十八話 〝雷鳴轟く〟 vsフロアボス(?)
勢いよく打ち上がった火柱によって、舞い上がっていた砂煙が急速に晴れてゆく。
やがて、いつの間にやら化け物からそれなりに距離を置いた場所にてロキの姿を数秒経て発見。
明瞭になった視界の中、どうしてか、ロキの腕に視線が吸い寄せられた。
「怪我してるな、あいつ」
威勢よく叫び散らしてはいるが、ロキの右の腕は力なくだらんと垂れ下がっていた。
よくよく見ると全身、至るところに傷が見受けられる。それも、その全てが刃物によって生まれた斬り傷のようなもの。
だからそれが、間違っても目の前で暴れ、猛威を振るっている化け物の仕業であるとは思えなかった。
何より、目の前にいるのはロキ一人。
本来いる筈の残りの二人が何処にも見当たらない。では一体、残りのパーティーメンバーは果たして何処にいるのだろうか。
疑問が疑問を呼び、考えれば考えるだけ疑問が生まれ、頭がこんがらがる。
「……取り敢えず、死なせるわけにはいかないか」
如何にクソ野郎と呼ばれていようとも。
明らかにオーネストと険悪な仲であろうとも、現状、ロキが持っているであろう情報は何よりも優先して得るべきものである事は明らか。
だったら、俺が取るべき行動は最早決まったようなもの。
頭の中で結論を出し、そして俺は声をあげる。
同時、駆ける速度を更に上げた。
「そいつ、助けるぞオーネスト!!!」
「……もうちょい粘っても悪くねえとオレさまは思うんだが……まぁ、仕方ねえか」
————てめっ、さっきから、まじでいい加減にしろよ!? こっちは先輩だぞ!? 先輩!! 粘るとかふざけんな! 僕を本気で殺しにきてんじゃん!!
などと怒声が上がるも、それを気にする様子もなく「うるっせえ」と言葉を残してオーネストは鼻白む。
どれだけ嫌味やら言葉を重ねようと、当のオーネストに聞く気というものが一切ない。
だからどれだけ声をあげようとも、それは無意味でしかなく、少しだけロキに同情心を抱いた。
「敵の〝ヘイト〟は任せた」
「おう、任された」
直後、レヴィエルの時とは異なり、オーネストの右手首につけられた銀のブレスレットが発光。
邪魔であるからと納められていた〝古代遺物〟——〝貫き穿つ黒槍〟を発現。
それを手に取り、ぶぉん、とオーネストは一度振り下ろす。
「————つーわけだ。怪我人は大人しく退いてろ」
無拍子かつ、殆ど無音に近い移動。
その場に残像だけを残して跳ねたと認識した直後には既にロキと、再び彼に狙いを定めていた化け物の間にオーネストは移動を遂げていた。
「……それを知った上であの態度って性格悪過ぎないかなぁっ!?」
「性格が悪いなんざ、てめえにだけは言われたくねえ!!」
視線すら合わせず、言い合いを一度、二度。
「オーダーは!!」
「足止め! 可能なら後ろに押し返せ!! その後は俺が何とかするっ!!!」
「く、はっ、その程度なら造作もねえ!!!」
やや腰を落とし、黒槍をオーネストが構える。
沁みるように場に溶け込んだ威圧感を一顧だにする事なく、破顔。
楽しくて仕方がないといった様子で、その声は弾んでいた。
泰然としたその立ち姿に、隙なんてものは見つかる筈もなく、俺の瞳にはオーネストの背中が実際よりもずっと大きく見えていた。
6年もの間、背中を預けていた懐かしい背中を前に、顔が綻んでしまう。
「補助寄越せヨルハぁぁぁぁああ!!!」
「言われず、とも————ッ!!」
轟く、咆哮。
転瞬、オーネストと俺とクラシアの足下、そして頭上ピンポイントに魔法陣が浮かび上がる。
平行に、一重、二重、三重、四重、と際限なく膨れ上がる魔法陣の数。
そして、最終的に七重にまで膨れ上がる補助魔法。その、重ね掛け。
魔法というものは誰もが全ての魔法を使えるわけでなく、魔法には使える魔法の適性というものが存在し、〝努力〟を幾ら重ねようともその適性だけは覆らない。
それが誰しもが知る魔法の揺るぎない真理であった。
その中で、補助魔法のみに限れば全適性を持つという正真正銘の規格外。
己が『天才』であると信じて疑わないあのオーネストですら認めざるを得なかった補助魔法師。
それが、ヨルハ・アイゼンツという『天才』。
発現させるは、七色に輝く七重の魔法陣。
効果は、五感含む身体能力。その全ての向上。
「……いやあ、相変わらず壮観だねえ。その補助魔法の才能だけはこの僕もドン引きせざるを得ないなあ」
ヨルハの魔法を前に、ロキの口から感嘆の言葉が漏れ出るも、ヨルハは勿論オーネストの耳にすら入らない。
ただ、ただ、耳から耳へ素通りするだけ。
全神経を既に集中させてしまっているせいで必要のない雑音は全て届かない。
「———————!!!!」
言葉にならない化け物の咆哮。
大地を揺らす足音。肉薄。地面を抉りながら迫る右前脚。その鉤爪。
逆巻く波濤が如き怒涛の殺意の奔流を前に、
「……はンっ」
オーネストは気が抜けたように笑う。嘲笑う。
やがて、口の端を軽くつり上げて、一言。
「こうして目の前に立ちはだかってやったってのに、オレさまはまだ眼中にないかよ。おいオイ、そりゃ、流石にナメ過ぎってもンだろうが」
化け物の視線は未だオーネストに向けられず。
攻撃の向かう先はロキ。
殺意も、咆哮も、攻撃も。
全てロキが一身に受けている状況。
その現状は、自尊心の塊とも言えるオーネストにとっては決して心地の良いものではないだろう。しかし、怒ろうとはしていなかった。
