百二十一話 〝神力〟
ユースティティアから齎されたその言葉を聞いて漸く、俺の胸の内に渦巻いていた複数の疑問がほんの少しだけ氷解された。
どうして、〝魔眼〟が開眼した時、母は自身の能力を用いてまで保険を掛けていたにもかかわらず、現実世界では何一つとして〝魔眼〟の痕跡を遺していなかったのか。
母は知っていたのだ。
己が利用されようとしている事実を。
母は俺が同じ運命を辿る事を危惧したのだろう。
だから、徹底的に遠ざけた。
それこそ、〝魔眼〟という存在にすら気付けないように。
故に、それが叶わなくなったと知ったあの邂逅の時、悲しそうな表情をほんの一瞬だけ見せていたのやもしれない。
ただ、ユースティティアが口にした言葉その全てを飲み込み信じるにはあまりに情報量が多過ぎた。とてもじゃないが理解が追いつかない。何より、齎された情報を信用出来るだけの裏付けが決定的に足りていなかった。
それらを踏まえて、俺がユースティティアに言葉を返そうとした瞬間、割れんばかりの怒号が響き渡った。
「……納得したか、だと? アレクは、それで母親を殺されてんだぞ。母親が死んだ理由がそんなクソみてえな理由だと聞かされて、納得出来るわけねえだろうが……ッ!?」
それは、オーネストのものだった。
どこまでも冷静で、感情の篭らないユースティティアの声音。
どこまでも他人事と割り切ったその態度が余計に苛立たせる要因になったのかもしれない。
赫怒の形相で、オーネストは声を荒げていた。
「挙句、アタシらの問題、だぁ? だったらなんで、アレクの母親が死ぬ前に全てを終わらせなかった。オレさまの母親ももういねえから、よく分かる。肉親を失う辛さは、よく分かる。だから言わずにはいられねえな……!? そもそもどうして、そこまで分かっていながら助けなかった。何もせず、何も出来なかったてめえに、アレクに指図する資格がどこにあるってンだよ……ッ」
捲し立てるオーネストの言葉はまだ止まらない。
「何より、てめえらの話が本当なら、〝神〟は存在する価値のねえロクでなしだ。それなら、オレさまは救いようのねえクズではあるが、まだテオドールの方が信用出来るとすら思える」
テオドールの中にある〝神〟への憎悪は紛れもなく本物で、一切の揺れもなく貫かれている信念のようなものでもある。
手段を選ばないテオドールのせいで犠牲になった人間は数え知れない。
だが、そもそもの全ての元凶がその〝神〟であるならば、どれだけ犠牲を払おうと殺そうと試みるテオドールの姿勢はある意味で間違ってはいなかった。
寧ろ、それだけ害でしかない存在であると理解していながら静観を決め込んでいた者達にこそ、不信感が向いてしまう。
「……そう、だ。おれ、は、殺さなくちゃいけないんだ。あんな結末を引き起こした存在を、許すわけにはいかなかったから。許さないと、そう決めたから。だから。だから、だから。だからだからだからだからだからだからだからだから────!!! 何を犠牲にしてでも、俺は殺さなくちゃいいけない。いけないんだ」
頭が痛むのか、押さえながらもテオドールは確かめるように言葉を紡いでゆく。
焦点の定まらない瞳で、捲し立てるように、ひたすらに。ひたすらに。
それは、壊れたブリキ人形のようでもあって。
「だって、おかしいじゃないか。なんで、一番関係なくて、一番悪くないやつが、どうして一番苦しんで死ぬ必要があった……!? どうして、彼女が死ぬ必要があった!? そんな犠牲の下でしか存続出来ない世界になんの意味がある!? そんな事を強要する事しか出来ない神の存在価値がどこにある!? だったら、殺すしかないじゃないかッ!!! もう二度と、あんな事が出来ないように!!! だから俺は、間違ってなんかないんだ……!!」
「…………」
事情を全て知らない俺からすれば、テオドールの言葉は支離滅裂で手前勝手な暴論のように思える。
ただの取り繕いのようにも思える。
だけど、口から零れ落ちる慟哭の声は、切実な絶叫であった。
心が張り上げるような悲鳴だった。
だからこそ、手足よりも先に口が動いた。
知る必要があると思ったから。
知りたいと思ったから。
知る、権利が俺にはあると思ったから。
そもそも一体────。
「……一体、神ってなんなんだ」
呟く。
誰に向けた訳でもない俺の言葉は、独り言のようであって、誰でもいいから答えてくれという慟哭にも似たものであった。
神について、俺は然程詳しくはない。
