二十話 もう一体のフロアボス
パチ、パチ、パチ。
先程までとは一転して静まり返りつつあるこの場に、何処からともなく手を打つ音が響き渡る。
「流石はガルダナ王国王都ダンジョン最高踏破68層パーティー。打ち立てた『伝説』は伊達じゃないなあ」
視線を向けると、そこにはロキの姿があった。
「ともあれ、ほんっとに助かった。このお礼はいつかうちのパーティーリーダーがキミ達に返すと僕が約束しよう。うん」
「……相変わらず、何もかも人任せなんだね」
知ってたけども。と、ヨルハがロキの発言に対してわざとらしく呆れてみせる。
次いで、責めるような視線を向けるが、当の本人はどこ吹く風。
それを気にする様子は一切ない。
気にしたら負けだよと言って、へらりと笑うだけである。
「————で、助けて貰った上で悪いんだけど、幾つかポーション分けてくれないかなあ。僕が持ってた分は全部リーダーにあげちゃって」
「あげた、だぁ?」
ほら、僕はこのとおり傷だらけだし。
そう言ってこれ見よがしに痛々しい傷を見せ付けてくるロキの物言いにオーネストが反応。
回復魔法の使用が禁じられているダンジョンにおいて、唯一の命綱ともいえるポーションを全て預けるなんて行為は、どう考えても暴挙であるとしか言い表しようがない。
特に、ここは64層。
そこいらの浅層とは訳が違う。
「そうそう。だって僕、クリスタと同じで逃して貰った側の人間だし。だからポーションはあるだけ渡して来たんだよねえ」
「……それどういう事? あれ、フロアボスじゃないの?」
クラシアも会話に混ざる。
今も尚、風化を続けるあの屍骸を見る限り、間違いなく先程まで猛威を振るっていた化け物はフロアボスである。その証明は今も成されている。
そこに嘘偽りが入り込む余地はない。
「うんにゃ、それは合ってる。あれは間違いなくフロアボス。でも、あれは楽チンな方のフロアボスってだけでねえ」
若干、苛つきを覚える独特な口調で話される言葉を己なりに整理。
そして、導き出される答え。
「……フロアボスは一体だけじゃないって事か」
「そういう事。んで、リーダーがちょいと4人じゃキツイって言うからクリスタを上に向かわせたって訳。で、僕は知能指数低そうな化け物を厄介な方のフロアボスから引き離す役をこなしてた。なにせ、魔物からの〝ヘイト〟を取る事に関していえば僕が一番上手いからね」
軽く説明を受け、ロキがポーションを所持していない理由に納得出来たのか。
……なら仕方ねえな。と言ってオーネストは懐からポーションの収められた入れ物を取り出し————そしてその中身を傷だらけのロキの身体に向かって頭からぱしゃり、と乱暴にぶちまけた。
渡すのではなく、中身をそのままぶちまける。
その行動に、彼らの関係性がこれ以上なく鮮明に滲み出ていた。
「…………」
一瞬の硬直。
だが、程なく何をされたのか理解が及んだのか、わなわなと震え始めるロキの身体。
対してオーネストはといえば、手間が省けて良かったろ。と言わんばかりに口の端をゆるく持ち上げている。
ポーションの性質上、癒す為には結局傷口にかける必要性があるのだが、ただそれでも頭からぶちまける必要はどこにもない。
一応、その行為はオーネストなりの優しさのあらわれであったのだろうが、残念な事に俺の目から見ても明らかに喧嘩を売りにいっているようにしか見えなかった。
こんな状態で協力出来るのかよ。などと思いながら呆れる俺の側に寄ってくる人影がひとつ。
「……あの2人、昔に色々とあってね。仲の悪さでいえば多分クラシアの比じゃないと思う」
険悪っぷりを目の前で見せ付けてくれる2人をよそに、ヨルハがこそっと俺の耳元で言葉を囁く。
「それと、理由は多分聞かないでおいた方がいいと思うよ。ものすっっっっごく、下らないから」
自尊心の塊のオーネスト。
見る限り悪戯好きのような性格のロキ。
……恐らく2人の相性は最悪を極めている事だろう。想像するまでもなく、目の前の光景がそれをありありと物語っていた。
とはいえ、オーネストとロキの2人を絡ませていては全く話が進まないので無言で睨み合う2人のうち、その片割れのロキに向けて俺が声を上げる。
「なあ、1ついいか」
「……うん?」
見る見るうちに塞がってゆくロキの身体に刻まれていた斬り傷。
そしてオーネストの事は視界にすら映したくないのか、背を向ける彼の行動を眺めながら。
「上層に続く退路を知ってるのに、なんであんたら上層に逃げないんだ」
「ああ、それか。うん、至極真っ当な疑問だよねえそれは。……なんだけども、困った事にね、64層のフロアボスからは逃げられないんだよ」
「……やっぱり、逃げられないフロアボスか」
「そっそ。少なくとも誰か1人が〝ヘイト〟を取り続けておかないと逃げられない。だから僕らはクリスタを地上に送った」
パーティーメンバーの1人だけが地上に帰ってきた時点で考え得る可能性は二つ。
1つ目は重傷を負ったメンバーがいる為、助けを求めた場合。
その場合の多くは、ダンジョンの中で身を潜めて助けを待つなりする必要がある。
2つ目に、単純に逃げられない場合。
これは深層に多いパターンで、誰か1人がフロアボスの〝ヘイト〟を取り続けていなければ、どうにかして敵を撒いたところでまるで待ち受けていたかのように上層に続く道を遮るように現れやがるパターン。
言わずもがな、厄介なのは間違いなく後者である。
「でも、意外だったなあ。てっきり僕はレヴィエルが来ると思ってたのに」
「ギルドマスターも来てるよ」
「あっれ、そうなの?」
見た感じ、何処にも居ないけど?
