百三十一話 聖拝者 リヴェット・アウバ
「……だから、テオドールがその〝スカー〟って奴に〝裏ダンジョン〟について話していた可能性が高いって言いたいのか?」
テオドールの性格からして、それはあまりに信じられない可能性。
怪訝に歪む表情を隠し切れずに問い掛けるとメレアは「まさか」と言うように笑いながら首を横に振った。
「テオドールによって〝呪術刻印〟を与えられた名持ち連中は、どいつもこいつも訳ありだ。テオドールの理念に共感してる奴などひと握りで、基本的に利害が一致しただけの連中だ。無論、そこに仲間意識はない」
ロン・ウェイゼンは勿論。
チェスターもそうであった。
組織に属しているにもかかわらず、誰もテオドールを立てる様子すらなかった。
寧ろ、用が済んだら次はお前だとでも思っていたような印象しかない。
「君も知っているだろうが、名持ち連中は何らかの事情故に、力を求めていた者らが大半を占める」
娘を生き返らせるために手を取ったロンがいたように。
友の無念を晴らす為に身を堕としたチェスターがいたように。
「〝スカー〟も、同様だ。なにせ奴は今やこの世界のダンジョンと隣り合わせの存在となったギルドの創設者。リヴェット・アウバの殺害を目論んだ人間だからな」
〝大陸十強〟にも数えられる人間の一人。
カルラと同様、数百年前から生きているとされる存在。生きる伝説。
それが、リヴェット・アウバである。
「それはまた、物騒な話じゃのう? ギルドという組織を作り上げた〝大陸十強〟を、まさか殺そうとする無謀極まりない人間がおったとは」
カラカラとアヨンは面白可笑しそうに笑う。
彼女は〝大陸十強〟であったユースティティア・ネヴィリムに殺されかけた側の人間である。それも、一方的に。
だから、普通の人間が〝大陸十強〟に挑む事がどれだけ無謀かを身を以て知っている。
ある程度の強さを持つ人間であれば、それがどれほど無鉄砲で、蒙昧であるか戦う前の時点で否応なしに理解させられるだろう。
曲がりなりにもテオドールが〝呪術刻印〟を与えるような人間だ。
それが、分からない訳がない。
とすれば、だ。
〝スカー〟は、分かった上で殺そうと試みた事になる。死ぬ可能性が極めて高いにもかかわらず敢行する理由は、尋常でない執念があったからなのだろう。
「確かに。だが、物騒ではあるが無謀ではない。魔法が通じなくとも、膂力を上回られていようと、刃が通じずとも、極論戦いようはある。それが勝ちにつながるかは知らないが、嫌がらせくらいにはなるだろう」
それはまるで、一度戦ってきたかのような生々しい感想であった。
「そしてその嫌がらせの為に命を賭けるような人間が、〝スカー〟と呼ばれている女だ」
最善は────リヴェットの殺害。
しかしそれは極めて難しい。
ならば命を賭して精一杯の嫌がらせをしよう。
そんな思考回路を持つ奴だと言われる。
選択肢がないとはいえ、今からそんな奴に会いに行かなければならないのかと思うと憂鬱な気持ちになる。
けれども、納得は出来てしまった。
「……そんな人なら、ギルドと密接な関係にあるダンジョンの秘密の一つや二つ、知っててもおかしくはないか」
俺の言葉に、メレアは、ああと頷いた。
「リヴェット・アウバに恨みがあるならば、それは間違いなくギルド絡みだろう。リヴェット個人はそもそも、数十年と表舞台に姿を見せていないからな。それが否定されているなら、答えは一つだ」
それこそ、数百年前から生きているような規格外の連中を除いてリヴェットに恨みを抱く理由などギルド絡みに限られる。
「リヴェットを殺害する為に十数年と腐心している奴だ。彼女の弱点は散々探しただろう。対策も練っただろう。そんな人間が、〝裏ダンジョン〟について全く知らないとは私は思えない」
理屈は通っている。
真っ当な根拠もある。
現状、頼れる糸はそれしかないのだ。
ならば信じてみてもいい、そう思った。
「ただ、言っておくがあいつは真面じゃない」
「あン? そンなもン、今更だろ」
何を言ってるんだお前は、と呆れるオーネストの気持ちはよく分かる。
テオドール絡みで真面な人間になど、そもそも会った事がないのだ。
わざわざ忠告を受けずとも理解していた。
「いいや違う。アイツは────いや。一度会えば嫌でも理解するか」
何かを言おうとして、しかしメレアは閉口した。言葉で伝えるより、見た方が早い。
否、実際に目の当たりにしなければ理解は難しいと思っているような態度であった。