その理由はきっとオーネストが一番理解しているから。度外視されている理由が、目の前の化け物にとって己が取るに足らない存在であると認識されている事に気が付いているから。
そして、基本的にオーネスト自身も考え方はそちら側の人間であるからこそ、言葉で何を言おうと取り合って貰えない事は承知の上。だからこそ、怒っても無駄と悟っている。
同時、その驕りによって生まれる恥辱がある事も、勿論、承知の上。故に、
「言っとくが、見誤った代償は高く付くぜ?」
その恥辱を屈辱として鮮烈な思い出として叩き付けてやる為に、オーネストはそう口にしたのだと思った。
あいつは、そういうヤツだから。
薄く笑うその顔は、物凄く様になっていた。
「は、ぁ————」
そんなオーネストの様子を視界に捉えながら、俺は息を吐いて自分自身の状態を確認。
頭の中を整理する。そして一度、ゼロへ。
クリアになった思考の中、己がすべき事だけに意識を向ける。聴覚は正常。けれど、何も頭に入らない。
こういった感覚は、4年ぶりだった。
俺が知るオーネストならば。
……否、オーネストならば、間違いなくオーダーをこなしてくれる。あいつが造作もないといった。ならば俺もそれに応えるだけ。
故に————これは理屈じゃない。
理屈なんてものではなく、証明する手段を持ち得ない信頼って曖昧なものに身を任せ、助け合って、打倒する。
それが、パーティー。
パーティーとは、そういうものだ。
責任を誰か一人に押し付けたり。自分本位に行動する事は基本的には許されない。
パーティーメンバーの事を誰もが考え、理解して、その上で行動しなければいけない。
文字通り、俺達は背中を任せ、命を預け合っているのだから。
故に、たとえ表面上はいがみ合っていようと、それが守らなければならない鉄則。
だからこそ、
「〝多重展開〟」
ひとまず、防御を捨てた。
いざという時に逃げる、という選択肢をまず投げ捨てる。それをしようと思える冷静さと、余裕すら放り出して、来るべき一度の好機の為に全てを注ぎ込む。
オーネストが止められなかった場合、化け物の攻撃はロキに向かう。そしてそうなれば、その延長線上にいる俺もただでは済まないだろう。
でも、それがどうした。
キン、キン、キン、と音を立てながら緩やかな速度で虚空に描かれる魔法陣。
左の手のひらを宙に向け、準備を整えてゆく。
その形の大きさは全てがバラバラ。
しかし、止まる事を知らないと言わんばかりに円い輪を描く特大の法陣が、オーネストの眼前に次々と速度を増して描かれてゆく。
質より量。
的が大きい相手には物量こそが全てである。
「……あれ。あれあれえ。見慣れない子が一人いたから急拵えのパーティーかと思ってたんだけど……もしかしてこれ、〝終わりなき日々を〟全員集合?」
まだ、増やせる。
まだ、まだ、増やせる筈。だから、
————描け、描け、描け、描け。
際限なく、どこまでも魔法陣を展開しろ。
不意をつけるならこの一度が最大の好機。
だから、もっと、もっと、もっと、もっと————。
「現時点で20は展開してるよねえ。しかも、まだ増えてる。この調子なら、致命傷は与えられるかな。いやぁ、僕ってばやっぱり今日もツイてるう。フロアボスの弱い方の片割れとはいえ、これならいけるっしょ」
やがて、描く魔法陣を遮るように、視界に映るオーネストの姿。
突き出された鉤爪に対抗するは、威勢よく繰り出された〝古代遺物〟。
程なく両者が衝突すると同時、空気が振動する。遅れて響き渡るは、鼓膜を容赦なく殴り付けてくる轟音。
「く、は、くはは、くはははははははは!!!! さっ、すがに重えわなぁッ!?」
常の理法に従うならばオーネストが数百倍という体格差の相手に対して力で競り勝つ事はまず、不可能。
誰もがそれは口を揃えて言った事だろう。
俺だって否定はしない。
しかし、それはオーネストだけの力ならばの話。今のオーネストには補助魔法において右に出る者がいないと謳われた『天才』魔法師の力さえも加わっている状況。
どれだけの体格差があれ、であるならば、オーネストは押し留められると判断した。
やがて、
「だ、が、よぉ!? オレあ、言ったよなぁ!? 舐め過ぎ、だろうがってよおお————ッ!!!」
ぴしり、と地面がひび割れ、同時、窪む。
だがそれでも、押し込まれてはいなかった。
むしろ、圧倒的な質量を前にしているにもかかわらず、一瞬の膠着状態から一転してじわじわと押し返していた。
そし、て。
「ッ、ああぁぁぁあああぁぁぁ!!!」
己を鼓舞するように叫び散らされる声と共に、身の丈を遥かに超えるほど大きな化け物の身体が、僅かに宙に浮く。
————造作もねえ。
その発言に、嘘偽りは何処にも存在していなかった。
「……このオレさまに対して、舐めてかかったのがてめえの敗因だ。分かったら、死んで詫びろや」
驚愕の表情を浮かべながらたたらを踏むように押し返される化け物の身体。
しかも押し返されたその先には、トドメを刺す準備が施されている。
数にして、約30の魔法陣。
これが今の俺の限界。準備は、既に整った。
あと残されたのはたった一つの工程だけ。
魔法発動の言葉を最後、口にするだけ。
さぁ、食らっとけ。四方八方からの怒涛の雷撃を。ここで死んどけ化け物————。
「そら、やっ、ちまえッ、アレク!!!」
「————〝雷鳴轟く〟————!!」









