百二十八話 ルシア・ユグレット
* * * *
ほんの一瞬だけ、期待をした。
テオドールを、倒せたんじゃないのか。
そんな期待だ。
けれど、それは当然のように裏切られた。
少し考えれば分かる結果だった。
神であるアダムが、テオドールを倒すには己を殺すしかないと告げていた。
つまり、どれだけの要素が奇跡的に噛み合おうとも、俺が勝てる可能性はゼロでしかなく。
この結果だけは、どう足掻いても変えられなかった。
そこまで理解出来たからこそ、次の行動が手に取るように分かってしまって────俺は衝動的に叫び散らした。
「────逃げろ親父ッッ!!! テオドールはまだ生きてる!!!」
「は」
揺れ動いた大地。
空気すら振動し、その威力は天災そのものだった。人であるならば間違いなく消炭となっていたと断言出来るほどの威力を前に、勝ちを確信した親父に向けて叫ぶと同時、影が落ちた。
大きな、大きな爪。
漆黒に染まったその攻撃は、かつてオーネストに向けられたテオドールによるもの。
隙だらけの親父に向かって、鋭利なソレは容赦なく振り下ろされる。
それでも、身体を斬り裂かれ、血飛沫を撒き散らす事になりながらも、すんでのところで飛び退き浅くない傷を負うまでに留める親父の反射神経は流石の一言であった。
「…………冗談だろ。間違いなく、あれは食らってたぞ。なんで、こうも当たり前のように反撃が出来る……ッ。そもそも、生きてる事だって────」
信じられねえってのに。
目視でテオドールが攻撃を食らった瞬間を確認していた親父だったからこそ、その驚きは果てしないものであった。
「生きている、ではないのであろう。少なくとも、儂はアレを生きているとは言わん」
ボロ切れのようになった身体を引き摺りながら、アヨンが会話に混ざる。
立ちこめる砂煙。
目を凝らしてどうにか映り込む人影は、人とは思えない不気味なシルエットだった。
アヨンの言う通り、俺もアレを生きているとは言いたくない。
膨張。増幅。繁殖────再生。
消炭となり失われた筈の半身すら、見るも悍ましい過程を経て元通りに再生するなど、魔物のソレでしかないからだ。
「儂に言わせれば、アレはただの動く死体よ。たった一つの目的を果たす為に全てを捨てておる。人間性は勿論。人間である事も何もかもを」
テオドールにとっての恥は、復讐を遂げられない事ただ一つ。
その為ならば、どれだけの汚辱に塗れようと外法に手を染めようと、裏切ろうとも、非難されようとも、関係がないのだ。
ただでさえ手の付けられない化物が、手段を選ばない化物になってはどうしようもない。
「このままでは間違いなく全滅じゃな。倒す手段がない以上、全員死ぬ。例外なく誰も彼も」
遠くからアヨンと俺がテオドールに向けて魔法を撃ち放つ。
しかしどれだけ撃ち込んでも手応えが得られる事はなく、結果、そんな諦念の言葉がアヨンの口から出てきていた。
「…………どうにかする方法はない訳じゃない」
普段であれば、口にすらせず胸の内に秘めるに留めていたであろう────アダムを殺してテオドールを止めるという内容。
「ただ……ただ俺は、その方法が正しいとは思えないし、叶うならやりたくない」
みんなを守る為だ。
俺一人が泥を被る事で叶うならば、率先して行うべきだろう。そんな事は分かってる。
綺麗事を言っている場合じゃない事もよく。
なのに、その一歩を踏み出そうとするたび、「本当にそれで良いのだろうか」と囁く自分の声があった。
「それに、あんたとの約束も出来れば破りたくないし、メアとの約束も守りたい」
俺の言葉に、アヨンは何故か驚いていた。
アヨンとの協力関係はお互いに利害関係の上で成り立っていたものだ。
率先して叛くつもりはないが、どうしようもなくなっても尚、愚直に守り続ける必要があるかと言えば……ないだろう。
そんな結論に至る可能性が高いと、彼女自身も割り切っていたかのような反応だった。
「……儂との約束、か」
「たとえあんたが、自分自身の罪をテオドールと重ねていたとしても、一度交わした約束は何であろうと守るつもりだ。だから、誰かを犠牲にしてテオドールを殺す、なんて手段は取りたくない」
一人を切り捨てて多くを守るその行為は────アヨンが夢見た弱者を守ってくれる英雄像からは程遠いだろう。
何より、メアや死に掛けのロンを救える存在がいるとすればアダムを除いていないだろう。
まだ、死んで貰う訳にはいかない。
「ああ。馬鹿な事を言ってる自覚はある」
あまりに分の悪い賭けだ。
この言葉を尽くす時間さえあれば、アダムを殺す事も出来たかもしれないのに、その間にテオドールの傷が、完全に回復する。
砂煙が晴れる。
炯々と光る瞳は猟欲に塗れていて、殺しに僅かな躊躇いすら見受けられない。
やがて息を整え終わったテオドールは、転移と錯覚する程の移動速度で俺の目の前へ移動─────そのまま繰り出された攻撃を前に、急拵えで用意した〝魔力剣〟とテオドールの得物の刃が跳ねて、青白い光芒が生まれた。
