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百十七話 正義の味方

「…………」


 閉口したまま、黙考をひとつ。

 言っていいものなのか。

 はたまた、言うべきものなのか。


 思案しているであろうワイズマンが選んだ答えは、ありのままを告げる事であった。


「────〝神の操り人形(テオドール)〟────」


 瞬間、空気がどろりと変容した。

 重苦しいそれは、ワイズマンによる憎悪の感情の発露。一瞬で場を席巻したソレを前に、全員の表情に皺が刻み込まれた。


 恐ろしく感情の籠らない言葉しか口にしなかったワイズマンが、初めて感情を込めた。

 若しくはそれは、過去に抱いたワイズマンの感情。そのままの投影であったのやもしれない。

 だが、暗がりから這い出るようなある種、悍ましい声に、「何もなかった」と思える程、俺は鈍感に生きてきていない。


「……私が知っているのは、アレがそう呼ばれていた存在である事。そして、アレが神を誰よりも呪っていた人間である事。それくらいか。記憶が虫食いでなければ、もう少し語れたのやもしれんが」

「呪っていた?」

「ああ。それこそ、病的なまでに。……いや、あれは最早、呪いだな。神に連なる「何か」であれば、その繋がりが欠片程であれ、常軌を逸した憎悪を見せる。何かに突き動かされてると言ってもいい。そして、執拗に殺し滅ぼそうとする。テオドール(アレ)は、そういう存在であった」

「……神の、操り人形」


 反芻する。


 しかし、現実味がなかった。

 俺の知る神とは、〝楽園(エデン)〟にて出会った少年の姿の神────アダムのみ。


 だが、彼が誰かを操り人形とする姿が想像出来なかった。

 ……いや、俺達に見せたあの姿が偽りであっただけなのやもしれない。


 けれど、だとすればあえて偽った理由が全く分からなくなる。

 そもそも、テオドール程の人間を傀儡に出来る存在が、手間を掛けて俺達に取り繕う理由なぞ、どこにも無いはずだ。


「今でこそ風化しているようだが、私が生きていた頃はまだ、今とは違った」

「違う、だあ?」


 反応したのはオーネストだった。


 古い人間特有の、カビでも群生してそうな聞き慣れた言葉。

 昔は今よりもずっと────。


 そんな前置きから始まるある種の自慢話かと早合点をした事で不機嫌をあらわにする彼だったが、それが勘違いであると程なく理解させられる。


「あの頃はまだ、神とは形而上の存在というより、〝恐怖〟の象徴に近かったからな」

「恐怖の象徴?」

「……ああ。恐怖の象徴だ。神によって、夜を奪われた(、、、、、、)街があった。血を奪われた(、、、、、、)種族がいた。目を奪われた(、、、、、、)者達がいた。そして、神の憎悪によって魔物が生まれた(、、、、)。神とはそういう存在だ。故に、恐怖の象徴。誰もが怯え、恐怖した。私は多くの吸血鬼(家族)から、そう聞いた」


 ゆえに、〝神の操り人形〟という言葉には意味があったのだとワイズマンは言う。


「この世界には、至る所に傷痕が残っている。どんな傑物にさえも癒せない傷痕だ。テオドール(アレ)の存在も、その一つなのだろう」

「────ならば、滑稽極まりないな」


 ガネーシャが会話に割り込んでくる。


「そんな人間が、(テオ)操り人形(ドール)だと? 大層な皮肉もあったものだな」


 ワイズマンの記憶より更に遡った過去は分からない。だが、テオドールが神に対して並々ならない憎悪を抱いていた事は事実だろう。

 その感情は、黒濁とした瞳で、さも当たり前のように、童のような無邪気さで、笑顔を浮かべながら「神を殺す」と宣ったテオドールの言動と合致している。

 疑う余地もない。


「……確かに、これ以上ない皮肉だ。神の操り人形(テオドール)が、神に連なるものを鏖にしてるのだからな。しかし、……嗚呼そうか。だからあえて、テオドールと名乗っているのかもしれないな。復讐の一環とすれば、納得も出来る」


 神を殺す事を目的に据えているくらいだ。

 〝神の操り人形〟という呼び名から、ある程度の事は察する事も出来る。


「そして、私をこうして引っ張り出した理由も。アレの前で、私は〝賢者の石〟を作り上げてしまったからな。あの復讐鬼は、変わらず神に連なる全てを殺すつもりなのだろう。人に限らず、場所(、、)であっても。その存在すべてを殺すまで、アレは止まらんのだろうな。それだけが、アレの生きるよすが故」


