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百二十三話 救済なんだよ

 * * * *



 (かみ)とは一体何だろうか。


 ある者は崇め奉る対象と呼び。

 ある者は絶対の象徴であると信仰をあらわにした。

 ある者は存在しない形而上の存在であると唾棄し、呪いを吐き。

 ある者は「天国」と「地獄」という行き先を決める番人であり、天上の存在なのだと言い切った。

 纏まりのない雑多極まりない答えの数々。


 しかし、そのどの答えも間違いではなく、どれも〝神〟という言葉を正しく表していると口にした上で明確な憐憫をあらわにし、あろうことか、全知全能とも認識される〝神〟に対して「救いたい」と宣った少女がいた。



 その少女は、特別だった。



 〝魔眼(レジェレ)〟と呼ばれる特異な目を持っていた彼女は、多くを見通す事が出来た。それこそ、瞳に映る現象に限らず、心の中にある感情。形のない幸せ、不幸。

 あるいは、未来や過去さえも。


 特別と呼ばれる枠組みにあった〝魔眼〟の一族の中であっても特別な人間だった。


 視える事は、悪い事ではない。

 だが、視え過ぎるのが良くなかった。


 視たくないもの。

 視えるべきでないものすら視えてしまうソレは、少女をどこまでも苦しめた。

 苦しめて、苦しめて、苦しめ続けた結果、少女は一つの結論に辿り着いた。


 ────この能力を持って生まれた己は、多くを救える可能性を持っている。故に、多くを救う義務があるんだ。だから、救わなければならない。それが、ぼくに課された使命だろうから。


 頑迷に、愚直にそれを信じ続け、そして最期の最期まで貫き通してしまったお人好し。

 己の事など全て後回しに、文字通り皆を「救う」為に己の身を犠牲に奔走した人間。


 イヴを救う為にと呪いを全て引き受けた上で本気で死にたがっていた〝神〟であるアダム。

 人々の悪意を一身に引き受ける事で、人々が幸せになれるのだと ■■(、、)に唆され、悪神と化したイヴ。


 彼らの事情を視てしまったが為に救うべき対象に〝神〟すらも含め、手を差し伸べ、彼らの為に笑って命を投げ捨てたあまりに救えない自己犠牲の塊。

 それが、ルシア・ユグレットであった。


 だが彼女は、偶然にも耳にしてしまったタソガレとユースティティアを除いて、終ぞ誰にもその話だけはしなかった。


 何故ならば、そう願われたから。


 この世界における〝望む者〟が本来、「神が望みし者」という意味を持ち。

 イヴを救う為に、全ての呪いをアダムが引き受けたその瞬間に殺してくれる人間(、、、、、、、、)を意味しており。

 選ばれた人物こそが、他でもないテオドールであったからこそ、それを他の人間に打ち明ける事は同情を誘う事に他ならないからとアダムが最後まで拒み続けた。


 アダムもまた、 ■■(、、)に唆され、そんな手段を選んだとはいえ、決めたのは自分自身。その報いは甘んじて受け入れる。

 そう決めていたからこそ、どうか話さないでくれと頼まれ、ルシアはそれを守った。

 タソガレとユースティティアもまた、その選択に同調した。

 巻き込んでしまったテオドールには、己を殺す権利があるというアダムの意思を尊重すると決めたから。


 だからこそ、テオドールからは救いようのない〝神〟の為であっても、お人好しにも自己を犠牲にした人間としか認識していない。

 そして、己を救ってくれた唯一を、殺した存在。それが、テオドールから見た〝神〟であった。


 挙句、呪いを振り撒き、誰にも知られないようにと口を塞いだ。

 救われた筈の民は、ルシア・ユグレットの犠牲と覚悟も知らず、今もこうしてのうのうと生きていた。

 仕方がない部分もあるとはいえ、その全てが ■■■■■(テオドール)は許せなかった。

 故に、彼は何一つとして考慮をしない。憚らない。犠牲を強いる事に躊躇いを抱かない。

 こうして、国ごと巻き込む事に欠片の自責にすら駆られない。


 ユグレットの名を持つ俺であっても、例外ではないのだろう。

 尤も、期待はしていなかったが。



「────ソレを奇跡的に使えるようになった、からといって、油断するな。気を、つけろ。純粋な戦闘において、あいつを確実に抑え込めた人間は、テメエの先祖にあたるルシアしかいなかった」