この世界の創世記についても、同様に。
でも、形而上に存在するとされる神はもっと、人々の希望の象徴で、信仰を捧げてしまう偶像のような存在だと思っていた。
実際、俺達が邂逅したアダムも、慈愛に満ちた存在のように思えた。
なのにどうして、この二人はここまで神を嫌悪しているのだろうか。
その感情に、微塵の躊躇すらないのだろうか。演技ではないと分かるからこそ、頭がこんがらがった。
何が本当で、何が嘘で。何が正しくて、何が間違っていて。何が、正義で、何が、悪で。
何もかもが分からなくなってくる。
そうまでして彼らが殺したいと願う神とは一体何であるのか。
そもそもこの世界とは一体、何であるのか。
アダムと名乗った存在を知ってしまったからこそ、その疑問を胸の内に留めておけなかった。
「……すべての元凶。信仰に値しない愚物。間違いなく、その言葉に帰結するだろうね。ぼくに言える事は一つだけさ。あいつらだけは、何があっても信じるな」
答えたのは、テオドールだった。
頭を抱えたまま、未だ整理のつかない思考の中で、明確にその言葉は紡がれた。
内包された滲む程の憎悪の感情が、その言葉が欺く為の嘘でないと雄弁に物語っている。
「あいつらは、人を体のいい道具程度にしか考えていない。自分達の欲望を満たす為の、唾棄すべき人形程度にしか考えてない。そのせいで、多くが犠牲になった。多くが、礎となった……! 願いを叶える。そんな甘やかな言葉と夢で皆を痴れさせ、果てに絶望の淵に叩き落とした……!! それが、神だ。奴らにとって、人とは路傍の石以下の存在でしかない。だから奴らは、平気で人を辱める。だから、ぼくは嫌悪する。だから、ぼくは神を恨み、殺す為に生きている」
会話をしているようでその実、自分自身に言い聞かせているかのような様子だった。
混乱した頭の中を、言葉を口にする事で落ち着かせているのだろう。
ユースティティアから齎された「操られている」という言葉を否定し、自分の中にある神への憎悪が揺るぎないものであると認識する為に。
到底正気とは思えない彼の言葉であるが、「妄言」と一括りにするには、あまりに心当たりのある言葉が多過ぎた。
故に、耳を塞ぐ事はできなかった。
「……たとえそうする事で、新たな多くの犠牲が生まれるとしても、ぼくはもうそれだけしか出来ない。何故なら、あの時、あの場所でそう誓ったから。……ユースティティアの言う通り、ぼくはかつてのように操られてるのかもしれない。自覚の外で、彼女の血縁にまで手を出してしまっている以上、言い訳のしようもない。だけど、それでも一つだけ言い切れる。ぼくの中にあるこの誓いだけは、紛れもなくぼくの意志に違いないと────!!!」
故に、最早過程など考慮に値しないと口にするテオドールの瞳には確固たる決意が。
瞳に帯びる煌めきは危うく、狂っているようにも見える。否、狂っているのだろう。
既にテオドールに俺達の言葉を聞く意思はなく、視界の隅にすら入っていないのだろう。
ぼくの邪魔をする人間は、すべて死ね。
そう言わんばかりの、荒々しく、暴力的な圧が巻き起こる。
そして、見慣れない魔法陣のようで魔法陣ではない何かが、ニヒルに口元を引き裂いたテオドールの周囲を包み込むように浮かび上がった。
言い知れぬ悪寒が身体を包み込んで尚、身体が動いてくれた理由は、ここでテオドールを放置すれば、取り返しのつかない事態になるという確信めいた予感があったからだ。
だからこそ、あまりに隔絶した実力差と理解して尚、手が、足が、頭が動いてくれた。
それは、俺だけではなく、オーネストも同様であった。
しかし、手にした刃はテオドールには届かなかった。
遮ったのは、見覚えのある鎖だった。
確かな抵抗感が剣を伝って手に届き、続くように耳を劈くほどの金属の衝突音が響き渡った。
「……てめえは」
周囲を見渡すと、腕を引き絞り、投擲の構えを取っていたオーネストまでもが鎖に絡め取られていた。
俺達の邪魔をした存在。
突如として何処からともなく現れたその人物を、俺達は知っていた。
顔を突き合わせたどころか、言葉を交わし、殺し合いすらした事がある間柄。
「邪魔をしないで貰えますかねえ!? お二方ぁ!?」
「やっぱり、生きてやがったか────ゾンビ男!!」
男の名を、ノイズ。
かつて、レッドローグにて出会った〝闇ギルド〟所属の人間であり、首を落とされて尚、絶命するどころかケタケタと嗤っていた不死の男であった。
今更、どうやってこの場に現れた?