「で、もッ、俺はどうにかして誰を犠牲にする事もなくテオドールを止める!! そう決めたんだよっ!!!」
────その手段は、決して殺す事などではなく。
記憶を、視た。
アダムから、気が遠くなるほど昔の記憶を視せて貰った。
テオドールを操っていた元凶を伝えるだけなら、そいつの情報だけ視せればいいのに、あろう事かアダムは全てを視せてきた。
テオドールに関する、その全てを。
初めは分からなかった。
でも、少し考えれば分かる事だった。
その行動の意図はきっと────止めて欲しかったのだろう。
アダムを殺して、テオドールの力を奪う。
明確な解決策を提示した上で、罪悪感が強過ぎたからなのか。
言葉にこそされなかったが、どんな形でもいいからテオドールをどうか救ってほしいと同情を誘ったのだろう。
自分の事はどうでも良いから、せめてどうか。どうか、と。
「……恩はないし、義理もない。あるのはただ、迷惑を掛けられたって事実だけだ」
アダムにしても。テオドールにしても。
俺からすれば全く関係がないどころか、恨みを抱いて然るべき対象だ。
本来、殺す事に何の躊躇いを抱かないで済む相手だ。そう────立ち回らざるを得ないように仕向けられていたから。
「だから、俺はテオドールを止めて、その清算をさせる。これまでの分、ぜんぶ、ぜんぶ含めて清算させる」
だから、止める。
アダムに提示された方法とは別のやり方で。
俺は、傷を負いながらも慌てて割って入ろうとする親父から離れながら、一瞬で腐り落ちた得物を再び生成する。
「アレ、ク、お前……っ」
「アヨン!! 親父を頼む!!」
「お主はどうするつもりじゃ」
「武器は使い物にならないし、親父の得物は俺には扱えない。でも、それが分かってるならどうにでもなる!!」
ひとまずは、俺に注意を向け続けなければならない。だから嘘ではなく本心で、言葉は無駄と判断し理性を捨てて本能で殺しにくるテオドールに向けて叫び散らす。
「この世界は間違ってるっ!!! そうだ!!! お前の言う通りだテオドール!!」
諸国を流離うただの人間として平凡な幸せを手に入れていた少年が、誰ぞの都合によって全てを奪われ挙句、人間を殺す為の操り人形として動かされ続ける事となった。
苦しむだけ苦しんで、漸く現れた救世主はその命を犠牲に目の前で死んで逝った────己を散々弄び続けた〝神〟とやらを助ける為に。
擁護する訳ではないが、それで狂うなと言う方が無理がある。
「……きみに何が分かる。きみ如きが、僕の……いや、俺の何を知っているという」
「あんたの事は殆ど知らない。だけどこの世の理不尽についてなら、俺だってそれなりに知ってるつもりだ……ッ!!!」
本当は、多くを分かっている。
救って貰った恩返しの仕方をたった一つしか知らなくて、ルシア・ユグレットの代わりに己の命を使うと決めて彼女と同じ「僕」と口にするようになったテオドールの内心も何もかも。
でも、それらは人から寄越された無機質な色抜けした情報でしかない。
そんなもので知っているとは、俺は口が裂けても言えなかった。
「……ならどうして俺の救いを否定するっ!?」
こうして立ち塞がっている行動と、共感を主張する発言は矛盾している。
賛同するならば、道を開けるのが筋だろう。
そう言わんばかりに攻撃が更に鋭さを増し、雨霰のような間断のない剣撃が、俺の皮膚を意図も容易く斬り裂く。
しかし、守勢に回る俺が倒れる事はなく、その事実が言葉以上にテオドールの行動を否定していて、堪らず彼は吼えた。
「ヅ────っ、罷り間違って誰も死なずに済むハッピーエンドがあったとしようッ!!! だがそれは一時的でしかない!! クソ神を放置すれば、次に割を食うのはお前らだ!! 断言してやる。この世界は限界を迎えている。その限界を先延ばしにする為に、犠牲者が選ばれ新たな〝呪われ人〟が生まれるだろう!! お前らという尊い犠牲のもと、世界は守られたとあのクソはしたり顔で告げるだろうよ!!!」
そして歴史は、繰り返される。
だったら、ここで滅んでしまった方が誰もの為であると。
「これでも俺は、至極真っ当な事を言ってるつもりだ!! 私怨がある、それは否定しない。俺が善人であるとも言わん。過程も間違いだらけだ。だが、この行動だけは間違っていないと言い切れる。だから──だから、そこを、どけえええええええッッ!!!!!」
腐り落ちて。腐り落ちて。腐り落ちて。
守勢に徹し続けて尚、防ぎ切れない攻撃は、俺の身体を斬り裂き続ける。
分不相応な〝神力〟という力を行使する代償か。身体の限界と崩壊を感じながらも「それでも」と、いつか訪れる好機を文字通り身を削りながら待つ。
俺がテオドールと戦うとすれば、こうする他なかった。
