百二十二話 タソガレ
* * * *
「……やっぱり、いやがったか」
アレク達がテオドールと戦闘を始めた頃。
見失わないよう、駆けて、駆けて、駆け続けて。漸く辿り着いた先で見つけた黒髪長髪の女性にも見える華奢な男を前に、赤髪隻腕の男────グランが喘鳴を漏らしながらそう口にした。
彼がアレク達の下を離れた理由は、彼らの側が危ないからではなく、役目を果たしたと判断した故の離脱でもなく、よく知った気配を感じ取ったからであった。
元より、彼の場合、自身の恩人への義理を果たす為にメイヤードへとやって来ていたのだ。
あえてグランを向かわせた筈の張本人がこの場にいるともなれば、どういう事だと問い質す為に会いに向かう彼の行動は何ら可笑しなものではなかった。
だから尋ねる。
「此処には、来れないんじゃなかったのかよ」
故に、グランがメイヤードに向かった。
〝大陸十強〟などという大層な名で呼ばれていた目の前の男────タソガレが動けないから、仕方がなく。
本来そういう話であった筈なのだ。
「ああ。来る気はなかったとも。吾輩は本来、メイヤードに来る予定はなかった」
「オイ、おれはあんたが来れないって言うから、助けて貰った義理からわざわざ仕方がなくメイヤードに向かってやったんだぞ」
不機嫌そうにグランは唸る。
タソガレの話しのニュアンスから察するに、彼は実は行けたけれど、あえて行かなかった。
どころか、嘘を吐いてグランを向かわせた張本人である。
「であろうな。他でもない吾輩がそう仕向けたのだ。あえて言わずとも分かってるぞ」
「……て、てめえ……」
せめて取り繕うか。
もしくは嘘を吐いた事に対する謝罪くらいあってもいいだろ。
何開き直ってんだこのクソ野郎。
という感情をどうにか抑え込み、グランは最低限の言葉に留めた。
「とりあえず一発ぶん殴ってやりたい気持ちで一杯だが、その前に、理由くらい言いやがれ。なんであんたは、あえておれを向かわせた」
戦闘能力。知識。技術。
全てをとっても、グランは目の前のタソガレという男に何一つ優っているものがない。
物事の根本的解決を望むならば、間違いなくタソガレが向かうべきであった。
なのにどうして、あえてグランを向かわせたのか。当事者としてその理由くらい聞く資格はあるのではという尤もな指摘を前に、タソガレは閉口。
言い詰まる内容だったのだろう。
だが、ややあった後、彼は言葉を口にした。
「そんなもの決まってるだろう。吾輩が向かえば、間違いなく殺し合いになるからだ」
「は」
グランは二重で驚いた。
内容と、加えてあまりにあっさりと口にしたタソガレに。
本来秘密主義に近い彼が、こうしてちゃんと答えた事にグランは驚きを隠せなかった。
その理由が、誠意から来るものであるのか。
はたまた、もう隠していても仕方がないという諦念から来るものなのか。
グランに判別はつかないが、少なくとも今だけは正直に答えてくれるようであった。
「〝大陸十強〟と呼ばれている人間は漏れなく、吾輩を殺しにくるだろうよ。吾輩はあいつら全員から、少なくない恨みを買っているゆえ」
だから、『賢者の石』をどうこうする以前の問題になるからいけなかった。
タソガレから齎された言葉を前に、グランは思わず顔を歪めた。
先程から驚きの連続である。
その反応は無理もなかった。
一体、何をやらかせば〝大陸十強〟全員から恨まれる事になるのだろうか。
そもそも、〝大陸十強〟とは仲間ではなかったのか。
「良く言えば、恨まれ役を買って出た。悪く言えば、〝大陸十強〟の一人を吾輩が殺した、といったところかね。勿論、直接的に殺した訳ではないが……彼女の死の一因が吾輩にある事は間違いないだろう」
グランは、タソガレの事を殆ど知らない。
恩人であるが、殆どそれだけだ。
ただ、十年近い時を共に過ごす中でグランはタソガレが救いようのない悪人でない事は理解していた。だから、腑に落ちなかった。
なんの理由もなしに、タソガレが人を殺すとは思えなかったから。