なんて疑問は抱かない。
その疑問が仮に解消されたとしても、現状が好転する事はないと分かりきっているから。
だが、この展開に引っ掛かりを覚えずにはいられなかった。
恐らく、ユースティティアやアヨンが言っていたようにテオドールと俺達の実力差は比べる事が烏滸がましくなる程に隔たりがある。
これまで一度として刃を交える機会がなかったから確信が無かったが、つい先程、理解した。少なくとも、たった一撃で終わる可能性がある程に大きな差がある。
ならば、ノイズも彼我の差は予め理解していただろう。
なのに何故、俺達の前にこうして立ち塞がった?
殺したくなかったから実力伯仲の相手を見繕った? それとも、ノイズが俺達を庇った?
……そんな訳はない。
神を殺す為の犠牲ならば、テオドールは何であろうと許容する人間だ。
ノイズも、躊躇いなく人を殺せる側の人間である。彼らに今更、そんな温情があるとは思えない。
だったら理由がある筈だ。
ここでノイズが介入してきた確固たる理由が。
「グラン────いえ、リクの事については、残念でした。あの件の私怨で邪魔をするというのならば、気が済むまでおれが相手になりましょう? ですがぁ、神を殺そうとするテオドールの行動を倫理観が邪魔をしているというだけならば、それは疾くやめるべきでしょう。一応言いますが、これは、善意からの忠告で、あなた方の為でもあるのですよぉ?」
苛立ちを覚える口調は相変わらず。
だがそれ以上に、彼が口にする言葉があまりに予想外すぎて全く気にすらならなかった。
「……知らないな。それは俺が決める事であって、あんたに諭されて決める事でもないだろ」
誰かの為に。
そんな言葉があまりに似合わない人間からの発言に戸惑いを覚える。
現実感のなさに、眉間に皺が寄る。
けれど、俺達は明確な敵同士。
敵の言葉に耳を貸してやるほど、今は余裕に溢れた状況ではない。
そのまま俺は纏わりつく鎖を振り払い、眼前の敵となったノイズへと斬り掛かる。
アヨンを含む罪人達を拘束する鎖と異なり、ノイズの鎖は剣で斬り裂けるもの。
故に、脅威ではなく、躊躇いなく俺は肉薄して剣を振り抜いた。
「人の忠告は、聞くものだと教えられなかったんですかねえ!?」
ただ、ノイズはそれでも口を開く事をやめなかった。薄皮を斬り裂かれて尚、言葉を止めない。冗談か何かかと思ったが、どうやらノイズは冗談を口にした気はなかったらしい。
「あなた方は何も知らない。何も、知らされていない。如何に神が度し難い存在であるのか。真実を知れば、それを排除する為ならば、過去の亡霊の一人や二人。人の百人や二百人。国の一つや、二つ程度、あまりに安い代償と思う事でしょう。それで、このふざけた世界から神を排除出来るのならばねえ!?」
過去の亡霊とは、ワイズマンやメアを指しているのだろう。
そして、舞台となったこのメイヤードのすべてが消え失せるとしても、それは安い代償であると口にするノイズは、やはり相容れない破綻者だ。
どんな事情があったとしても、罪なき誰かが誰かの一方的な都合で命を弄ばれて良い筈がない。不幸に見舞われて良い訳がない。
どれほど重い事情があっても、それが是として認められて良い訳がない。
故に、聞くに値しない。
だから、目の前の障害を排除する為に俺はまた一歩と踏み出す。
「戯言に耳を貸す気はないって、言ってんだろ……ッ」
邪念を振り払うように得物を振るう。
仮にここでノイズを倒したとして、次に立ち塞がるのは間違いなく、テオドールだ。
その力量の差は歴然。
だが、どうしようもない訳ではない。
レッドローグに出会った時に、俺達へ魔法を使っていなかった点。
テオドールが同類と称したユースティティアと、カルラ。
よくよく考えてみれば、その二人も殆ど魔法を使おうとしない人間だ。
恐らく、使いたくない。若しくは、使いたくても使えない事情があるのだろう。
ならば、ノイズの行動にも説明がつく。
そしてそれが、唯一の活路だ。
「────何故、この世界の神は〝願いを叶える〟などという甘やかな誘惑を用いて、人をダンジョンへ誘うと思いますかぁ?」
直前に容赦なく切って捨てたにもかかわらず、それでもノイズは喋る事を止めない。
動揺を誘うだけの言葉。
そもそも、敵の言葉を信じる理由などない。
故に度外視。今は、前だけを見てればいい。
鍔競り合う得物。
散らばる火花は、俺の状態が万全である事をこれ以上なく現している。