ただし、その目論見が上手くいったのはほんの数十秒だけだった。
密かに用意していた魔法陣が、砕け割れる。
テオドールによる剣風一つで、万が一の為にと用意しておいた全てが無に帰す。
俺がテオドールと対峙した瞬間、止める事は不可能だとこれまでの付き合いから察してくれたヨルハによる補助魔法の支援を受けて尚、テオドールの剣筋が追えなくなり、ありったけの魔力と〝神力〟を詰め込んで張った弾幕すら無視して、無傷で彼は突き進んでくる。
「…………化物が」
現実を直視したくなくて、これは悪い夢か何かだろうと思う俺の口角は無意識のうちにつり上がっていた。
「でも、まだだ」
〝古代魔法〟────〝俺の時間は加速する〟。
胸中で壊れたブリキ人形のように頭の中で繰り返し、繰り返し繰り返し繰り返し────。
脳死で重ね掛けを続けて備える。
気が付けば、皮膚が耐え切れずに破裂を始めていた。垂れる鮮血。
でも気にしてる場合じゃない。
このくらいしないと、テオドール相手にはたった数秒すら持ち堪えられないから。
「ッ、ああぁぁああああああああ!!!」
身体を支配する痛みを誤魔化すべく、どうにか己を奮い立たせながら守勢から────攻勢へ。不意を突いて前へ出る。
生成した剣を両手に、突き進んだその瞬間。
テオドールは、俺の真横にいた。
瞳に映り込んだ彼は失望を浮かべていて、その時既に、得物を俺に向かって振り下ろしていた。
でもそれは想定内だった。
俺がどれだけ無茶を重ねたところでテオドールの上を行く事はない。
それはもう、理解している。
だから止めるには俺も相応の代償を負う必要があって、こうしてあえて隙を見せる必要もあった。確か、遠い国ではこれを「肉を切らせて骨を断つ」と言うのであったか。
「────〝魔力盾〟────多重展開っっ!!! やれ!! オーネスト!!!!」
くたばったフリをして、機会を窺っていたオーネストがテオドールの背後に現れる。
その速度は普段のオーネストよりもずっと早く、理由は彼の身体に付き纏う文字列。
俺が発動し、どさくさに紛れてオーネストにも付与した〝古代魔法〟だ。
「そろそろくたばっとけよッ!! このくそ眼帯野郎が!!!!」
槍の穂先がテオドールに触れる瞬間と、テオドールの攻撃が俺に直撃したのは全くの同時であった。
「い〝っ」
補助魔法を受けた。
身体の状態だって、傷だけは全快している。
ほぼ万全に近かった。
なのに、全力で展開した〝魔力盾〟が、ものの一瞬でその殆どが砕け散る。
よってその負担は俺へと全てのしかかり、テオドールの攻撃は間も無く俺へと到達した。
剣で受けようと試みる。
けれど、テオドールの小柄な身体からは考えられない程の膂力を前に、みしり、めきりと骨が纏めて折れる音が頭の中で響き渡って、そこからは何が起こったのかも理解する事も出来ずに────直後、俺の視界は真っ白に染まった。
────ならどうして俺の救いを否定するっ!?
頭の中で繰り返され過ぎるテオドールの言葉。
その言葉は、散々場を掻き乱し、人を己の都合で利用し、殺し続けた人間とは思えない程に必死で、泣きそうな声で告げられていた。
彼がこれまで行ってきた行為は間違いだらけであったが、テオドールのその決断は決して間違いとは言えないものだった。
メイヤードにきて、多くを知った。
多くを理解して、だからテオドールの考えが強ち間違いではないと思う自分もいた。
彼の根底にあるのは、ルシア・ユグレットへの感謝と。彼女を奪った神に対する憎悪。
そして、己自身の人生を奪い取った事に対する至極当然のやり返し。
自分のような人間がもう二度と生まれないで済むように。という願いからくる行為でもあったのだろう。
だからテオドールの行為には少なからず正当性もあって。正しいものでもあった。
そこまで理解をしたからこそ────俺はルシア・ユグレットへの怒りが収まらない。
まともな人生を送ってこなかったテオドールにとって、慕わしいものはそれしかないのに、誰にも死んで欲しくないからという理由で、己自身を真っ先に捧げ、死を許容した人間。
間違ってはいないし、その清廉な思想は本来称賛されて然るべきだろう。
彼女の〝魔眼〟の能力を考えれば感性がそう歪む事も仕方がないのだろうがそれでも、嫌味の一つくらい言いたくなってしまう。
「……自分勝手な先祖だ。本当に、勘弁してほしい。……生きてるか、オーネスト」
意識の途絶は恐らく十数秒。
岩か、壁か。
何か硬いものに打ち付けられ、生き埋めのようになっていた状態から、どうにか立ち上がりながら隣の不自然な石の山に向けて言い放つ。
「生きてらぁ。まあ、二度も傷らしい傷を付けられなかった事でプライドはズタボロだが」
「生きてるなら、儲けもんだな」
立ち上がる。
濃い霧の中にいるようなこの視界は、俺の今の身体の状態をありありと示しているのだろう。身体の感覚も朧気で、それを意思でどうにかねじ伏せて立っているような状態だった。
