百十六話 過去の亡霊
* * * *
────夢を見た。
家族に囲まれ、何一つ不自由のない幸せだった日々を。
そして、それらが理不尽によって血に塗り潰され、鈍色に染まってしまった日々を。
最早、もう手の届きようがない幸せだった筈の記憶。
それが残酷なまでに焼かれた記憶を、目にする事となった。
どれだけ足掻こうが、どれだけ拒絶しようが、目の逸らしようのない理不尽を叩きつけられ、全てを失った■ ■ ■ ■ ■の記憶を。
原初に据えられていたのは、悲劇の記憶。
決定的なまでに何もかもが崩れ去った、後悔だらけの灰色の記憶。
そこには────涙を流す黒い太陽があった。
燃えていた。
周囲の悉くが燃えて、嗚咽と怨嗟の声が入り混じる。
がらがらと音を立てて倒壊する建物。
緑々と生い茂っていたであろう木々には火が移り、最早見る影もない。
刻々と消えゆく命の灯火。
そこには、子供だろうが大人であろうが、無残で残酷なまでに関係がなく。
どこまでも平等に失われてゆく死体は、最早数える事が億劫になる程で。
そしてその死体一つ一つが、本来、恐ろしいまでに白く染まっていた筈の白磁のような肌ではなく、例外なく血に塗れていた。
そして、その悲惨極まりない光景に、一人の女性が立っていた。
悪夢としか言いようがないこの地獄の中に、一人の女性は立っていた。
歩きながら、しかし着実に迫る男の姿。
この凄惨な光景を作り出した張本人たる男は、何の呵責に苦しむ事なく、唇を僅かに卑しく歪めた。それは憤怒であり、嫌悪であり、憐憫であった。
様々な感情が、男の中で綯い交ぜとなって渦巻いていた。
同時に、男は理解出来ない事実に困惑してもいた。
〝吸血鬼〟の里に、何故、人間の女がいるのだろうか。しかし、考えても答えが出ない事は明白で、男はすぐさま考える事をやめた。
答えは決まった。
此処にいるという事は、この女は〝吸血鬼〟に与している人間なのだろう。
ならば────殺そう。
いっぺんの慈悲すらなく、殺してしまおう。
そう結論を出した男の思考は、当たっていた。なにせ、彼女は〝吸血鬼〟の為に〝吸血鬼〟を止める為にやって来たのだから。
異種族の差別が未だ絶えないこの世界。
その差別を無くすために、歩み寄ろうとした〝吸血鬼〟。彼女は、〝吸血鬼〟に拾われ育てられた人間。だからこそ、差別を無くすために歩み寄ろうとしていた〝吸血鬼〟が罠に嵌められている事を知った彼女は、それが罠であると伝えに向かった。
普段は結界に護られている里が、解除されるタイミングを見計らって何かが起こると知ったからこそ、何もかもを投げ捨てて。
だから、彼女は〝吸血鬼〟の里にいた。
しかし、その言葉は聞き入れられなかった。
その可能性がある事は分かっている。
けれど、我々が一歩踏み出さずしてどうするのだと。明るい未来の為に。
そんな言葉の前に、彼女は止め切れられなかった。
その事を、今、誰よりも後悔していた。
どうして己はあの時、たとえ恨まれてでも無理矢理止めなかったのだろうか。
かつての友を殺されて。家族同然の者達も、皆が「戦えない者」を逃す為に命を投げうつ羽目になった。
知っている筈の街並みは、もう記憶の中にしかない。
何もかもが潰れていて。
壊れていて。
ひしゃげていて。
後悔ばかりが去来する。
なにが、天才だ。
なにが、〝偉大なる錬金術師〟だ。
何一つとして守れない称号に、何の意味もないのだと彼女は思い知らされていた。
これが、夢であったならば。
そんな願望が脳裏にチラつく。
しかし、絶望的なまでに圧倒的過ぎる存在感で以て、これがタチの悪い夢ではなく、現実であるのだと逃げ道を徹底的に潰し塞いで叩きつけてくる。
こびりついた焼けた臭いが、嘆きの声が、ありとあらゆる現実。その鮮明さが、微かな希望すらも、持つ事を許してはくれない。