やはり、アヨンの力を借りて正解であった。
「ある意味で、争いを誘発するような言葉を、何故神は口にしているのか。何故、迷宮病という救いようのない病を発症させるダンジョンへ、あえて人に挑ませているのか。そもそも、何故、全ての願いを叶える万能の果実なんてものを持ち得ている存在が、何かを求めているのか。矛盾極まりないとは思わなかったんですかねえ!?」
雑音、雑念をかき消すように苛烈さを増す剣撃。
しかし、未だ決定打とはならない。
打ち崩せない故に、これ幸いとノイズは好き勝手に喋り続ける。
「神が害悪な存在でないならば、何故、その疑問が解消されないのでしょうねえ!? 何故、その誤解を解かないのでしょうねえ!? それとも、あいつらは『何も知らなかった』が通用するとでも思っているのですかねえ!? ひ、ひひひ、ひひひひひひひひ!!」
俺の攻撃をいなしながら、ノイズは表情を歪ませながら狂笑を響かせる。
どこまでも愉楽に染まった哄笑を轟かせる。
「答えは、簡単ですよぉ。奴らは、答えたくないのです。やましいから、隠しているのです。やましいから、口を封じたんです。〝大陸十強〟と呼ばれる人間達の口を、呪いという強制力で否応なしに塞いだようにねえ!?」
ノイズの言葉を受けて、視線を一瞬だけテオドールと相対するユースティティアに移す。
すると彼女は、顔に皺を刻み、その通りだと肯定するような反応を見せていた。
「ハ、あはははははははは!!!!! かつてのエルダス・ミヘイラも、あなたと全く同じ反応をしていましたよぉ!? そんなバカな話があるものかと言いたげにねえ!?」
「……なんで、ここでエルダスが」
「────そこ。ガラ空きですねえ!?」
「……ッ、ぐ、ぁっ」
直後、痛みの知覚より先に骨の悲鳴が脳内に響き渡った。
俺の身体の中の何かが纏めて圧し折れる音。
そう自覚出来たのは、ノイズの攻撃により勢いよく後方に吹き飛ばされてからだった。
追撃するように俺の視界を無数の鎖が覆う。
だが、その鎖は突如として走った鎌風によって、ズタズタに引き裂かれた。
引き起こした張本人は、すぐに判明する。
「……嗚呼。そっちのあなたは〝紫霞神功 〟が使えるんでしたねえ」
「〝竜戰─────」
纏うは紫霞。
視覚化された紫の霞が靄となってオーネストの槍から噴き出し纏わりつき、そして颶風が吹き荒れる。
全てを消し飛ばさんと轟威を以て襲い来る攻撃。竜の咆哮を想起させるソレの名を、
「────『竜閃華』〟────ッ!!!! 油断してんじゃねえよッ!! アレク!!!」
「悪、い」
先程からちっとも動揺が隠し切れていない。
少なくとも、先の攻撃は普段ならば避けられた。そう、責め立てるように苛立ちめいた様子で声を上げたオーネストの言葉は尤もだった。
「謝罪する暇があンなら、あいつをどうにかしやがれ!!!」
吹き飛ばされた先は、比較的テオドールとユースティティアと近い場所に位置していた。
俺達がノイズに気を取られている間に、二人の間でもやり取りが行われていた。
そして、その雌雄は既に決している。
頽れるように血反吐を吐きながら倒れるユースティティアの姿がその証左だ。
「……ッ、ユースティティア……!!」
だから助けに入ろうと、俺は痛みを堪えて駆け出す。
「おれがそれを許すとでも、」
「てめえの意見は聞いてねえ。オレさま達の邪魔すンな、三下」
覆う鎖。
その一つ一つがまるで命を吹き込まれた生命体のように動いていたが、そんなものは知らんと言わんばかりにオーネストは一蹴。
迫り来る鎖をひたすらに斬り裂き、穿ち、振り払い、程なくオーネストの槍はノイズを捉え、黒槍が容赦なく身体を貫いた。
「────〝加速術式〟────」
生半可な速度ではノイズに邪魔をされる。
だから俺は魔法を紡いだ。
身体を覆う馴染みある補助魔法。
続け様に銀の魔法陣が俺の身体を包み込み、身体能力の向上を齎す。
邪魔をしてきたノイズはオーネストが対処した。だから、阻むものはもう何もない。
そう思ってそして、テオドールへと肉薄しようとした俺の目の前にまたしても、鎖が出現した。
今度は、無数という言葉すら生温く感じてしまう程の物量。一本の線である鎖が面となり壁になって俺の前に立ち塞がった事により、俺は足を止めざるを得なかった。
「……不死身とはいえ、痛みがねえ訳じゃねえンだろ」