 俺の口振りから、テオドールが今も尚、生きていると察したワイズマンが掠れ渇いた笑いをもらす。


「……メイヤードで、これから何が起こる」

「さあ。そんな事は私にも分からん。だが少なくとも、碌なことが起こらないのは確かだな。この国が地図から消える事くらいは覚悟した方がいいだろう」


 憎悪の塊とも言える人間が引き起こす事象。

 それが真面である筈がないと、ワイズマンは俺に質問に言葉を返す。


 そして、彼女の言葉に息を呑む音の重奏が起こり、しかしワイズマンは直ぐに訂正をした。

 それは、俺達の周囲の光景がたった一瞬ではあったが、明滅を始めたからだろう。


 壁一面に刻み込まれた魔法陣もどきが、ではない。

 文字通り、視界に映り込んだ光景そのものが明滅をしていた。


 まるで、この光景そのものが何かと移し替えられようとしているかのような。


「……いや、この世界が滅ばなければ御の字とでも思っておくべきかもしれないな」

「そんな馬鹿な話が────!!!」


 ヴァネサが憤るように声を荒げる。


 だがそこで、思い起こされるレッドローグでのやり取り。

 リクと、ノイズと呼ばれていた不死の男の会話。あの男は、その身に神を降ろす〝神降ろし〟を、既に必要ないと言っていなかっただろうか。それは、その代案があるからこそ、〝神降ろし〟を不要と切り捨てたのではないか。


 ならばこれが、その代わりと捉えられないだろうか。

 思考がソコに至ってしまった瞬間、身体中の汗腺が開いた。

 冷や汗が背中を撫でるように流れてゆく。


「あるんだ。そんな馬鹿げた話が、本当に」


 実際に目にしてきたかのような様子で、告げられる。

 冗談を言っている訳でなく。

 誇張している訳でもなく。

 だからこそ、ヴァネサは己の言葉を言い切る事が出来なかった。


「……あんたがそう言う理由は、これが原因か?」


 明滅する光景。

 この異様極まりない変化が見られてから、ワイズマンは己の意見を覆したように思えた。

 だから、俺は尋ねていた。

 問いに対して、ワイズマンは首肯を一つ。


「────空間転移。これは、そう呼ばれていた筈の技術だ。尤も、私の時代では理論しか完成していなかった筈だが」

「……なんだそりゃ? 要するに、〝転移魔法〟じゃねェのかよ」


 あえて聞き慣れないその言葉で説明するワイズマンに対して、オーネストが頭を掻いた。


「似ているが、違う。〝転移魔法〟とは、何かを指定の場所に転移させる魔法。言ってしまえば、点と点を繋ぐだけ。だが、空間転移は、空間そのものを転移させるもの。これは、点そのものの配置を逆転させる。対象は勿論、規模も、何もかもが大きく違う」

「空間そのもの……? …………ッ、なる、ほどな」


 そこで、漸く何もかもが繋がった。


 テオドールがリクを切り捨てた理由は、もっと確実に神を殺す方法が生まれたから。


 誰かの身に神を降ろすことで殺す。なんて手順を踏むより、もっと確実性のある方法。

 恐らくそれは、アダムがいたあの場所────〝楽園(エデン)〟を、このメイヤードと入れ替えるように転移させる為ではないだろうか。

 その為に、ワイズマンを蘇生し、〝獄〟をこじ開けたのだとすれば。


「……テオドールは本気で殺すつもりだ。神と呼ばれる存在を、本気で殺すつもりでいる」


 望んだ結果を得られるならば、世界など本気で彼はどうでもいいと思っている。

 その為ならば、己の命を含めた全てを考慮の外に置ける人間。だからテオドールにとっては、何が消えようと、何が死のうと、何が失われようと関係がないときっと捉えている。


 何千、何万という命がその過程で失われようと、テオドールからすれば「それが?」で終わる話なのだろう。


 ワイズマンの言うように、それだけが彼に残された唯一の生きるよすがであるから。


「ああ。ゆえ、もしもの時は真っ先に私を殺せ」

「な、ん────」


 驚愕したのは、まだ理解の追いついていないヨルハやクラシア達。

 薄らと察した俺やヴァネサは、そのある意味で真っ当な発言に、顔を顰めた。

 何故ならば、そうするしか方法はないと考えが至ってしまっているから。

 許容するしないはさておいて、防げるかもしれない手段がそれを除いて見つからない。


「アレの行動には、必ず意味がある。私を曲がりなりにも蘇生したのだ。ならば、ワイズマン()を何らかの形で必要としているのだろう。だから、殺せ。取り返しがつかなくなる前に」