「それで。その〝スカー〟って女は一体どこにいるんだよ」
【特区】といえど、世界には幾つもの【特区】が存在する。
それをしらみ潰しなど、幾ら時間があっても足りやしない。
「────【匣】だ」
「……【匣】?」
「今アイツは恐らく、【匣】と呼ばれている【特区】にいる」
俺やオーネストの知識の中に、その言葉に引っ掛かるものは何もない。
知名にしてはあまりに粗末で、通称か何かだろうか。
そう思った刹那、メレアが補足した。
「【匣】とは、当時のアルカナで生き残った冒険者が付けた通称だ。が、これについては通称しかない。この意味が分かるか? アレク・ユグレット」
俺がある程度の知識を持っていると見込んでの問いかけだったのだろう。
過去の【アルカナダンジョン】の記録はその大半が書庫などに保管され後世に伝えられている。だから、記録されているのが正しい在り方である。
通称しかないのはつまり、記録されなかった。若しくは、記録から消されたアルカナ。
しかし、【特区】として残っている以上、隠し通せるものではない。要するに、記録されなかったアルカナの残骸。それが【匣】だろう。
即座に返事をしない俺を見兼ねてか、メレアは言葉を変えた。
「君は、【特区】についてどこまで理解がある?」
「……アルカナの残骸。ダンジョンの残滓が残った危険区域。そのくらいしか俺も知らない」
アルカナの舞台となった地は、その多くが萎びた土地へと変貌する。
アルカナダンジョンにて生まれた魔物の瘴気がその地に染み込んだから。通説ではそう言われている。そのせいで、ダンジョンでもないのにその地から魔物が生まれる事もしばしば。
故に特別禁止区域。
【特区】として禁足地に指定されている。
「それであっている。それが正しい知識だ。が、【匣】は少し違う。あれは、とある事情から本来とは異なる手順で攻略が行われたアルカナの残骸────いや、負の遺産だ」
だから、記録に残されなかったのだと言う。
「真面な思考が出来る人間なら、〝スカー〟は勿論、【匣】になぞ、向かわせはしないだろう。間違いなく口を噤む。だから教えておく」
ここまで来て見て見ぬふりをするとは到底思えなかったのだろう。
「メイヤードから南西に進んだ場所に、シュトレアと呼ばれる小さな国がある」
「シュトレア、だと?」
「なんだ、知ってるのか」
反応したオーネストに、メレアは少しだけ驚いた。
小さいと言うだけあって、殆ど知られていない小国であったから。
「……知ってるも何も。シュトレアは、オレさまの故郷だ」
「なら話は早いな。話の流れで分かるだろうが、【匣】があるのは、」
「シュトレアだって言いてえのか? だがオレさまはそんなもン、聞いたことも見たことも────」
そこまで言ったところで、オーネストの言葉が止まる。まるで喉で息が逆巻いたみたいに急に止まって、そして言いかけた言葉の続きを口にする事はなく、神妙な面持ちで目を細めた。
「ぃや、その前に聞かせろ。そもそも、負の遺産ってのはどういう事だ。どうして、その【特区】だけ徹底的に秘匿されてやがるよ?」
故郷とはいえ、知らないのは仕方がない。
意図的に隠されていたならば、今のオーネストならば兎も角、魔法の感知に覚えのない人間が何人いたところで気づける筈がない。
そう納得をした────にしてはあまりに物分かりが良すぎるように見えた。
俺の目にはまるで、それらをそんなものと一括りにして彼方に押しやってしまえるだけの何かにオーネストが気づいてしまったかのように見えた。
「負の遺産というのは、元となったアルカナが、正規の手段で攻略が出来なかった唯一の場所だからだ」
付き合いの浅いメレアは何も気付かない。
言われるがままに返答をする。
「だから当時のギルドは秘匿した。それもそうだろう。なにせ今でこそシュトレアの一部となったらしいそこは、百年以上前までは別の国名が付けられていたのだから。【匣】とは、丸ごと国一つを犠牲にして形式的に攻略された正真正銘、負の遺産だ」
メレアの言葉を聞く最中、言葉に形容し難い表情で顔を歪ませるオーネストの内心を、俺が知る事は出来なかった。
* * * *
「────〝傷〟って言うと、あの〝傷〟か」
「……もしかして、知ってるのか?」
「知ってるほどじゃない。でも、そいつがまともな奴じゃない事くらいは流石の僕も知ってる。そういう類の人間だよアレは」
あれから俺達はヨルハ達の下に戻り、メレアから聞き及んだ話を全て共有した。