 消え入りそうな声で呟かれたユースティティアの言葉。

 齎されたその言葉がなくとも、侮る気など微塵もなかった。無かったのに、それでも俺の表情は反射的に歪んだ。

 目の前で起こった変化が、それ程までに圧倒的であったから。

 力量の違いは分かっていた筈なのに、それでも、乾いた笑いが込み上げてくる程だった。


「……その覚悟は、認めてあげるよ。でも、同等じゃない。断じて違う。ぼくときみとじゃ、そもそも懸ける覚悟の重さや経験が違いすぎる」


 足下が、闇に支配される。

 テオドールを中心として広がったそれは、見通せぬ闇の洞のように得体が知れず、どこまでも不安を煽ってくる。

 底なし沼のように引き摺り込んでくるのかと警戒をしたが、そんな事はなかった。

 ただし、闇から数える事が億劫になる程の剣群が這い上がるように姿を現しただけで。


 視界を埋め尽くす程の物量であるそれは、〝獄〟という限られた場所でなければ地平線の彼方まで広がっていたやもしれない。


「反吐が出るほど、クソな人生だったよ」


 剣群が、飛来する。

 その速度は認識出来るギリギリのもので、真面に食らったその瞬間、俺は容赦なく抉られ肉片と化すだろう。

 その対象にはオーネストやアヨンどころか、ノイズすら含まれており、文字通り誰彼構わずであった。


「きみに分かるか? 使命などという軛を刺し穿たれ、〝試練〟などという〝神〟の都合に振り回され続けた者の気持ちが。ただ言われるがまま、望まれるがままに剣を振り続け、亡者を積み上げ続けた者の気持ちが。そこに拒否権などなく、傀儡である事を強制され続けた者の気持ちが!!! きみに分かるか!?」

 

 まるで血を吐くような叫びだった。

 苛立つ己の意思を叩きつけるように、飛来する剣群の勢いは際限無く増してゆく。

 魔法の行使でどうにか撃ち落とせはしていたが、それでも近づく事は不可能だった。


「……だから、かつてのぼくは殺される事を望んでいた。殺されてしまえば、解放されると思ったから。この使命から。この〝試練〟から、解放されると思っていたから。なのにあろう事か、ぼくを救おうとした馬鹿がいた。散々傷付けられて、殺されかけて、身体中が傷んでいただろうに、それでも血塗れの中、自分自身を殺そうとした相手に対して『きみは、ぼくが助けてみせる』と本気で口にする馬鹿がいたんだよ」


 その人物を馬鹿だと嘲るテオドールであったが、声音には隠しようのない親愛の情が込められていた。

 関係値の浅い俺ですら、たった数瞬で理解してしまう程の感情がそこにはあった。


「……彼女は、全てを救おうとしていた。救い難い悪人でさえも、救いようのない〝神〟さえも、こんな、ぼくも、世界も、何もかもを」


 決して、大言壮語ではなかったのだろう。

 文字通り、己の全てを犠牲にして救おうとしていたのだろう。そして、本当に突き進んでしまった自己犠牲の塊のような人だったに違いない。

 痛ましい程に歪むテオドールの表情が、全てを物語っていた。


「だから、彼女に恩のあるぼくは彼女のようになろうと思った。けれど、彼女のようにはなれなかった。なろうと思っても、どうしてもなれなかった。そもそも、ぼくに彼女のような力はなかったから。ぼくにあるのはただ、誰かを殺し、壊す力だけ。彼女のような救う力は備わっていなかった」


 攻撃の苛烈さが未だ尚、増してゆく。

 黒い靄を纏うそれは、不壊であった筈の〝獄〟の檻や鎖さえも傷付ける。


 ひしゃげる程度の損傷にとどまっていたが、傷をつけられた理由は恐らく、本質が同じ力だったからなのだろう。

 ただ、刃を撃ち放っているだけ。

 底なんてものはまるで見せていない。


 力を温存するようなその戦い方は、侮られていると言って相違ないだろうが、その戦い方であっても俺は苦戦を強いられている。

 間隙を縫うように魔法を繰り出しても、刃に防がれるか、足下に広がった闇によって吸収されたかのように吸い込まれ消え失せる。

 その繰り返しで、苛立ちを抱かずにはいられなかった。


「だからぼくは、ぼくのやり方で救う(正す)と決めたんだ。もう二度と、ぼくのような人間が生まれないで済むように。彼女のような、犠牲者が生まれないように。そして、この間違いだらけの世界を彼女の代わりに正すのだと。だから、嗚呼、安心しなよ。心配しないでいい。ぼくが神を殺し(救っ)てやるから。もう二度と、あんな悲劇は起こさせないから────ぼくが、責任を持って救済してやる」