「………その身体は、お前の物じゃないだろ」

「だから、もしもの時だ。だが、この身体は〝賢者の石〟によって蘇生された〝ホムンクルス〟。本当に殺せるかどうかは私にも分からない。ゆえ、お前が殺し方を見つけてくれ」


 視線の先には、ヴァネサがいた。

 どうして、己にそれを頼むのか。


 分からないとばかりに顔を歪める彼女を前に、ワイズマンは当たり前の事を言うように告げる。


「錬金術師か否かくらい、臭いで分かる。錬金術師の臭いは独特だからな」

「……だとしても、錬金術師としての腕は貴女の方が私よりもずっと上でしょうに」

「だろうな。が、今の私は色々と制限がある。自死が出来ない上、自死の方法を考える事も出来ない有り様だ。……恐らくは、蘇生の際にそういう術式を組み込まれていたのだろう。だから、お前が見つけてくれ」


 程なく、ワイズマンは何の躊躇いなく己の腕を薄く傷付け、浮かんだ鮮血を何処からともなく取り出した試験管に注いでゆく。

 アレは……グランが持ち歩いていた試験管の一つ、だろうか。

 ……恐らくパクっていたのだろう。

 こうする予定だったのかは兎も角、手癖が悪いというか何というか。


 やがて、〝ホムンクルス〟の血が入ったソレが、ヴァネサに投げ渡された。


「とはいえだ。何をするにせよ、ここから抜け出さない事には話にすらならない訳だが」


 ワイズマンが見渡す。


 そうして、この壁に再び衝突した。

 だが、あの時とは明確な違いがある。


「────あたしが〝転移魔法〟を使う」

「それは良かった。でなければ、どうしようもなかったからな」


 この場には、クラシアとヨルハがいる。

 外に印を残してきた彼女らがいる今、外に出る手段があった。


 時間はあまりない。

 だから、即座にクラシアは〝転移魔法〟の準備に取り掛かった。

 微細の光が散らばる。


 薄緑の、蛍火のような光。


 これまでもう数度として目にしてきた〝転移魔法〟の兆候。故に、驚くところは何一つとしてない筈だった。

 なのに、オーネストは不思議そうに声を上げた。


「────ぁ?」


 薄明かりに照らされる周囲。

 それによって、時折、不穏なまでに明滅を繰り返しながらも、壁へ確かに刻まれた魔法陣擬きにオーネストの視線は吸い寄せられていた。


 魔法の知識など、二の次三の次。

 どころか、オレさまはそういうのは苦手なんだと常に度外視。

 興味がないと切り捨ててきたオーネストが、この規格外極まりないとはいえ、この魔法陣擬きに驚愕を示した事に対して、少しどころではない違和感があった。


「…………何処かで、見なかったかこれ」

「は?」


 こんな馬鹿げたものを、何処で見るのだ。


「ぃや、全く同じもんじゃねェンだが、なんつーか、若干似たようなもんを見た気がする」


 それは、本能的に何もかもを捉えるオーネストだからこそ気付けたのやもしれない。

 感覚で、術式の癖を見抜いて────どこか似ていると捉えてしまった。


「……ぁぁ、そうだ。こいつは、あの死体に刻まれてた紋様に似てンだ」

「……死体だと?」


 オーネストの呟きに、各々が反応を見せる。

 ヨルハは不思議そうな表情を。

 ヴァネサは引き攣りをみせ、ワイズマンは驚愕を。


 だが、それらの疑問が解決するより先に、〝転移魔法〟が完成した。


 俺達と別れてから、何があったのか。

 共有すべきだろうが、今はそれよりもこの場から脱しなくてはならない。


 故に、この場に描かれた魔法陣について後ろ髪を引かれたが、俺達はその場を後にした。



 独特の酩酊感の後、すげ替えられた景色。


 そこで俺達が目にしたのは、暗雲に閉ざされた黄昏の空だった。

 所々で差し込む斜陽は、どこか怪しげで、不気味さを助長するものでしかない。


 頭上には、巨大な魔法陣が一つ。

 歯車のように、ぐるぐると魔法陣が廻っていた。


 そしてその先に、見通せぬ洞のような、得体の知れない闇が広がっていた。

 明らかに、俺達の知る魔法陣とは異なっていた。



 ……なんだこれは。一体、なんだこれは。



 渦巻く疑問に囚われる中、不意に声がやって来た。


「ヨハネスは、一緒でないのか」


 場に似つかわしくない和服の女性。

 カルラ・アンナベルのものだった。


「まぁよいか。最早、言うまでも無かろうが、面倒な事になりおった」


 カルラは、空を見上げる。

 横顔から見受けられる彼女の表情に、懐古の色が滲んでいる気がしたのは、俺の気の所為だろうか。


「ただ、お陰で連中の目的が分かった」

「目的?」

「そうよ、目的よ。このメイヤードと呼ばれる国の特性を考えれば、答えは一つしかなかった。空間ごと入れ替えるには、〝賢者の石(、、、、)の残滓(、、、)によって強引に創り出されたこの国が都合良すぎた。そして、〝獄〟よ。答えなど、初めから出ておったのだ」