八方塞がりだった。
最早、どうしようもない。
どうしてこうなってしまったのか。
この理不尽極まりない現実には、既に迫る男が答えを口にしていた。
それはあまりに単純にして明解だった。
────〝吸血鬼〟だから。
それが、殺される理由で。
それが、地獄を見せられている理由で。
だからこそ、救いはないと男は言った。
その顔に刻まれたタトゥーに、彼女は見覚えがあった。それは、〝闇ギルド〟と呼ばれる組織。過激にして苛烈な、一言で言い表すとすれば、世界を────神を恨む集団。
────〝吸血鬼〟とは、かつて地に降り立った〝悪神〟の残滓によって生まれた呪われし種族。故に殺さねばならない。故にたった一人の例外なく駆逐せねばならない。
あの悪しき神々に連なる者はなんびと足りとも許しはしないのだと。
言うなればそれは、男の中の正義のため。
譲れない確固たる正義のもと、この行為を自身の中で肯定し許容し実行に移している。
故に、説得や友好の道は存在しない。
彼にとって〝吸血鬼〟の殺戮とは、当然のものであり彼の中では既に肯定された正義であるからだ。
最中、瓦礫の山から声が聞こえた。
燃え盛る音。倒壊の音。苦悶の声。悲鳴の声。それらに紛れて聞こえてきたそれは、謝罪だった。
────……すまない。キミの言葉に耳を貸さなかったこの不明を、許してくれ。
嗚咽混じりの謝罪だった。
────そしてどうか、逃げ果せてくれ。
今にも死にそうな人達が、自分ではなく彼女の身を案じていた。
そこに一切の虚偽はなく、本心からの言葉であると彼女だけは理解出来てしまった。
そしてまた一つ、声が消えた。
みんなは何も悪くない。
もっとちゃんと、この可能性を説くべきだったのだ。何が何でも止めるべきだったのだ。
誰も悪くなんてない。責められるわけがない。
その中であえて言うなら、ちゃんと止められなかった己が悪い。
力のない、己が一番悪い。
彼女はそう、自責する。
捨子でしかなかった自分を、育て、優しくしてくれたみんなを、自身が守らなくてはいけなかった。ここで、受けた恩を返さねばならなかった。なのに、己は未だ何一つとして恩返しが出来ていない。
自分自身に彼女はどうしようもない苛立ちを覚えた。
そもそも、みんながどうして死ななくてはならないのか。どうして、〝異種族〟だからという理由一つで殺されなければならないのか。
……けれど、どれだけ怒ろうとも彼女にその理不尽に真っ向から抗う術はない。
彼女は戦士ではなく、錬金術師でしかない。
力なき者は、その理不尽を受け入れなくてはならないのだ。
力がなければ、ただ失うのを眺める他ないのだ。
しかし、彼女はそれを受け入れる事を拒む。
どこまでも、拒絶する。
なれど、肝心の手段がなかった。
たった一つの、禁忌を除いてどうにかする術を持ち得ていなかった。
だが、あれはだめだ。
あれだけは、だめなのだ。
自分の中で言葉を繰り返すたび、声が消えてゆく。命が失われてゆく。
────……ぃや、迷ってる暇なんてない。
そして彼女は決意する。
一人でも多く守れるならば、禁忌であっても突き進んでやろう。
だから。
『……どうか、恨んでくれ』
選択肢は元より、これ一つ。
身を挺して戦えない同族を逃そうとした彼らの意思を受け継ぐとすれば。
戦う術を本当に持たない者達をこの男から逃がせる方法があるとすれば、最早彼女に許された選択肢はこれ一つしか存在しない。
人倫にもとる行為。
けれど、その恨み辛みも十字架も、何もかもを背負うと決めた上で彼女は告げる。
だから。だから。
『どうか、呪いあれと祈ってくれ。こんな恩知らずな私を、罵ってくれ』
家族だった者達の、〝死体〟を利用する以外に方法のない無力な己を罵ってくれと。
錬金術において、天才という言葉すら生ぬるい特別な才能を持っていた彼女は腹を括る。