相手の神経を疑うような、オーネストの声音。
思わず肩越しに振り向くと、明らかに常人であれば致命傷を負ったノイズが、軽薄な笑みを浮かべながらこちらを見据えていた。
ノイズは強い。
不死という反則級の特性を用いれば、戦い方を選ばなければそれこそ無敵だろう。
ただしそれは、何がなんでも勝つという前提のもとで成り立つ無敵であり、足止めをする為にその能力を用いても本来の力は殆ど発揮されずに終わる。
故に、そんな人間が、強引に俺の足止めをしながら片手間にオーネストの相手をすれば、待ち受ける結末は間違いなく、ノイズの敗北に他ならなかった。
「ぇえ、まあ」
掠れる声ながら、返事が聞こえる。
胸から生える黒槍をノイズは手で掴み、引き抜かせまいとしていた。
その過程で、オーネストは槍を捻るなりしたのだろう。ノイズはそれによって生まれた痛みに脂汗を浮かべ顔を歪めていた。
剣で刺される痛みと、槍で身体を貫かれる痛みは文字通り訳が違う。
比較的薄い刃と異なり、槍は骨肉や神経をごっそりと持っていく。
穿たれた状態で拗れば、神経はあまりに容易く悲鳴を上げる。
その状態で、痛みを無視して魔法の行使など普通ならば出来ない。
だが、ノイズは当たり前のようにやってみせた。他でもない俺にテオドールを追わせない為に。
「……あんたも、神を恨んでるのか」
その執念のような意地を前にして、俺はそう言わずにはいられなかった。
間断なく襲い来る鎖の猛襲。
血反吐を吐きながら、攻める手を休めないノイズであったが、程なく彼の口から零れた言葉にはあまりに信念がなく、驚く程あっけらかんとしたものだった。
「いいえ?」
「は、」
「おれは、そんなものに興味はありませんよ。どうでもいい。あえて答えるなら、それがおれの答えですかねえ?」
じゃあどうして、ここまで意地を張るのか。
執念を見せるのか。
それでは一体、ノイズを突き動かしているものは何であるのか。
「ただまあ、それでも義理のようなものがありましてねえ。だから付き合ってるとでも言いましょうか。そこにいる、〝逆天〟ならよく分かるんじゃないですか。この気持ちが」
囚われたままのアヨンに、ノイズは言葉を向けた。圧倒的に足りない言葉の中で、その真意を理解したのか、どこか悩むような気配を見せる。
そしてその間に、ノイズは力任せに胸を貫く槍を薙ぐように動かした。
「────な、」
オーネストが、驚愕に染まったらしくもない声を上げた。
それもその筈。
〝古代遺物〟である事をいいことに、ノイズは己の骨ごと、身体を自分の手で斬り裂く事で無理矢理に槍から逃れてみせたのだから。
程なく起こる再生。
飛び散った鮮血はそのままに、ノイズの身体は斬り裂かれた断面同時が癒着してゆく。
それは正しく、再生能力に長けた魔物のソレであった。
「おれ達からすれば極論、助けてくれるなら神だろうが、〝英雄〟だろうが、それこそ〝悪人〟だろうが、何でも構わなかったんですよ。そして、最善の形ではなかったとはいえ。限りなく、最悪に近い結果だったとはいえ、おれはテオドールに救われてしまったから。利用する為に差し伸ばされた手であっても、それでもおれは救われたから」
先の光景に驚きこそしたものの、オーネストは再びノイズに対して槍を突き出す。
空気が爆発したと錯覚させるような連撃。
近接戦の軍配は間違いなくオーネストに上がるだろうが、それでも、不死身である事をいい事にノイズは身体の傷をかえりみずに言葉を続ける。
刻々と息が上がり、血の気が失せてゆくノイズの様子からして全く意味がない事はないのだろうが、それでも、キリがないと言わざるを得なかった。
「だからおれは、この哀れで醜く、救われない叛逆者の手となり足となり、そして、理解者になってやろうと思ったのです。それが、おれに出来る唯一の恩返しでしょうから。ゆえに、こうしておれは手を貸しているのです。たとえ間違った道であったとしても、おれは、おれの手を掴んでくれたその手を振り解かないと決めていたから」
眦を決し、紡がれるノイズの言葉。
〝闇ギルド〟の人間らしからぬ真摯な発言に、説得は土台不可能であると芯まで思い知らされる。
言葉を重ねるたび、ノイズの言葉に感情がこもる。語気と共に声量さえも強まってゆく。
紡がれるその言い分は、全く理解出来ないものではなかった。
彼らなりの理屈と筋があって起こされた行動なのだと告げられる。