「……〝賢者の石〟によって創り出された? 残滓? どういうことだよ、学院長」


 訳がわからない。

 カルラは一体、何を言っているのだろうか。

 何を、知っているのだろうか。


 だが、時間がないと言わんばかりに話は先へ先へと進む。

 律儀に説明する時間すら惜しいのだろう。


「恐らく、ワイズマンの蘇生は、その後(、、、)を見据えてなのだろう。確かに、〝獄〟の中には空間ごと入れ替える事の出来る魔法使いがおる。嗚呼、よく知っておる。妾だからこそ、ソヤツの技量は痛い程に」


 カルラの物言いから、ガネーシャが察した。

 苦虫を噛み潰したような表情から、それがいかに不味い事態であるのか、理解させられる。


「……つまり、『大陸十強』か」


 その殆どが隠棲。

 又は、既に命を落としているかつての規格外達。


「……かつて、〝正義の味方〟と呼ばれたヤツがおった。たった一つの悪すら許さなかった魔法使い。悪を滅ぼす為ならば、それこそ身を切る事すら、禁忌に踏み込む事すら、時には殺戮でさえも何の躊躇いすらなく行えた正義の味方がいた。〝正義〟という言葉を盲信する文字通り、壊れた人間であり、妾に言わせればアレはただの狂人でしかなかったわ」


 〝正義〟の為に何もかもを肯定してしまえる人間。本当にそんな人間がいるのであれば、それはもう、壊れているとしか言いようがない。


「連中は、アレに会いに向かっておるのだろうよ。アレの助力を得られるならば、空間の移動すら出来るからの。なにせ、〝獄〟と呼ばれる擬似空間を一人で創り上げた天才よ。人格は兎も角、あの女の実力は妾も認める程のものであった。名前を、ユースティティア・ネヴィリム。あの魔法陣の先におるのは、〝正義の味方〟などと呼ばれておった、『大陸十強』。ある種の破綻者よ」



* * * *



 足音が響き渡る。

 黄昏が砕けた薄暗い空間。


 むせ返るような死臭に満たされた空間を、一人の男が闊歩する。

 澱となって空気に沈殿したソレは、男にとっては親しみ深いものなのだろう。


 顔を歪める素振りなど一切なく、寧ろ、慕わしいものとでも捉えているのかもしれない。

 そうでもなければ、微笑むその表情の理由を説明出来る筈もなかった。


 その在り方は、異様としか言いようがなく、しかし、この場でそれを指摘する者もいなかった。


「〝罪人〟を収容する獄。その為に、自分の生涯全ても犠牲にするその在り方は、嗚呼、うん。実にきみらしい。〝正義の味方〟と呼ばれていたきみに相応しいと思うよ。ぼくは、死んでも真似をしようとは思わないけどね。そもそも、正義を振りかざすべきと思える程、この世界に価値を見出してないからね」


 そう言いながら男は────テオドールは、己の目に掛けていた眼帯を外した。

 眼帯の奥から、眼窩に嵌った虚な瞳が姿を晒す。白濁としたその眼球は、医療の知識を持たぬ人間でも一目で分かった事だろう。

 その瞳は、何も映していない。

 微かな光すら、見えていないと。


 しかし、見えていないであろう瞳には、変わった紋様が刻み込まれていた。

 まるで、翼のようにも見えるソレ。


 ソレこそが、テオドールにとって、今から会いに向かう人物に対して自身を証明する唯一の術と知っているからこそ、外していた。


 それ即ち────〝大陸十強〟の者に対して掛けられた〝呪い〟である。


 この世界の真実を知った彼らは、その対価として多くのものを喪った。

 それは、五感であり、記憶であり、身体であり、魔力であり、未来であり。


「──────」

「今更何をしに来たって? 決まり切った事をわざわざ聞かないでくれよ。ぼくの望みは、数百年前から何も変わっちゃいない。神を殺すこと。それだけがぼくの存在価値(レゾンデートル)なのだから。それを貫かなくちゃ、筋が通らないんだよ(、、、、、、、、、)。分かるだろう。きみなら、尚更に」