「だが、ああする他なかった。ダンジョンの性質上、吾輩達が呪いを引き受けていなければ、どの道、あの場にいた者は例外なく物言わぬ骸と化していたであろうから」
「ダンジョンの、性質上……?」
真っ先に導き出される可能性は、ダンジョン特有の病────〝迷宮病〟。
グランに記憶障害がなければ、二つ目の可能性として、〝望む者〟と呼ばれる特異な人間の存在を挙げていた事だろう。
だが、記憶の如何を問わず、グランが「答え」にたどり着く事はあり得なかった。
何故ならば、その答えこそが〝大陸十強〟と呼ばれる者達が強制的に口を閉ざされた最たる理由であったから。
故に、本来ならばタソガレがその答えを口にする事は出来なかった。
それこそ、彼が人間という枠組みから外れた〝ホムンクルス〟という存在になっていなければ。
「簡単な話なのだよ。この世界に存在するダンジョンとは、生贄を選定する目的を有したものでもあった。ダンジョンに押し込めた〝呪い〟を押し付けられる生贄を探す為の、な。〝大陸十強〟とは、その生贄の選定に選ばれ、〝呪い〟を強制的に押し付けられた者達だ」
「……ちょっ、と、待て。タソガレ。生贄の選定って、一体どういう事だ。それにお前、それ、」
グランは、タソガレの身体の変化に目敏くも気付いた。生贄の選定と口にした直後から、見るも悍ましい黒黒とした斑がタソガレの身体に広がっているではないか。
錬金術の心得のある研究者の端くれだからこそ、グランはそれが身体を蝕む強力な『呪詛』の類だと一目で看破する。
発動したが最後、恐らく命尽きるまでその『呪詛』は身体を蝕むだろう。
〝ホムンクルス〟であるタソガレを除いて、どれ程の強者であっても誰一人として耐えられない筈だ。
「何もおかしな事はあるまい。不都合な事実を知る吾輩達は、口を封じられている。身体のこれは、それだけの話なのだよ。ダンジョンの本来の目的が知れ渡ってしまえば、〝生贄の選定〟は叶わなくなる。なにせあいつらは、ダンジョンの〝呪い〟を押し付ける為にも〝楽園〟などという夢を魅せているのだから。だから、ダンジョンに潜る生贄候補を減らしたくないのだ。あいつらが必要としているのは、〝ダンジョン〟との親和性が高い〝望む者〟と呼ばれる人間かつ、〝呪い〟を多く引き受けられる強者なのだから」
「……だから、〝大陸十強〟は呪われたとでも言うのか」
「そうなのだよ。ゆえ、既に用済みとなった〝生贄〟である吾輩達はあいつらにとって邪魔でしかなく、ダンジョンの秘密を口にすれば、漏れなく死ぬように口を封じられた。これが、全てなのだよ」
「…………なんだよ、それ。そもそも、あいつらって、誰だよ」
脳裏に渦巻く様々な疑問を一旦のみ込んで、グランは立て続けに問い掛ける。
「決まっている。この世界において、〝神〟と呼ばれている存在だ」
「…………。納得はまだできねえが、あんたが嘘を吐いてねえ事は理解した。恐らく、本当なんだろう。何よりあんたが、この状況下で意味もねえ嘘を吐くとも思えない。だが一つ、腑に落ちねえ事がある」
「何かね」
「それだけの仕打ちを受けといて、なんであんたは、今の今まで動かなかった。そもそもどうして、今になってこの話を打ち明けた」
グランも無知な人間ではない。
ロンとの会話。
〝魔神教〟と呼ばれる〝闇ギルド〟の動向。
テオドールと呼ばれる男のこれまでの行動。
そして、メイヤードという一つの国を舞台とした今回の騒動。
極め付けに、タソガレによる先ほどの言葉。
それらを踏まえれば、グランもある程度の予想はつく。
きっとテオドールは、〝神〟を殺したいのだろう。動機はそれこそ腐るほどある筈だ。
しかしだから、グランは分からない。
〝ホムンクルス〟である筈のタソガレは口封じに限り、〝呪い〟に縛られていない唯一の存在だろう。
幾ら口を封じられていようと、既に知ってしまっている人間同士には関係がない。
ならば、これまでにどれだけの因縁があろうと、手を取り合う選択肢はあっただろう。
なのにどうして、タソガレはテオドールのように動こうとしなかったのだろうか。
