十七話 ロキ・シルベリアという〝クソ野郎〟
「————〝加速術式〟————」
程なく、視線と手のひらを大地に向け、ヨルハの口から静謐に紡がれる補助魔法。
それは〝ギルド地下闘技場〟でレヴィエルが俺に対して展開してみせた魔法のひとつ。
続け様に浮かび上がるは、銀色の魔法陣。
ただ、その規模はレヴィエルの時とは比較する事が烏滸がましい程に、規格外。
一際大きく展開されるソレは、バラバラに点在していた俺達全員を覆うように広く展開され、次いで下から上に平行移動。
「取り敢えず、様子を見に行こう。ロキかどうかはさておき、これは見に行くべきだろうから」
音というこれ以上ない手掛かりが消える前に。
そう言いながら二重、三重と〝加速術式〟の補助魔法を重ね掛けしていくヨルハの意見に、否定の声はやって来ない。
つまり、肯定。
「ただ、セカンドフロアボスの部屋の位置だけは頭に入れておいて。逃げ込む必要性が絶対にないとは言い切れないから」
————特に、オーネスト。
と、あえての名指し。
「あいよ」
「……本当に分かってるのかなあ……」
あまりに軽い返事に、ヨルハは頭を抱えて嘆息。肩に乗せていた〝古代遺物〟を仕舞いながら空返事する様子を見る限り、多分聞いていない。
そのやり取りから、俺がいなかった4年間のヨルハの苦労が偲ばれた。
「あのクソ野郎が簡単にくたばるとは思えねえし、何なら傍観してもいいところなンだが、フロアボスらしき敵とやり合ってるなら話はちげえ。取り敢えず、相手の面拝みにいくぞ」
転がり込んできたこの好機を逃す訳にはいかねえ。
精悍な相貌に楽しげな色を乗せ、その言葉を最後に獣と見間違う程の敏捷性でオーネストの姿が視界から掻き消える。
宙に浮く蹴り上げられた土塊と、一瞬にして遠ざかった足音から彼が轟音響く場所へと向かって行ったのだと否応なしに理解させられた。
「アレクはバカを追わなくていいの?」
「……オーネストが行ったんなら別に俺まで行く必要はないだろ。何より、追い付けないし」
クラシアの問いに、俺は首を横に振る。
ヨルハから補助魔法を平等に掛けて貰っているこの状況下では、逆立ちしても俺はオーネストには追い付けない。
近接系のアタッカーらしく、パーティーの中ではオーネストの身体能力は飛び抜けて高い。
追い掛けたところで見失うのは最早必然。
であるならば、散り散りになるよりヨルハやクラシアと行動を共にするべきである。
「それに、オーネストは自己中で、自尊心の塊で、無遠慮なやつだけど、でもアイツは馬鹿じゃない。だから、ま、何とかなるだろ」
分が悪いと判断すれば態勢を立て直そうとするし、何より〝勝つ〟という行為に対する執着心が誰よりも強い人間である。
だから、一人で行かせてもひとまず問題はないと判断する事にした。
程なく、オーネスト程ではないにせよ、補助魔法によって底上げされた身体能力でもって、俺達も後を追わんと駆け出す。
「それより、オーネストの言ってたロキ・シルベリアって?」
恐らく、このままいけば共闘という流れになる筈。だから、先程耳にしたSランクパーティーの冒険者の事についてクラシアに訊ねる。
「こすっからい補助魔法師よ。良く言えば、計算高い魔法師ってとこかしら。……ただ」
「ただ?」
殊更に区切られたその言葉に眉を顰める。
思うところがあるのか、少しだけ言葉に間が空いた。
口にする事が憚られる事であるのか。
何処か悩ましげな表情を浮かべ、己の考えを繰り返し確認するように瞬きを数回。
やがて、
「……ただ、実力は相当高いわ。だから、もし本当にこれがロキの仕業なら相当骨が折れるんじゃないかしら」
パーティーメンバーの一人が助けを求めてギルドに駆け込んできた。
つまり、現状3人パーティー。
とすれば、この破壊音は相手を倒す為のものではなく時間稼ぎをする為のものであると考えるべきだろう。
「……ま、此処はフィーゼルの64層だしな」
世界各地に点在するダンジョンの中でも特に難易度が高い事で知られるフィーゼルダンジョン。
その内の一つの、それも64という深層。
一筋縄でいかない事はある意味当然でもある。
「でも、性格がクソ野郎って大丈夫なのか」
そんな奴と協力が出来るのかと。
