなく、そう言い放ってしまえるフェルクスの考えがレグルスには理解が出来なかった。
絶句するレグルスをよそに、フェルクスは言葉を続ける。
「昔の余にも言えた事ではあるのだがな、お主はもう少し、次の国王として無能か有能か。それを見極める目を鍛えるべきであろうな」
思考が煩雑に混ざり合い、思うように言葉が口を衝いて出てこないレグルスであったが、それでもフェルクスのその言葉が己に対して好意的なものでない事は判然としていた。
「余も、現状が悪いとは言わん。ガルダナも確かな成長を続けておる。しかし、他国と比べた時、その成長の速度は明らかに劣っておる」
そしてその理由も明らか。
————あなた方の血の歴史にケチをつける気は毛頭ありません。ですが、他にも目を向けて行くべきではありませんでしょうか。特に、あなた方のいう平民にも。私は断言致しましょう。彼らの積極的な協力なくして、これから先の繁栄はあり得ない————。
ですからどうか、ガルダナの為に、私の進言をお聞き入れ下さい。
そんな懇願を愚直に続けていた1人の宮廷魔法師の言葉が、フェルクスの思考に幾度となく割り込んでくる。
まるでそれが、揺るぎない正解であると指摘するように。
「だから余は、現状を変えるべきであると思うた。だから、これからは名ばかりではなく、才ある平民を、ガルダナの更なる繁栄の為に登用するつもりである」
勿論、周囲からの反対は避けられんだろうがなと微かにフェルクスは苦笑いを浮かべた。
「……し、正気ですか、陛下」
信じられないと言わんばかりにレグルスは目を見張る。
「あのような下賤な者どもの手を借りにいったとあれば、末代までの恥ですッ!! 貴族には貴族の、平民には平民の役割があるとお教え下さったのは他でもない父上ではありませんか……ッ!! そもそもっ、僕がこのような身体になったのも、狡っからい平民の悪意によるものです!! にもかかわらず、そのようなロクでもない者どもを内に入れては……、陛下。どうか、どうかお考え直し下さい……」
激情に駆られながら、まくし立てる。
それは必死の懇願であった。
しかし。
「お主にそう教えたのは他でもない余である。そして、一度に限りあの大バカの言葉に耳を貸すと決めたのも、また、余なのだ」
だから、レグルスのその発言を声を上げて否定するつもりも、権利も己にはないと言う。
ただ、この発言も覆す事は出来ないとフェルクスは口にしていた。
「あのアレク・ユグレットを宮廷魔法師として受け入れた時、余がお主とパーティーを組ませてダンジョンの攻略に向かわせたあの瞬間から、それは決めておった。そして、決して死なせるなという命を見事にこなしてみせていたアレクの姿を目にし、あの大バカの言葉が正しかったのだと、分からされた」
————あなた方が考えている程、平民はつまらない者達ではない……ッ。それを私は、この身でもって知った! 何より、救って貰った!! だからッ……!!
フェルクスの脳裏に過ぎるその言葉は、宮廷魔法師としてのエルダスの最後の言葉であった。
遠巻きに見つめる貴族達から笑われながらも、必死の形相で彼はそんな事を訴え続けていた。
「……余の自己満足の為に利用するような真似をしてすまなんだ。故に余の頭で良ければ幾らでも下げよう。罵りたいというのであれば、それもまた、受け入れよう。……ただ、これからのガルダナの為にも、これは必要不可欠であったのだ」
だから、分かってくれと。
「それと、アレクを恨むか恨まないかはこれを見てから決めてやって欲しい」
その為にレグルスを呼んだのだと。
そう言葉を続ける彼にフェルクスが差し出したのは、紙の山であった。
「これまでアレクから余に届けられていた紙と、それとアレクに与えていた部屋に残っていた紙。その全てよ」
紙。
その物言いに、怪訝に眉根を寄せるレグルスであったが、覗き込むように差し出されたソレを確認すると、それがただの紙でない事に気がつく。
びっしりと文字で埋め尽くされたそれは、30層を攻略する為のメモ用紙だった。
しかし、レグルスはアレクからそのような事は一切聞かされていない上、相談すらまともにされた覚えがない。
……それはただ、レグルスが一方的に聞くに値しないと切り捨てていた故であるのだが、彼がそれに気づく様子はなかった。
そして数十秒ほど無言で眺めたのち、
「……結構です」
そう、一言。
程なくレグルスはフェルクスに背を向けた。
ぐるぐるとレグルスの頭の中で複雑に巡る思考。「どうなっている」「どういう事だ」という言葉がひっきりなしに去来する。
やがて、あのメモの一部を見ただけでたどり着く一つの結論。
レグルスにとって死んでも認めたくない内容であったが、アレク・ユグレットは恐らく単なる「役立たず」ではなかったという事実。
そして、それらを打ち明ける程の価値が己にはなかった。よもや、腹の中で見下されていたのではないのか。そういった自己解釈が次々と生まれ、怒りを加速させてゆく。
「…………っ」
奥歯を強烈に食い縛りつつ、外へ続く道へと無言でただひたすら足を進める。
その間にも際限なく膨れ上がる怒りの感情。
何より、己と同じ考えと思っていた父が斯様な腹積もりであったという事実が許せなかった。
己は選ばれた人間。
歴史ある高貴な血が流れるこの身体。
にもかかわらず、一方的に相手がこうべを垂れるならまだしも、下賤な平民と手を取り合う?
「……ふざけるな」
アレク・ユグレットに非がない?
あいつは何も悪くなかった?
「……ふざけるな」
一言、一言発するたび、ガラガラと音を立てて猛烈な勢いでナニカが崩れていく。
次々と割り込んでくる感情がレグルスの中のナニカを壊していく。
そして地を這うような物々しい憤怒に塗れた声音が一度、二度と続く。
やがて混濁とした瞳を浮かべながら部屋を後にしたレグルスは十数歩と歩き、立ち止まった。
彼の目の前には設えられていた花瓶が一つ。
レグルスはそれを無言で掴み取り、そしてそれを溜まりに溜まった怒りを晴らさんとばかりに地面目掛けて乱暴に投げつけた。
「ふざ、けるなあああぁぁァアアアア!!!!」