納得すべきでないと知りながらも、納得出来てしまう部分もあった。
でも、だけれど────。
「だからこそ、貴方も知るあのエルダスに言ってやったのですよ。真実に限りなく近いところにまで辿り着いておきながら、それでも尚、綺麗事を口にするあのクソ野郎におれ達はもうどれだけ言葉を尽くされてもどんな過程を辿ろうとも、最早この生き方だけは曲げられないとねえ!!! 神を殺す!! それが唯一の生きる縁で、それだけが、テオドールと名乗る男が醜くも生にしがみついている理由だというのに、どうして今更曲げられると思うのです!? 打ちのめされて、打ちのめされて、何もかも全部奪われて、失って、それで、怪物にならざるを得なかった人間こそが、テオドールという男であるというのに、何故、他の人間をおれ達が気遣わなければならないのですかねえ!? 他でもない、誰かの都合によって、理不尽な不幸に晒され続けてきたおれ達が!! なぜッ────」
「────だから、メアは利用されて当然だったとでもいいたいのか。ロンが娘の命を対価に利用された事も。〝賢者の石〟を作るという目的の為だけに、多くの魔法師が死んだ事も。神を殺すという結果を得る為に、理不尽に死んでいった人間達の死さえも」
「ええ。おれ達に言わせれば、誰が何人、どこで誰の手によって死のうと関係がありませんねえ。当然でしょう?」
「…………っ」
ここで力を使い果たすとばかりに展開される鎖を魔法で全て振り払いながら告げた言葉に対する返事は、逡巡のない肯定だった。
僅かの罪悪すら感じていない物言いに、苛立ちめいた感情が募る。
彼らの言う通り、〝神〟と呼ばれる存在が害悪でしかない可能性もあるだろう。
口を封じられたとも言っていた。
けれど、それでも、他に道はあった筈だ。
多くの人間が犠牲にならないで済む道が。
そう思ってしまうからこそ、俺は彼らの理解者にはなれなかった。
「……あんた達の言い分は分かった。俺は、何も知らない。何も聞かされてない。何も、見てない。でもそれでも一つ言える事がある。俺は、あんた達の考えには共感出来ない」
だから、立ちはだかる。
それが俺の出した結論だった。
疑心暗鬼にならなかったと言えば嘘になる。
それ程にノイズの言葉が尤もであったから。
言葉を交わした回数も、たった数回。
そんな存在を理由もなく信じる程俺もお花畑な頭をしていない。
ただ、である。
俺としては、〝神〟と呼ばれていたアダム以上に彼らの事が信用出来ない。
「だから────あんたを通す訳にはいかないな、テオドール」
「……よく、見てるね」
視線の動き。
攻撃の間隔。筋肉の収縮。
極め付けに、手の甲にあった〝賢者の石〟の、損傷。
そこから予測をして、俺はテオドールが一番嫌がるであろう行動をとった。
ノイズとやり取りをしている間に何かをしていたようだが、ユースティティアの協力を得られなかった上、失敗に終わったのだろう。
ただし、先程までの間にテオドールの相手をしていたであろうユースティティアの様子は、更に血の気が失せており、死に掛けそのもの。
口の端には血がべっとりと付着しており、立ち続ける事すらままならないように見えた。
「……ぼくは彼女には何もしてないよ。ぼくはただ、時間を稼いでいただけ。これは彼女の自滅さ。この〝獄〟に〝大陸十強〟が訪れた事からして、きっとユースティティアに残されてた時間は僅かなんだろう。これまで空間ごと、時間という概念から切り離されていたから無事だっただけなんだろう。あいつは研究者だが、医者でもある。だったら、真面に戦う必要はない。勝手に急いで勝手に自滅するのを待てばいい」
続くように、ユースティティアから恨みがましい舌打ちが聞こえる。
顔色の悪さが元からのものとは思っていなかったが、相当に限界が近いらしい。
「一度だけ、忠告をしよう。そこを退け、アレク・ユグレット。大人しく退けば、ユグレットである君には何もしない」
そこで、クラシアの姉であるヴァネサが立てた仮説が脳裏を過った。
それは、メアの身体の主導権を一時的に得たワイズマンが、「スペア」であるというもの。
「……でも、俺があんたを通せば、あんたはワイズマンを捕まえに行くんだろ」
「当然だね。この時の為に、ぼくはロンくんを利用した上でワイズマンを蘇生したのだから」
テオドールは最早、隠しもしなかった。
隠さずとも、いざとなれば実力一つでねじ伏せられるという自信があるのだろう。