「……こりゃ、完全にガタがきてるな」
原因は明白だ。
無茶のし過ぎ。
加えて、〝神力〟なんて身の丈に合わない力を使い続けたからだろう。
〝大陸十強〟と呼ばれる人間達は、それぞれが呪いという代償を負った結果、使えるようになっている。
しかもそれは、魔法を殆ど使えなくなるという欠点すら背負って漸く使えるようになっている代物だ。
それを、呪われてすらない人間が代償を払わずに使い続けていたのだ。
身体がそれに耐え切れず、限界が訪れるのははなから分かっていた事で、同時に目も断続的に突き刺すような痛みに襲われていた。
本当なら今すぐに医者にでも見せた方が良いのだろう。尤もそんな時間はどこにも無いが。
「オーネスト。今、どうなってる」
「……、おいアレク、お前」
「いいから。今、どうなってる」
まともに目が見えていない事を悟りながらも、オーネストは言葉を繰り返す俺に呆れながら教えてくれる。
「……ヨルハが時間を稼いでる。結界、だったか。あれでどうにか時間を稼いでる」
「分かった。なら、」
「なあ、アレク。ひとつ聞かせろ」
「ぁ?」
「ここで、死ぬ気じゃねえよな」
言葉を受けた俺はほんの一瞬だけ目を瞬かせてしまう。
俺の傷の状態と、敵の強さ故にオーネストらしくもなく「逃げた方がいいのでは」と言いたげな感情を瞳に浮かべていたからだ。
だけど、俺はすぐに笑って返す。
「んなわけあるか。まだまだやり残した事が沢山ある。死んでられないだろ」
それに────と続ける。
「クラシアの姉さんを守る事は勿論、色んなものを守る為にも、ここはどうあっても引けない。だったら、死ぬ気で止めるしか無いだろ」
アンネローゼの義務。
それに固執するヴァネサは決して逃げる事を許容しないだろう。
クラシアが彼女を見捨てられる訳もなく、守ろうとするなら命懸けでテオドールを止める他ない。選択肢は一つしかないのだ。
「────もう、一回だ。テオドール」
砕け折れていた〝魔力剣〟を再度生成。しかしこれが、先程の焼き増し以上の結果は得られない事は分かっていた。
〝魔力盾〟を貫通し、剣で受ける羽目になった時点で折られてしまったのだろう。剣を握るだけで激痛走る己の腕の状態に嫌気が差しながらも疾走する。
ヨルハが展開する〝古代魔法〟の結界が薄氷のように割れてゆく。
やがてテオドールの剣がヨルハ本人へと向けられる────直前、俺が割り込んだ事でそれは制止された。
剣撃の音が鳴り響く。
剣身が噛み合っては青火が散り、俺の得物だけが腐り壊れる。
破壊される度に、生成を繰り返す。
途中に繰り出される魔法に対しては、こちらも魔法で対応。
けれど及ばなくて、傷だけが増える。
血だけが流れる。多くの生傷が、致命傷に刻々と近づいてゆく。
最中オーネストやアヨンが割り込むも、煩わしい蠅とでも思っているのか。
攻撃を防ぐ素振りすら見せず、力任せに跳ね除けていた。
「……もう、一回だ」
何度も。
「もう一回」
何度も、蹴散らされて。
それでも身体を無理矢理奮い立たせて。
「もう一回」
何度も何度も何度も。
「…………もう一回だ」
「っ………!!」
一筋の光を見つける為に、身体を犠牲にしてゆく。一合ですら命懸けのやり取りを、幾度続けただろうか。
そう思いながら思考を捨てて対峙していた俺に、テオドールは何を思ってか手を止めて口を開いた。
「………ふざけて、いるのか」
「ぇえ?」
舌足らずな返事になってしまう。
「実力差は明らかだ。なのにどうして、この期に及んで俺を殺そうという気概がない」
殺せるか殺せないかはさておき、戦闘に身を埋め続けたテオドールだからこそ顕著に理解出来たのだろう。
戦う気はある。
そこに、感情も乗せられていて、文字通り容赦なく剣を振るって死に物ぐるいで挑んでいる。
だけど、俺の剣には「殺す気」が欠けていた。
「さ、ぁて、なんでだろうな」
嘯いた俺の発言が気に食わなかったのだろう。今まで以上の力で憂さ晴らしでもするかのように俺は吹き飛ばされた。
「……同情を誘ってるなら諦めなよ。何が起ころうと俺は止まらない」
────少なくとも殺されでもしない限り。
だから、止める手段は一つだけ。
だというのに。
「知ってる。そんな事は、知ってる」
記憶を覗き見したのだ。
そういう者という事はよく知ってる。
喉奥から血塊を吐き出しながら、ふらつく身体をどうにか起き上がらせる。
肢体の感覚も曖昧で、いよいよ限界が近いのだろう。
────ここまで頑張ったんだ。
十分だろう。もう満足していいじゃないか。
格上相手によくやった。
……そんな慰めの言葉が聞こえた気がした。
思わず身を委ねてしまいたくなる言葉。
でも、俺はそれに背を向ける。
「俺は、ただ、アダムを殺したくないって感情とは別であんたも殺したくないんだ。だってそうだろ────」
俺は、笑う。