どうして声を上げなかったのだろうか。
ダンジョンが危険な存在であると、たった一言すらどうしてなかったのだろうか。
「こんな状況であるというのに、隠し続けていても今更仕方がないのだよ」
明滅する周囲の景色。
天に浮かぶ旋回する魔法陣。
彼方此方で聞こえる轟音。
揺れる大地。
それらが既に手遅れであるとこれ以上なく指摘している。だから、タソガレはこうして話していると白状した。
「それと、吾輩が動かなかった訳か。そんなもの、理由は一つしかない。吾輩は、〝神〟と呼ばれる存在の死を望んでいない。吾輩は、〝神〟を恨んでいない。ゆえに、今現在テオドールと名乗るあの男に手を貸さなかった」
「…………」
グランは真っ先に、タソガレが嘘をついていると思った。
これまでの話を聞かされて、仮に己がタソガレの立場であったならば恨まずにはいられない。そう思ったからだ。
「貴様も知るように、吾輩は聖人ではない。真実がその一つだけならば、手を取り合っていたやもしれない。だが、吾輩は一度たりとも真実が一つだけとは言っていないのだよ、グラン」
グランの眉根が寄った。
つまり彼は、真実が二つあるとでも言いたいのだろうか。
グランが問い質すより先にタソガレは何故だか、どこか自嘲染みた態度で語り出す。
過去を懐かしむような、悲しむような様子であった。
「その昔。それはもう、馬鹿が極まった人間がいたのだ。数百年の時を生きる吾輩ですら、未だに自己犠牲が酷過ぎるとしか言いようがない人間がいたのだよ。それはもう、救えぬ程に。多くの人間を助けたいと願いながら、自分の痛みや犠牲には気付こうともしない、最初の一歩目から間違っている馬鹿がいたのだ。だが、そんな馬鹿だったから、〝神〟の意志すら捻じ曲げられたのだろう。そいつの名前を、ルシア・ユグレットと言った。見た目や性格は似ても似つかないが、本質的な部分はよく似ていたよ。丁度、貴様らのようにな────ノステレジアの人間?」
タソガレの言葉を受けて、勢いよくグランは肩越しに振り返った。
そこには誰の姿も、気配も存在しなかったが、程なく、タソガレが当てずっぽうで口にしたのではないと認識してか、何処からともなく三つの人影がそこに現れた。
そのうちの一人に、心当たりがあったグランは「てめえは」と声をあげるも、被せるように包帯に巻かれた男が言葉を口にする。
「……おれを知ってるのカ?」
隠形は完璧であった。
魔法は勿論、魔道具の力を以てしても気付けないであろう完成度。
『賢者の石』の力を利用したソレは、本来誰も気付けない筈のものだった。
それこそ、関わりの深い〝ホムンクルス〟であるタソガレのような存在を除いて。
あえて言うならば、相手が悪かった。
「貴様の事は知らないのだよ。だが、ノステレジアは知っている。そして、正しくノステレジアの人間ならば、この場にやって来るであろう事も」
「……どうやら、貴方は『賢者の石』について、随分と詳しいらしイ」
メイヤードには元々、『賢者の石』は二つ存在していた。
一つは、国の維持に使われていたもの。
そしてもう一つが、かつてワイズマンが作り上げた『賢者の石』の力をその身に引き込んだ事で、身体に内包され、代々受け継がれる事になったノステレジアの身体の中。
本来は『賢者の石』とノステレジアの人間、その両方が必要になるのだが、無理を強いれば国の維持だけならばノステレジアの人間一人で事足りるのだ。
故にローゼンクロイツは向かった。
メイヤードにおける本当の中心部へ。
どうにかする上でその場所が一番都合がいいと踏んで向かい、そしてタソガレに出会った。
しかも、待ち受けていたかのような言葉付きで。
「『賢者の石』の力を使って、国を創り上げてしまった天才。あれは、吾輩をして天才という他ない人間だった。尤も、当人は欠陥が付属したシステムを創り上げて息絶えてしまったようだが」
存続の為にはノステレジアの人間がいなければならない欠陥だらけの国。