と、キョロキョロとロキは辺りを見渡す。
「今回64層には、ボクらと合わせて2パーティー向かってる。だから、もう1つのパーティーにギルドマスターやクリスタさんがいるよ」
オーネストやクラシアと比べれば圧倒的にロキとの関係が良好であるヨルハが淡々と答えていく。
クリスタが持っていた〝核石〟は1つ。普通に考えれば64層にくるパーティーは1つであると考える事だろう。
「……成る程ねえ。って事は、レヴィエルあたりが〝核石〟を持ってたってところか」
「うん。そういう事」
「元とはいえ、流石にSランクパーティーのメンバー。良いもん持ってるねえ」
〝核石〟の受け渡しは可能であるものの、原則、ギルドがその行為を禁止している。
理由は言わずもがな、それを容認してしまえば身の丈以上のダンジョンに挑む事が可能になってしまい、死者がいたずらに増えてしまうから。
その為、もし、64層という深層の〝核石〟を持っているとすればSランクパーティーに所属していた過去を持つレヴィエルくらい。
瞬時にロキはその結論にたどり着いていた。
そして、
「んじゃ、ま。時間もあり余ってるって訳でもないし、とっとと作戦会議といこっかね」
どしん、と音を立てて勢いよくロキがその場に座り込む。やがて、ほらほらと俺達も座るようにと促してくる。
「……悠長にそんな事する暇があンのかよ」
そんな彼の態度に、オーネストが呆れまじりに一言。パーティーメンバーを見捨てる気か。
まるでそう言っているようでもあって。
しかし、
「うんにゃ? だから、時間が無いって言ってるんだよ、人の話はちゃんと聞こうねえ? オーネストくぅん?」
「……相っ変わらず、いちいち癪に障る野郎だな、オイ」
「……2人とも。いい加減にしなよ、いちいち話を止めないで。それだと一向に話が進まない」
「……へいへい。なら勝手にやってろ」
ヨルハが間に入った事で不承不承ながらオーネストは口を閉じる。
そして程なく、「近くにいたら腹が立って仕方がねえ」なんて言葉を残してその場から離れて行く。所作やら言葉1つに突っ掛かるあたり、2人の溝は相当に深いらしい。
「よーし、よしよし。邪魔者が消えてくれた事だし、これで漸く話が進む」
せいせいとした口調だった。
心なし、ロキの声も先程より弾んでいる。
「クリスタのヤツがもう話してるかもしれないけど一応、改めて。64層のフロアボスは〝死霊系〟。それも、全身漆黒のフルプレート騎士。それなりに対峙した身から言わせて貰うと、もしかすると中身は空かも」
「……骨兵士じゃなくて、そのフルプレートが本体って事か」
「そうそう。だから多分、物理系の攻撃は時間稼ぎを除いて一切意味を成さないと考えておいた方が良いかもしれないんだよねえ」
————そこで、キミの出番だ!
と、何故か勢いよくロキから指を差される。
「さっきの攻防を見る限り、キミは典型的な攻撃特化の魔法師タイプ。なら今回は、キミが〝キーマン〟になっちゃうんだよねえ」
見るからに意地悪そうな笑みをロキが浮かべる。傍からだと何処からどう見ても悪人にしか見えない清々しいまでの笑みであった。
「というわけで、64層のフロアボスにトドメを刺すのは何があろうとキミの役目って事だけは覚えといて。それだけ覚えておいてくれれば、きっと後は何とかなる」
薄い唇が、淡々と言葉を紡いでゆく。
「騙し欺き偽り謀り、外道非道はお手の物。というわけで、盛大に味方から騙していこっか。さぁて、ここからは僕のターンだ。真正面から小汚く、不意を打っていこうかねえ—————」