そうでもしなければ、目の前のこの男をどうにかする事は出来ないと思ったから。
だから。だから。だから。
『こうする事しか出来ない私を、出来る事なら、許さないでくれ』
きっと己でなければ、どうにかなった。
この理不尽極まりない男を差し向けられる事はなく、〝吸血鬼〟という異種族を嫌悪する国々から、罠に嵌められる事もなく、何事もなく順調に事を進められたやもしれない。
そして言葉が続けられると同時、足下に大きな錬成陣が広がった。
かくして彼女は、禁忌に手を出した。
それ即ち、〝賢者の石〟の生成。
だが、その最中に聞こえた声は、彼女を責めるものではなく、懺悔の声。
誰がキミを責められるよと申し訳なさそうに呟く彼女の家族の声だった。
彼女は、王都にて錬金術師として認められ、〝吸血鬼〟から受けた恩を返す為に研究を行っていた。
差別のない国を作る為、その全てを注いでいた。彼女は初めから言っていた。
これは罠であると。
だから、待ってくれと。
もう少し時間をくれさえすれば、必ずこの問題は私が解決してみせるからと。
そう口にする彼女の言葉を〝吸血鬼〟は全て聞き入れる事をしなかった。
これはその報いなのだ。
ゆえに、キミは何も悪くない。
寧ろ、いらぬ十字架を背負わせてしまう事が、心苦しくて仕方がない。
そして、謝罪の言葉と一緒になって発せられた嗚咽の音と共に、景色がすげ替えられた。
開かれた世界で映り込んだのは、斃れ伏す男の姿と、怪物に成り果てた────その、一歩手前の女性の前で声を荒げる男女の姿。
そのうちの一人の髪色は、まるで、アンネローゼのように白く、銀色に染まっていた。
そしてもう一人の男は、慟哭を漏らしていた。それは怒りとも取れるもので、「どうしてオレらを頼らなかった」と憤っているようにも思えた。
彼女は、鬼才を持った錬金術師であった。
人間でありながら、〝吸血鬼〟に育てられた彼女は、人種差別というものを間近で見てきたものの一人だ。
心優しき〝吸血鬼〟が、異種族であるからと虐げられている。
その事実に胸を痛め、どうにかしようと足掻く人間の一人であった。
そんな彼女には一つの夢と、二人の夢を共有する友人がいた。
一つの夢と言っても、その内容はどこまでも幻想で、どこまでも大きな夢である。
言葉に変えれば、至極普通のように思えるもの。
彼女はただ、種族を問わず、誰もが幸せに暮らせる世界を作ろうとした。
だが、一個人の力でそれはまず不可能。
であるから、彼女は国を作ろうとした。
皆が幸せを祈れる王国────〝祈りの国〟を。
そして、更に景色が入れ変わる。
まるでスライドショーのように、一瞬のホワイトアウトを経て、ざらざらと不快なノイズ音を伴って異なる場面場面が誰かの言葉と共に繰り返される。
時系列などお構いなしに、それは流れ込んでくる。
その多くが、〝吸血鬼〟との思い出。
家族とも言える者達との、安らかな思い出。
そして、離別。悲劇。
異種族排他による、〝吸血鬼〟差別。
錬金術を知って。教えて貰って。志して。
様々な理不尽に打ちひしがれて。
たった一つの過ちで全てを失って。
託し託された少数の〝吸血鬼〟を救う為に、助けられたかもしれない〝吸血鬼〟を犠牲にし、殺してしまった記憶。
その為に、命を落とすという酷な選択肢を選ばせてしまった記憶。
身を切られるような思いで選び取ってきた過去。
凄惨な記憶がぐるぐる繰り返されて。繰り越して。そして最後に、二人の人間との記憶が再生された。
手を差し伸べるその二人の男は、彼女が心を開いた唯一の者達であり、理想を語り合った友。
その、初めての出会いの記憶だった。
『良いじゃないか。祈りの国。新たに国を作ろうとするその思考はぶっ飛んでるとしか言いようがないが、差別のない自由の国が出来たとすれば、それはきっととても素晴らしい事だ。夢物語? 大いに結構! 夢すら語れないやつが何かを成せるものか!! 笑うやつはオレがぶっ飛ばしてやる。お前のそれは、万人に誇れる素晴らしいものだ!! オレがそれを保障しよう!!』