恐らくは、他者を信じられなかったのだろう。だから、国の存続の為に己の血族を必要とする欠陥システムを組み込んだ。
それが、ノステレジアであった天才の唯一の落ち度。しかし、仕方がないとも言えた。
そうすれば、その国の中心に必ずノステレジアが存在するようになるから。
差別のない国という信念を何代経ても存続させる為にも仕方がない措置ではあった。
しかしその結果、ノステレジアの人間は利用され続け、最後は国を存続させる為の動力として考えられるようになってしまった。
その最たる犠牲者こそが、今まさに姿を現した最後のノステレジア。
水晶の中に閉じ込められていた筈の男。
ローゼンクロイツ・ノステレジアだった。
「……『賢者の石』に詳しい人間なら、一つ聞かせろ。どうしてロゼは、〝贄〟に捧げられていたにもかかわらず、こんなどうしようもない国や人を助けようとしてる」
睨め付けながら、新たな声────ローゼンクロイツと共に隠れていたうちの一人であるチェスターが、責め立てるようなローゼンクロイツの視線を無視し、満身創痍の状態で問い掛ける。
その傷は、アレクの父であるヨハネスによって生まれたものであり、追い込んだ張本人は側で監視するように佇んでいた。
ヨハネスが止めを刺さなかった理由は、この不可解極まりない現状に対しての心当たりがあるであろう二人を殺すわけにはいかないと判断したから。
何より、ローゼンクロイツの話を聞いてしまったが為に殺す気が萎えてしまったとも言うべきか。
「俺チャンには、全く分からねー。どれだけ言葉を尽くされても、微塵も共感が出来ねーんだ。どうして、〝贄〟なんて役割を押し付けてきた人間の為に尽くそうと思える。その先に、自分の幸せなんてもんはねーのに、どうして自分の身を犠牲にしようと思える。そういうものだと説明を受けても、俺チャンには全く分かんねー。だから、教えてくれ」
ローゼンクロイツと再会したあの時、チェスターが真っ先に取ろうとした行動は、「ローゼンクロイツを逃す」事であった。
どうして生きているのかは分からない。
それでも、テオドールがしようとしている事を理解していたから真っ先にローゼンクロイツを逃そうとした。
元より彼の動機はメイヤードの破壊だ。
チェスターはノステレジアが「自由」になる為にもこんな国は無くなってしまうべきだと考えていた。
だから、巻き込まないように逃げて貰う他なかったのに、よりにもよってローゼンクロイツはそれを拒絶した。
やらねばならない事があるからとチェスターの説得に一切応じず、「この国の人間を助けたイ。死んで欲しくはなイ。だから、手を貸してくレ」と言ってヨハネスに助けすら求めた。
それが、散々な仕打ちを受け続けたローゼンクロイツの口から出てくるものとは到底思えず、チェスターはどうしても納得が出来なかった。
「あくまでも予想になるが……理由があるとすれば一つなのだよ。そんなもの、彼がノステレジアであるからだ」
「……だから、それが分かんねーっつってんだろ」
チェスターの言葉を受けて、タソガレは沈黙を挟む。そしてやがて、隠す理由もないかと割り切ったのか、話し出した。
「この国は元々、〝皆が幸せを祈れる王国〟を作りたい────そう願った一人の少女の想いを汲んで、かつてのノステレジアの手でつくられた国なのだよ。そしてあの男は、〝祈りの国〟を絶やさない為に、その血脈に軌跡を刻み込んだ。ノステレジアの人間によって、維持されるように。まあ、一言で言うなら悪人だろう。仕方がなかったとはいえ、これは善人の所業ではないのだよ」
なにせ、己の子孫を犠牲する前提のもと、軌跡という名の己の散々な人生を晒す事で得られる「同情」を盾に「犠牲」を強いてきた張本人。
それがかつてのノステレジアである。
一人の少女の為にその身を犠牲にした天才の業を受け継ぎ、国の維持の為に手を貸し続けてきたノステレジアはとんだお人好しという他ないだろう。
そう言葉を続けたタソガレを前に、どうしてそれを知っている。と言わんばかりにローゼンクロイツが瞠目し、タソガレを見詰めていた。