 言葉には慈愛があった。

 己の同類に向けるような、憐憫の情があり、テオドールは本気で案じた上で口にしている。

 彼はそれが、正しいのだと信じて疑っていない。……否、疑う余地を自ら完全に捨て去っているが正しいか。


「……なる、ほど」


 漸く分かった。

 テオドールの動機の多くを理解した。

 彼が多くの人間を路傍の石以下としてしか見ない理由も分かった。

 〝神〟を殺さなくてはならないと叫ぶ理由も、よく分かった。


 とどのつまり、テオドールの根幹には全てルシア・ユグレットがいるのだ。

 多くの無関係の人間を見捨て、巻き込む事に躊躇いがない理由は、彼女に命懸けで救われたにもかかわらず、何一つとして理解せずに忘れている恩知らずだから。


 こうして〝神〟を殺すと叫ぶ理由は、己への仕打ちによる憎しみ以上に、ルシアを殺された事に対する怒りがあるから。

 もう二度と、己やルシアのような犠牲者を出さないで済むようにと他でもないテオドールが願っているから。


 それが、ルシア亡き今、自分の使命であり、義務であり、恩返しであると決めつけたから。


 故に────救済なのだろう。


 呪いに苦しめられ続けた彼からすれば、間違いなくその行為は救済なのだ。


 特に、呪いを次に押し付けられる可能性の高い俺達のような(、、、、、、)人間からすれば、間違いなく救済なのだと疑っていない。

 あえて俺に向けて、その言葉を使った理由は、言葉にされずとも理解出来た。


 そして、それに共感出来ないならば剣を抜く以外に道はない。

 言葉で分かり合う段階はとうの昔に過ぎ去っており、テオドールは決して譲歩しないからだ。


「────……あんたの言葉は、尤もなのかもしれない」


 純粋な己の愉楽の為による行為であったならば、俺がこんな感情を抱く事はなかったのだろう。

 これが、ある意味真っ当な彼なりの罪滅ぼしなのだと知らなければ、悲嘆する必要もなかったに違いない。

 もっと他に、良い手段があっただろうにと俺が表情を歪める事もなかった筈だ。

 

「で、も。でも、いつ、誰があんたに救ってくれと頼んだよ」


 俺は、呪いについて全く知らない。

 ただ、死による解放を望んでいたと口にしたテオドールが、未だ萎えぬ程の怒りを抱く程のものだ。

 恐らく彼からすればその仕打ちは、死よりも尚、酷いものなのだろう。


 その救いを求めない俺に、テオドールは混濁した瞳に憐れみの感情を湛えて射抜いてくる。

 その眼差しは、幼稚で無垢な我儘を口にする幼子に向けるものであった。


 現実、彼からすれば、たかが二十年と少し生きただけの子供の感想でしかなかったから。

 

「あんたの行為こそが、最善なのかもしれない。俺はあんたのように長く生きていないから、正解なんて到底分からない」


 ────ならば、黙って受け入れろ。


 睥睨するテオドールの瞳は、間違いなくそう告げていた。


 しかしだ。


「だけど、正解であろうとなかろうと、俺は受け入れたくない。多くの犠牲と悲劇を『仕方のないもの』として受け入れたくない!!」


 その救済の為に、母は犠牲になった。

 エルダスは巻き込まれ、リクは命を捨てた。

 メアとワイズマンは尊厳を踏み躙られ、ロンは利用された。

 チェスターも、その一人かもしれない。


 犠牲となった者は、俺が知らないだけで数多く存在しているだろう。


 しかしテオドールは、それを必要犠牲と捉えている筈だ。彼の救済に、多くの人間の命は含まれないから。


「…………」


 テオドールからの返事はなかった。

 向けられる瞳は憤怒に染まったものから変化しており、まるでそれは、俺を見ている筈なのに、どこか遠くを見ているかのような────ひがら目のようだった。


 やがて、面白くもなさそうにくつくつとテオドールは肩を揺らし笑い始める。


「……どうしてユグレットは、どいつもこいつもこんな人間ばかりなんだろうね」


 声音に悪意はなかった。

 意外なことに俺の発言を嘲るどころか、テオドールは受け止めているようだった。

 敵意はなく、害意も感じられないあるいは悲鳴であったかもしれない一言。


 俺には、かつて聞いた言葉を思い掛けず耳にして、懐かしんでいるように見えた。


「他人なんて、どうでもいいじゃないか。呑気に生きているだけの連中を見捨てて、何が悪い。喚くだけしか能のない連中だよ。守られた事にすら気付けないクソ共だ。どうしてそんな連中を守る為に、我慢する必要がある? 一体それが、今後のぼくらの何になる。何にもならないだろ。なら見捨てる事の何が悪い。巻き込んで何が悪い。利用して何が悪い。殺して、何が悪い?」