そして一歩、また一歩と俺達の距離が縮まってゆく。
会話による時間稼ぎは────無理だろう。
理屈などで丸め込めるような相手じゃない。
「……だったら、答えは決まってる」
「あの時とは違うよ。戦えば間違いなく、きみは死ぬ」
感情篭っていない淡々とした冷徹な声がやってくる。それは、俺の答えを理解した上での発言だった。
あの時とは、古代魔法で閉じ込められた際の事だろう。
今回は、僅かな時間すら惜しんで殺す気でくる筈だ。
アヨン曰く、恐らく絶対に勝てない相手。
それもあってだろう。
口にする言葉を決めた時、激しく胸が鳴った。
でも、口にするしかない。
ここで立ち止まったら、間違いなくテオドールはワイズマンの下に向かうだろう。
そして利用されて、彼女は命を落とす事になるのだから。
「……あんたは、預言者か何かか。結果なんて、やってみなきゃ分からないだろ」
「…………」
「俺の答えは、ノーだ。あんたをメアの下には向かわせない」
「そっか。なら、死ね」
次の瞬間、テオドールは俺に向かって手を振り翳した。
たったそれだけの行為。
なのに俺は、その行為が〝剣聖〟メレア・ディアルの剣撃よりも。
〝伝承遺物保持者〟と呼ばれていたシュガムの攻撃よりも、余程恐ろしいものに思えた。
だからこれは、警笛を鳴らす本能による反射的な行動のようなものであった。
「────〝俺の世界は加速する〟────!!!」
魔法に加え、同系統の〝古代魔法〟の重ね掛け。
ヨルハのような補助魔法のセンスを持ち合わせていない俺は、追い縋るには他から持って来て補う他なかった。
「…………」
テオドールからの言葉はない。
冷めた目で、彼は無駄な足掻きをとばかりに哀れんだ視線を向けるだけ。
嗚呼、分かってる。
俺如きの抵抗は無駄って言いたいんだろ。
でも、やってみなくちゃ分から────。
「それは無駄な足掻きだよ、アレク・ユグレット」
テオドールの攻撃に危機を抱き、身体能力を向上させて逃れた俺の背後から声が聞こえた。
残像すら追えない影。
振り向きざまに攻撃を撃ち放とうとした俺の右腕が、刹那、あらぬ方向を向いた。
骨の、悲鳴。
程なく、腕を折られた事による痛みを知覚するより先に頭上より魔法が降って来た。
魔法陣もなく、本当にそれはただ、篠突く雨のように降り注ぐ。
「きみではぼくに勝てない。足止めすら出来ない。それは決定していた未来だ」
「……っ゛、ぁがッ」
対処しようとした瞬間、腹部に強烈な痛みが走る。ミシリ、メキリ、とテオドールによって繰り出された脚撃によって、身体が悲鳴をあげていた。
込み上がる吐き気。
堪え切れず、逆流する鮮血が口の端から溢れながら、あまりに呆気なく俺は後方へと蹴りによって吹き飛ばされた。
転瞬、オーネストが俺の名前を叫んでいたが、それに対する返事は勿論叶わない。
壁との衝突によって背中を襲う衝撃。
たった一瞬で、満身創痍に陥ってしまった。
その事実に、泣き言を漏らしたくなる気持ちもあったが、それでもと俺は言葉を紡ぐ。
幸いにして、痛みのお陰で気を失う心配はなかった。
「────〝四方、封陣〟───」
瓦礫の中に生き埋めのようになっていた俺は、痛む身体に鞭を打ち、どうにか立ち上がりながらノイズとの戦闘の最中に構築していた魔法陣を用いる。浮かび上がるは、灼熱色の魔法陣。ソレが、四つ。
本来は大型の魔物用の魔法であったが、今はそんな事を言っている場合ではない。
「…………分からないね、気を失ったフリでもしてれば見逃されたかもしれないのに」
あえて立ち向かおうとする理由が分からないとテオドールは言う。
俺如きが時間稼ぎに徹しようとしたところで、結果は既に見えてしまった。
正直に言って、実力に差がありすぎる。
「痛いのは嫌だろうに。苦しいのも嫌だろうに。なのにどうして、自分の得にもならない事の為に苦しみながらも足掻く。結果も、既に見えているのに」
心底分からないという瞳でテオドールは言う。けれど俺の頭の中は、何を当たり前の事をという呆れの感情で埋め尽くされていた。
「決まってる。その結果ってやつが、俺は受け入れられないからだ」
テオドールの思い描く未来を否定したいから、こうして足掻いている。
答えは単純にして明快だ。
諦めてしまったが最後。
何もかも全てが崩れ落ちてしまうだろう。
「勝ち目もないのにか」