「決まっている。その想いの成就に、吾輩も手を貸したからだ。尤も、手を貸したというより、テオドールの暴走に巻き込んでしまった贖罪の意味が強かったが」
数百年の時を生きる〝ホムンクルス〟。
『賢者の石』という存在を忌み嫌う彼が、唯一、許容した『賢者の石』の使い方。
自己犠牲が酷すぎる一人の少女の想いに重ねてしまったが故に、彼は許容し手すら貸した。
「ともあれ、故に吾輩はある程度の事情を知っているのだよ。そしてだからこそ、吾輩は────」
そこで、タソガレの言葉が止まった。
理由は、遠く離れた場所で会話をするタソガレの声すら遮る程の轟音が響き渡ったから。
バチリ、と轟くそれは、気付いた時には存在していた鈍色の雷雲から齎されており、そこからは見慣れない黒い雷が大気に複数奔っていた。
一見すると変わった雷としか思えない。
しかし、タソガレだけは違う感想を抱いていた。タソガレだけは、その光景に心底から瞠目していた。
「……カルラでもなければ、テオドールでもない。ユースティティアは、あり得ない。ならばあれは、誰のだ」
〝獄〟の維持すら最早ままならないユースティティアを真っ先に除外しながらタソガレは考える。
しかしどれだけ考えても「神力を含んだ攻撃を撃ち放つ存在」に対しての答えは出ず、タソガレは顔を顰める事しか出来なかった。
それでも、どうにか答えを導き出そうと黙考し、まさか、ローザ・アルハティアのように半端に呪われた人間の仕業なのだろうか。
タソガレがそんな結論を出そうとした刹那、過剰に反応する人間が一人。
「……アレク、か?」
そう口にしたのはヨハネスだった。
ヨハネスに魔法の才は殆どない。
だが、それでも区別はつく。
天性の戦闘勘が助けになっているのか、それが誰の魔法であるのかの区別だけはついた。
ゆえに、先の黒い雷がアレクのものであると気付き、そして驚かずにはいられなかった。
カルラと関わり合いのある彼だからこそ、そこに内包されたものが、カルラ程の人間が心の底より忌避するものであったから。
関わるべきものではないと常日頃より自虐気味に口にしていたから。
だから、ヨハネスは鋭く舌打ちを一つ漏らした。
「…………っ、くそっ、たれが」
────間違いだった。
今のアレクには、頼もしい仲間達がついている。ヨハネスが一々、首を突っ込んで過保護になる必要はないだろう。
陰から助ける程度で十分な筈だ。
そう思い、目を離した途端にコレだ。
だからヨハネスは駆け出そうとして、しかし
「今は、問題なイ」
そこに、待ったをかける声が一つ。
ローゼンクロイツだ。
「問題ない、だ?」
しかし、彼の言葉はグランからすれば身勝手な責任のない言葉でしかない。
故に語気が荒くなる。
「ああ、問題なイ。それに、あの力を持った連中を相手に、貴方のような普通の人間では助力どころか足手纏いにしかならなイ」
「……だとしても、黙って見とくなんて選択肢はおれにはねえんだよ」
カルラ・アンナベルを始めとした〝大陸十強〟が普通じゃない事はヨハネスがよく知っている。
それは、天賦の才によるものではなく、もっと根本的でどうしようもなく、致命的な問題。
曰く────押し付けられた呪いの力。
あのローザ・アルハティアが、勝てないにせよ、負けない戦い方はあると、弱腰にならざるを得なかった力。
散々、カルラがヨハネスに「戦うな」と忠告してきた力。
何故、その事についての理解がローゼンクロイツにあるのかは判然としないが、今は問い詰める時間すら惜しく、ヨハネスは訊ねる事をしなかった。
「黙って見とけとは言っていなイ。だから言っただろウ。今は、ト。まだお前の出番じゃなイ」
早合点をするなとローゼンクロイツは責め立てる。
「『賢者の石』を奪い取ったテオドールと呼ばれていた男。アレは、狡猾な男ダ。多くの人間を駒とみなし、且つ自分という存在すら望んだ結果を得る為の駒としてしか見ていなイ。その為に、徹底的に使い潰していル。要するに、一欠片の信用すら置いていなイ。故に、失敗に終わらないだろウ。メイヤードは消え、この国の人間も全員死ヌ。何もしなければ、間違いなくそれは現実のものとなるだろウ」