 どこまでも相互理解は出来ないのだと、再三にわたって思い知らされる。

 にもかかわらず、テオドールがこうして言葉をある程度尽くしてくれている理由は、驚くべき事に彼が俺に対して一定の尊重をしているからなのだろう。

 身の程知らずで邪魔をする腹立たしい存在ではあるが、それでも、こうして認められないからと足掻く人種であったから。


 であるならば、ほんの少しは納得が出来る。


「……いいか。アレク・ユグレット。かつてぼくですら敵わなかったひとが、同じ想いを掲げて、その果てに破滅した。全てを失い、死んだ。彼女には感謝している。でも、彼女のその部分だけは、あまりに愚かだった」


 視線が外れる。

 テオドールの意識が俺から────その、奥へ移り変わった。

 どういう意図なのかは、嫌でも気づいた。


「────っ、テオドール!!!!」


 篠突く雨のように降り注ぐ剣群が、鎖に囚われた状態のアヨンと、死に掛けのユースティティアへと照準が定められていた。

 最早抵抗すらままならない人間へ、あえてとどめを刺そうとするテオドールの行動に、俺は吠えずにはいられなかった。


 そして、俺はどうにかすべく魔法を撃ち放つ。しかしどうにもならない。間に合いすらしていない。

 だから残された選択は、背を向けて彼女らの下に駆けつけ、逃がす他なかった。


 それ故に、腕に。背中に。足に飛来する剣が突き刺さり、致命傷すれすれの生傷が増える。


「魔法だって、そうだ。自分の事だけ考えて展開すればまだ微かな勝機があったろうに、きみは無意識のうちに規模を狭めてる。他への被害を恐れてるからだ。覚悟の違いは、そういうところだ。そしてだから、きみは死ぬ」


 俺の視界に映るアヨンが何かを必死に訴えていた。


 ────ヨケロ。


 周囲に絶え間なく響き渡る轟音と、脳と思考の大部分を占める痛みの感覚のせいで思うように声が聞き取れず、読唇でどうにか分かるレベル。故に、反応が遅れた。

 気づいた時にはもう手遅れに限りなく近い状態であった。


 尻目で視認。迫る凶刃。

 魔法による対処は────間に合わない。

 ならば避けるしかない。


 そう思って避けようとして、しかし、退路すら剣群に埋め尽くされていた事に気づいて一瞬の諦念を抱いたその時、俺に影が覆い被さる。

 続くように、呆れの声がやって来た。


「────その点に関しちゃ、同意しかねえ」


 オーネストだ。


 ならば、ノイズはどうなった。

 一瞥し確認すると、そこには隆起した地面に串刺しとなり動けなくなったノイズがいた。


「こいつとヨルハは、どこまでも甘え。オレさまならそんな選択は絶対しねえのに。そう思った回数なんざ、もう数え切れねえ」

「それなら、」


 どうして、庇うような真似をした。

 恐らくテオドールが言いたかったであろう言葉を遮って、オーネストは言葉を続ける。


「だが、今回ばかりはアレクに全面的に同意する。そもそもどうして、てめえなンぞに、オレさま達の未来を決められなきゃならねえよ? 吐き気がするくれえ気に食わねえ」


 声音は冷静だ。

 でも、彼をよく知る人間ならば、その状態で既に額に血管が浮かぶ程にブチギレていると一瞬で分かった。


「オレさまは、オレさまの生きたいように生きる。そこに、誰の意思も関係ねえ。だってのに、救済だ? 笑かすな。それは救済じゃねえ。てめえの『自己満足』って言うンだ。どうしても押し付けてえならそこらの死人にでもくれてやれ」