一人は、芝居がかった大仰なリアクションを好む男。
錬金術を用いて、差別のない国を作ろうとしている。
その願いの為に全てを注いでいた彼女を笑う訳でもなく、初めて肯定した男だった。
『……願いに貴賎はない。大小もない。正誤もない。大言壮語? 別に良いじゃないか。それの何が悪いんだ? 君にとって、その願いは大切なものなんだろう。ならば気にするな。……ああ。もしや、それが君だけのものだと思ってるなら、それは疾く訂正すべきだ。僕らもまた、馬鹿げた夢を持っているのでな』
そして白銀の髪の男も、それを肯定した。
〝吸血鬼〟の里を出たばかりだった頃の彼女が、アカデミーと呼ばれる学舎にて出会った二人の男。
己の夢を語り、それが馬鹿げたものであるからと笑われ孤立する中、手を差し伸べてきた二人組の男。
『ぁあ、自己紹介がまだだったな。こいつはレイ。レイ・アンネローゼ。んでオレは、アゼル・ノステレジア。アゼルでいい。よろしくな、■ ■ ■ ■ ■』
彼女にとってかけがえの無いない友人。その記憶を最後に、俺は、漸く己の意識を取り戻した。
欠けた夢を見ていたらしい────。
一瞬を経た今、もう欠片さえも残っていない記憶の奔流。脳裏に流れ込んだ鮮明なそれは、ただの夢だったのかと錯覚を覚えてしまう。
しかし、俺はあれが単なる夢とは思えなかった。アレは間違いなく、実際に存在した誰かの記憶だ。
そうでもなければ、こうしてぞわりと心が荒立つ事もなかっただろう。
恐らくは、〝魔眼〟の能力によるもの。
しかし、あれは一体誰の記憶であるのか。
……決まってる。
姿形は今とは遠く離れているが、間違いなくあの記憶は彼女のものであって────。
「────よし。今から私がロキの物真似をしよう」
「おっ。いいぞ。やれやれ」
「んんっ。では失礼して」
囃し立てるオーネストの声。
咳払いをするガネーシャの言葉。
やがてシン、と場が静寂に包まれたと思ったと同時、
「『みっ、水! 水! しぬっ! 水っ!』」
「ぎゃはははははは!!! 似てる!! 超似てらあ!!! あいつの反応にまじソックリ!! ひぃー!! 腹が痛え!! ぎゃははははははは!!!」
〝ハバネロ丼〟を食べた際のロキの物真似をガネーシャが行った事でツボに入ったオーネストの笑い声と、耐え切れなくなった数名の笑い声を聞きながら俺は上体を起こした。
「……何やってるんだ、あいつら」
呆れ半分。
思いの外、そっくりだった事もあり面白さ半分。
こんな状況で一体何をしてるのだと思った俺は、思ったままの感想を口にする。
「ヨルハが元気ないからって事で、元気付けようとしてるというか。あいつらがただ単に楽しんでるだけというか」
側にいたクラシアが答えてくれる。
言われて、俺は視線を動かしヨルハを探してみた。
すると確かに、元気のないヨルハがいた。
でも、どうして元気がないのだろうか。
「……チェスターさんと戦ったんでしょ。つまり、そういう事なんじゃないのかってね」
ロキはチェスターに会いに向かった。
しかし、俺達の前にまるで狙ったかのようにロキに扮したチェスターが現れた。
それが意味するところはつまり、ロキがチェスターにやられた可能性が高いという事。
最悪、それこそ死んでいてもおかしくはない。
……それをガネーシャが話していたとすれば、嗚呼確かに。元気がないのも頷ける。
〝クソ野郎〟呼びで定着していたロキであるが、あれでもなんだかんだ俺達にとっては友人のような間柄であったから。
「おいおい、これでも元気が出ないのか。確かに、不安を煽ったのは私だが、それは問題がないと判断したからだぞ、ヨルハ・アイゼンツ」