揺らめく周囲の景色。
その変化を齎す事になった行動は、決して失敗には終わらない。
このメイヤードと〝楽園〟を入れ替えるという所業は、まず間違いなく成功しているだろう。
アレクが失敗したと踏んだソレを、ローゼンクロイツは成功していると捉えた。
ユースティティアの協力を得られない可能性も。『賢者の石』の力が弱まっている可能性も。邪魔が入る可能性も。
全てを考慮した上で、テオドールは考えていた筈だ。
ノステレジアの血脈に刻まれた、かつてのテオドールの姿を知っているからこそ、ローゼンクロイツはそう予想した。
「だから、どうにか策を講じなければならなイ。おれがここへ真っ先に向かった理由は、それゆえダ」
タソガレがここに居る理由は、これに繋がってくる。
テオドールの好きにさせてしまえば、〝神〟と呼ばれる存在は殺されるだろう。
タソガレは、既に口にしていたようにそれを嫌っていた。
だから、ローゼンクロイツ同様、策を講じようとした。
ただ、そんなローゼンクロイツの内心を聞いて、
「────逃げればいいじゃねーか」
ボロボロの身体でそう口にしたのは、チェスターだった。
この男は、己の親友でもあったロキに対し、敵対するや否や逃走を促していた。
それは、背後を狙う為でもなく、本心からの言葉であった。
だから、この期に及んでそんな発言が当たり前のように口からこぼれ落ちたのだろう。
何故ならば、それがチェスターという男の本質だから。
もう何かを失いたくはないという恐怖こそが、彼の行動理由であったから。
「どうして、あえて苦しい道をいこうとする。なんで、傷つこうとする。犠牲になろうとする。そういう事は、逃げ道を失ってからでも遅くはねーだろ。それにそもそも、こんな世界に何の意味があるってんだ。守って、何になる。俺チャンには、それが全くわからねー」
かつてはそこに意味があると思っていた。
肉親を失った先で、唯一無二の親友と出会った。
だが、親友との約束を果たそうとして、国の腐敗という変え難い挫折を味わった。
その先で、ローゼンクロイツと出会い、耐え難い離別の果てに、世界そのものが腐り切っていると答えを出した。
それは、再会出来た今も変わらない。
だから思うのだ。
命を賭けてもいいと思える相手を除き、誰かの為に行動する事の意味が分からないと。
「テオドールは間違っても善人じゃねー。あの思想に共感こそ覚えたが、その手段は悪人そのものだ。犠牲を是とするその考えは、きっと多くの人間と相容れねー」
それこそ、何かを失った人間でもない限り。
テオドールはその弱みにつけ込む人間だ。
そんな存在が善人な訳がない。
けれど、チェスターはそんな人間に救われた。故に手を取ったに過ぎない。
「代償の付き纏う力を貸し与えて、駒として動かすような人間だからな、アイツは」
ヨハネスがチェスターに勝てた理由は、相性の問題もあった。
だがそれ以上に、チェスターの限界が訪れていた事も大きかった。
〝呪術刻印〟。
本来、適正に恵まれていない筈の魔法を使えるようにしてくれる魔法のような刻印。
テオドールが貸し与えるものはその中でも特異で、大きな力と引き換えに少なくない代償が要求される。
けれど、後がない人間はチェスターのように喜んでそれを受け取るだろう。
文字通り、後がなく、憚るものもないから。
「でも、それでも俺チャンは、あいつがまるきり間違ってるとはどうしても思えねー。『この世界は間違ってる』そう口にするあいつが、どうしても全て間違ってるとは思えねーんだ。おれは、こんな世界なんぞ消えてしまえば良いと思っていたから」
だから、ローゼンクロイツが再び自身を犠牲にしようとしているという予感があった事もあるが、テオドールの行為を止める気にはなれないとチェスターは言う。
「……世界そのものがなくなってしまえば、誰も幸せになる事はなくなるが、誰かが不幸になる事もなくなル。確かに、それはある意味で幸せなのやもしれなイ」