「……何も、分かっちゃいない」


 テオドールは苛立っていた。

 己の救済を自己満足と吐き捨てたオーネストに、怒りの感情を募らせる。

 それを知ってか知らずか、オーネストは自分の意思を容赦なく叩きつけにかかった。

 ただ、相手の言葉に苛立ちを覚えていたのはオーネストも同様であったようで、その声音には憤りとしか思えない響きが滲んでいる。


 迫る凶刃を退けるべく、薙いだ槍の風切り音もこれまでとは比べ物にならない程の轟音を伴い、それは大気を斬り裂いたと錯覚させる程のものであった。


「ああ。何も分からねえ。でも、何も分からねえから分からねえなりに足掻こうとしてンだろ。答えはもう決まりきってるとでも言いてえか? はっ、黙れよ。無能。てめえの限界を、勝手にオレさま達の限界に当て嵌めてんじゃねえ。虫唾が走るだろうが」


 どこまでも、オーネストは嘲笑う。

 まるで見せつけるように、殊更に貶める。


「これから先、失敗はあるだろうな。後悔もあるだろうよ。誰かを失う事もあるだろうし、とんでもねえ不幸に見舞われる事もあるだろうよ。だがそれでも、てめえの胸糞な救いを押し付けられるよりよっぽどマシだ。そもそも、救われたくなりゃ、自分でどうにかする。てめえなんぞにして貰う謂れはねえ。それとも何か? てめえは、あろう事かてめえ自身が嫌悪して止まない〝神〟でも気取ってンのかよ!? ええ!?」


 ここでテオドールをどうにか退けたところで、待ち受ける未来は悲惨なものかもしれない。

 彼が救済と口にしたように、〝大陸十強〟のように呪われるかもしれない。

 傀儡となるかもしれない。

 あるいは、更に悲惨な出来事に見舞われて多くを失う事になるかもしれない。


 でも、一つ言える事は、てめえの手前勝手な『救済』はオレさまの人生に必要はねえ。

 そう口にするオーネストの言葉は、尤もなものだった。

 ただし、そのタイミングと言葉をぶつける相手が良くなかった。


 最後の言葉は、テオドールの地雷だったのだろう。

 テオドールの様子が、明らかに一変した。

 顔から感情が削げ落ちたとでも言うべきか。


 次の瞬間、テオドールの始動を感覚で判断し、俺は手を振るう事で魔法を行使。

 オーネストもまた、獣の如き嗅覚で以て、視認すら敵わない速度で迫るテオドールに対して槍を突き出した。


 転瞬、確かな感触だけを残し、しかし認識した時には「かは」と強制的に肺から空気を吐き出され、喉を締め上げられながらテオドールに壁へ叩き付けられるオーネストの姿だけが残った。


 オーネストも、考えなしの馬鹿じゃない。

 挑発という行為で優位に進めようと考えていた筈だ。

 なのに────何も出来なかった。

 その事実が、強く残る。


 ぎりぎりと音が立つ程に首を締め付ける力は強く、オーネストが藻搔いてもその手が外れる様子はなかった。


「〝神〟、だと。よりにもよって、このぼくを、あの〝(クソ)〟と同列に語るか!? どうやら、よほど死にたいらしい……!!」

「────っぃ、ぎッ、ぷ、は、ぁッ。じ、じゃあ、何が違うってンだよ。その、手前勝手な都合を押し付けやがるその姿の、どこが違うってンだよ。同じだろ。てめえも、〝神〟とやらも」


 槍を手から離し、両腕でテオドールの細腕をオーネストは掴み、どうにか空気を確保する。

 その間にも軽口を止める事はなく、どこまでも自分の意思を叩き付けんと藻搔いていた。


 続けられた言葉は、テオドールの神経を尚も逆撫でるものだったのだろう。

 赫怒の形相で、テオドールは再び腕に力を込める。このまま強引に息の根を止めるつもりだったに違いない。

 現に、オーネストはもう一言すら言葉にする事は叶わず、空気を漏らすのが精一杯となっていた。故にテオドールは気付くのが遅れた。



 ────いまだ。殺れ。



 どこまでも愚かしいと、呼吸困難の中、オーネストはきひと嘲笑った。


「オーネストから、離れろよ」


 命懸けでオーネストが作ってくれた、テオドールの一瞬の隙。

 頭に血が昇っていたからこそ、彼は俺を後回しにオーネストを優先した。


 だから思う。



 いくら何でも、それは舐め過ぎだろ。



「──────」


 技なんてものはない。

 ただただ、オーネストを助けるべく無我夢中に魔法を行使した。

 そこに、ユースティティアから奪い取った力を乗せて、殺そうと試みただけ。


 内臓がぐちゃぐちゃに掻き回されるような不快感と激痛が走ったが、まるであり得ないようなものを見る目でその場から飛び退いた(、、、、)テオドールの行動を引き出した事に対する達成感が勝った。