「……問題がない?」
「ああそうだ。なんだかんだ、あいつは強い。狡っからくて、地味で、目立たない嘘吐き性悪クソ野郎だが、あいつもそれなりに強い」
「そ、それは一応、褒めてるんだよね」
「当然だ。そして、あいつの生命力は控えめに言って異常だ。ここでは、生に対する執着が常人のソレと比較にならないとでも言うべきか。まあ、蜚蠊並にしぶとい。だから、怪我は負ってるかもしれないが、どうにかして命だけは繋いでるだろうな。散々、〝運命神の金輪〟に巻き込んでやった私が言うんだ。これは間違いない」
「そればっかりは説得力しかないわね」
あんなものに巻き込まれ続けていながら、まだ生きているという事は、とんでもなく悪運の強い人間としか思えない。
ロキのガネーシャに対するぞんざいな扱いも、今なら仕方ないと思えるような気がした。
「そんな訳で、気にするな。混乱を避ける為に共有はしたが、気にする必要はないだろう。そういう訳で、最後に副ギルドマスターにしばかれるレヴィエルの真似でもしてやるから、深刻そうな顔はやめろ」
これは私の秘蔵のネタでな────。などと続けるガネーシャのとっておきの物真似を前に、抱腹絶倒するオーネストの声が遅れてやってくる事となった。
「────さて。場も和んでアレク・ユグレットも目を覚ましたようだし、今後について話すとしようか」
終始物真似をしながら、オーネストと爆笑していたので気付いていないのかと思ったが、どうにも俺が目を覚ました事に気付いていたらしい。
その際、違和感を感じた。
〝リミットブレイク〟を使用した後にしては、まだどうにか辛うじて身体は動くレベルで回復をしている。
これは、俺の側にいた事からクラシアが治癒の魔法をかけ続けてくれたであろう事は明白だった。
だが、本来ここにいるべき筈の人間が一人足りていない。
俺が意識を失う直前までいた赤髪の男────グランの姿が、周囲を見回してもどこにも無かった。
「……なあ、ガネーシャさん」
俺の様子から、何を尋ねんとしているのかを察したのだろう。
「伝え忘れていたが、あの〝赤パイン〟ならどこかに消えたぞ。どうにも、調べたい事があるから此処からは別行動、だそうだ」
「あ、赤パイン……?」
「正体不明のあんなやつは、〝赤パイン〟で十分だ」
……そうか。
彼女は、彼がグラン・アイゼンツである可能性が極めて高い事を知らない。
どころか、名前すら知らない筈だ。
ヨルハの精神状態を考えるに、今は申し訳ないが〝赤パイン〟呼ばわりしておいた方が都合が良くはある、か。
そう思って俺は、言及をやめる。
「にしても、あの崩落で綺麗に別れてしまったらしいな。本来ならお前の父の言う通りカルラ・アンナベルを私が呼びに向かうべきだったのだが、この通りだ。ロン・ウェイゼンを連れていたあの男が巻き込まれていないだけマシと考えるべきか」
ここにいないのは、親父とチェスター。
レガスに、ロン。
結果的にグランとも別れてしまったが、出来る限り戦力の分散は避けておきたい。
アヨンのような敵を前にした時、ある程度の戦力がなければまず勝ち目がない。
最低でも三人以上での行動は必須だろう。
一人になるくらいならば、こうして合流してしまった方が都合は良かった。
「そして問題は、あのちびっ子だ」
暗示から抜け出し、意識を取り戻していたメア────ではなく、ワイズマンへと視線が一斉に集まった。
「見ない間に随分と雰囲気が変わった……というより、まるで別人だな」
この状況にありながら、一切騒ぎ立てる事なく、閉口を貫いていた。
瞳に湛えられた感情は、どこまでも穏やかで、この状況に微塵も動じていない。
ガネーシャからすれば、それは「異常」でしかないだろう。
なにせ彼女が最後に見た光景は、ロンが致命傷を負うところを目の当たりにし、冷静さを欠くメアの姿であった筈だから。