アダムの忠告を受け止めていた筈なのに、この口だけは止まってくれなくて。
「────何もかも、裏で糸を引いていた奴に望んだ結果をくれてやるのはゆるせないじゃないか」
テオドールを操っていた存在がいると知った。ならば、俺が母の仇として復讐すべきはその黒幕にだろう。
だから、精一杯の嫌がらせもすると決めた。
彼が望んでいる結果は間違いなく、テオドールとアダムの死だろうから。
しかし、テオドールは俺の言葉を別の意味で捉えたのだろう。
瘧のように身体が震え出し、赫怒の形相へと変わってゆく。
「……この期に及んで、俺のこの行為ですら操られているとでも言いたいのか」
「否定は、しない」
俺の言葉を受けて、閾値を超えてテオドールは下唇を強く噛み締め自傷をする。
そして全てを注ぎ込むように、テオドールが得体の知れない魔法を大きく展開。
四方八方。俺に最早逃げ場はなかった。
やがて、彼の唇が「しね」と形取り────発動する魔法。
歯噛みしながら訪れる未来を受け入れかけて。
『────もう、やめにしてくれ』
俺の前に、人影があらわれた。
両手を広げて、俺を庇うように。
その行為をした存在の顔を目にしたからだろう。テオドールの攻撃の手はすんでのところで止まっていた。
「……漸く、お出ましか」
表情はどこか呆けていて、信じられないものでも見るかのように────やがて、我に返ったテオドールは人をも殺せそうな眼光で感情のない声で言葉を紡ぐ。
「なんだそれは」
アダムの全身が呪いに侵された身体を見て、テオドールは吐き捨てる。
「同情でも、誘うつもりか? 自分にはもう戦う力すら残されていないからと言い訳でもするつもりだったか? それとも、この死にかけの状態を見せる事であの時は仕方がなかったと俺を納得させるつもりだったのか?」
乾いた笑いを漏らしながら、淡々とテオドールは言葉を重ねてゆく。
けれど、アダムからの返事はない。
言い訳をする気はないとも取れるその行動は、テオドールからすれば言葉を交わす気がないとしか映らないのだろう。
「……お前は。お前は、どこまで俺を虚仮にすれば気が済むんだ……っ」
表情が、酷く歪んでいく。
「…………。いいかアレク・ユグレット。呪われ人になった人間は、呪いと〝神力〟を押し付けられる。その呪いは終生蝕み続けるもので、〝神力〟を使い過ぎた人間若しくは、呪いの内容について他言を行った場合に悪化する。ちょうど、今のコイツのように。ここまでの進行であれば、人間であればもって三日だった」
────そうだ。
そして死んだのがルシアだ。
アダムが視せてくれた記憶に、ちゃんとあった。
「ルシアは、苦しんで苦しんで苦しんだ果てに死んで逝った。だから、こいつも同じ目にあうべきだ。たとえそれが黒幕とやらの思い通りだとしても、俺は自制出来ない。報いを与える事の、何が悪い!?」
「いいや、悪くないと思う」
俺の返事が意外だったのだろう。
なにせ、アダムの死を肯定するとも取れる言葉だったからだ。でも、俺の発言はこれで終わりじゃない。
「あんたのその考えは間違ってないと思うし、アダムの決断も間違ってなかったんだと思う。奇特な能力を持ってたルシアの行動も、きっとそれしかなかったんだと思う。だから、誰も間違ってない。それでもあえて言うのなら、あんたの言う通り、この世界自体が間違ってる」
テオドールの考え自体はきっと間違っていなかった。ただし、その過程と至った結果が最悪なだけで。
「間違った世界なんだ。だったら、少しくらい馬鹿な奴がいてもいいだろ。勝てない戦いと分かっていても、挑む馬鹿がいても」
不敵に笑みながら、俺は言う。
まだ、やり残した事が沢山ある。
みんなへの恩だって返しきれてないし、人生が終わるには悔いがあり過ぎる。
だから。
「だから、俺らがあんたを止める。止めてやるから、全力でぶつかってこいよ────テオドール」
「──────」
テオドールが硬直した理由は単純にして明快だ。本来の彼の名前を俺如きが知り告げた事。
何よりそれは、薄れ霞んだ記憶の中で、後生大事にテオドールが忘れずにいた記憶だったから。
ルシア・ユグレットと初めて出会った時、テオドールに掛けられた言葉と酷似していたからだろう。
ルシアには、ふざけるなという感情の方が強い。でも、それでも俺が彼女の在り方を間違いと言えなかった理由は、紛れもなく彼女は多くを救っていたからだ。
救えない大罪人にすら手を差し伸べ続けた正真正銘の救済者。
神に対してすら、救いたいと宣った破綻者。
こんだけ散々迷惑を掛けられているのだ。
言葉の一つや二つ、借りるくらいは許してくれるだろう。
「下、がれッアダム!!!!!」
展、開────。
全身が軋む音が幻聴されるが、これ以上の好機はもう二度とないと思い、振り絞る。
「オーネスト!! 壁を任せた────!!」
「任せとけやぁぁぁあああ!!!」