「……っ、かはっ、こほっ、けほッ。い、意識が飛びかけた……!! なんつぅ力してやがるあの野郎……!!」


 解放された事で膝をつきながら咳き込むオーネストには最早興味を失ったのか。

 テオドールの視線は再び俺へ。

 そして失望したように、一言。


「……当然といえば当然だけど、きみはルシアとは違うんだね」


 たかが擦り傷。

 しかし、確かにテオドールの顔に生まれた小さな傷に彼は手を当てながらそう口にした。


 その直後だった。

 がしゃん、と重量感のある金属が落下する音が響き渡った。


「……一体、何をしてるのかな。〝正義の味方〟」


 それは、〝逆天〟のアヨンの枷をユースティティアが外した音であった。


「……たく、本当に今日は厄日だ」


 ゆらりと幽鬼のような様子で立ち上がったユースティティアが悪態をつく。

 顔色は未だ蒼白で、秒間隔で命が削られているであろう事は俺の目にも明らかだった。


 それでも立ち上がる彼女は、懐に手を突っ込み、何かを取り出す。

 そしてそのまま、口に運んでガリ、と音を立てた。


「それ、は」


 その何かについての正体に俺がすぐに気付けた訳は、既に一度、目にしていたから。

 使う瞬間を見ていたから、分かった。


「お陰で、あんな胡散臭いヤブ医者の薬にまで頼る羽目になった。間違いなく、今日はアタシの人生最悪の日だ」


 グランは、それを〝過剰摂取(オーバードーズ)〟と呼んでいた。


 だが、少しだけその形状が異なっていた。

 俺には分からないが、恐らく効果が異なっているのだろう。


「……分からないね、〝正義の味方〟。どうしてそうまでして、きみまでもぼくを止めようとする。信念を曲げてまで、ぼくを止めようとする」


 少なくともぼくの知っているユースティティア・ネヴィリムという〝正義の味方〟は、そんな人間じゃなかった。


 瞳に拒絶と困惑の色を乗せてテオドールは疑問を口にする。

 その瞳の奥には、「悪人」である筈のアヨンを鎖の拘束から解き、彼女自身が「悪」と呼んだタソガレの薬を使う〝正義の味方〟だった女の姿が映されていた。


 融通が利かない、自分の決めた秤でのみ動く人間。ユースティティアがそういう人間である事は、事前にカルラから彼女の事についてほんの少しだけ聞いていた俺でもすぐに理解出来てしまう事柄だ。