至極当然な疑問を吐き出す。
「……それについては多分、大丈夫よ。揶揄うと面白そうな人間を見るたび揶揄おうとする性格と、勝つ為なら己の持てる手段、その全てを使ってでも徹底的に叩き潰そうとする性格。あと、謎過ぎるテンションを除けば普通の人間だから」
「いや、それ全然大丈夫じゃないだろ」
不安しか感じられない言葉の羅列。
普段なら何かにつけてフォローするヨルハがすっかり黙り込んでしまっているところも不安を煽るポイントとなっていた。
そして、拭い切れない不安を抱いたまま走り続ける事数分。
「……あー、やっぱりロキだ」
漸くそれなりに距離が縮まったところで、不意にヨルハが声を上げた。
だよねー。
と言わんばかりに、それは疲労感がこれ以上なく滲んだ声音であった。
「ほら、でっかい魔物に追われながらオーネストに助けを求めてる変な奴。あれがロキ」
言葉に従うように目を凝らすと、辛うじて視界に映り込む人影がひとつ。
マッシュ頭の男は全速力で駆けながら、傍観を決め込んでいたオーネストにちょうど声を上げて助けを求めているところであった。
「オーネストくうううぅん!? ちょ、そろそろ助けて!! 僕、まじ死ぬ!! こっちはもう疲れ果ててるんだよ!? てか、助けに来てくれたんじゃないの!? クリスタから頼まれたんじゃないの!? 見てるだけとか畜生かよ!! ほんっと! 後生だから! ねえ! ねえ! ねえぇぇえ!!」
「どこからどう見ても元気ありあまってンだろ」
地響きと助けを求める声に応じる事なく、いつぞやのレヴィエルのように小指で耳の穴をほじくりながら素知らぬ顔でオーネストは傍観を決め込んでいた。
ロキと呼ばれた男を追い掛けているのは全長10メートルはあろうかといった縫い目だらけの異形の化け物。
一応、四本足の獣のような原型は何とか残ってはいるが、毒々しい色の肌や、不自然過ぎる縫い痕等、生き物というより、ただの化け物である。
そして、遅れて轟くはその場にいたもの全ての身体を竦ませるほどの怨嗟の咆哮。
フロアボスらしき魔物はオーネストの存在は眼中にすら無いのか、ロキがオーネストに化け物を押し付けようとしても全くの素通り。
完全に、眼中の外であった。
やがて、
「てんめぇ、まじ覚えとけよ。これでもし僕が死んだら、てめえの枕元に化けて出てやるからな。毎晩、恨み言を囁き続けて、終いには————へぶっ!?」
オーネストに敵意を向けながら、迫り来る魔物の攻撃を避けつつ、まくし立てるように言葉を叫び散らしていたせいか。足元にあった窪みによってロキは躓き、盛大に地面に顔面ダイブ。
「……なぁ、あれまずいんじゃ」
その様子を前に、助けないとまずいのでは。
と思い、慌てて俺が助けに向かおうとするも。
「……あー、うん。気持ちは分かるけど、でも心配しなくても大丈夫。あれがロキの戦い方だから」
咄嗟に口を衝いて出た俺の言葉を耳聡く拾ったヨルハが、それは必要ないと制止する。
鋭利に尖った魔物の鉤爪がやがて地面にダイブしたロキに迫り、そして有無を言わせず衝突。
盛大な破壊音と共に、舞い上がる砂煙。
直撃したならば、まず生きていられる事は不可能だろうと思わされる攻撃であった。
……しかし、程なくロキが躓いたであろう場所から浮かび上がる巨大な赤色の魔法陣。
それは化け物を覆い尽くすほど大きく広がって行き、そしてやがて、そこから打ち上がる火柱。
次第にそれは数を増し、ひっきりなしに繰り出される怒涛の、連撃。
「……上手いな」
その光景を前に、ついそんな感想が漏れた。
躓いたと見せかけて、その実、地面に魔法陣を設置。踏み抜いた側から発動する仕掛けを組み込んだ上で、程なく化け物の周囲に一斉に展開される新たな魔法陣。
その数、5。
単純に魔法陣を設置して誘い込むのではなく、躓いたフリをしてあえて誘いにいっているところに、当人の性格がモロに滲み出ていた。
「ふ、は、ふはははは!! まーた引っ掛かりやがったよ!? こんな状況で躓くなんてドジ踏むわけないだろ!! バカが!!」
何処からともなく聞こえてくる哄笑。
先の攻撃で砂煙が舞い上がったせいでロキの姿は見えないが、それでもオーネストやクラシアがクソ野郎と呼ぶ理由の一端を垣間見たような。
そんな気がした。