面倒な事になるからとアヨンはふらふらと何処かに消えたが、後で合流すると言っていた。曰く、どういう訳かタソガレに会いたくないらしい。
味方とは言い難いメレアの話を信じる事を前提とした物言いに、チェスターの件で気落ちしていたロキが渋面を見せていたが、手掛かりが全くない今、仕方がないと割り切って話を進めてくれた。
「だから言わせて貰うよ。これはあくまで善意からの忠告だ。悪い事は言わない。手掛かりがそれしかない事は承知の上で────〝傷〟の奴とは関わるな」
「……それは、〝スカー〟を殆ど知らない人の言葉とは思えないな」
鬼気迫るそれは、実際に目の当たりにした者にしか発せられないもののように思えた。
一瞬、嘘つきを自称する彼だからこそ、そういうフリなのかと思った。
だが、ロキが好んで使う嘘にしては些か、余裕がないように見える。
事実、どうにもいつもの嘘ではないらしい。
「僕だって噂は基本的に信じてない。自分の目と耳で見聞きしたものしか信じない主義だ。ただ、〝スカー〟に巻き込まれた人の話を聞く限り、アレと関わるべきじゃない」
再三にわたって止めてくる。
まるでそれは懇願のようであった。
普段のおちゃらけた様子は鳴りを潜め、只管に言葉を重ねるらしくないロキの様子を前に、閉口する他なかった。
場に降りる静寂。
うるせえと普段なら反論したであろうオーネストも、メレアとの話の後から一人で複雑な表情を作って考え事を続けていた。
そんな最中、沈黙を破ったのは意外な事にその場に居合わせたクラシアの姉、ヴァネサの呟きだった。
「────〝傷〟、といえば、〝戦争屋〟ですね」
「……姉さん、知ってるの?」
「彼女は、色々と有名ですから。それに私達は錬金術師ですから。戦争するには……武器を始めとして、色々と入り用でしょう?」
そのうちの一つに錬金術師にしか用意が出来ないものがあったという事なのだろう。
ならば、錬金術師の間でも名が知られている事にも納得がいく。
戦争屋と呼ばれる程の人間が要求する量は、きっと相当のものだろうから。
「それは分かるのだけど、〝戦争屋〟ってのは一体、」
「……そのままの意味だよ」
不承不承な様子で答えたのはロキだ。
本当は答えたくなかったと言わんばかりの物言いだった。
「彼女は、戦争を起こし続けている人間だ。それも、数回どころの騒ぎじゃなく、その過程で小国程度なら幾つか滅ぼしてるらしい。根切りのように王族すら容赦なく殺しすらしてる。幾ら噂とはいえ、彼女に至っては噂の次元が違う。そして彼女を知る人間は、それが真実だと決まって言う。もしくは黙りこくる。それも、【特区】に身を寄せるような人間達が、だ」
それが真、本当の話ならばロキが徹底して関わるなと口にする理由も分かる。
少なくとも話を聞く限り、〝スカー〟は何があろうと関わるべき人間ではない。
「……誰も止めなかったのか」
そこまで好き勝手しているのだ。
然るべき場所で懸賞金を掛けられていてもおかしくはないし、誰かしらが討伐に向かっているような気もしたのだが、
「止めたさ。ギルドも、国も介入して尚、止まっていない。それが〝傷〟なんだよ」
ただ────。と言葉が続く。
「彼女は、【特区】の付近にのみ出没する。戦争を引き起こすとしても、必ずその近くにのみ。まるで探し物でもしてるかのように。だから、基本的に付近の人間以外は知る由はないだろう。そもそもアレは、名を常に変えてる上、他の国の人間もギルドも、【特区】で騒ぎを起こす分には触れないスタンスを貫いてる」
キミが〝スカー〟を知らない理由はそういうことだよ、と頭の片隅で渦巻いていた疑念を指摘され解消させられる。
「……僕の忠告を受けた上で、それでもきっとキミらは向かうんだろう。それをしなくちゃいけないなら、きっと。だけど今回ばかりは、やめておけ。レヴィエルも、ローザ・アルハティアも、間違いなくそう言うよ。【特区】に足を踏み入れる許可も、絶対に出ない」
無駄足になるだけ。
他の方法を探すべきだ。
言い聞かせるように何度も、何度もロキは同じ言葉を繰り返す。
彼の言うように、【特区】がギルドの上層による許可制である以上、そもそも正規の手段で立ち入る時点で困難を極めている。
「そもそも、〝スカー〟と会ってどうする気だよ。噂を聞く限り、交渉の余地はハナから存在しない人間だ。仮に、偶然が重なって〝スカー〟に会う事まで出来たとして。キミらは、何を対価に〝スカー〟から情報を得る気だい」