テオドールの得物に、不壊とされる〝古代遺物〟は通じない。
正面から相対するならば同条件か。
若しくは、幾ら折れてもすぐに再生出来る武器を持っておく必要がある。
しかし、オーネストの下にそれはない。
オーネストの下には、存在していなかった。
「アレクの親父…………それ、貸りるぜえ!?」
疾走する中、無理矢理奪い取るように親父から得物をオーネストは取り上げる。
親父がその行為に対して何か叫ぼうとしていたが、オーネストは分かっていると言うように
「心配すンな!? 元よりオレさまに魔法の才能なンてものはねえからよ!? こっちの方が性にあってらぁな!!!」
「だがお前────っ」
親父の得物は、槍ではない。
剣だ。
幾らテオドールと打ち合える得物とはいえ、得物の違いは致命的だ。
そう────親父は思っているのだろう。
ああ、そうだ。
普通はそうだ。
でも、オーネストは普通じゃない。
あの戦闘センスは、普通なんて言葉で言い表していいものじゃない。
「────ハ。なぁにを驚く事があるよ?」
剣撃の音。
鈍い金属音は、オーネストの一撃をテオドールが受け止めた事で生まれたものだ。
「武器なんざ、ふとしたきっかけで壊れやがる。だから、万が一を考えて何でも使えるようにするのが常識だろうが!?」
剣筋は俺のものと殆ど遜色なく。
本当に、ふざけているにも程がある。
「おいヨルハぁ!!! 補助魔法が足りてねえ!!! もっと寄越せ!!!」
単純な身体能力で遠く及ばない相手。
プライドの塊の筈のオーネストからは本来考えられない補助魔法で穴を埋めようという思考。
「わかっ、てる!! 言われなくてもずっと掛けっぱなしだから……!! それに、これ以上はオーネストの身体がもたないよ……!!」
「知るかンなもん!!! いいから寄越せ!! ぶっ倒れて血塗れになろうが、うちのヒーラーが何とかする!! 問題はねえだろ!? なあ!?」
「……ええ。何とかするわ。頭と身体が泣き別れない限りわね」
たった一度として振り向いていないのに、この場にクラシアが駆け付けた事を把握するその嗅覚は一体どうなっているのだろうか。
「……クラ、シア? あっちの事は、」
「大丈夫よ。きっと、大丈夫。信用はあんまりないけれど、多分、ね。それに、今は向こうよりもあたしはこっちにいた方がいいと思ったのだけれど」
顔色は蒼白で、ここに至るまでに散々無茶をしたツケがクラシアにまで回っている。
それでも、気丈に振る舞おうとするその様子を前に、そんな事はないとヨルハも言えなかったのだろう。
「……それは、そうなんだけど。でもあいつ、魔法が全く効かなくて」
テオドールに攻撃を与えるには、テオドールと同じ力をぶつける以外に手段はない。
「なら、魔法以外を使ったらいいのよね」
ただ偶然にも、その手段はすぐ側に転がっていた。
〝アダム〟の力が及んでいるダンジョンを触媒とした────錬金術に限り、例外的にテオドールに効果のある攻撃手段だった。
「な────」
テオドールが硬直する。
彼の手足を、ダンジョンの地面から生えた岩石を素材とした触手が拘束をしたから。
容易く振り解けるはずのそれが、思うように振り解けない。
そこに、オーネストの攻撃だ。
だから、余裕らしい余裕がある訳もなくて。
故に、俺が用意した魔法に備える時間がテオドールには致命的に足りていなかった。
そして、拘束を解ききれない一瞬でオーネストはその場を離脱。タイミングを見計らい、俺は八紘に展開した魔法をそのまま撃ち放つ。
「いい加減ぶっ倒れろ!! ────〝神雷の一撃〟────!!!」
* * * *
……立っていられなくて膝から崩れ落ちる。
五感もその殆どが朧気で、どうなったのかは全く分からない。もう戦う事は無理だろう。
だから、その声に絶望した。
「……彼女は……、ルシアは、〝神〟なんて名乗るクソのせいで死んだ。それは、揺るぎない事実だ。彼女は死ぬべき人間じゃなかった。だから、彼女を犠牲にしたクソ神を殺さなければいけないと思った。思って、いた」
力ない声で、テオドールは言う。
身体の至るところに傷があって、どれもが致命傷と言えるもの。
けれど、一歩足りていなかった。
倒し切るには、まだ足りなかった。
「なのにどうして、お前がその目をしてる」
アダムに向かって、何かに堪えながらゆっくりと。
「どうしてお前が彼女と同じ目を浮かべてる」
覚悟を決めたものの瞳で。
自己犠牲に殉じようとする人間のそれ。
罪悪感に塗れたその瞳に嘘などなく、どころか涙を浮かべていた。
口の隙間から、「すまない」と謝罪の言葉が繰り返し漏れ出る。
テオドールは困惑していた。
お前らは、もっと救いようがなくて。傲慢で。悪辣で。人など、体のいい呪いの押し付け先としか思っていないような連中だろうが。
お前らが、人如きの為に胸を痛めて涙を流すなど────そんなものではなかっただろ?