ただ────と、ローゼンクロイツは言葉を続ける。
しゃがみ込みながら口にする彼が、何かをしようとしている事は間違いなかったにもかかわらず、続けられた言葉のせいでチェスターは止められなかった。
「チェス坊の言うこんな世界がなかったら、おれはチェス坊に会えなかっタ。それは、悲しい事だし、だからおれは守りたいとも思うんダ。紡がれてゆく何気ない親交が、どうしようもなく尊いものだと思っているかラ。ゆえに、おれの考えは変わらんヨ、チェス坊。サ、時間もない事ダ。そこの男────手を貸してくレ」
「ロゼ!!!」
やめろとばかりに怒号を飛ばすチェスターを無視して、ローゼンクロイツは地面についた手のひらから何かを流し込む。
視線の先には、タソガレが。
この場所に居合わせた時点でやろうとしていた事は露見しているという前提のもと、言葉を交わす。
「……分かったのだよ。元より、そのつもりだったのだよ。にしてもアレだな。似ているとは思ったが、似過ぎだろう、貴様ら」
「似過ギ? 誰にダ」
「吾輩の友に、だ。あいつもよく似た事を言っていたよ。しかも、死にたがっていた〝神〟を相手に命知らずにも、胸を張って堂々とな。そんな事よりもだ、グラン。何をぼさっとしている。貴様も少し手伝え。人手が欲しい」
「人手って、あんた一人でも事足りるだろ。それに、今はもう一人もいるんだ。おれなんざいなくとも、」
タソガレは、武人ではなく研究者である。
その能力は世界全土を見渡しても三本の指に入ると言い切れるほどの物。
人手の一人や二人。
そう思って答えたグランだったが、その意見はすぐに覆される事になった。
「────時間遡行の、〝禁術〟を使う」
「……時間、遡行だと?」
グランはその一言で、嗚呼と納得した。
それならば、タソガレであっても一人の手に負えないと理解したからだ。
驚きの声をあげたのは、チェスターだった。
時間遡行の〝禁術〟など、今や掠れてとても読めた物ではない古びた文献にどうにか記載があるレベルのもの。
彼の反応は、当然とも言えるものだった。
「今更、メイヤードの維持に注力しても最早間に合わない。核たる『賢者の石』が奪われた以上、崩壊は止められない。代わりの物を用意しても、馴染むのに時間がかかり過ぎる。そして、今回の一件による犠牲者が多過ぎる。『賢者の石』を使ってどうにか食い止めても、メイヤードという国はもうどう足掻いても機能しまい。それこそ、禁術でも使わない限り。不幸中の幸いにして、ここは小さな都市国家。メイヤードという限定された場所に限った時間遡行ならば、ギリギリ『賢者の石』でどうにかならない事もない」
だから、この場所が選ばれたのだ。
メイヤードのど真ん中。
全体に魔力を巡らせる上で、一番効率の良いこの場所に。
「……ただ、問題があるとすれば、読み間違えれば終わりの賭けである事くらいか」
「読み間違い?」
チェスターが首を傾げる。
表情に僅かの皺を刻みながら、タソガレはその疑問に答える。
「〝禁術〟もそうだが、あのテオドールの行動について、なのだよ。アレを押さえ込んでいる人間がくたばり、テオドールがこちらに気付けば終わり。この〝禁術〟は跡形もなく破壊されるだろう」
時間を遡行するその行為は、テオドールからしてみれば邪魔としか言いようがないから。
「尤も、向こうには死に掛けのユースティティアと、ある程度動けるカルラがいる筈。どうにか時間は稼げるだろうが、万が一もあるのだよ。ゆえ、伝えて来てくれるか。そこの小さな人形使い?」
びく、と物陰に隠れていた西洋人形が震える。
それは、レッドローグに在籍するAランクパーティの冒険者。ライナ・アスヴェルドのものと酷似していた。
人形は、そのまま音を立てずに消えたが、タソガレはそれを肯定と捉える。
これで恐らく、最低限の時間稼ぎはしてくれるだろう。そう信じ、タソガレはそのまま〝禁術〟を唱えた。
「さて、時間もないので始めるぞ────〝暗夜遡行路〟────」