並べ立てられる言葉は正論だ。
全てが正しい。ロキの言う通りだった。
「────都合のいい対価なら、丁度そこにあンだろうが」
オーネストが会話に参加する。
瞳の先には、黒髪の人間。
〝大陸十強〟、タソガレがいた。
「リヴェット・アウバについて、知ってる事を洗いざらい吐け」
喧嘩っ早いのは昔からだった。
けれど、敵意を向けられた訳でもないのに情報を聞き出すために槍を顕現させ、穂先を突きつけるのは流石にオーネストらしくなかった。
「オーネスト!?」
悲鳴のような声をクラシアとヨルハがあげる。
同時、俺もオーネストを止めようとするもそれより先にタソガレが口を開いた。
「何故、吾輩がそれに応えなければならない?」
「学院長や、エルダスって人を助ける為に必要だったから────なンだがよ。どうにも、オレさまにも無関係な話じゃなさそうでな?」
一体それは、どういうことなのだろうか。
オーネストが先程からずっと悩みあぐねていた理由なのだろうが、話が見えてこない。
「シュトレアを、知ってるな?」
「ああ、知っているとも。それで?」
「オレさまの幼馴染は────病で死んだ。近くにいた奴も、何人も病で死んでいた。その国特有の、流行病だ。治す方法は確立されていなくて、もう百年近く定期的に流行っていると、オレさまは小せえ頃に聞いた」
俺も知っている。
オーネストとかつて学院にいた頃、喧嘩をした果てにその話を聞かされたから。
オーネストが強さを渇望する理由こそが、そこに詰まっていると言っていたから。
「オレさまも、そういうもンだと思ってた。が、メレアから聞いた話が本当なら、オレさまは致命的な勘違いをしてたンじゃねえかと思ってな」
だから、考え込んでいたのだろう。
オーネストなりにその真偽を判断する為に。
「世の中には、仕方ねえ事もある。それはオレさまも分かってる。だがな、もし、てめえらの都合で秘匿した【特区】とやらの影響のせいで、流行病染みたもンがシュトレアに蔓延した結果、オレさまの幼馴染が命を落としたっていうなら話は別だ。これが正しいのなら────オレさまはどんな理由があろうとリヴェット・アウバを許せねえ」
庇い立てるなら、てめえも同罪だ。
黙ってオーネストの言葉を聞いていたタソガレは、容赦ない殺意を向けられていた。
「……確かに、近くにあの【匣】があるなら、貴様の幼馴染はその影響で身体を壊した可能性は極めて高い。だが、あのアルカナの詳細など吾輩は知らない。何が起こって、誰があの決定を下したのか全て、興味がなかった故、知らないのだよ。加えてリヴェットについても、全く知らん。〝大陸十強〟という一括りにこそされているが、単純にアレはその時に強かった十人をそう呼称しただけだ」
尤も、仲のいい連中はいたようだが。
そう付け加えるタソガレは、穂先を向けられて尚表情を欠片も変えない。
声音の抑揚も一切変化はなく、嘘をついているかどうかの判断もつけようがなかった。
「ただ、同類だからこそ知っている秘密くらいなら、教えてもいい。それが〝スカー〟に対する交渉材料になるかは知らんが」
「同類だから……? っ、そう、か。呪いの内容か」
「ああ、それともう一つ、であるな。別にそれらを教えたところで吾輩の腹は何も傷まないのでな」
〝大陸十強〟に科せられた致命的な呪い。
〝神力〟という反則な力を扱えるようになった代償として強制的に支払う事になった対価。
「リヴェットは、本来自身が持ち得ていた魔法の才、その全てを呪いによって奪われている。そして彼女は、百年前からずっと【匣】の内部にいるのだよ。恐らくな」
「【匣】の、内部に?」
意味が分からなかった。
一体、何のために内部にいるのか。
「あの聖拝者の事だ。【匣】をどうにかしたいのであろうよ。碌に魔法が使えん今のあやつでは、土台無理な話だというのに」
「聖拝、者」
「ああ、今は聖拝者では通じないのか。ありもしない形而上の存在を崇め、祈りを捧げ、さすれば神に救われるなどという馬鹿げた理想を頑迷に信じ続けそれが正しいと信じて疑わない連中。今風に言うならば────聖女と呼ばれるような人間。それが、吾輩の知るリヴェット・アウバの正体だ」
長らくお待たせしてすみません。
ぼちぼち再開していきます。
また、2025年10月に本作のTVアニメ化が決定しております。
少し先にはなりますが、ご覧いただけますと幸いです。