そんな内心が、震える声音から受け取れた。
動揺が隠しきれず、硬直を続けるテオドールであったがアダムから向けられた言葉によって我に返る。
『頼みが、あるんだ』
「頼み、だと」
『どうか。僕の命ひとつで許して欲しい』
「……許して欲しい、か」
『きみの目的は、僕らへの復讐だろう。彼らは関係ない。誰一人として、関係ない』
テオドールは言葉の真偽を見極めようとして────やがてやめた。
恐らく、馬鹿らしいと思ったのだろう。
「……ひとつだけ、聞きたい事があった」
『聞きたい、事?』
「彼女は────ルシアは、最期に何と言っていた。お前らの呪いのせいで、その記憶がないんだ。言っておくが、嘘をつけばこの場で全員を殺す」
〝大陸十強〟に課せられた呪い。
テオドールの呪いはきっと、記憶の喪失だったのだろう。
『……。僕の力不足でこんな結果になってしまったけれど、どうか、誰も恨まないでくれと。彼女はそう言っていた』
たった一言。
テオドールは目を細めて聞き入っていた。
感傷に浸り、やがて口を開く。
「どいつもこいつも俺みたいに復讐に走らなかったのは、それが理由か。……彼女なら、そういうだろうな。あの人は、そういう人間だった。ただの人殺しでしかなかった俺に手を差し伸べるような人だ。あの人らしいよ、その言葉は。まあ知ったところで、俺は変わらなかっただろうが」
たとえ恩人の言葉だろうと、認められず、許せず、どう足掻いてもこの結果に見舞われていただろうとテオドールは結論を出す。
「お前ら神は、殺す。それは確定事項だ。お前らのせいで、俺達は巻き込まれ苦しむ羽目になった。そこに間違いはない筈だ」
『……………ぁぁ、そうだ』
「だから、苦しめ。彼女が苦しんだように、お前らも相応に苦しめ。だから俺は、お前をまだ殺さない」
テオドールの視線は、アダムの身体を侵す呪いへ。表情に殆ど出していないが、その苦しみは言葉に言い表せないものなのだろう。
程なく何を思ってか、テオドールは俺と目を合わせた。
「アレク・ユグレット。お前は言ったな。黒幕の思い通りになるのは癪だと。……確かにそうだ。その通りだ。だから、少しだけ変えてみようと思う。何より、この世界は彼女が守ろうとした世界でもあるらしいからな」
テオドールが、アダムに手を伸ばす。
しかしそれは殺すためではなく、呪いに向かって、であった。
「たった数日、呪いに苦しむ程度で解放されるのはフェアじゃない。だから、たんと苦しめてやる。気が遠くなる程、ずっと。ずっと。その為に、俺が少しだけ肩代わりしてやる」
指を伝って、呪いが侵蝕。
テオドールの方へと流れ込んでゆく。
『……なに、を』
「言っただろう。少しだけ変えてみると。勘違いするな。助けてやる訳じゃない。お前の苦痛を、長引かせてやるだけだ」
アダムの身体から呪いが引いて、代わりにテオドールの身体に広がってゆく。
「という訳だから────殺すのはもう少し後にして貰えるかな。ワイズマン」
彼らのやり取りに気を取られていたからだろう。テオドールがその名を呼ぶまでワイズマンの接近に俺は気付けなかった。
隙を見せた瞬間にテオドールを殺す気でいたのだろう。ワイズマンは、彼に恨みを持つ人間の一人であるから。
「……恨みはある。けれど、人形を殺したところでこの気持ちは晴れない。誰も帰ってくる訳でもない。だが少しでも私に罪悪感があるというならひとつ答えろ。この身体の持ち主の父親は、今、何処にいる」
「…………あなた、その手」
淡々と話すワイズマンであったが、彼女の手にはあるべきものが失われていた。
ワイズマンの魂をメアの身体に宿らせた触媒でもある────〝賢者の石〟が丸ごと。
強引に抉ったのだろう。
ぶらりと垂れ下がる腕の先から、血が滴り落ちていた。
「……元に戻すには、必然、同じものを犠牲にする必要がある。偶々、〝賢者の石〟が此処にしかなかった。それだけだ。で、返事はないのか」
「……いや、答える。その身体の持ち主の父親は、上だ。〝獄〟と呼ばれる場所にいる。主人のいなくなった牢獄を、維持させる為にきっと力を振り絞ってるんじゃないかな」
「…………。そうか」
聞きたい事は聞けたのだろう。
ワイズマンは、ふらふらな足取りながらテオドールから聞き出した〝獄〟へと向かおうとして────しかし途中で足が止まる。
「……言い忘れていた」
「?」
「この身体の持ち主から、お前達に伝言だ。『お父さんを、助けてくれてありがとう』だと」
「…………違う。俺達は、助けられなかった」
メアを助ける事も。
ロンを止める事も、結局何一つとしてできなかった。
責められる事はあっても礼を言われる立場ではない。
「だとしても、お前達が手を貸していなければ死体同士で再会していただろう。だから、ありがとう、なのだろう」
「じゃあお前は、」
言わずにはいられなかった。
メアの為に、これから残り僅かな時間を使いに向かうのだろう。