 ならば、付き合いの長いテオドールの困惑は当然とも言えるものだっただろう。


 あえてユースティティアではなく、〝正義の味方〟呼ばわりした事からもそれは明らかであった。


「業腹だが、テメエと同じだ。アタシには、信念を曲げてでも返すと決めた恩があった。これ以上の理由が、他にいるか? テオドール」


 ユースティティアが俺の隣に並び立つ。

 その行動の意図に気付けない程、俺は鈍感ではなく、それが共闘をするぞという意思表示と受け取った。

 しかし、その行動はどうしようもなくテオドールの神経に障ったのだろう。


 血が滲むほどに下唇を噛み締め、わなわなと肩を振るわせて彼は攻撃の手をやめてまで言葉を口にする。


「……理解に苦しむよ、ユースティティア。彼女に対する恩がありながら、それでもきみはぼくの邪魔をするのか」


 ────なら、是非もなし。


 ほんの一瞬ばかりの瞑目を挟んだテオドールは、どうやら覚悟を決めたようであった。

 そして、一言。


「────〝愚者の灰剣(ヴァルガ)〟────」

「ッ、〝天地斬り裂く(シュヴァルト)〟!!!」


 突として出現する灰剣。

 その光景を前に俺が〝古代遺物(アーティファクト)〟を取り出し、庇うようにユースティティアの前に出たのは最早反射的な行動であった。


 テオドールの姿がゆらりと揺らめいたと認識した直後、俺の意思すら無視して轟き、立ち上っていた黒雷を通過して俺達の目の前へ移動が果たされていた。

 手には灰剣が。

 その形状は異様で、刃は蟲に食われた葉のように穴だらけで、今にも腐り落ちそうな程に頼りない代物。

 柄は白骨を乱雑に繋ぎ合わせたようなもので、頭蓋骨に似たものが見え隠れしていた。


 力を込めれば今にも崩れ落ちそうな得物。

 だが、その頼りない代物が俺の常識を凌駕する。


「────は」


 折れた右腕は使い物にならない。

 だから、俺は必然、左腕一つで対応しなければならない。力で押し負けるなら分かる。

 弾かれるなら分かる。衝撃に耐えられず、腕が損傷したとしても分かる。


 だが、たった一度打ち合っただけで〝古代遺物(アーティファクト)〟である〝天地斬り裂く(シュヴァルト)〟が腐食した(、、、、)この現象だけは、俺の理解の範疇を超えていた。


 〝古代遺物(アーティファクト)〟は本来、壊れない(、、、、)ものである筈なのだ。どれだけ硬いものを斬りつけようと、どれだけ強い衝撃を受けようと壊れない。

 それは不変の事実として知られていた筈だ。

 だから俺は、余計に目の前の光景が信じられなかった。現実が嘘を吐いたと思った。

 その感想を抱いてしまった数瞬こそが、致命的だった。


「それに触れるでない!! アレク・ユグレット!!!」

「ッ、もう、手遅れだっ、つぅの!!」


 飛んでくるアヨンの声。

 その忠告は手遅れで、漂う腐食臭が若干軽くなった得物の感覚と共にもう既に〝天地斬り裂く(シュヴァルト)〟が使い物にならないと告げていたが、その叫び声は気付けとしては手遅れではなかった。

 寧ろ、俺を助けてくれたと言っていい。


 身を捻る事で迫る剣撃を躱し、どうにか距離を取った俺はそこでも信じられないものを見た。

 否、それに関しては少し考えればある意味必然であったのだろう。


 テオドールが得物を振り抜いた先で、どれだけ斬りつけても傷一つ付かなかった鎖と何ら変わらない筈の〝獄〟の檻が、床ごとごっそりとあまりに容易く一条に斬り裂かれていた。

 光景を生み出した原因は、漂う腐食臭。

 それが答えである。


 本来壊せない筈の〝古代遺物(アーティファクト)〟を使い物にならなくしたのだ。

 ならば、常識を当て嵌めるべきではない。

 壊せない筈だった鎖や檻の一つや二つ、壊せたとしてももう何も不思議では無かった。


「……儂が生きていた頃、噂程度で聞いた事があった」


 呆然としていた俺とは異なり、心当たりがあったのか。

 アヨンが表情を歪めながら語る。

 先程の余波で半壊した檻には目もくれず、その視線はテオドールが手にする蟲食いの剣にのみ向いていた。


 その間も間断のない攻撃が続く。

 アヨンやオーネストが手を貸してくれはするが、触って防ぐ事の出来ないテオドールによる攻撃を無力化するなど無謀もいいとこだ。


「曰く、〝古代遺物(アーティファクト)〟を超える代物を作り出そうとした愚者がおったとな。〝伝承遺物〟などでもない、正真正銘、〝古代遺物(アーティファクト)〟を超えるものを作る為に、多くの〝古代遺物(アーティファクト)〟を犠牲に、無理矢理に組み合わせ一つの剣を作った愚者がいたと。じゃが、それは得物とすら呼べない不出来な失敗作であったらしい。剣であるにもかかわらず、使う人間を含め、無差別に腐食する灰剣。儂はそう聞いておったが、本当に存在しておったのか。そんなものが」

「……失敗作とは酷い言い掛かりだ。これは、失敗作なんかじゃないよ。これは、成功作だ。常人には扱えない代物ではあるが、間違いなく、この〝愚者の灰剣(ヴァルガ)〟は本来の目的通りの性能を宿している。少なくともこの剣だけが、〝神〟さえも斬り殺せる」


 それだけ呟いて、テオドールは更に距離を詰めてくる。

 手には黒い靄が纏われており、その不明な靄で保護をしているのだろうが、見るも悍ましい程に柄からも腐食が始まっていた。

 真面に持てない剣など、最早剣と呼ぶ事すら烏滸がましい。

 アヨンの言うように、アレは得物とすら言えない代物だった。


「…………。ここは、アタシに任せろ」


 テオドールの言葉を受けて、ユースティティアは言う。

 