 テオドールにとって、腐る程投げ掛けられてきた下らない質問。

 だが、その問いがかつての友からのものともなれば、意味は変わる。


 テオドールからすれば、神を殺すという禁忌すら人を殺す事と大差はない。

 真っ当な人からすれば、その異常具合に、破綻具合に、決定的に己とは違うものと認識する事だろう。そして、畏怖のこもった瞳で徹底的に理解を拒絶してくる。最早、僅かな感慨すら抱けない反応になってしまったが、そうであったならば、彼は即座に切って捨てた事だろう。


 だが、テオドールに己の意思を投げ掛けた人物は違う。


 彼女がそう告げる理由は、テオドールの思考を正そうとしたからではなく、単純に憐れんだ(、、、、)から。

 そこに多少なりの理解を示し、憐れむ彼女だからこそ、テオドールは笑みを深くする。


 彼にとって彼女は決して思想の交わらない敵のような存在であったが、それ故に理解者でもあったから。


「ぼくにとって、守るべき者とは彼女(、、)一人だけだった。ぼくの居場所は、あそこだけだったんだ。安寧を感じられたのも、幸せを感じられたのも、全ては彼女がいたからだった。なのに、『仕方がなかった』から認めろと? 許せと? 納得しろと? 『不慮の事故』だったと諦めろと? ────冗談じゃない」

「ダから、殺すのカ?」


 掠れた声。

 まるで、喋り方を忘れた人間のように、発音の仕方を模索しているようであった。

 だから、所々、彼女の発音はおかしかった。


「ああ。殺す。何もかもを殺す。それが、ぼくの復讐だから。だから、ここに来たんだ」


 闇の底から覗き込んだような瞳は、何の耐性もない人間ならばその悍ましさに正気を保てていなかったかもしれない。

 だが、彼の会話相手は嘆息を一つ、漏らすだけだった。


 それはやはり、憐れみだった。


「ホんきで、アレを殺せるとでも」

「殺すさ。殺す為にぼくはここにいる。そしてその最後のピースが、きみだった」


 やがて、響き渡っていた足音が止まる。


「ナるほど。だから、夢を連れてきた訳ダ。アレは、現実の境界を曖昧にするマホウ。存在そのものを曖昧にしてやった〝獄〟をこじ開けるにはもってこい魔法であるからナ」


 夢以外に、彼女を引き摺り出す手段は存在しなかった。

 その点において、彼女は納得したのだろう。


 確かに、それ以外に方法はないなと同意をしているようだった。


 しかし────しかしである。


 不敵に笑む彼女は、伸び切った藍髪を掻き上げ、隠れていた己の表情をさらす。

 獰猛に笑むそれは、「馬鹿にしているのか?」と蔑み、嘲弄しているようであって。


「ただ、そもそもだ。お前はアタシが誰だか忘れてるようだからあえて言ってやる。アタシが────テメエという悪を見逃すと、いつ、言ったよ?」


 また、憐れんだ。


 喋り方を思い出したのだろう。

 発音のズレが完璧に矯正された。


 同時に、腹の底で渦巻き、煮えたぎったような憎悪に近い感情が容赦なくテオドールにぶつけられる。


「ああ。言ってはいない。でも、今のきみなら(、、、、、、)見逃すさ(、、、、)。たった一つの悪を見逃す事で、多くが救われるのならば、見逃すさ」


 かつての〝正義の味方(彼女)〟であれば、そうであっても拒絶しただろう。

 しかし、今テオドールの目の前にいる存在は、〝正義の味方〟であって、そうでない。


 今の彼女は、現実を知ってしまった張りぼての〝正義の味方〟だ。

 全てを救うことは出来ないと思い知らされた〝正義の味方〟だ。


 彼女の根底に据えられた〝正義〟は、未だ不変だろうが、それでも、かつての彼女ではない。


 ゆえに、テオドールはかつての友であり、敵でもあった彼女へ手を伸ばす。



 同じ傷を負った仲間として────。


 同じ憎悪を抱いた友として────。


 共に全てを喪った喪失者として────。


 

「────ぼくと取引をしよう。ユースティティア・ネヴィリム。乗ってくれるなら、ぼくが責任をもってあの〝()〟を殺してやる。望むなら、どんな対価であってもくれてやる。全てが終わった後なら、命であっても構わない。〝正義の味方(ユースティティア)〟としては、悪くない提案だろう。『大陸十強(同類)』」

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