勝手に生き返させられて。
誰かの為に、死んでいく。
ワイズマンもまた被害者なのに、それはあんまりじゃないかと。
「……私の事なら気にするな。どうせ死んでた筈の人間だ。それに、唯一の心残りだった〝賢者の石〟も、問題がないと分かった。アンネローゼを始めとして、間違った道を止めてくれる人間がいるなら、私も安心出来る」
それだけ言い残して、ワイズマンは俺達の前から去ってゆく。
程なく、奇妙な感覚に見舞われた。
転移魔法とほんの少しだけ似ているものの、決定的に違う何か。
テオドールがまだ何かを備えていたのかと警戒心を剥き出しにする。
「────〝禁術〟じゃな。それも、時間遡行か」
「タソガレの、仕業だ。安心しなよ。あいつは今のところお前達の味方だ。効果も、メイヤードの時間を遡行させるだけ。〝楽園〟で死ぬ俺や、メイヤードを空間転移させる為に命を削ってるノステレジアにチェスター。あと、別空間にある〝獄〟で死んだ人間にそれは適応されない」
綺麗さっぱり、こちら側の人間の殆どは死ぬという訳だ。
大した感慨を見せる事なく、テオドールはアヨンの言葉に同意し言ってのける。
「だから喜べよ。過程はどうあれお前らの望んだ結果が転がり込んできたのだから」
……そう、言われたとしても。
これを勝ちと思えるわけもなくて、何も言葉を返せなかった。
テオドールは宙を見上げる。
ここに居ない誰かに向けて嘲笑うように、時折笑みを張り付けていた。
「別に、死ぬ事に対して今更忌避感はない。彼女がいないこの世界に、価値などない。ただ、黒幕とやらにいいように扱われ続けた反抗が、これだけというのは気に食わない。だから最後にひとつ、節介を焼いてやる」
アダムから離れて、テオドールは俺の下へ。
確かな足取りで、座り込む俺の耳元に口を寄せた。
「その目は、当分使うな」
「ぇ」
「ルシアがそうだったように、お前の母の時もそうだった。そして、お前もそうだった。お前らの目には、〝神力〟しか通じないという常識が存在していない。その目は、〝神〟ですら殺し得る武器だ。だから、その時が来るまで使うな。俺との戦いで使えなくなった体を装え」
……言われてもみればそうだった。
魔法は悉く通用しなかったのに、目だけは最後まで使い物になっていた。
「尤も当分は使いたくても使えないだろうが」
テオドールの手が俺の目に伸びて────優しく覆われる。直後、何かを吸われるような感覚に見舞われた。
「神力は、特別に引き取ってやる。まだ、死にたくはないのだろう?」
呪いを背負っている訳でもない俺にとって、〝神力〟とやらは毒でしかない。
なのに、幾ら消費しても使い切る気配もなければ、手放す事も出来なかった。
そんな力を、意図も容易くテオドールは奪い取ってゆく。
やがて、俺にもう用はないと言わんばかりに距離をとって────どこか遠くを見つめながら彼は言う。
「……本当に、どうしてあの時、俺を殺してくれなかったんだ。こうなる事は、予想出来ていただろうに」
多くが死ぬ事になった。
多くが失われ、多くが悲しんだ。
テオドールを生かしていれば、この結果に見舞われる事は容易に想像が出来ただろうに、ルシアは殺さなかった。
理由はきっと、
「……それでも、あんたに死んで欲しくなかったんだろ」
何もない虚空を見詰めるテオドールに、俺はそう告げた。
「知ったような口をきくな────と言いたいが、彼女は本当にそう言いそうだ。ああ、そうだ。こんなクソで、間違いだらけの世界で彼女だけが優しかったから。彼女だけが正しかったから」
そして、誰よりも優しかった人は、誰よりも先に死んで逝った。
最後の最後まで誰かの為に。
そんな想いを胸に抱いていたルシア・ユグレットが今、ここに居たなら。
きっと、口にする言葉は決まっていた。
「ああ、本当に。本当に、クソみたいな世界だ。でもあんたは、それでも嘯いていつものように笑うんだろ。『それでも僕は、みんなを救いたい』って、いつものように。なあ、ルシア────」
呟くような声音で聞こえていたテオドールの声が、それを最後に聞こえなくなった。
* * * *
「そうして、タソガレとやらの〝禁術〟で見事、めでたし。めでたし。って事か────これは流石に、予想外な結末だ」
顔が黒く塗り潰されて、誰にも認識出来ない男は呟いた。
「まさかあのテオドールが、あんな事をするとは思いもしなかった」
テオドールの選択は、かつて全てを操っていたこの男ですら予想外のものであった。
「それに、こうしてここに君達が嗅ぎ付けてくる事も。テオドールとの戦闘に全く出しゃばってこないと思ったら、こういう事か。呪いのせいであまり動けない演技をして、注意を逸らす事が目的だったか。ああ、私とした事が失敗をした。まんまと騙されて、こうして三人も侵入を許してしまった。それで、一体、何の用かな。カルラ・アンナベル。それとタソガレの犬に────エルダス・ミヘイラ?」