だから、この場において唯一、事情を知る俺が全てを説明しようとして、
「……肉体の主導権が変わってしまったのだと思います。恐らく彼女は、もうあなた方の知る少女ではない。彼女の人格は既に、ワイズマンのものになっている。そうですよね」
何処かクラシアの面影を感じる女性が、答えを口にした。
……恐らく彼女が、ヴァネサ・アンネローゼ。クラシアの姉なのだろう。
彼女は、理由は分からないが、今のメアをワイズマンであると確信を持っているようであった。
俺らの中でのワイズマンとは、世紀の大罪人。しかし、彼女が悪人らしい悪人でない事は俺だけが知っている。
だから、慌てて止めに入る。
「こいつは、ワイズマンだ。でも、悪いやつじゃ、ないんだ。実際、俺はワイズマンに助けられた。だから、」
「その懸念は無用です。私達も、ワイズマンをどうこうする気はありませんから」
悪人として知られるワイズマンに、初めから敵意を向けない事に違和感を覚えた。
だが、それと同時に意識を取り戻すまでに見させられていたあの記憶の断片が蘇る。
ワイズマンが友と呼んでいた二人の人間。
アンネローゼと、ノステレジア。
敵意を向けない理由はそれが関係しているとすれば、ではノステレジアとは。
「……なぁ、ワイズマン」
「……なんだ」
無言を貫いていたワイズマンが応じる。
「あんたがあの時、我を失ってた理由は、もしかしなくてもノステレジアが関係してるのか」
俺の言葉に、ワイズマンは絶句した。
彼女だけじゃない。
事情を知っているのか、ヴァネサも目を大きく見開いた。
グランは言っていた。
ここが、造られた国であり、造った人間の名前はノステレジアであるのだと。
「それと、もう一つ聞きたい」
情報の出どころを明かす事なく、俺は言葉を続ける。
寧ろ、俺にとって本題は此方。
ノステレジアやアンネローゼがワイズマンに関わりがあろうがなかろうが、言ってしまえば彼女の人生だ。
俺がどうこう言うものじゃない。
だが、一つ、あの記憶の中で見逃せないものがあった。
それは、彼女の記憶の大半を占めた悲劇の記憶。その首謀者であった〝闇ギルド〟の男。
俺は、その人間に心当たりがあった。
否、心当たりどころじゃない。
俺はあの人間を知っていた。
言葉すら交わした。
だから、可笑しいのだ。
彼女の記憶の中で、彼は死んだ筈だ。
ゆえに、この時代にあの男は居ていいはずがない。いる筈がないのだ。
「あんたは、テオドールについてどこまで知ってるんだ」
「ねぇ、アレク。それは、どういう事……?」
レッドローグにて、グランの友であったリクの死の原因を作り出した張本人。
故に、真っ先にヨルハが反応した。
あの記憶は、偽りのものでは無い。
だからこそ、〝賢者の石〟という禁忌を犯してまでワイズマンが殺しきったであろう 人間が、テオドールであっていい筈がないのだ。
仮にもし、そうであったとして。
ならば、俺達が出会ったあの少年は、誰だろうか。テオドールの亡霊とでも言うのか。
……馬鹿らしい。
だが、〝賢者の石〟で以て復活したとしても、果たしてここまで手間を掛けて〝賢者の石〟を作る必要があっただろうか。
そんな疑問が残る。
そもそも、俺の知るテオドールは、あそこまで苛烈な性格をしていなかった。
性格が、似ても似つかないレベルで異なっており、顔にタトゥーもなかった。
可能性としては、よく似た別人という線もあるが、であるならば、かの人物がテオドールと全くの無関係とは思い難い。
何より、「テオドール」という言葉を聞いて、明らかな動揺をワイズマンが見せる理由はどこにも無かった筈なのだ。
だからこそ、尋ねずにはいられなかった。
彼は一体、何を考えているのか。
何がしたいのか。
何をしようとしているのか。
そもそも。
「あいつは一体、誰なんだ」