「勝ち目はなくても、なんとかなるかもしれないだろ。だったら俺はそれに賭ける。なにもせずに終わるよりはそっちの方がずっとマシだ」
テオドールからの返事を待たず、俺は魔法を行使した。
後先考えない魔力の消費。
程なく、耳を劈く程の轟音と共に砂煙が視界を埋め尽くした。
けれども、その一撃は〝獄〟の壁すら壊せず、テオドールには擦り傷すら負わせられずに終わる。
掻き分けるように煙の先から何事もなかったように姿を現したテオドールがその証左。
でも、そうなる事は分かりきっていた。
だから、俺は叫んでいた。
「手を貸せ!!! ユースティティア!!!」
死人同然の女の名前を叫ぶ。
このままテオドールと正面から戦っても、勝ち目はゼロだ。
攻撃らしい攻撃を撃ち放っても、傷すら負わせられていない。それも、避けた様子もないのにだ。恐らく、アヨンの〝逆天〟がユースティティアに効かなかった事がテオドールにも関係しているのだろう。
彼女曰く、魔力とは異なる力。
だったら、簡単な話だ。
俺もその力を使えばいい。
だが、俺はその力を持ち得ていない。
だから、受け入れられる状態を作った上で、持っている人間から譲り受ければいい。
あるだけの魔力を消費し、弾幕をつくりあげる。そして俺は、テオドールから距離を取り、ユースティティアの側へと移動をして告げる。
「〝リミット、ブレイク〟」
同時、俺の視界が真っ赤に染まった。
それが、目からこぼれ落ちた赤涙のせいだと気が付いたのは間も無くであった。
俺の身体と魔力は、〝逆天〟によって完全に回復していた筈だ。
だが恐らく、違ったのだろう。
回復したのは失われた魔力と、傷だけで、その他は回復していなかったとしたら。
蓄積した疲労などはそのままだとしたら。
嗚呼、成程。この吐き気にも、納得がいく。
「────俺があいつの、足止めをする」
喉元までせり上がった吐き気を飲み込んでユースティティアに言う。
「だから、あんたの力を寄越せ」
器が空の状態に限り、適性のない魔力さえも受け入れる事が出来た。
そして、俺の予想が正しければ、ユースティティアとテオドールは魔法を使えない。
その理由が、魔力を失ったからと考えれば、今の俺ならば彼女らの力を受け入れる事も可能である筈だ。
「…………それは、テメエが死ぬぞ。〝神力〟は、人間が受け入れるように出来てない」
「テオドールをここで止めなかったら、どうせメイヤードは消える。ここまで来たら先に死ぬか後に死ぬかの違いだろ」
だったら、足掻く。
最後の最後まで、文字通り。
「時間が、ない。早くしてくれ、ユースティティア」
〝リミットブレイク〟も、いつまでも器を空の状態にはとどめて置けない。
魔力にものを言わせて魔法を撃ち放ったが、テオドールには煩わしい羽虫程度の時間稼ぎにしかなっていない筈だ。
なのにユースティティアは渋る。
だから、俺は大声を上げる他なかった。
「あんたもテオドールを止めたいんだろッ!!! だったら早くしろ!! ユースティティア・ネヴィリム!!!」
「……死んでも知らんぞ」
その言葉を最後に、ユースティティアは魔力とは異なる歪で、得体の知れない何かを垂れ流した。
「─────、ぁ」
それを空の器に取り込んだ瞬間、顔が歪んだ。ユースティティアが〝神力〟と呼んだ吐き気がする程悍ましいそれは、容赦なく俺を蝕み、侵食を始めた。
「ッぁ…………ぁぁあああああああああああ!!」
ぐちゃぐちゃに魂が犯されるような感覚。
自分という存在が何かに置き換わっていくかのような。そして俺の知らない心象が俺自身を埋め尽くしてゆく。
その全てが、吐き気を催す憎悪に染まっており、様々な負の感情が俺をかき乱してゆく。震える呼気をおし殺すのが精一杯だった。
過程で、正気を手放しかける自分を、爪を突き立てる事でどうにか繋ぎ止める。
脳を直接かき混ぜられるかのような不快感と激痛に身が悶えながらも、それでも意識の途絶を拒み続け、そしてテオドールとの距離が殆ど失われたその瞬間に、魔法を使う要領で俺はユースティティアから受け入れたソレを撃ち放った。
「……黒い、雷だと」
それは、ノイズの声だった。
大気を駆けた雷は、まるでテオドールがオーネストに差し向けた鉤爪の攻撃のように、黒く染まっていた。
そしてあまりに悍ましいその黒雷は、テオドールの頬に一筋の赤を刻んでいた。
「……これで、同等だな。あんたの土俵に、上がってきてやったぞ。テオドール」