「テメエらとあいつとじゃ、相性が悪過ぎる。いても邪魔なだけだ」

「てンめえ……! 助けられといてその言い方は、」


 ────ねえだろうが。と青筋を浮かべるオーネストが言い終わるより先に俺は一歩下がった。


「……分かった。なら俺達はどうすればいい」


 ここまで首を突っ込んだのだ。

 今更、逃げろという言葉はやって来ないだろう。


 真っ先に逃がすくらいだ。

 恐らく、他にやって欲しい事があったのだろう。


「カルラの指示を仰げ」


 簡潔に、一言。

 ユースティティアからの言葉はそれだけだった。


 けれど、その言葉に従おうとして背を向けた俺は、どうやってこの〝獄〟から出ればいいのかと問おうと思った。

 だが、その疑問は即座に解消される。


 視線の先には、テオドールの灰剣による攻撃痕の先に、切り裂かれた魔法の結界があったからだ。

 あの灰剣は、どんな魔法であろうと腐敗させるゆえに切り裂けてしまうのだろう。


 だったら、一番相性が悪いのはユースティティアではなかろうか。

 だがそれも手遅れで、既に戦闘を始めていた彼女らに俺の言葉などもう届かないだろう。

 だからせめて、俺は急ぐ事にした。


「……てめえもついてくンのかよ」

「戦力は一人でも多い方がよかろう?」


 少なくとも、今はアヨンの手も借りたい状況だ。敵であった人間とはいえ、それでも今は。


 程なく〝獄〟を後にし、宙に放り出された俺達の視界に映り込んだ光景は、驚く事に入った時と然程変わらない(、、、、、、、)状況にあった。


 そこで合点がいったのか、アヨンは言う。


「……ユースティティア・ネヴィリムのお陰じゃな。あやつの〝獄〟に閉じ込めておる間に限り、恐らく時間の進みが遅くなるのであろうよ」


 〝獄〟に連れ戻されていた人間だからこそ、その違いはより顕著に映ったのだろう。


「ワイズマンを探す目的はあったじゃろうが、それ以上にテオドールは〝獄〟の外へ出たかったのやもしれぬな」


 だからこそ、この時間を無駄にする訳にはいかないのだと締め括る。


 やがて、着地した俺達はすぐにカルラの姿を見つけた。

 特徴的な和装故、真っ先に目についたものの、無傷とはいかず、身体中に傷を負っているようであった。


「────ユースティティア。あの馬鹿が、妾の弱点を教えておった。この傷はそれ故よ。弱点を教えられたからと言って殺される妾ではないが、そのせいで傷を負った。それだけよ。で、あの馬鹿は何をしておった」


 一瞬、馬鹿正直にユースティティアの事を信じてしまった己の行動に後悔を覚えた。


「……テオドールの、足止めを」

「成程、理解した。あの馬鹿は、テオドールから一時の信用を得る為に妾を犠牲にした訳か。次に会ったらぶん殴ってやろう。あの〝正義〟中毒め」


 だが、悪態をつくカルラの言動から、その後悔は間違いだったと理解した。

 出来うる限界まで、テオドールの味方になるかもしれないと思わせなければ彼をこうして今、〝獄〟に閉じ込める事はできなかっただろう。


 それに繋がる一手が、カルラの牽制。


 世紀の大悪党どもをその駒に使っていれば、ある程度の信用を得ることが出来る。

 尤も、その過程で犠牲になるのはカルラと嗾けられた罪人達だが、ユースティティアからすれば、己に関係ないならそれでいいという考えだったのやもしれない。


 カルラの怒りは尤もだ。


「とはいえ、今は後回しよな。状況が少し……いや、かなりまずいらしい」


 口にするカルラの側には、見覚えのある西洋人形が一体。

 それは、俺達も知るライナ・アスヴェルドの代名詞とも言えるものであった。


「タソガレが、読み間違い(、、、、、)おった。お陰で散々よ。故、お主らはダンジョンへ向かえ。ヨルハ・アイゼンツ達と合流しろ。妾は、少し休んでから向かう」


 傷は負っている。

 だが、致命傷という程ではなかった。

 にもかかわらず、「休む」と口にする彼女の言葉に若干の違和感を覚えたが、俺達の知らない何かがあるのだろう。

 〝呪い〟とやらに関係しているのかもしれない。


「……分かった、が、読み間違いって一体どういう事だ?」

「至極単純な話よ。タソガレという男の行動全てが、テオドールの手のひらの上だっただけよ。あやつが首を突っ込んでくる事も。この状況で、〝禁術〟を選ぶ事も。何もかもが、対策されておったらしい」

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